拒否する背中 5
学園祭は毎年のことながら、その終わりは少し物悲しい。
それは祭りの後の寂しさもあるだろうが、サークル関係者には3年の引退があるからだろう。
蒼汰が次期部長の話を正式に貰ったのは10月に入ってからだった。
自分の学年は4人しかいないのに加え、映画部は大体その学年に監督パートの人間がいれば、その人間が自動的に部長を務めていたから、話が上がった時には部内でもすでにその空気は固まっていたし、蒼汰自身も驚きはしなかった。
ただ、いよいよあの神崎川と同じステージに上がるのだという身の引き締まる思いだけはあった。
同じ…というのは少々違いはするが…実際、今、相手はプロのステージというもっと先を言っている。だが、ようやく端でも勝負の場に立てるという意味合いでは『同じ』としたかった。
考えれば、神崎川は自分と同じ学年では、すでにいくつも賞を取っていたし業界では多少名前も出始めていた。聞けば、それらの作品はサークル活動以外のモノだったらしい。
想い起こせば、神崎川はあまり絵コンテを提示しない。ほとんどその場でカメラワークや現場での演出を決めて行く。
それを彼なりの感性といえば少々乱暴な解釈になるだろう。丁寧に見れば、その日の役者のコンディションやロケなら天候、時間帯、スタッフの空気、それらの緻密な計算の上での撮影がなされていたからだ。
そんな人間を越えなければならないのか。
打ち上げの場になって、蒼汰はそんな事を思いながら彼の登場を待ち、今日引退する塚口と話し込んでいた。
「本当にご苦労さん。お前のおかげで、いいものを最後に作れたよ」
そう言ってくれる塚口は、就職は映画とは全く違う道を進むらしい。まさに生涯最後の作品になるわけだ。
「そんな、先輩の人徳がないと、まとまりませんでしたって」
世辞ではない。今日卒業する先輩のほぼ全員、映画関係以外に就職を希望している。そんなものだ。
所詮、サークル活動。部内の人間にとっても大半の者にとって、ここでの活動は思いで作りでしかないのだ。
そんな人間の集まりでも一定のクオリティをキープできたというのは、皆をまとめモチベーションを最後まで保った部長の尽力だろう。
「自分に務まりますかね」
実際、部長というのは映画製作以外の仕事もかなりある。
部費管理にスケジュール調整。ロケ地の準備や機材の管理。挙げればきりがない。まず真っ先には大学との援助交渉が待っているだろう。終わればすぐにでも今年度の決算をして提出しないといけない。
これまでただただ映画に専念していればよかったのが、一気に忙しくなる。
「ま、得手不得手はあるさ。園田はその点、お前とはいいコンビだろ?」
「確かに」
ちらりと青の方を観た。今年から始まった学園祭のミスコンでコンビを組んだ藍といい感じに飲んでいる。
ミスコンを通じて、部にはスミレの優勝で20万がもたらされ、部のアピールに成功し、そして青と藍の仲が進んだ(と蒼汰は思っている)。
いい事づくめだった。
「園田は、もう、大丈夫そうだな」
塚口もこの1年、なにかと奴の事は気をもんでいたらしく、二人の様子にほっとしたような苦笑の様な笑みを浮かべた。
「器用貧乏な奴なんです」
「言いえて妙だな」
二人で声を殺してもう一度笑うと、俄かに会場がざわついた。
今夜は三宮は娘さんが来ていてすぐに帰ってしまったから、きっと彼だ。
蒼汰は気を引き締める。
今からが勝負だ。
そう言い聞かせる。
そして、部員たちの歓迎の声の中、その男は姿を現した。
「遅くなってしまなかったな」
「来ていただけるなんて、光栄ですよ」
誰より早く立ち上がった塚口が、蒼汰の隣の席を勧めその大きな体はやや窮屈そうにそこに身を収めた。
