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Apollo  作者: ゆいまる
33/121

嫉妬と憧憬 6

 駅ビルは商店街を抜けた先にある。

 どこもかしこもこの日を歓迎するかのように煌めき、夕闇に落ちた雪の町はそれ全体がクリスマスツリーのように華やかだった。

 この先に、彼女がいる。

 独り、コーヒーショップの一角に座りカップを傾ける後姿を想像する。

 その後姿が待っているのは世界中で他の誰でもない、自分なのだ…。

 そう思うと、こうやって全力で走ってでもないと、喜びが溢れてしまいそうで…。

 目に映るすべての物が綺麗に思えた。

 目の前を両親に挟まれた少女が幸せそうにプレゼントを抱えて通り過ぎた。

 そうだ…何か彼女にも…。

 蒼汰はそう思いつくと、ハタと足を止めた。

 花…いや、明日、小樽に戻ると言っていたから、そういうのはNGだろう。じゃ、何を…。視線を巡らせた時だった。

 そこだけ輝くように見えたウィンドウに真っ白なボアの肩掛けが目に映った。

 これだ!

 直感よりも神のお告げに近い気持ちで歩み寄る。

 しかし、その値段に一瞬顔がひくついた。

「えと…」

 少々情けない気持ちで財布を取り出す。

 もちろんお金をおろしに行けば問題ないのだが、そんな時間は惜しいし、なんか今、ここで買わないと戻って来た時になくなってるんじゃないかと不安にもなった。

 見ると、ちょうどきっちり手元にある金額と一緒。

「神様っ」

 天は味方しているのか?

