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Apollo  作者: ゆいまる
39/121

視線の先に 5

 蒼汰が桃と青の変化に気がついたのはサークルでの班分けを部長が急に変更したときだった。

 もともと自分や桃と同じ班だった青と、もう一方の班の3年の先輩を入れ替えたのだ。

 当然そうすれば、せっかくわけていた青と春日が同じ班になるわけで。桃にしてもミィーティングの時からおかしかった。

 いつも積極的に何かを発言するほうではないが、どこか気がそぞろというか、ストーカーの件で何かあったのか尋ねたが、それは否定された。なんと、犯人、とこの場合言うのかわからないが、ストーカーの正体はDVDを返すのに勇気が出せなかった哀れな小心者で…特にそれは問題ないらしい。じゃあ、とさらに尋ねてみたが「なんでもない」とはぐらかされてしまった。

 ミィーティング後に藍や青に尋ねても、桃の変化には気が付いていたようだが二人とも理由は知らないらしく、なんとも気持ちの悪い感じになった。

「梅田君、それ積み終わったら、今日はもう上がっていいから」

 そんな事を考えながら、コンビニの搬入品の整理をしていた蒼汰の後ろから店長の声がした。

「わかりました!」

 元気よく返事する。

 ま、体調が思わしくないとか、なんとか、女の子の事情があるのかもしれないし、考えても仕方ないことはしばらく様子を見よう。

 そう気鬱になりそうな心配事を吹き飛ばすと、最後の荷を積み、うんと背伸びした。

 今日は紅に会える。

 正確に言うと、これから神崎川の手伝いに行くので、きっとそこにいるであろう彼女の顔が見られる、といことなのだが。どうでもよかった。

 とにかく、会える。それが嬉しいのだから。


『惨めじゃない?』


 藍の言葉が耳にこだました。

 本当にそれまで、悔しいとか、羨ましいとか、もどかしいなんて気持ちはあったが、そんな風に考えたことがなくて、まったく違う角度から硬球をぶつけられた様な衝撃だった。

 確かに、自分がしているのは堂々とした厚かましい横恋慕他ならない。

 あの暴力の一件を知らない人間から見れば、尚更だろう。

「アホなんかなぁ」

 殺風景な何にもない天井を仰ぎ、呟いてみる。

 それでも、理屈なんてないのだ。もともとこの恋に。

「ま、えっか」

 なんたって、今日は紅に会えるのだから。

 蒼汰は小さく笑うと、コンビニの制服を脱ぐのももどかしく、倉庫を飛び出した。



 神崎川の部屋は、学生が住むようなマンションではなく、なぜか一家族が住めるような立派なマンションだった。実際、すれ違う住民にはそういった人が多い。

 もしかしたら、蒼汰の実家よりも広いかもしれない。

 蒼汰は、この町ではまだ珍しいオートロックのその大きなまだ新しいマンションは、まるで神崎川そのもののような気がしていた。

 明るくて、華やかで、機能も充実していて、でも、許されたものしか中に入れない。

 蒼汰は教えられたロック解除のパスワードを打ち込み中に入った。

 エレベーターを待ちながら考える。

 神崎川の思惑を。

 彼は、自分の紅への気持ちを知っている。

 きっと、そんな自分と紅がメールのやり取りをしているのも知ってはいるだろう。

 それどころか、彼女と二人になることがあったり、彼女を部屋まで送るように促すことさえある。

 どういうつもりなのかよくわからなかった。

 危機感はないのか? 自分は歯牙にもかけられていないということか?

 それとも、それほどまでに紅に信頼を置いているということなのだろうか?

 3日と開けずに顔を合わせる彼なのに、気持ちは一つもわからなかった。

 エレベーターが付き、最上階を押す。

 そこで、はじめて基本的なことに気がついた。

 毎日、紅の誕生日のためにバイトをしているが、もしかして、誕生日は会えなんじゃないのか?