「よぉ。今年の作品、見せて貰ったよ」
座るなりかけられた言葉に、蒼汰はわくわくする。
正直、逃げ出したいくらいの緊張はあるのだ。でも、それ以上に彼と映画の話をするのは刺激的で、楽しみだった。そう、まるで小学校の頃に通っていた空手の試合の、あの時のような感じだ。
「感想、聞かせて貰えますか?」
「もちろんだ。そのためにここに来た」
神崎川は真摯な目で答えた。
いつもそうだ。映画の事のなると、彼の眼は力が宿る。それは、けっして威圧的なモノではなく、もうその世界を生業と決めている誇りを感じさせるモノだった。
蒼汰は今でも、その瞳には憧れと尊敬の気持ちを抱かざる負えない。
「師弟関係は相変わらずですね」
神崎川のグラスにビールを注ぐ塚口に、神崎川と蒼汰は似たような顔で苦笑したのに気がついたのは塚口ただ一人だった。
挑戦者の目というのは、プロの現場に飛び込んだばかりの自分がそうだった様に、無謀でいて希望に輝いている。それが、徐々に何かにぶつかったり評価の眼にさらされる間に、自分の実力や立場を思い知らされ、あるものは自分への失望に曇りそのまま腐ってゆき、あるものは更なる力を得て視界を開け先へと進むようになる。
さて、この男はどちらだろう? と、神崎川は少々意地の悪い目で今回の作品について語る蒼汰を眺めた。
今年の作品は実にユニークだった。
ホラーで短編3部からなるオムニバス。しかも、全体も繋がっていて、最後まで見るとその結末にぐっと説得力をつけ、見ている方にどんでん返しまではいかなくても、感嘆のため息くらいはつかせる内容だった。
さすがに学生作品の枠からはみ出ることはなかったが。聞けば今回は、部内改革もし、撮影はスタッフを真っ二つに割ったという。
蒼汰の向こうで静かに笑いながら彼の話に相槌を打つ塚口を、神崎川はそっと窺った。
器用な奴だと感心する。もし、彼が教員という夢がないのなら自分の元に引き込みたい種の人間だ。
「で、俺が一番力を入れたのは、ホラーってことで光彩バランスと効果音のタイミングなんですが……」
神崎川は髭をひと撫でしてから「ふむ」と息をついて作品を思い出す。3部作のうち、一番重要な最後の話を蒼汰が監督したのはエンドロールを見るまでもなくわかった。
一年前と比べ、着実に力が付いているのは認めるが……
「それは見ていればわかった。だがな」
塚口は苦笑している。きっと彼も思うところは一緒だったのだろう。そこを指摘する自分と指摘しない彼の間には徹底的な違いがいくつもある。
「わざとらしいんだよ。『驚かします』って気みえみえ。あぁなると、安っぽくなるな」
「え、あぁ。えぇと……」
蒼汰はさっと顔いろを変え、いつまで持ち歩いているつもりなのか台本を取り出し読み直し出した。
素直に反応すれば、正直な反応が返ってくる。
それが面白い。
神崎川はふと、自分に忌々しい報告をした紅の事を思い出し、父親が彼ならきっと違うリアクションをしたのだろうと皮肉めいた事を思った。
彼女からの報告はまさに青天の霹靂だった。同時に、まだあの女の呪縛から逃れられていないのだと呆然となった。
自分の子ども? 受け入れられるはずがない。望まれないのなら生まれてこない方がいいに決まっている。その結論に何の迷いもなかった。
でも、その時ふとなぜかこの事を蒼汰に話してから決めてもいいのではないか。そう思った。その時は自分のそんな思いつきの理由が分からず、紅には黙って背を向けてきたのだが、今ならなぜかわかる。
自分は梅田蒼汰の反応が見たかったのだ。
ドウセ 始末スル 手段ハ 幾ラデモアル
ドウセ 命ナンテ 欲望ヲ 満タス為ノ道具ニ 過ギナイ
この思いつきに、罪悪感は残念ながら感じることはできそうになかった。