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Apollo  作者: ゆいまる
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赦されぬ誓い 2

 季節が夏を迎えても、なかなか冷え切った青の態度が解凍する気配はなかった。

 夏休みに入り、サークル活動にはまじめに出てくるくせに、最近は目すら合わせようとしない。

 桃も桃だ。いつもぎこちない笑顔で、声をかけても「なんでもない」の一点張り。藍にもさっぱりだそうだ。

 帰りの準備をしながら、撮影を終えた向こうの班のメンバーに交じって、青の横顔が見えた。

 この夏、多少日焼けしたその横顔は、やっぱり端正だったが来年の構想を密かに考え始めていた蒼汰は心の中で、それ以上焼けんといてや、役に似合わんくなるから。と呟く。

 振られるのは覚悟で、カメラを下ろした青の後ろに立った。

「なぁ、青。来週の合宿やけど。今日、良かったら……」

「ごめん。今日はスミレと約束してるから」

 涼しい顔でもうすっかりおなじみになったフレーズを、こちらには一瞥もくれず半ば機械的に返してきた。

 見ると、スミレは複雑な顔をしている。たぶん嘘なのだ。

 蒼汰は参ったなぁ。と唇を曲げると、青の肩を叩き

「ほな、またな」

 とだけ声をかけた。周囲は「よく頑張りますね」と言わんばかりの憐みの表情だ。

 蒼汰は両手をポケットに突っ込むと、苦笑している塚口部長を振り返った。部長は目で「心配するな」と答えると口では

「みんな、二時間休憩しよう」

 と声にした。



 蒼汰はもうボロボロになった台本を後ろポケットに突っ込むと、気分転換に部室を出た。

 藍が付いてくるといったが、今は色々考えたかったので申し訳ないが断らせてもらった。そう、考えることはたくさんある。

 今の撮影のこと。青の事。来年の自分たちが中心に作る作品のこと。そして……

 はたを足を止めて携帯を取り出した。

 もう、一か月近くも連絡をとっていない彼女、紅のことを想った。

 電話はおろか、メールすらしていない。寂しいことに彼女からもメールは来ていなかった。最後にやり取りしたメールを呼び出してみようと、ボタンを何回か押してメール画面に来た時に溜息をついた。

 なんて女々しいんだろう。自嘲する。

 一か月前、神崎川に指摘されたのだ。最近、作業に身が入っていない。来年の構想もろくに練れていないし、どうせ今年のですらおざなりになっているのだろうと。

 指摘されたとき、作業画面を見て愕然とした。

 悔しいがその通りだったからだ。

 神崎川は人間的には嫌なところはあるが、一番の美点は仕事に私情を挟まず徹底して最高最大の力を注ぐ所だ。だから、彼が厭味や適当な気持で言っているのではないのはわかったし、なによりその時目の前にあった、自分の作業内容が、彼の指摘の正しさを物語っていた。

 自分は彼を超えて、堂々と紅を勝ち取るつもりだったのに、なにしてるんだと情けなくなった。

 だから……。

「作品ができるまでや」

 蒼汰は自分に言い聞かせるように呟くと、携帯を閉じた。

 本当は、いつだって会いたい。電話でいいから声を聞きたい。メールででも繋がっていたい。でも、そんな中途半端な男では、神崎川には勝てない。

「飯でも食うか」

 そう、顔をあげた時だった。

「梅田君?」

 直接脳を揺さぶる、恋しくてたまらないその声がした。

 目を見開き、周囲を見回すが、彼女の影すらそこにはない。

 幻聴か? 暑さにやられたのか? はたまた、彼女のことを考えすぎてとうとうおかしくなったか。

「夏休みに大学におるわけ……」

「梅田君!」

 背中を叩かれ、振り向きながら「ほぇ」っと間抜けな声を出してしまった。

「あ、紅……先輩」

「久しぶりね。サークルが忙しいんでしょ? 翠から聞いたわ」

 なるほど、それでメールがなかったのか。ちょっとほっとして蒼汰は頷いた。

「来週から合宿なんです」

 一か月ぶりの紅に、自分を律し映画に専念しないと……と思いつつ、どうにもこうにこも鼓動は高鳴るし顔はにやけてしまう。

「これから食事?」

「あ、はい」

「じゃ」

 思わぬ誘いに素直に頷きかけ、止まった。いいのか? 自問する。が、きっとそんな風に悩んだのは時間にして二秒にも満たないだろう。蒼汰は笑顔に戻ると太陽に負けない笑顔で答えた。