 蒼汰は思わず声を上げると財布を握りしめ、入った事もないオシャレな店内に足を踏み入れたのだった。

 店長らしき品のいい女性は、雪まみれで財布を握りしめる蒼汰を見て一瞬目を丸めたが、「あれを!」と力の入った声を聞いて苦笑した。

 今日は何と言ってもクリスマスイブ。特別な日だ…。そう察したのだろう。

 その女主人は快く頷くと

「クリスマス用のラッピングいたしましょうか?」

 とやはり品の良い声で尋ねたのだった。

 数分後、蒼汰は文字通り、白い顔でレジの前に立ちつくす。

 すっかり忘れていたのだ。消費税を。

 きっちり手持ちと一緒だった分、当然ながらきっちり消費税分足りない。

 盛大な溜息をつきながら財布を何度も確かめるが、一円たりとも出てこなかった。

 やるせないというよりも、情けない気持ちで綺麗に装飾されたそのプレゼントの形になったショールを見つめる。

 そして、申し訳なさそうに口を開いた。

「すみません。あの……消費税忘れとって。その、つまり、足りんくて……」

 恥ずかしさと悔しさに声が詰まる。

「あら」

 店員はその様子に、店内に入って来た彼を見た時と同じような顔をして、すぐに目を細めた。

 そして一度外を見てから、蒼汰の必死な顔に小さく微笑んだ。

 蒼汰の何がそうさせたのかは彼女にも分からなかった…もしかしたらそれこそ神からの蒼汰へのプレゼントだったのかもしれないが…不意にレジを打ちなおし始めると

「すみません。それ、値引き対象だったみたいです」

 そう口にした。

「え?」

 それを聞いて、ぱぁっと輝く素直な蒼汰の反応に、女主人は苦笑を禁じ得ない。そして出された紙幣を受け取ると、千円だけ戻した。

「あの」

 蒼汰は一度喜びに輝いた顔を改め、それを受け取るのを迷う。

いくらこういうブティックに入った事はないとはいえ、セール期間でもなく、ショーウィンドウに飾られているものが値引き対象なわけないのはわかる。

 でも、店員はその日最高の笑みで商品を差し出すと

「メリークリスマス」

 とだけ伝えた。

 温かい気持ちに蒼汰は感謝の気持ちでいっぱいになる。

 そして、このプレゼントが本当に特別で、この優しさの贈り物こそ自分を待つ彼女にピッタリなんじゃないかと思った。

「おおきに。でも、おつりはええです」

 さすがにそこまでは悪い気がした。

 几帳面に受け取ると深々と頭を下げた。

 そして、再び雪の舞う冬空の下へと飛び出す。

 今度こそ彼女の待つ場所へと。


 コーヒーショップは駅ビルの2階にある。改札のすぐ近くだ。

 蒼汰はその店内に飛び込みかけて、足を止めた。

 ガラスに映った自分があまりにも雪まみれで酷かったからだ。

 軽く体裁を整え、はやる気持ちを抑えるように一息つくと、店内にようやく足を踏み入れた。

 軽やかなドアベルが鳴り、店員がすぐにこちらに顔を向けた。

 蒼汰はこの疾走が原因ではないとわかる胸の高鳴りを鎮めようと努力しながら、「待ち合わせです」と店員に断り奥の方に視線を投げた。

「梅田君。こっち」

 奥の窓際の席に彼女、紅がいた。

 すぐに破顔すると、小走りで駆け寄る。

「すみません。遅くなってしもうて」

「いいえ。こんな雪の日の、しかもイブに呼び出したりして……こちらこそ」

 気遣う瞳に、蒼汰の顔が赤くなる。

 マフラーとジャケットを脱いで、落ち着かない体を無理やりに椅子に押し付けた。

 すぐに店員が注文を聞きに来た。

 そこで、初めて自分のうかつさに気がつく。しまった。今は一文なしだ。いつもそうだ。計画なくつっぱしってしまうから、後で付けが回る。青がいつも言っているじゃないか「少しは計算しろ」と。

 蒼汰は顔をひきつらせ「水」と言いかけた時、紅がそっと手を差し伸べるように声をかけた。

「ここは奢らせてね」

「え?」

 そして控え目に微笑む。

「こんな雪の中、呼び出して、コーヒー一杯じゃ割に合わないでしょうけど」

 きっと、気を遣ってくれたんだ。

 蒼汰はそう思うとさらに耳まで真っ赤になってメニューを見るふりをして俯いた。

 忙しいのか、店員がイライラしはじめ「お決まりになりましたら、お声をおかけください」と何かの台詞を読み上げるようなフラットで抑揚のない声を残し去って行った。

「あの」

 そっと顔を上げて紅の顔を伺う。

 紅は優しく微笑んでいる。

「来てくれて、ありがとう」

 それは外の寒さなど吹き飛ばすほどの、温かく柔らかい、友人とのクリスマス会を蹴り雪の中走って来た男にとっての最高の言葉だった。



 結局、蒼汰は紅と同じブレンドコーヒーを頼んだ。

 コーヒーの香りとメローな曲に包まれた空間に、どうしていいかわからず蒼汰は外ばかり見ていた。眼下の商店街を行きかう人々は、皆どこかにむかって寒さのせいなのか、雪のせいなのか足早に歩いている。でも、なぜだろう。皆、幸せそうだ。

「雪、好き?」

 囁くような声が聞こえて、蒼汰はようやくまともに紅の顔をみた。

 彼女もまた外を眺めているが、それは人々ではなくはらはらと音もなく舞う雪を追っているようだった。

「紅先輩は?」

 答えに困って質問で返す。紅は僅かに眉をよせ

「私は嫌いよ。小樽に初めて来た日の事を思い出すから」

 あぁと溜息を洩らす。

 彼女の中にはいつも、その日、両親を亡くした日が息づいているのだ。過去を変える事はきっといくら神に祈った所で無理だ。でも

「俺ん家は母親しかいません」

 唐突な切り出しに、紅は沈黙で先を促した。蒼汰は幸せそうな人々を見つめながら

「だから、クリスマスの日に一人っていうの結構あって、少し苦手でした。正直、寂しい。そんな印象しかなかったんです。でも……」

 そして、さっきの包みを差し出した。

「今日から、少しだけ好きになれそうです。紅先輩。メリークリスマス」

「え」

 驚きに何度も瞬きをする。

 本当は、この雪も好きになれるくらいの時間をこれから彼女にプレゼントする。なんて言ってみたかった。でも、自分だけのものにできるのは8時まで。その後はあの男の元に彼女は行ってしまう。

 嫉妬?

