嫉妬と憧憬 2
学園祭を最後にサークルの活動は脚本班以外の活動は休止となった。
次期部長が塚口先輩でおさまり、次の体制を二年が話しあって決めるそうだが、それまでは暇で暇で。蒼汰は張り合いの無くなった日々を消化するように過ごしていた。
とはいっても、前期の授業を必須科目以外取らなかったものだから、来年の為に後期はかなりつめて授業を入れ、大学には毎日来ていたし、実質バイトを入れる余裕もなかったのだが、それでも暇、だった。
欠伸をしながら食堂で突っ伏す。
午後の授業は何だったか思い出そうとするが、どこからかかかってくるクリスマスソングが邪魔で頭がうまく回らない。
やはり、神崎川の背中を見ていたあの時間はかけがえのないものだったんだと、今更ながらに痛感していた。
本当は少々嫌がられても彼の在学中にくらいついてやるつもりだったのに、神崎川本人はすでに何社もの映像会社との契約交渉に走り回っていて学園祭の次の日からいなかった。
こんな就職の難しいご時世に、選ぶ立場にあるって言うのは羨ましい限りだ。
「あ〜つまらん!」
蒼汰は愚痴ると大きなため息をついた。
「何がつまらないの?」
「へ?」
聞き覚えのある声に顔を挙げる。
「ここ、いい?」
向かいに飲み物を手に立つ藍だった。
いつも一緒の桃がいないのに不思議に思いながらも体を起こす。
「どうぞどうぞ。いや、毎日勉強ばっかりで、つまらんなぁって」
「大学生だもん。仕方ないでしょ」
まるで姉にでも諭されてる気分になって、蒼汰ははにかんで肩をすくめた。
「せやな。桃ちゃんは?」
「ん。学園祭の後から、ちょっとね……」
あぁ。と心の中で声を漏らす。
学園祭の打ち上げの時に、彼女と青がいつの間にか二人で姿を消していた。
桃はその時、自分にも二人の行方を知らないか訊いてきたんだ。
あの不器用な男の勇気に嬉しくなって、その場をごまかして彼女を二次会に無理やり連れて行ったのは蒼汰本人だ。実際、二人の行方を知る由もなかったし、桃には悪いが、きっと知ってた所で教えなかっただろう。
桃は、たぶん、その事を怒っているのだ。
「まぁ、桃ちゃんもそんなに根に持つタイプちゃうし大丈夫ちゃう?それとも、あの時、青と何かあった?」
半分冗談、半分期待を込めて訊いてみる。
「ないよ!」
しかし藍は真っ赤になって必死に首を横に振った。
そして、ふとその動きを止め、瞬きを何度かする。
「あ、蒼汰くんって、桃の気持ち……」
「部員皆知ってると思うで」
蒼汰はそう悪戯っぽく笑うと、自分のお茶を飲んだ。
藍が「そうなんだ」と口の中で呟くのを聞きながら、友人の恋の進展がなかった事に多少ガッカリする。
藍は、あんな男前が傍にいて、連れ出されても全く意識していないのだろうか?
考えてみる。確かに、青は自分から自分を売り込むのは下手くそそうだ。きっと、今までそんな事する必要がなかったからなんだろうが、せっかくのチャンスもモノにできないとなるとこれは問題だ。
蒼汰の目が光る。
風がどうやら吹いてきたようだ。
「ここは俺の出番やろ」
「何か言った?」
不思議そうに首を傾げる藍に蒼汰は慌てて首を横に振ると、
「せや、仲直りのきっかけほしいやろ? どうせ、冬休みは皆バラバラなんやし、クリスマス会せぇへんか?」
「え?」
藍の顔が輝く。
「桃ちゃん誘って、青ん家で! せやったら、話題もできるし」
「うん! 桃ちゃんきっと喜ぶよ! でも、青くんにも訊かないと」
「それは大丈夫!」
皆で集まるの省かれるのを、あの寂しがりがよしとするはずがない。藍が楽しみにしているといえば、きっとめんどくさそうな顔をしながら、思いっきり張り切るだろう。
「じゃ、さっそくメールを……」
携帯を取り出した時だった。
まるでタイミングを図ったかのように、切ないメロディーが流れ始めた。
「!」
その旋律に、心臓が跳ねあがる。
学園祭以降、一度も流れる事のなかった、特別な旋律だ。
やがて、サブディスプレイにあの名前、紅の名が点滅した。
突然の事に、軽くパニックになりこの着信が本当かどうか凝視する。
「蒼汰くん。電話?」
「あ!あぁ」
呆けていたのに気が付き、慌てて電話を耳にあてた。
心臓が、今にも破裂しそうだ。
「あの……もしもし」
「あ、梅田君。中津だけど、今、ちょっといいかな?」
自分の耳をあの甘い声がくすぐる。全身の力が抜けそうだった。
「はい!もう、いつでもどこでも大丈夫です!」
思わず声を上げてしまう。受話器の向こうで小さな笑い声が聞えた。
それだけで、もう胸がいっぱいになる。
「あのね、ちょっと聞きたいというか、助けてほしい事があって。できれば今日か明日に……」
助け? 彼女が自分の助けを求めている?
自然に顔が紅潮し、ばね人形のように立ちあがった。
「今からでも大丈夫です!」
「そう?」
苦笑しながら返事する彼女の顔が鮮明に想像できる。
これは、本当に風が吹いてきたのかもしれない!
「今は学校?」
「はい!」
「じゃ、10分後に校門で」
「はい! わかりました!!」
まるで軍隊のように背筋を伸ばし返事をすると、信じられない気持で携帯を閉じた。
さっきまで彼女の声を響かせていたと思うと、もう古くて買い変えようと思っていたこの携帯でさえ愛おしく感じる。
「あの、蒼汰くん?」
藍が訝しげに自分を見上げていた。
蒼汰はすっかり彼女の存在を忘れていたのに苦笑いし、前髪をかき回す。
「今の……」
「中津先輩。ごめん。今からちょっと用事」
もう、荷物をまとめるのももどかしい。
彼女に会える。
それだけで、さっきまでの憂鬱で退屈な世界が全く違ったものになる。
「あの、クリスマス会の……」
「あぁ、青には後で連絡しとくから。また、メールする。ごめんな!」
蒼汰は気もそぞろに早口でそうまくし立てると、待ち合わせの場所まですっ飛んで行った。
その背中を見つめる藍の気持ちに微塵も気がつく事もなく。
食堂を出ていくその背中に、藍は届かない気持ちを飲みこんだ。
桃の気持ちが皆の知るところというのなら、彼の気持ちこそ…だ。
どうして、そんな彼を好きになってしまったのだろう。藍は後悔にも似た気持ちで、すっかり冷めた紅茶に口をつけた。
彼に声をかけるのも勇気がいった。
何から話そう?どう声掛けよう?悩みに悩んでようやく向かいに座った。
なのに…。
先日、青と打ち上げを抜け出し二人でバーに行った事を思い出した。
まるで、洗いたての毛布にくるまれているような気持ちになり、自然と笑みが頬に滲む。
彼なら落ち着いて、自分らしくいられるのに…どうして蒼汰になるとそれも出来ないのだろう。
さっきの蒼汰の着信音を思い出す。いつものと違った。
という事は、彼女…中津紅だけ特別に設定してあるという事だ。
胸が嫌な音を立てて軋む。
きっと、そのメロディーを嫌いになってしまうのだろうな。そんな自分の心の狭さに苦笑すると、次の講義の為に席をたった。