旅路 2
日向まひるという、太陽をそのまま名前にしたような女性にあったのは、宮城県に入ったばかりの頃だった。
旅の序盤、だとは蒼汰本人も自覚していなかった秋の日の昼下がり。駅で貰った観光用の無料パンフレットに乗っている武将の銅像を見ているときだった。
蒼汰は、その武将の名を聞き覚えはあったし、その特徴的な風貌も知っていた。しかし、実際、彼が何をした人物なのかまでは知らない。
それどころか、本当にこいつは存在したのか? なんて不謹慎な事まで考えてしまう。なにせ、あったことも見たこともない。映像や写真すらも残っていない人物と、各地に残る伝承との差は、経済学部の一学生にわかる由もなかった。
そんな事をぼんやり考えながら、二箱目になっていた煙草をふかしていると、足元で何かが落ちる気配がした。
目をやると、赤い女性ものの長財布だ。
慌てて煙草を口にくわえ拾い上げて周りを見回してみると、一人、それらしき女性がいた。
「すんません!」
声をかける。
しかし、女性は肩越しに蒼汰をちらりと見ると、いきなり猛ダッシュした。
「?!」
意味が分からず蒼汰は財布を掲げて
「ちょっと待ってや! なぁ! そこの姉ちゃん!」
声をあげて追いかけた。
女性は何度かこちらを振り返りながら、なおも逃げていく。
女性にしては早い脚に、旅費節約のため朝から何も食べていなかった蒼汰のへろへろの足が追い付くのは骨だった。
人の注目を集める中、その女性はふっと裏路地への曲がり角に消えた。
「?」
蒼汰は勢いのまま曲がる。しかし、曲がった先に目に飛び込んできたのは
「!」
扉だ。思いっきり鼻っ柱をぶつけ、思わず蹲る。
「ざまぁみろ! このストーカー!」
女性が扉の向こうから顔を出して、思いっきり舌を出していた。
蒼汰は鼻を押さえ、痛みに言葉が出ない代わりに財布を掲げて見せた。
「あ」と小さい声がする。
二人の間に流れる隙間風のような気まずい時間。
蒼汰は鼻をさすりながらゆっくりと涙目で顔を上げた。
「落とした財布を届けるのが宮城ではストーカーというんですか」
さすがに少々怒っていた。
女性はバツの悪そうな顔をして、うす笑いをすると「ごめんなさい! 人違いでした!」と潔く頭を下げた。
蒼汰は立ち上ると、頭を上げない彼女に財布を再度差し出す。
「姉ちゃん、そそっかしいって言われへん?」
苦笑交じりのそんな声に、女性は申し訳なさそうな顔でようやく頭を上げ、財布を受け取ると「あの、もしよろしかったら、お礼をさせてもらえませんか?」と呟くように言った。
蒼汰は「謝罪の間違いやろ」と心の中で突っ込んだが、関西弁の威力は他の地方では意外と威圧的なのを知っていたから代わりに
「なら、飯おごってや。そこのマクドでええから」
と『マクド』も関西弁なのを知らずにそう答えたのだった。
「へぇ、そんな遠くから来たんだ」
お互い自己紹介を終える頃には、同じ年という事が判明し蒼汰とまひるはすっかり打ち解けていた。
ボブの良く似合う丸顔で目の大きくクリクリしたまひるは、どこかボーイッシュで自分の周りにはいないタイプの女の子だった。
チキンナゲットのソースをこぼしたり、熱いコーヒーで唇を火傷したり、そそっかしいのは天然のようだ。
蒼汰はなんとなく彼女に気を使って、煙草をもみ消すと半ば冗談だった彼女のおごりのハンバーガーを口に運んだ。
「うま〜っ!」
ここ数日まともに食べてなかった蒼汰は思わず感動して叫んでから、ジュースでそれを流し込むと、頷いた。
「あぁ。車でずっと北上してきてん」
「目的地は?」
「特にない」
短く答えると、再びハンバーガーを口に突っ込む。まひるはそんな蒼汰の様子に苦笑すると、自分の分のハンバーガーも差し出した。
「よかったら食べて?」
「おおきに!」
蒼汰は素直に返すと、ふと顔を上げた。
「それにしても、なんでまひるちゃんは俺をストーカーと間違えたん?」
春にあった桃の一件を思い出す。あれは引っ込み思案の春日の仕業だったが。
まひるは眉を寄せ声を落とした。
「それがね、ここ最近、無言電話が続いてて、気持ち悪いのよ」
「そりゃ嫌やなぁ」
気の毒に思いながらも、遠慮なくまひるが差し出したハンバーガーに手を伸ばす。どこの土地にも人騒がせな人間はいるもんだ。
「電話番号変えたら?」
「ん、それはね、できないの」
まひるは少々困ったような顔をした。さっきまでの少年のような表情が一転して、女性らしい物に変わる。
蒼汰はその変化に首をかしげた。
まひるはやや顔を赤らめ、それをごまかすようにストローをいじりだす。
「その、彼氏がね。東京にいて、成功するまでは連絡取らないでおこうって。だから……番号変えちゃうと、彼が連絡する時困るでしょ?」
あぁ、成程ね。蒼汰は納得すると、残りのハンバーガーも口の中へ収めた。
そして、勘が囁く。その無言電話の犯人の正体を。
蒼汰はニヤリとしてハンバーガーを飲み下すと、まひるの表情を窺うように上目使いで顔を覗き込んだ。
