一目惚れ 2
鼓動がたった今、息を吹き返したかのように強く胸を叩きだす。
みるみるじんわりと熱の様なものが耳先にまで上がってくるのがわかった。
自分の心臓は、頭はどうにかなってしまったのか?そう疑いたくもなるが、そんな思考すらうまくまとまらず、なす術をなくす。
「さ、入った入った。新入部員が一気に三人なんて嬉しいね〜」
「!」
神崎川の気さくで大きな声に、我に返った。
溜息をつきかけた息を無理やりに飲みこむと、蒼汰は何度か頷きようやく「はい」とだけ答える事が出来た。
「よろしく」
中津が軽く頭を下げた。流れるような髪がはらりと肩に落ちる。
その動作一つにも鼓動が言う事を聞かず跳ね上がり、どうして良いかわからず蒼汰は口を噤み、呆けた顔で頭を下げた。
映画部の活動は、拍子抜けけするほど緩かった。
あんな作品を作るのだから、当然、勉強会はもちろん映画制作を熱心にやっているのだろうと覚悟というより期待して来たのだが、いざふたを開けてみると、映画制作は学際用の1・2本のみ。それも夏休み前から始め、撮影もほぼ夏休みだけで済ませるそうだ。他の期間は皆で飲み会の口実のように集まって映画を見に行ったり、誰かの家でDVDを見たのみ。なので、掛け持ちやバイトする部員も多かった。
それでも、と蒼汰は思う。
憧れの人のもとで、一緒に映画を作れるんだ。部活の顧問は、現在アメリカに出向していて不在だが、予算や機材も高校とは比べ物にならない。それに、その憧れの神崎川の傍に影のように寄り添う中津の方を見る。
今だかつてこんな気分になった事はなかった。常々恋は突然に、とわかっていたはずなのに、そんな自分の虚をつくこの出逢いも悪くないと思う。
蒼汰は一緒に来た二人と部室を後にする時に改めて思った。
やっぱり、苦労して受験をパスしただけはあったのだと。
園田青という男は、実に変わっていた。埼玉出身というから、奈良出身の自分やそれまでのツレと関東、関西のノリからして違うのだが、それ以上に、蒼汰にとっては興味の対象として十分すぎるほどの変わり者に見えた。
第一に、本人が自分の外見がいいのを心得ている節があるにもかかわらず、結構それをコンプレックスにしているのがおかしくてしかたなかった。
人とは群れない性格らしく、学内で見かける時はたいてい一人。同学部の男子に話しかけられれば無難に対応するものの、親しくはなろうとしない。人をどこか寄せつけない空気があるのだ。
そこを敢えてこちらが無視してやった時の反応が、また面白い。
「よぉ! 受講科目決まった?」
食堂に一人いる彼の向かいに無断で座ると、青はその形のいい眉を跳ね上げた。ポーカーフェイスがお決まりの青は、自分を無視しようと決め込んでいるのか返事をしない。
それはそれでいいのだ。不思議と蒼汰は青に限っては腹が立たなかった。そう、こんな風でいて彼は結構付き合いがいい。
もしかしたら一緒にいた彼女、文学部の御影藍のおかげなのかも知れないが、とにかく無理やりに入部させた映画部を辞めてはいなかったし、飯に誘えば断ることはないのだ。
ふと、こちらに投げかけられる視線に気が付き振り返る。
青はそれにも迷惑そうに目を伏せて、癖なのか眼鏡を触ってから自分の定食のサラダを口に運んでいた。
実際、迷惑なのだろう。罪な話だな、と蒼汰は苦笑して彼の代わりにその視線の相手、たしか同学部の女子の二人組に愛想良く手を振り返した。
彼女達は少し気恥ずかしそうに手を振り食堂を出て行く。
こんな光景は、青といると珍しくなかった。
「やめろよ。馬鹿」
ムスッとして青は調子のいい蒼汰をたしなめると、小さく溜息をつく。
「なんで? ええやん」
蒼汰は女子たちを見送ると、向き直ってようやく箸を手にとった。
屈折率の低い眼鏡を、ラーメンをすすりながら見てみる。
本当は、そんなに目も悪くないのかもしれない。でも、ファッションの一環で眼鏡をかけているようにも見えない。だとすれば、眼鏡をかける理由は一つ。顔を隠したいのだ。
「な、今日の新歓、遅れていくんもなんやし、ちょっと早めに一緒にいっとかへんか?」
「そうだな」
意外に素直に頷く様子に、ようやく懐いて来たのかと思わず笑みがこぼれた。
子どもの頃に怪我をした野良猫を懐かせようと、四苦八苦したことがあるが、初めて自分の手から餌を食べてくれた、その時の喜びに似ているような気がした。
青は青で、この妙に馴れなれしい関西人に戸惑ってはいた。
でも、やっぱり蒼汰が青に対するのと同じように不思議と腹は立たなかった。
『それなり』の友人が増えていく中、自分の懐に入ってこようとするこの男を初めは警戒したが、それが一週間ともなると、警戒するのも馬鹿馬鹿しくなって来たのだ。実のところは一緒にいるのが心地よくなって来てもいるのだが、それは口に出すのおろか態度に出すのも癪で、しかめっ面は止められないでいたが、それだけの事だった。
「せや。藍ちゃんにも連絡しとく?」
蒼汰はふと、文学部の彼女の事を思い出し携帯を取り出した。
入学式のあの日に三人で携帯番号とメルアドを交換したが、学部が経済と文学で違うのもあり、以降全く連絡取っていなかったのだ。
携帯を開き、その彼女の番号を出そうとした時、その上を影が遮った。
「ちょっと待て。俺が連絡しとくよ」
青の手だった。
「へ?」
蒼汰はキョトンとして珍しく慌てた青に視線を上げる。
僅かに硬い表情。なるほどな。
直感がまた囁いた。
きっと、確証は何もないが『そう言う』ことだ。
なら、他の女子にちやほやされても一向に意に介さない理由がわかる。
単なる外見コンプレックスだけじゃなかったのだ。
蒼汰は携帯を閉じると
「わかった。頼むわ」
何も言わずにそれをしまった。
良く見ていないと分からないほどだが、青の頬に微かに赤味が差し緩む。
本人も意識はしていないその変化に蒼汰は心の中で微笑ましく思った。