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Apollo  作者: ゆいまる
22/121

疑惑 4

 肌の内側がざらつく。

 『波』が訪れる前兆だ。

 神崎川は合宿の打ち上げに騒ぐ部員達に「少し席を外す」とだけ短く伝え立ち上がった。

 酒に酔った部員達は、反吐が出そうになるほど無邪気で無知な笑顔で手を振る。

 くだらないと心の中で蔑んでいるくせに、どんな時も自分の顔は笑顔になる。

 鷹揚なふりをして彼らの話に耳を傾ける時も、理解者のふりをして彼らに同意して見せる時も、思考は自分のヴィジョンに飛んでいる。

 彼らを思う事があれば、それは、そいつにどんな特徴があり、長所があり、短所があり…それらをどうすれば最大限に利用できるか…という事だけだ。

 どんなにくだらない人間にも利用価値は必ずある。

 自分の世界の構築には悲しいかな、そんな人間たちの力が必要不可欠だ。

 理解はいらない。

 それを求めてもどうせ彼らには無理なのはわかりきっている。

 忠実に自分の手足となって動いてくれるだけでいい。

 そうすれば、完璧なものが作れるのだから。

 しかし…

 廊下に出て、彼らの無駄に明るい声を背に感じながら煙草を取り出す。

 まただ…頭痛の様な『波』に全身が飲まれそうになる。

 神崎川は深くため息をつくとそれを賺すように紫煙を燻らせた。

 足りない…何かが足りない。

 自分にはハッキリとみえるその世界をいつになったら作れるのだろうか?

 苛立ちですらない、焦燥…いや、これは憤怒だ。

 もどかしさにどうしようもない、世界に向けての怒りなんだ…。

 神崎川は煙草を噛むと、自分の大きな掌を見つめた。

 初めは周りの人間がどうして自分を理解できないのかわからなかった。

 同じように、自分には当たり前にできる事を他人が出来ないのが腹立たしくも感じた。

 幼い頃は、勉強やスポーツといったわかりやすいものであったが…それは結局どこまで行っても他人が作った単なる形でしかない。

 そうじゃないのだ。

 自分に見えている掴みたい世界はそんな答えのわかりきった単純でくだらないものなんかじゃない。

 手を空に掲げてみる。

 掴めそうで掴めない。

 一番近くにあるのに、果てなく遠い。

 その世界…。

 また『波』が襲う。

 今度は煙草程度では誤魔化せられないほどの荒々しさだ。

 煙草ごと唇を噛み、爪が食い込むほど拳を握りしめる。

 痛みはこの『波』を抑え込む最後の手段だ。

 女も酒もこの『波』を煽っても沈める事はない。

 薬の誘惑もない事はなかったが、それで全てを棒に振る人間を山ほど見て来た。あぁなっては元も子もない。

 恐ろしいほど狂おしくさせるこの感覚は、世界を完璧にできない自分への罰だなのだろう。

 そして、それは独りで耐えなければならないものだと…昔は思っていた。

「翠…」

 ふと、自分を解放するあの声がして、冷徹なまでに残酷な感情が湧きあがって来た。

 振り返ると、それを承知で寄り添う影がこちらを見上げている。

「紅…」

 紅は『波』を感じたのか、眉を寄せるとそっと自分の腕をとった。

「どこか…落ち着ける場所に行きましょう」

「あぁ」

 そうだ、落ちつける場所…今の自分にはそれがある。

 思わず口元をほころばせると、声になりそうな歓喜の笑いを堪えた。

 神崎川は目を細めると、逃がさないように彼女の細い肩を抱きよせる。

 そんな事をしなくても、この女が自分から逃げないのは十分知っていた。


 初めて手に入れた自分の安息の場所…それが彼女だ。

 もう孤独にこの『波』に飲み込まれそうになるのを怯えなくても良い。

 この恐怖を分かち合う彼女がいる。

 そんな彼女の存在を心から愛おしいと思う。

 この気持ちは本当だ。

 本気で愛しているのだ。

「ごめんなさい…」

 紅はそう謝罪を口にする。

 それが、自分の演技の未熟さに対してなのか、何なのか神崎川には分からなかったが、それがこれから始める『波』を鎮めるための儀式の様なそれを拒否するという意味ではない事だけはわかっていた。

 それで十分だ。

「俺にはお前が必要なんだ」

『波』が早くしろとはやし立てる

− 愛してる

 そのつもりだと、彼女の感覚を求める拳が疼く。

− 愛してる


− 愛してる

− 愛してる

− 愛してる


 だから…全てを壊したくなるこの衝動が彼女に全て向かっていく。

 真っ暗な…星影さえ届かない闇の中に足を踏み入れると、神崎川は塵屑でも投げ捨てるように彼女の華奢な体を地面に叩きつけた。

 唇が戦慄いて、こみ上げる愛しさがあの『波』に飲まれて奔流となって溢れだす。

「愛してるよ」

 ハッキリとそう口にすると、神崎川は自分の世界に唯一住まう愛する人の躰に向かって、その思いの深さを込めて思いっきり足を振り上げたのだった。

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