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Apollo  作者: ゆいまる
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旅路 6

 家につくと、まず風呂を借り、上がるなり蒼汰は飯を作らされた。

 少々強引だが、少年はそれで周囲を振り回すことに慣れているかのようだった。

「俺は、日本画が好きでね。父親一号の方が、美大の教授で、そういう資料いっぱい持ってたんだよ。で、勉強したくてここに来たわけ」

 廻は蒼汰が作ったチャーハンを口に流し込むと、そう言った。

 蒼汰は彼の話にただただ唖然とするだけだ。

 彼のいう父親二号、大橋冬樹は有名な壁画画家だ。

 蒼汰は何かの映画のシーンで彼の壁画が使われていたのを見たことがあった。強い印象を脳に焼き付けるようなその絵を、よく覚えている。

 あの高架下の絵は、彼の若い頃の作品らしい。言われると、映画で見たものとタッチというか、世界観が似ていて納得ができた。

 希代の天才画家は、世界でも人気で作品依頼は数多とあるのに本人は世界中を放浪していて、行方はつかめないそうだ。だから、彼のファンは生きていながら彼を伝説のように語り、作品が発見されるたびに大きな話題を誘っていた。

 また、伝説とされるのはその風貌もあるのだろう。アルビノであり生まれ持っての色弱であることも、本人から明かされていた。それで人々は余計に、一般では見ることのできない彼の世界観に引き込まれるのだ、という少々デリカシーのない記事を、蒼汰はネットで読んだことがあった。

「あの、高架下の絵は、まだ誰も親父の作品って知らない。もしかしたら、もうすぐあの高架の補修工事が始まるから、なくなるかもしれないんだよね。傑作だろ」

 廻はそう笑うと、お代わりをしに席を立った。

「廻はそれでええんか?」

 蒼汰は思わず尋ねる。芸術関係の事はさっぱりだが、きっとあの大橋冬樹の作品と分かればかなりの値打ちが付くだろうし、保護だってされるだろう。

 なのに、誰にも知られずにただの税金の無駄遣いに消されるなんて。

 しかし、廻は皿に大盛りのチャーハンを手に戻ってくると

「いいんじゃね?」

 とあっけらかんと言い放った。

「あれは、一生完成しない失敗作という作品なんだって、親父が言ってた。だから。壊されても文句言わないと思うし」

「なんやそれ?」

 完成しない失敗作という作品。未完なのが作品の構成要素という事か? まるで不可解で、蒼汰は首を傾げながらお茶を喉に流し込んだ。

 廻はそんな蒼汰に目を細めて

「きっと、親父の母さんへのメッセージなんだと思うよ。完成させたくない、母さんへの想い」

 そう言った。その顔は、驚くほど大人びていて、蒼汰はその言葉の意味を探るようにそんな少年を見つめた。

 廻は再びチャーハンにがっつきだすと「うめー、うめー」と連呼するだけで、その先の話をしなくなった。

 蒼汰は彼のまるでなぞなぞのような話を、自分なりに頭でまとめてみる。

 しかし、どうも結局はその彼ら三人の関係が想像できなくて、そこで詰まってしまっていた。

 一番謎なのは、廻の母親だ。

 二人の男性に愛され、どちらか一人を選ぶことなく過ごした。はっきり言って常識では考えられない形だ。

「なぁ、廻。お前のおふくろは、どんな人やったんや?」

「ん? 美人だよ」

「いや、そうやなくて……」

 蒼汰は苦笑すると、空になった皿にスプーンを置いた。カランと乾いた音がキッチンに響く。

 モノがあまりない家だった。引っ越してきたばかりだからなのか、はたまた長居する予定がないからなのか、テレビもラジカセもない。あるのは無造作に置かれたベッドと、何かの画材だけだ。キッチンにも、鍋と薬缶と炊飯器しかなく、蒼汰は鍋でチャーハンを作ったくらいだ。

「その……二人の男性に想われて、苦しくはなかったんか?」

 思わず、自分と神崎川の事を重ねる。

 紅はどうだったのだろう?

