疑惑 3
声にしたとたん、どうしようもない不快感がこみ上げて来た。
喧嘩にしろ、こんな激しいやり取り…絶対おかしい。
心臓がこれまでと違った高鳴り…まるで警告音のように耳にまで響いてくる。
頭に血が上ってくるのを感じ…。
鈍い音と共に紅の何かに耐えるような声がした。
紅が…危ない?!
気がつけばドアノブを回していた。
「部長!なにしてるんですか!!」
躊躇いがないというより、体が勝手に動いていた。
「!!」
踏み込んだ先にある光景に息をのむ。
散乱する机や椅子。
半ば引きちぎられた台本。
そして…
その向こうで床に座り込むようにして部長を見上げている紅と
それを見た事もないような形相で睨みつけ大きな拳を握りしめて仁王立ちする、神崎川。
「なっ」
一瞬にして最悪のシナリオとシーンが脳裏に浮かび、飛びかかりかける。
どうみても、これは暴力の現場だ。
全身の血が逆流しそうだった。
「蒼…っ」
いつの間にそうしたのか青が腕を掴みんでいる。
もし、掴まれていなかったら、有無も言わさず殴りかかっていただろう。
蒼汰は引きとめられた勢いをそのまま眼光に宿して神崎川を睨みつけた。
しかし、その本人といえば場違いなほど涼しい顔で
「梅田、園田…早かったな」
そう、事もなげに言うと笑みすら浮かべた。
何が起こったか俄かに理解できない。
一瞬戸惑い、まだ立ち上がれないでいる紅に視線を移すと、駆け寄って膝をついた。
「大丈夫ですか?」
彼女にだけ聞こえるように囁き、その手をとった。
その時、初めてこんなにこの女性が細いのだと知った。
触れるだけで折れてしまいそうなほどのか弱さに、背中に手を添えるのですら躊躇ってしまう。
目を凝らすと、乱れたスカートから少し露わになった足に内出血の跡が見えた。
「部長…これは…」
紅に手を貸しながら問い詰める。
しかし、神崎川はにこりとしながら弁解の素振りすら見せずに言い放った。
「演技指導だよ」
その神崎川の笑顔に背筋に冷たいものが走る。
直感が『嘘』だと告げていた。
第一、今回の台本にこんなシーンはない。
「そんな…」
訝しむ蒼汰にわざと聞かせるように、部長は大きな声で
「そうだよな?紅」
答えを強制するように尋ねた。
紅先輩は僅かに肩を震わせ、怯えた眼差しで神崎川を一瞥してから頼りなく頷くいた。
落ち着きなく前髪をかきあげながら、体を蒼汰から離しぎこちない笑みを浮かべる。
「本当よ。そんなに迫真の演技だったかしら」
嘘だ。演技なんかじゃない。
視界の外に散らばる机や椅子、微かにまだ残る緊迫した恐怖感…そして何よりまだ震える彼女の細い指先がそれを物語っていた。
納得できない。
何があった?
神崎川は尊敬できる男じゃなかったのか?
彼女はそんな彼の彼女…大切な女なのではないのか?
蒼汰が口を歪め、再び何かを口にしようとした時、紅の目がそれを戒めるように伏せられた。
その仕草に、蒼汰は固まってしまう。
今は…何も触れるなということか…。
「驚かせてすまなかったな。悪いが片付けを手伝ってくれるか?」
白々しいまでに明るい神崎川の声に、蒼汰は一度悔しさを飲み込むように唾を喉に落とすと、溜息に生まれたばかりの義憤を逃がしてから頷いた。