旅路 3
せっかくなので、さっきパンフレットでみた武将の銅像を見に行くことにした。
初めての土地には発見が多い。ただその地名を知っていても、想像以上に街だったり、逆に田舎だったり。百聞は一見にしかず、とは良く言ったものだ。
そぞろに歩いていると、その銅像はバッタリと目の前に現れた。
随分自分がぼんやりしていたことに蒼汰は気が付き、苦笑いに顔を歪めた。
見上げるほどの銅像は立派なもので、自分が知っている限りでは片目のはずのその武将は、なぜか騎乗し両目で遠くを見ていた。
ふと、豊臣秀吉も小柄だったくせに、自分の自画像の時は大きく描かせていて、不自然なくらいの肩パット(?)の入った肖像画が残されているのを思い出した。この武将の場合は知らないが、もしかしたら同じような理由かもしれない。
「どんな、すごいことやった人間でも、コンプレックスはあるねんなぁ」
蒼汰はぼやき、夕暮れに傾く高い空を仰いだ。
まひるは約束より10分遅れて同じ店に顔を出した。
蒼汰を見つけるなり、両手を合わせ「ごめんね〜」と駆け寄って、すっかり慣れた様子で向かいに座る。
なんだか昔からの知り合いのようで、そんな彼女を蒼汰は今日会ったばかりとは思えなかった。
「怖いお兄さんの説教は終わった? 今は大丈夫なん?」
一応気を使って、外からは見えにくい席を選んでいた蒼汰は冗談めかしてまひるに尋ねた。
まひるは苦笑いして
「さっきは本当にごめんね。しん兄は悪い人じゃないんだけど、心配性で。今はバイトに行ってるはずだから大丈夫」
まひるはそう言ってから、「そうそう!」と落ち着きなく言葉を継いだ
「あのね。あのアドバイス! 効果てき面だったよ!」
「へぇ〜」
蒼汰はやっぱりな、と内心ニヤリとして話を黙って促した。
「あれからね、また無言電話があったの。それで、言われたとおり言ったら、なんと! 相手が喋ったの!『ごめん』って一言だけ。すごいでしょ? これできっと、もう来なくなるよね? ってか、蒼汰くん、凄いね!」
やや興奮気味のまひるはそう捲し立てると、少しむせて「ごめん、なんか飲み物買ってくる」と席を立った。
そんな彼女の背中を眺めながら、蒼汰は彼女の事を、お人よしなのかそそっかしいのか……とにかく今時珍しいほど人を疑わない子なんだなと思った。
ここまで言い当てられて、もしかしたら本当は蒼汰が無言電話の相手かもしれない、とか思わないのだろうか?
しかも、その『ごめん』の声が誰だか気が付いていない様子だ。
きっと『彼氏は成功するまで連絡してこない』と信じきっているものだからそうは聞こえなかったのだろう。
「お待たせ! もう、本当にびっくりしたよ! ありがとうね、蒼汰くん」
「いえいえ」
蒼汰は苦笑する。お礼を言われるのはちょっと妙な気がしたからだ。
そんな蒼汰に、まひるは目を細め駅の方へと視線を移した。
「正直ね、まいってたんだぁ。すごく心細くて、彼に会いたくなっちゃって。それでここに来ていたの」
日の落ちた駅には明かりが灯り、少し幻想的だ。
蒼汰も彼女につられる様に目を移す。
「距離的にはわかんないけど、ここがこの町で一番東京に近い気がして。会いに行きたいなぁ、本当は傍にいたかったなぁって」
切なさがこみ上げるのか、まひるの眼は少し潤みため息に沈んでいた。
会いたい、か。会いたい人なら蒼汰にもいる。
でも、彼女は、一番会いたくない人でもあった。
「好きなら、傍におりたいやんなぁ」
傍にいて、支えたかった。一番じゃなくてもよかった。居場所さえあればよかった。でも、そんなもの、もうこの世のどこにもない。
「蒼汰くんにも好きな人いるの?」
まひるの真っ直ぐな質問は心に痛かった。蒼汰は頷き
「今度、結婚するんやけどな。他の男と」
「あぁ、そうなんだ」
答えた言葉に、まひるは押し黙った。
さっきまでの賑やかさは影を潜め、頬づえをつき外を眺める。
「それで、目的のない旅行をしてるんだ」
「まぁ……そうやな」
言いにくいし、格好の悪いことだけど、そういう事だ。蒼汰は認めるしかなくて素直に頷いた。
「それで、忘れられそう?」
「え?」
顔をあげると、いつの間にかまひるは蒼汰を見つめていた。
忘れる。考えた事がなかった。
忘れる。できるのか?
