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Apollo  作者: ゆいまる
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疑惑 6

 静寂な緊迫に俄かに波が立ち始める。

 神崎川は蒼汰のその表情にゾクゾクしていた。

 面白い…純粋に自分の心がそう呟く。

「梅田君…」

 紅は苦しそうに目を伏せるとうつむいた。

 薄々は察していたのだ。彼の自分への好意を…でも、それは気づいてはいけないと思っていた。

 こうやってその彼の気持ちが露わになった所で、何にも変わらない。むしろ、彼が傷つくだけだ。

 神崎川は緩みそうになる口元を押さえ首をならした。

「やっぱりな…」

 彼もまた、何となくは蒼汰の気持ちに気がついてはいたのだ。

 これまでも紅に想いを寄せる輩がいなかったわけではない。でも、みんな何の手ごたえもなく、尻尾をまいて逃げて行った。

 さて…この威勢のいい後輩はどうなのだろう?

 少しは楽しませてくれるのだろうか?

 試すようにわざと冷酷に現実を突き付けてみる。

「でも、紅は俺から離れない」

 蒼汰が衰えない瞳でまだ睨みつけている。

 しかし、それは虚勢の場合だってある…神崎川は続けて逃げ道を示して見せた。

「今夜の事は忘れろ。俺も今の言葉、忘れてやる」

「んだとぉ!」

 蒼汰は拳を握りしめると殴りかからんほどの勢いで掴みかった。

 面白い!

 神崎川は心の中で賞賛の声を上げていた。

 一見、余裕の表情で見下しているだけに見えるその顔に、獲物を見つけた時の獰猛な肉食獣の光が宿ったのを紅は見逃さなかった。

 あの目は、初めて自分に手を挙げた…あの時の目だ。いけない!

 青と紅…手を出したのは一瞬紅の方が早かった。

「蒼汰!」

 友人を思って声を上げる青より早く、紅の細い手が蒼汰の腕を掴む。

「梅田君。私なら、大丈夫…大丈夫だから」

 自分以外に彼の才能の犠牲になってはいけない。

 なれば、抜け出せなくなってしまう…それを痛いほど紅は実感していた。

 恐怖にも勝る魅力。命を投げ出したくなるほどの才能。

 それは感じる事の出来る人種だけにわかる、甘美な地獄だ。

 一度味わえば、麻薬のようにもう彼なしではいられなくなる…。

 紅は今にも泣き出しそうな顔の蒼汰をじっと見つめた。

 彼がそれを感じる事の出来る人種だと感じていたから…ここで止めなければいけない。

「紅先輩…」

 蒼汰は不思議そうに彼女を見つめる。

 神崎川の行為も理解できなければ、彼女の気持ちも量りかねていた。

 何故?何故助けに来たはずの自分の方を、彼女は責めるような目で見つめている?

 無意識に神崎川を掴んでいた手の力が抜けた。

 紅はそのまま間に割って入り、神崎川の高まる『波』を抑え込むように彼に抱きつく。

「この人には…この人の映画を作るには必要なことなの」

 唖然とする蒼汰と青を、紅は泣きボクロに深い哀しみを浮かべ振り返る。

 自分を思って飛び出して来てくれた、まっすぐな想いに胸の痛みを感じ、眉を寄せると、ゆっくりと静かに口を開いた。

「そして、それを望んでいるのは…私自身なの」

 決定的な溝を蒼汰と二人の間に穿った。

 その深さに蒼汰は呆然とする。

 神崎川はそんな彼の様子にもう、笑みを堪える事ができなかった。

 人間の絶望した顔など滅多に見られるものではない。しかも、正義面して出てきたその顔が見事なまでに潰される…小気味よいのを通り越して爽快ですらあった。

 震える紅の肩を乱暴に、見せつける為に抱く。

「わかったか?こいつは、俺と俺の作品に惚れてるんだ。俺が束縛してるんじゃない…こいつが好んでここにいる。だから…」

 紅先輩から離れると、念を押すように青ざめる蒼汰を覗き込んだ。

「諦めろ。悪いが…お前はまだ俺を超える人間でもないし、作品も作れない」

 蒼汰は唇と強く噛み項垂れた。

 悲痛なその素直な顔が、余計にゾクゾクさせる。

 エスカレートしかける神崎川の残虐性を秘めた欲望を、紅は隠すように、彼と蒼汰の間に割って入った。

「映画会社からも声をかけてもらってるの。今回の作品も注目されていて…手を抜くわけにはいかないのよ。だから…」

 子供を諭す母親の顔の様な口調だ。

 蒼汰の顔は情けなさに色を無くし、心内はそれよりさらに地に落とされる。

「『これ』は映画作りの一環なの。わかってちょうだいね」

 紅はこの、まだ真っ直ぐな後輩達を自分達のの汚れて歪んだ世界から逃がすように、静かに言い聞かせた。

 潮時か…神崎川は目を細める。

「紅…行こう」

 再び彼女の肩を引き寄せた。

 紅はその抗いようのない力に身を任せると頷き、小さな声で後輩達にに「おやすみなさい」と囁気の様な言葉を残し背を向けた。

 これからだぞ…と神崎川は心の中で蒼汰に囁く。

 これから、どうするか…お前とは映画作りでも面白いと思ってるんだ。

 出来るなら他の連中みたいに尻尾を巻いて逃げるなよ。

 もし、逃げずに残ってくれたなら…自分の腕の中の愛しい彼女を見つめる…彼女以来の素晴らしい出会いになる。

 ふと、夏の夜風が興奮を冷ますように頬を撫でた。

 『波』が消えている…。

 あいつは紅に惚れていると言っていたか…。

 悪魔が囁いた。

 あの無知でそれゆえ愚直なまでに純粋なあの後輩を繋ぎとめておく方法を…。

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