「一緒しましょう」

 夏休みでも営業してくれている学食は、貧乏な学生の強い味方だ。

 嬉しい偶然に張り切らずにはいられない蒼汰は、特に込んでいるのでもないのに走って席を取りに行き、食事もおごると意気込んだ。

 困りながらも嬉しそうな紅を座らせ、落ち着きなく食堂内を走り回ること数分。定食のトレイを両手にした蒼汰は自分がとった席に座り、彼に手を振る彼女を振り返り、満面の笑みを浮かべた。

「お待たせしましたぁ」

 おごるといっても、自分たちが頼んだ日替わり定食はたったの600円。格好はやっぱり付かないが、向かい合って微笑む彼女の顔に不満の色は微塵もなかった。

「「いただきます」」

 思わずそろった声に、二人で顔を見合わせ小さく笑う。

 そんな些細な事が、蒼汰はすごく嬉しくて、やっぱり自分の気持ちにウソはないんだと実感した。

「今日はなんで大学に?」

 食べながら尋ねてみる。

 紅はポテトサラダをつつきながら

「英文の武庫教授の学会のお手伝いをしているの。今月、翠はほとんど東京で…本当は彼の手伝いをするつもりだったんだけど……」

 ふと視線を落とす。

 卒業の目途が立ち次第、彼のマネジメントをするというのは、ずっと前から彼と決めていたことなのになぜか任せてくれない。

 それどころか、最近はしょっちゅう東京だ。もしかしたら、他に女性がいるのかもしれないなと感じていた。でも、それはこれまでにもなかった話ではないし、事実がどちらでも自分と彼の関係に変化があるわけではないのを知っているから、紅は黙っているしかなかった。

「先輩、忙しいんですね」

 蒼汰のあっけらかんとした声に、紅は笑顔を取り戻す。

 そう『忙しい』だけなのだ。

 結局、彼にとって、女性と付き合うのも仕事の一環で、たぶん今回の仕事が終わればそこで関係も終わる。一度だけ昔、問い詰めたことがあったがさんざん殴られた後で笑われた。「おまえは特別なんだから。何にも心配する必要はない。お前以外の女は道具だ」と。

 紅には自分も道具でないとは言いきれなかったが、彼が戻ってくるのなら……と割り切らざる負えない。

「ええ、そうね。それに……」

 教授からの先日の提案のことを口にしかけてやめた。実は、なぜか正式に断れない自分がいたのだ。院への試験はまだ先だから、と決断をくすぶらせてしまっている。

「いえ。なんでもないわ」

 紅はそう誤魔化すと、ようやくポテトサラダを口に運んだ。

 蒼汰はそんな彼女を眺めながらため息をつく。

 彼女は4年。今年で卒業だ。このまま、離れてしまうのは嫌だった。

「先輩、卒業後は……」

「まだ、わからないわ」

 口にしようかどうか迷う。

 もう、彼女なしの世界なんて、蒼汰には想像もできなかった。かといって、彼氏でも何でもない。自分が追いかけているのを、彼女の優しさが拒まないでいてくれているだけにすぎないのかもしれない。

「俺のわがままですけど」

「何?」

 紅が顔をあげた。頭の中で飛び交う言葉は、本当に身勝手なものばかりだ。それでも……

「この町を離れるにしても、来年、絶対、いい映画作りますから。見に来てくださいね」

 それを言うのが精一杯だった。

 本当はどこにも行ってほしくない。近くにいてほしい。でも、そんなこと言える立場じゃないし、行ってしまえば彼女を困らせてしまう。

 紅は柔らかく微笑んだ。

 そしてその蒼汰の言葉に、ようやく自分が教授の提案を断れない理由がわかった気がした。同時に、どれだけ自分の中に目の前の彼がいるのかということも。

「約束するわ」

 もし、翠の仕事を手伝わないでいいのなら、院へ進む道も考えてもいいかもしれない。紅はそう思い始めていた。

「きっと、すごいもんになりますから! なんたって、うちの秘密兵器を準主役にするつもりですからね」

「え?」

 キョトンとする紅に、蒼汰はまるで秘密を打ち明けるように口に手を添え、小声で

「ここだけの話。青に役者をしてもらおうと……」

「え、でも。彼は」

 紅はあの無口な後輩を思い出した。確かに見た目は申し分ない。でも、去年、翠が彼に期待して台本を読ませた時、ひどい棒読みで表情もなく諦めたのだ。

 蒼汰は楽しそうに笑う。

「わかってます。アイツはどうしようもない大根です。けど、入学式で奴を見かけた時から決めてたんです。青はどうしようもない照れ屋ですけど、コツさえつかめば絶対絵になると思うんです」