忘れる……
忘れる……
忘れる?
あんなに、体中で、心全部で好きだった人を、どうやって?
蒼汰は目を伏せると首を横に振った。
「たぶん、無理や」
想像もできない。
そんな蒼汰を見て、まひるは微笑んだ。
「あたしも一緒だよ。会えないし、メールも電話もできない。いつ帰ってくるかもわからないし、約束は「いつか成功したら迎えに来る」これだけだもん。すっごく不安。辛いよ。けど忘れるなんて絶対できない。だから信じてるの」
まひるの笑顔は優しく、そして力強かった。
まるでそこに小さな太陽が生まれたかのような、そんな温かい微笑みに、蒼汰は何かの救いを待つように見惚れた。
「私の彼が好きだって気持ちだけは誰にも負けないって事。だから、頑張れるよ」
「まひるちゃん」
「諦められないんだったら、諦めないでいいじゃん」
まひるはそう言うと、蒼汰の頬を悪戯っぽくつついた。
「逃げたって、きっと苦しいだけだよ。それじゃ、忘れることも、頑張ることも、変わることもできないじゃない。だって」
まひるはつついた指をひっこめると、拳を軽く握り自分の胸を叩いた。
「心はここにあるんだもん。逃げられなんかしないんだよ」
蒼汰はふてくされたように目を伏せ、手元の紙コップを握りしめた。
そんな事は十分に感じている。じゃあ、一体どうすればいい? 相手はもう、子どももできていて結婚が決まっている。今更、何ができるっていうんだ?
「せやけど、今更、どないしようもないやん。忘れられへんかっても、これ以上何を頑張ればいいか」
「蒼汰くん!」
少し叱るようなまひるの声がした。
顔をあげると、蒼汰は一瞬虚を突かれて目を瞬かす。そこにはまひるの顔ではなく、情けない自分の顔があった。
まひるが鏡を差し出していていたのだ。
「見てよ! 今の顔! 勿体ないじゃん。スキって気持ちがせっかくあるのに、こんな状況になっても諦められないほど深いキモチなのに、今みたいな顔して拗ねてるなんてさ」
「まひるちゃん」
まひるは鏡を差し出すと
「お守り代わりにあげる。たまに、これで自分の顔、見てみなよ。せっかくのキモチ、せっかくの時間なんだもん。思いっきり自分らしい顔じゃなきゃ! ね? 大丈夫だって!」
そう言って、また蒼汰にあの笑顔を見せた。
「大切なものはいつだって心は知っているよ。心が求める事を正直にすればいいんだよ。私、応援するから!」
「おおきに」
蒼汰は鏡を受け取ると、それを覗いてみた。ぼんやりとした表情は、負け犬という名前がふさわしい。
「いい顔になって、もう一度だけ彼女に会ってみなよ。きっと、何かが変われると思うよ」
まひるの声は、背中を一生懸命に押してくれていた。その気持ちが何より嬉しくて、不幸面している方がだんだん恥ずかしくなって来る。
「ええ顔か」
言葉を口にした途端に、目の前が少し明るくなり肩の力がわずかに軽くなったのを感じた。
そして蒼汰は自分が酷く久しぶりに笑顔になっているのに気がついた。
心は知ってる……か。
もう一度心のなかで彼女の言葉を繰り返してみる。
そして、鏡から顔をあげると、
「せやな。わかった。ええ顔になるのを、この旅の目標にしてみるわ」
明言してみせた。
「そうそう! その調子だよ!」
まひるの明るい声は純粋に、この今日会ったばかりの人間の本当の一歩を喜んでくれていた。
彼女の前向きな明るさのおかげで、蒼汰は旅初めての道標が立てることができたのだ。蒼汰はそれを実感し、笑顔の本当に似合う太陽のような彼女に、心から感謝したのだった。