疑惑 5
蒼汰は飲みすぎなのは自分でもわかっていた。
視点がうまく定まらないし、足にも力が入らない。
そして、今、こうやって青に介抱されている。
迷惑そうな酒の強い友人の横顔を見ながら、暗い廊下を洗面所目指して歩いていた。歩いているというより引きずられていると言った方が的確かもしれないが…。
友人には悪いが酔いたかったのだから構わないと思っている。
きっと明日は酷い二日酔いだろうが…この虚無感や焦燥感に比べれば、ましだろう。というか、どちらかというと二日酔いになってそれらを感じなくて済む事にも期待していた。
この数日、撮影に入ってからすぐに目の当たりにした神崎川の才能に、まるで熱射病にでも罹ったかのような感覚だった。
皆を統率するカリスマ性、その映像センスに運の良さも…全てが惚れ惚れした。
初めのうちは先日の事もあり、半ば敵視するようにそれを全て吸収してやると意気込んできたが…それも二日目になる頃には途方もない事だという事に気が付いた。
一つ上の先輩でカメラ班の塚口が何度か声をかけてくれたが、まるで耳に入らない。
ふらりと空を見上げる。
雲の流れが速い…。
月はその雲に隠れ、今、世界は真っ暗だ。
一緒に映画を撮る…その目的だけなら、きっと純粋に楽しめた。いや、それ以上の感動すら覚えただろう。しかし、一度、ほんの少しでも彼を超えたい…そう思ってしまっている自分を自覚した瞬間から、彼の才能の底のなさに愕然とし、なすすべなく馬鹿のように彼の道具になり下がるしかなかった。
合宿中は始終そんな感じで…多少は心得があると思っていた自分が恥ずかしかった。
それで酒に逃げていれば世話ないが…せめて今日くらいは…。
酒気を帯びた溜息をつき、力なく暗闇に沈む中庭に視線を巡らせた時だった。
「!?」
何かが闇で蠢いていて…勘が叫ぶ。
あれは『彼ら』だと。
大きな影が抵抗しない小さな影を蹴り上げた。
刹那、体中の鳥肌が怒りに立ち、蒼汰は目を見開いた。
「先輩!!」
考えなんかない。
身体が先に動いて叫んでいた。
「おい!」
青の追いかける声が後方でするが、それより…。
闇夜の雲が流れた。
月光に露わになったのは…青白い顔のあの二人。
地面に這う紅の髪は乱れており、暗くてよくは見えないが手や足に擦り傷や打撲痕がうかがえる。しかも、それは古い傷も含まれているようだった。
生まれて初めて込み上げる怒りに打ち震え、殺意すら覚えた。
蒼汰は紅先輩を庇うように二人の間に立つと、神崎川を睨みあげた。
「これも演技指導って…いうんですか?」
意外にも口を衝いて出た声は低い。
それは狼が怒りに唸るような気配だった。
もう、誤魔化しようはない。
怒りの底に、自分が尊敬して憧れた人物への失望より哀しく苦しい感情が生まれ出でるのを感じ、唇を噛みしめる。
しかし、そんな蒼汰とは相対的に、神崎川はちょっと困った事が起こった、その程度のノリで、うんざりしたように溜息をつくと
「あのな…これは、俺と紅の問題だ。第三者にはわからないさ」
そういって腕を組んだ。
口調はあくまで軽いが、居直りより迫力のあるその姿は蒼汰を怯ませるのに十分だった。
青が何か小声で声をかけ紅に手を貸して立ち上がらせるのを蒼汰は感じると、少し安心してしぼみかけた気持ちを奮い立たせた。
「第三者だろうが、何だろうが…女に手ぇあげてんのは黙って見過ごせへんやろ」
逡巡する。
微かに空気が揺れた。
それは紅が発した怯えの溜息だ。
蒼汰は一度硬く目を閉じる。
馬鹿だ…酒に逃げるなんて…。
現実を見ろ。
自分を見ろ。
そうすれば必ず見えるはずなんだ、自分のすべき事が…。
ゆっくりと瞼を上げ、蒼汰の反応を楽しげに見つめる神崎川を見据える。
この顔が、この男の正体だったのか。
才能の化け物…。
自分に何ができるかなんてわからないでも、今一つ言える事がある。
蒼汰はそれを突き付けるように声を上げた。
「それが惚れた女なら尚更な!」
それは強大な化け物への宣戦布告…そのものだった。