「なぁ。その彼氏がどんな奴か当てたろか?」
「え?」
まひるがキョトンとしてこちらを見つめた。
蒼汰はやや芝居がかった仕草で体を起こし、腕を組んで目を閉じて見せる
「せやな……自分にちょっと過剰なくらいの自信を持ってる」
「え。そう、そうなの!」
声を上げるまひるに、片目だけ開けて自分の口に指をあて黙るように促す。
まひるは、まるで有名占い師にみてもらっているかのように、しゃんと背筋を伸ばして膝の上で両手を握りしめた。
蒼汰は面白くなって、大きく頷いて見せると再び目を閉じた。
「負けず嫌いで、少々子どもっぽい」
「うん」
「でっかい夢をもって東京に出て行った」
「そうそう」
「成功したら必ず呼び寄せるから、信じて待ってろ、なんて言って新幹線に乗ったのが約半年前」
「すごーい! その通りよ! どうして?」
最後のは当てずっぽうだったんだけど、意外に当たっていたらしい。
目をまん丸くして尊敬のまなざしを送ってくるまひるに、蒼汰は苦笑いを噛み殺しながら、彼女は騙されやすい性格なんじゃないだろうか少々心配になった。
「蒼汰くん、超能力とかあるの? すごい!」
「それほどでもないんやけど……」
蒼汰は信じ切っているまひるに少々気を咎めて前髪をかき回すと
「ほな、ついでに一つアドバイス。その無言電話を止める方法やけど」
照れ隠しに悪戯っぽく笑った。
「うんうん」
まひるは食いつくような顔でこちらを見ていた。
それは、まるでおまじないを信じる少女の目のようだと蒼汰は思った。
蒼汰は呪文を授ける魔法使いにでもなった気持ちで口を開いた。
「『私は信じてるから大丈夫』って言ってみ? たぶん、なくなるで」
「なに? それ」
まひるはキョトンと不思議そうな顔をしている。
種明かしはこうだ。
蒼汰は、今言い当てたとおりの彼氏なら、その無言電話は彼氏が犯人だと踏んでいたのだ。
きっと、大風呂敷を広げて上京したが行き詰まったのだろう。弱気になり始めるのがだいたい半年から一年の間だとして、彼女の声が聞きたくなった。しかし連絡しないと言い張った手前、電話までは掛けても声を出せずにいる。そんな所ではないだろうか。
蒼汰は肩をすくめ涼しい顔をしてみせ
「ま、一度試してみ。それでもアカンのやったら、電話番号変えて彼ん家か共通の友達に新しい電話番号教えとったらええやん」
「そうか。そうね。やってみる!」
まひるは素直に頷くと、嬉しそうに目を細めた。
どことなく桃を思わせるのは、少し子どもっぽい仕草のせいだろうか?
そう思って、蒼汰がジュースのストローをくわえた時だった。
「まひる!」
決して大きくはないが、鋭い声が飛んできた。
まひるの顔が一瞬でこわばりひきつる。彼女が怖々見上げた視線をたどって振り向くと、なかなかの長身の男性が怖い顔で歩み寄ってくるのが見えた。ターミネータ2の敵を思わせる歩調だ。
「しん兄ぃ……」
まひるが逃げ腰で見上げると、その男性は上からまひるを睨みつけ、次いで蒼汰を訝しげに見つめた。
「こちらは?」
まひるが兄と呼んでいたから、兄なのだろうか?
青ほどではないがなかなかスッキリした端正な顔立ちだ。などと呑気に観察する蒼汰から男性は視線をまひるに移動させる。
まひるはまるで借りてきた猫のように縮こまり
「あ、その駅前で……」
途端に男性の顔が呆れ顔に変わり、大きくため息をつく。
「お前って奴は。いつも言ってるだろ? こう言うのをキャッチセールスって言うんだ」
「はぁ?」
さすがにむっとする蒼汰に、男性はまひるを庇うように立ちはだかった。
「じゃなきゃ、ナンパか? どちらにしろ、駅前で声掛けてこんなジャンクフードの店に連れ込むなんて、ろくな奴なわけがない。行くぞ!」
随分決めつけた言い方だ。蒼汰は何かひとこと言いかえそうかと立ち上がりかけて、まひるがその男性の後ろで首を振っているのが見え動きを止めた。
まひるは次いで、指で『7』と『ココ』を示してみせる。
七時にここでもう一度会おうという事だろう。
蒼汰は彼女にだけわかるように小さく頷くと、口をつぐみ腕を組んでしかめっ面で座り直した。
「ほら、反論しないのがいい証拠だ。行くぞ。まひる!」
「は〜い」
まひるは慣れた様子で男性に手をひかれていく。
男性はブチブチとまだ小言を言っているようだったが、まひるは一度だけ振り返りおどけた顔で肩をすくめて見せた。
蒼汰はそんな様子に片眉を上げる。
そして、二人が出て行くのを見送りながらジュースをすすった。
もし、兄だとしても、この年齢の妹に対して酷く過保護な兄なんだな。そんな感想を持ってから、うん……と背伸びした。
久しぶりの刺激は、少々トラブル含みだが意外に面白いと感じていた。
せっかくだし、まひるともう一度会うまでは、この町をうろついてもいいかもしれない。そんな事を考えながら、蒼汰はさっき駅で手に入れた無料の観光案内を広げたのだった。