 自分が重荷だったのだろうか?

 自分が彼女に気持ちを寄せてても、何も言わないでいてくれたのはどうしてだったのだろうと、今になっては思う。

 ただひたすらに、彼女への気持ちを募らせていた時は、逆に彼女の気持ちをこんな風に考えることはなかった。ただ、自分にも可能性はあるのだと自分本位に気持ちを押しつけていた。

 本当は迷惑だったんじゃないか。そんな臆病な気持ちすら、今はある。

 そんな蒼汰の気持ちを知る由もない廻は、蒼汰の質問こそ妙だと言わんばかりの顔をした。

「どうして?」

「いや、板挟みで、しんどないかなって」

「全然そんな感じなかったよ」

 廻はそう言うと、腕を組んで天井を見上げた。

「母さんは、死ぬまで幸せそうだったよ。少なくとも、俺が見た感じではね。親父たちのトラブルもさほどなかったし。まぁ、母さんの誕生日、どっちが一緒に過ごすかとかでは毎年飽きもせずに揉めてたけど」

 その様子を思い出したのか、廻は苦笑してスプーンを器用に指の間でまわした。

「けど、死ぬ間際まで、母さんは一言もこの家族についてマイナスな事は口にしなかった。逆に俺に教えてくれたよ。本当の愛の形は自分で決めるものだって。その形が世界と違えば違うほど、それは苦しいと錯覚しがちだけど、本当に大切な事を大切にできてさえいれば何の苦もないってさ」

 その言葉の意味は、まだこの少年にも理解が及んでいないらしかった。

 蒼汰もまた、理解できている自信はなかったが、あの高架下の世界はまさにそんな感じだった。

 未完成な完成。

 失敗作の名作。

 完成させたくない想い、というのは、忘れたくない終わらせたくないという意味なのか? なら、それは自分も同じだと思った。

 紅は結婚する。

 神崎川の子供を産む。

 でも、この想いはそんな形で完結させたくない。

「なぁ、廻」

「なに?」

「廻は、そんな家族が好きか?」

 不思議な関係。完成しない愛の行方はどんなものなのだろう?

 その質問に、廻は目を細めると大きく頷いた。その顔には誇りすら感じられるほどの清々しさがあった。

「大好きだよ。俺の家族ほど愛を理解している家族はないと思ってるくらいにね」

 こんなセリフが似合うのは、パリ育ちだからか?

 蒼汰は思わずドキリをさせられ、それをごまかす様にはにかんだ。

「そんな事よりさ、写真、見せてよ! で、どんなこと見てきたか聞かせて! 俺、親父二号から世界の話はよく聞くんだけど、日本の話はいまいちでさ。日本画のあの繊細で奥深い美しさの秘密を知りたいんだよ」