 だって……紅は神崎川の彼女なのだから。

 そんな事をすっかり失念していた自分に唖然とした。

 わかっているようで、こうやって自然に3人で過ごすことが多くなっていたから、意識していなかった。

 そうだ、こんな風に会えていても、自分と神崎川には決定的な『差』…ただの後輩と彼氏というどうしようもない格差があるのだ。

 ひさしぶりにチリっと胸が痛んだ。

 でも、もう、以前のように蒼汰は怯まなかった。

「だからなんや」

 口に出してみる。

 自分の気持ちは本物だ。

 諦められるならもう、とっくにしている。こんなことで、へこむ暇はないのだ。

 ゲームセットを聞く日までは最後まで諦めない。野球だって9回裏2アウトからって言うじゃないか。

「さて、いくで!」

 蒼汰は両頬を叩き気合を入れると、到着を知らせるエレベーターのドアが開ききる前に勢いよく踏み出した。

 すぐにでも戦いのリングに上がれそうなほど入れた気合いは、あっけなくすかされた。

珍しく、部屋には紅しかいなかったのだ。

「ごめんなさいね。気分転換して来るって…10分ほど前に出て行ったの」

 紅はまるで問題児の母親が他の保護者にでも謝るような口調でそういうと、蒼汰を招き入れた。

 3LDKの神崎川のマンションは寝室以外は映画関係で埋め尽くされている。

 資料部屋。機材部屋…リビングでさえも3台もデスクトップのパソコンが並び、編集用の機材が複雑に組まれていた。

 紅でさえ、この部屋の入室は普段許されておらず、一緒にいる時もあまり彼女を一人にすることはなかった。

「梅田君、夕飯は食べた?」

「いえ、まだ」

 リビングの入り口に突っ立ていた蒼汰は、紅のそんな声に我に帰り首を素直に横に振った。

「良かった。翠は先に食べてしまったのだけど。よかったら、一緒に食べない?」

 紅はそう言いながらカウンターキッチンの奥へと進んだ。

「え、先輩は……」

 紅は僅かに口元に笑みを浮かべながら

「まだなの。だから、一緒に食べてくれる人がいてよかったわ」

 きっと、自分を待っててくれたんだ。蒼汰はそう思うことにした。

 仮に違っても、思うだけなら罪はないだろうし、その方がきっと幸せだ。

 俄かに漂ってきた美味そうな匂いに目を細める。

 今なら、この幸せな気分の中なら聞けそうな気がした。

「あの……来月、先輩誕生日ですよね?」

 カウンター越しに鍋をかき回す彼女を見つめ、そっと、まるで蝶を捕まえるように尋ねた。

 紅は顔を上げ、不思議と苦笑すると頷いた。

「ええ」

 訊くだけタダだ。蒼汰はそう自分に言い聞かせる。 

 開きたいドアがあるのに、自分にはその中に入れないとあきらめるのは自分らしくない。せめて、ノック位する勇気はあるはずだ。

 蒼汰は小さく気合いをこめるように臆病虫をため息に追い出すと

「その日、会えませんか?」

 少々早口で尋ねた。

「え?」

 紅の目が瞬いた。

 彼女には意外な言葉だったらしく、返答はすぐには返ってこない。

 置かれた間に追い出したはずの臆病虫が帰ってきかけていた。

 蒼汰はバツが悪くなり、彼女の表情をうかがう。

「あ、やっぱり、神崎川先輩と約束……」

「いえ。彼はその日、東京なの」

 紅は自嘲めいた笑みで答え、視線を鍋の方へと落とした。

 また舞い降りる沈黙。

 蒼汰の胸は、先ほどの苦笑いの意味を知り、なぜか痛んだ。

「だから、彼と約束はしてないわ」

 紅はその日空いている。二人で会えるかもしれない。

 嬉しいはずなのに、笑顔は浮かばなかった。

 軽く拳を握り締める。

 蒼汰は、彼女を大切にしない神崎川に腹が立っている自分に、そこでようやく気が付き…苛立ちをごまかすように前髪をかき回した。

 何を考えているんだ? チャンスなんだろ? 素直に喜べよ! そう、自分にはっぱをかけるが、一向に気持は晴れそうにもなかった。

「梅田君?」

「紅先輩」

 半ば怒ったような声になってしまう。

 蒼汰は自分でも理解不能な苛立ちに、勢いをもらうように口を開いた。

「じゃ、俺に祝わせてください。先輩の生まれた日を、一緒に喜ばせてください」

 きっと冷静だったら恥ずかしくて言えないような言葉だった。

 言われた紅も、きょとんとして蒼汰を見つめる。

 沈黙に煮物が揺れる音だけがした。

 徐々に頭が冷えてきて、反比例するように恥ずかしさが蒼汰の中に込み上げてきた。

「あの」

 耳まで赤くなる前にうつむく。

 そんな彼に、紅はやわらかく微笑んだ。

「ありがとう」

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