 弾んだ声に聞いている紅の方まで嬉しくなりそうだった。

 お茶を手に取り

「梅田君は、園田君のことを話すとき、楽しそうね」

 思わず口にする。今までも、蒼汰はよくサークル内やバイト先の話を面白おかしくしてくれたが、特に青の話は多く楽しそうだった。

 蒼汰はまるで自慢のおもちゃを誉められた子供のような顔をして

「めっちゃおもろい奴ですよ!」

「そう? 私には無口でクールに見えるけど」

 彼が必要以上に何かを口にしているのを見たことはない。見た目では注目を誘うが、紅からみると性格は地味な方に思えた。

「いや、そうやな。青は野良猫みたいなやつなんです」

「野良猫?」

 不思議な例えに目を丸める。

 蒼汰は青のことを色々思い出し微笑みながら

「近づけば警戒して爪を立てる。ほっておけば寂しそうな瞳をする。なのに、こちらが弱ってるときにはそっと寄り添って優しい温もりをくれる。そんな奴なんです。おもろいでしょ?」

 そう言って、一気にご飯をかきこんだ。

 紅は、そういう蒼汰は無邪気でパワフルなライオンの子供のようだと思いながら眺める。

 翠にも、そんな友達が一人でもいたら。ついそう考えてしまい、胸が痛んだ。彼に手を挙げられるたびに痛むのは、体ではない。心だ。彼を救えない自分の力のなさだ。だから、彼にも蒼汰にとっての青のような存在がいればいいのにと願ってしまう。

「でも」

 ふと、蒼汰の顔が曇った。

「最近、変なんですよね。俺らの学年だけ避けてるって言うか、サークルには出てくるんですけど。話しかけようにも、すぐに逃げられて」

「それこそ、手なずけられたくないのかもね」

 紅は軽口のつもりでそう口にした。野良ネコは往々にしてそんなものだ。

 しかし、意外に蒼汰のなかにその言葉は天啓のように響いた。

「せや! そうなんか!あ〜なるほど」

 独り言をいくつか呟くと、ぱっと顔を輝かせた。

「あいつもアホやなぁ」

 そして前髪をさわると

「おおきに! 先輩! 俺、今度ちゃん向き合いに行ってみます。ちょうど合宿もあるし」

 勢いよくまくしたてる。紅は礼を言われるほどのことをしたとは思わなかったが、喜んでもらえたのが嬉しくて頷く。

「でも、合宿中は忙しいし、みんないるから」

「そうですね。そやったら、前日なら確実に家におるはずやな。よし! 先輩、おおきに! 行き詰ってたんがなんとかなりそうや!」

 そういうと、蒼汰は紅の両手をとって上下に振った。

 紅はひまわりのような彼の笑顔に戸惑いながらも目を細める。

 こんなに人のことで一生懸命になれるところも、きっと自分は……。

「……」

 そこまで考えかけて、紅は半ば振りほどくように手を離した。

 蒼汰ははっとしてバツが悪そうに苦笑いする。

「あ、すんません。つい」

「いえ。いいの」

 紅は壊れてしまったように早鐘を打つ心臓を抑えるように胸の前で手を組んだ。

 自分で自分の気持ちがわからなくなる。

「あの、先輩? 怒ってます?」

 蒼汰の心配そうな声がした時だった。携帯が震える。

 紅は弾かれたように顔をあげ、鞄に手を伸ばした。

 見ると、神崎川からだ。鼓動がまた変化した。彼に、邪で浮ついた心を見透かされたんじゃないかという恐怖と罪悪感が携帯を開ける手を震えさせた。

「もしもし」

「あぁ。俺」

 いつもの声に、多少安心する。

「紅、俺の実家に行こう」

「え?」

 突然の申し出に固まる。

 実家に。話題にすらしないほど嫌っていた場所に、なぜ? まさか、結婚の話でもないだろう? 一度も二人の間でそんな事を話したことはないのだから。でも……。

 さまざまな憶測に、頭が真っ白になりかけた時に、神崎川の声がした。

「おふくろが死んだ。今夜通夜だそうだ」

「え」

 言葉を失う。そんな自分とは対照的に電話の向こうの彼は冷静だった。

「夕方にはそっちに戻るから、準備できるか?」

「ええ。わかったわ」

「じゃ」

 まるで事務連絡だ。

 しかし、切れた携帯をみつめる。

 自分について来てほしいということは、彼なりの弱さなのかもしれない。

「どうかしたんですか?」

 蒼汰の声に振り替える。紅は曖昧に首を振ると

「ごめんなさい。ちょっと急用ができたの。ごちそうさまでした」

 そうトレイを手に立ちあがった。

 いい機会かもしれない。彼のルーツと彼自身に向き合い、そして自分の気持ちにも向き合おう。

 紅はもう一度だけ、その向日葵の顔を胸に刻み込むように見つめると、ゆっくりと背をむけた。

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