 いや、この想いはそんなものよりもっと切ないくて痛い。

 蒼汰はその痛みを悟られないよう笑顔で頷いて見せた。

 紅は差し出されたプレゼントを気恥ずかしげに、でも嬉しそうにその細い手で受け取ると大切そうに自分の膝の上に置いて、そっと顔を上げた。

「私も、実は」

「え?」

 蒼汰は想像していなかった言葉に、思わず訊き返す。

 痛みを奥に追いやり、彼女を見ると紅は足もとの大きな紙袋をそのまま差し出した。

「この間のコート、小樽に帰る前に返さないとって思って」

 それで、今日呼び出したのか。わざわざクリーニングに出したらしく、それはむしろしてほしくなかったと蒼汰は苦笑いして中を見る。コートと一緒に見慣れない袋が入っていた。

「これは?」

 取り出して見る。紅は気恥ずかしそうに

「何がいいかわからなかったけど、一応、クリスマスプレゼント」

 そう言ってから、それを誤魔化すように「開けていい?」と言葉を続けて来た。

 蒼汰は快く頷くと、「じゃ、自分も」そうリボンに手を伸ばした。

 ドキドキした。彼女が自分の事を考えて選んでくれた。中に何が入ってようと、それだけで何よりも価値のあるものに思えた。

「わぁ、綺麗!」

 無邪気な声がする。見ると、今まで見て事もないような笑顔で紅があの白いショールを手にしているところだった。

「ありがとう! いいの?」

 その笑顔で自分の全てが満たされていく。さっきの痛みも不安も悔しさも全てが、この一瞬の笑顔に報われた気がした。

「喜んでもらえて良かったです」

 心からそう思う。俄かにこちらもこそばい気持ちになり、手元に目を落とした。袋の中身はディスクと何かのDVD、そして小さな袋にリボンが括られたものだ。

「これは?」

「あ、ほら、梅田君、その監督の映画でこれだけDVD持ってないって言ってたでしょ? だから。それと、みたいって言ってたから、過去の映画部と翠の作品」

「先輩、覚えていてくれたんですか?」

 蒼汰は思わず口にすると、感激で顔を上げた。本人ですらいつ口にしたとも覚えていないような事を、ちゃんと聞いて覚えていてくれた事が嬉しかったのだ。

「ありがとうございます!」

 ディスクを手に、蒼汰は頭を下げた。

 紅は慌てて

「でも、それこそ、こんな良いものもらっちゃって……釣り合わないんじゃ」

「とんでもないです!」

 思わず声を上げ、必死に首を振ると、満面の笑みで

「ほんまに、嬉しいです」

 そう言った。

 紅はその蒼汰の笑みに、手元にある彼がくれた真っ白な心地よいショールの様な感触を感じていた。

 きっと、好きになれたのが彼だったのなら、違う幸せもあったのだろう。ふとそんな考えが浮かび苦しくなった。

 時計をそっと見る。

 あと15分で彼が戻ってくる。

 本当に嬉しい。久しぶりの再会を自分は確かに、彼がこの街を離れた瞬間から待ちわびていた。でも。

 紅は進みかける時計の針を無理やり押し戻すように思考を止めて、無邪気に微笑む蒼汰を見つめた。

 そして、罪悪感よりも苦しい気持ちを微笑みに変えてそれを彼に向ける。

「これは?」

 蒼汰が一緒に入っていたもう一つの小さな包みを持ち上げて見せた。

「それは蒼次くんに。向日葵の種よ」

 紅はそう、神崎川にも話していない小さな小さな、目の前の真っ直ぐな笑顔との秘密に目を細め、応えたのだった。


穏やかな時間

温かな世界

財布も空っぽ

腹も減っている

でも満ち足りたこの気持ちは

もう

きっと

何物にも代えられない


 蒼汰は同じように目を細めると、どうか8時までのあと数分。いつもより少しでも世界がゆっくり回りますように……と神にそっと祈った。

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