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Apollo  作者: ゆいまる
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サヨナラの準備 2

 蒼汰が三宮からの連絡で駆け付けた時には、とっくに手術は終わっていた。

 病院に向かいながら、なぜ自分には連絡がなかったのか、なぜ三宮が付き添っているのか、神崎川はどうしているのか、様々な疑問が飛び交っては、彼女は無事なのかという最大の不安に発破をかけていた。

 病院に飛び込んですぐに病室に駆け込んだ蒼汰の目に、真っ先に飛び込んだのは眠っている紅の姿だった。

「静かに。今、ようやく眠ったところなんだ」

 そんな声に、ようやくその部屋に三宮がいることに気がついた蒼汰は紅の顔を、逸る気持ちを抑え込みながら覗きこんだ。

 夕暮れに染まる病室で、彼女の顔色は悪くは見えなかったが、その微動だにしない様子に、本当に大丈夫なのか不安に駆られてしまう。

「先生。手術って」

 抑えた声は早口で、蒼汰の動揺ぶりは三宮に手に取るように伝わった。

 三宮は腕を組み、髭を撫でると「ちょっと外に出よう」と小声で促した。

 モニター音の規則的な信号音だけが、彼女の生存を伝える。

 それは真っ赤な部屋にいやに響く音で、蒼汰はその心元なさに彼女から離れるのを躊躇ったが、結局黙って教授についていくことにした。

 廊下に出ると、病室の張りつめた空気から解放され、蒼汰は深く息をつく。

「で、先生、紅さんは」

「ん、あぁ。母体は、無事らしいよ」

 親族以外の身元引受人という立場に据えられていた三宮は、先ほど神崎川の代理として主治医から説明を受けていた。

 その内容を思い出し、思わず暗い顔になる。

「紅さんは、て、どういう事ですか? 赤ちゃんは? 赤ちゃんはどないしたんです?」

 蒼汰は嫌な予感と三宮の暗い顔に、思わず声を荒げていた。

 教授はまだ何の説明も聞かされていない紅に聞こえていないか、背中を気にしながら声をさらに落とした。

「正直、厳しいそうだ。頭に水がたまっていてな、それが脳のかなりの部分を圧迫している。もしかしたら、重度の障害を残すかもしれん」

「そんな」

 できるだけ簡潔に事実だけ述べられているはずの教授の言葉に、蒼汰は愕然とする。

 障害? 脳を圧迫?

 ふと、自分の掌を見つめた。エコーでは元気に動いていた。人間の形をしていた。蹴り返してくる力に、自分は確かに命の存在を感じた。本気で、元気に生まれてくることを願っていた……。

「今は?」

「NICU。新生児集中治療室だ」

 それを聞いて、蒼汰はわずかに安堵した。

 生きてはいるという事だ。よかった、と小さく呟き表情を改める。

「紅さんには」

 三宮は首を横に振った。

「生まれた時点で、かなり頭が腫れあがっていたらしくてな、見せてもいないらしい。赤ん坊の泣き声が弱かった事に、紅はひどく不安がっていたよ。今の今までずっと心配していた」

「二人にしてもらえますか?」

 神崎川の事は、訊くだけ無駄だとわかっていた。

 現実、ここにはいない。それだけで十分だ。それよりこの現実を、どうすればいいのだろう?

「梅田。赤ん坊の事は……」

 蒼汰は室内に入りかけた足を止め、俯いた。モニター音が責めるように一定のリズムで押し寄せてくる。伝えるべきなのか? それとも隠すべきなのか? いや、いずれわかることなのだ。そして、いくら嘆いても、何にも変わらないのが現実なわけで……。

「二人にしてください」

 蒼汰はもう一度そう言うと、後ろ手にドアを閉めた。

 真っ赤な夕陽に染まった彼女の寝顔を見つめ、傍らに座る。

 そっと、綺麗に並べられた指を自分の掌に載せてみた。思っていたより冷たいそれにドキリとして、蒼汰は温めるように握りしめた。

 こうやって、傍にいて彼女を感じていると、もう立場なんかどうでもいいような気がして来た。

 夫でも恋人でもなくていい。どうしようもないこの現実に彼女が立ち向かう時、一番傍で彼女を支え、時には守れたらそれでいい。

 重度の障害の子どもを育てるなんて、想像もつかなかったし、その内容も良くはわからなかった。正直、ショックはショックだ。まさか生まれてくる赤ん坊がハンディを背負って生まれてくるなんて、思ってもいなかったからだ。

 紅も予想していたわけではないだろう。だから、もし知った時、彼女がどんな気持ちになるのか、その方が怖かった。

 でも、と蒼汰は思うのだ。

 紅の生気の灯った頬を見つめる。綺麗事と言われるかもしれないけれど、生まれてきてくれた命がちゃんと生きているとわかった時、正直嬉しかった。

 彼女が育んだ命、自分の手を蹴り返してきた命。それはどんな子でも愛おしいはずなのだ。

 紅の瞼がわずかに痙攣して、呼吸のリズムがわずかに変化した。うなされるように顔をしかめるその様子に、蒼汰はそっと声をかけた。

「紅さん。大丈夫ですか?」

 うっすらと声に反応するように開かれた目には、まだ疲労と混乱が見てとれた。

「梅田、君?」

 自分を呼ぶ声に、蒼汰は頷いて見せる。

 そして両手で彼女の手を包んだ。これからの現実を一緒に受け止め、一つの命の誕生を一緒に喜ぶために。

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