 廻はそういうと、皿を横にどけて、身を乗り出してきた。その無邪気さに蒼汰は久々に創作意欲を感じる。

 知りたい、理解したい、表現したい。それらは皆、創り手の力になる。

「ええよ。ほな、初めの写真から」

 蒼汰はデジカメの電源を入れて見せた。

 そこに映る、景色や人の顔。蒼汰の創造力を呼び起こす力のさらなる根源は、ここに、人間の中にあった。そして結局最終的に表現したいのは……。

 デジカメの画面に一輪の紅い花が映った。

 名前は知らない。でも、その彼女を思い出させる美しさが自分を惹きつけたのを、蒼汰は鮮明に覚えていた。

「これは?」

 廻が顔をあげる。蒼汰は紅を想い、こみ上げる切なさに目を細めその花を見つめた。

 自分が表現したいのは、きっと『こう言う』事。廻の母親の言葉を借りるならば、自分にとっての愛の形。まさにそれなのだ。

 蒼汰は小さくため息をつくと、その花の美しさを改めて心で感じた。

 そして廻に静かにこう答えたのだった。

「俺のまだ、完成させたくない気持ちや」

 と…。


 翌朝、廻は河原まで蒼汰を送ると言ってついてきた。

 夜中まで蒼汰の話を熱心に聞き、時には質問をたくさん浴びせるその姿は、まさに好奇心の塊で、物凄いスピードで色々な物を吸収している、そんな感じだった。

 蒼汰はそんな彼がこの先どんな絵を描き、世界を作って行くのか凄く楽しみであり、負けていられないと思った。

 立ち止っている時間がもったいない。何かを始めないといけない。そう、心が囁き始めていた。

 早朝の河原には人影はなく、秋の澄み渡った空が遠く宇宙まで続いていた。

 昨日の黄金の夕日は、今は世界を包むやわらかな風となり、凛とした気持ちを優しく導いていた。

 もう一度、あの壁画の前に二人で立つ。

 蒼汰はその壁画がまた違った表情を見せているのに驚いた。まったく同じ絵なのに、全く違う印象を与える。

 それは採光を計算しつくして描かれたのか、それとも、これが大橋冬樹の世界なのかはわからなかったが、蒼汰は神崎川とは全く違う天才の存在を認めざる負えなかった。

「わかる? 蒼汰にも」

「あ、あぁ。すごいな。昨日のが果てのない大きな世界なら、今日のは語りかけてくる自分の中の世界や」

 うまい表現が見当たらないのが口惜しい。でも、蒼汰は浮かんだままを言葉にした。

 けれども、廻はそんな荒削りな言葉を気に入ったようで、目を満足げに細めると両手を広げそれを仰いだ。

「父は、夜と昼の美しさが共存できないのを知っていた。生と死の美しさも共にいられないのを知っていた。大地と空と海もまた……交わることのないのを知っている。だけど、すべては切り離せないんだ」

 少年はその無垢な瞳を閉じると、宇宙を抱きしめるかのように更に手を伸ばした。

「夜の先に昼があり、昼の終りに夜がある。生の先に死があり、死の終わりに生がある。大地も空も海も、何一つ欠けても、この世界は成り立たない。なのに……」

 少年はそっと目を開けた。

 涙はない。だが、泣いているような顔だった。

「大切なものを全部は連れて行けない。神様は意地悪だよね」

 蒼汰はこの時、彼が母親の死を語っているのだとわかった。

 何かの終わりは何かの始まりであり、何かの始まりは何かの終わりを意味する。

 母親との生活の終わりは独り立ちの始まりであり、その道の始まりは父親たちが作った世界からの決別だったのかもしれない。

 自分はどうだろう。蒼汰はその世界に溶け込んでいってしまいそうな少年の背中を見つめた。

 自分はまだ、そちら側には行くことはできない。

 でも、いつかそうする事が出来たなら、この少年のように凛とした顔になれるのだろうか。

「ええ顔やな」

 蒼汰の呟きに、少年は照れ笑いで振り返った。

 手を下ろし、自分を見上げるその顔は年相応のものに戻り、蒼汰をまっすぐに見つめる。

「旅が終わったら、何が見えたかまた話に来てよ。僕は、その時はもうこの町にはいないかもしれないけど、この住所に手紙をくれたら繋がってられるよ」

 そう言うと、廻は一枚の紙を差し出した。

 そこにはいつのまに描いたのか、蒼汰の笑った顔の絵と、どこか、たぶんフランスなのだろう、外国の住所ときっとフランス語なのだろう崩した文字が記されていた。

 自分は、今、こんな顔なのか。蒼汰は嬉しくなり、受け取ると代わりに手を差し出した。

「いつかまた」

 さよならは、似合わない。

 それをわかった廻もその言葉は口にしなかった。

 代わりに極上の笑みこの言葉を贈ったのだった。

「Un bon voyage(良い旅を)」


 車に乗り込み、もう一度貰った絵を眺めてみ、書かれてある言葉の意味を予想してみた。

 似顔絵に記された言葉

『En vérité, le chemin importe peu, la volonté d'arriver suffit à tout.』

 蒼汰がこれを解読したのは、実際のところ旅を終えてからだった。そして、その意味を知った時、この年下の友に一通目の手紙を書いたのだった。


 ―実際のところ、道は重要ではない。到着の意志でこと足りる

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