疑惑 2
「いよいよやな。なんか、やっぱ高校なんかより本格的で、わくわくするわ」
蒼汰は台本にたくさんの書き込みをしながら、はやる気持ちを抑えきれずそう呟いた。
合宿の前日、青と学食に来ていた。
最近はほぼ毎日ミーティングがあり、たいてい彼と一緒だ。
青も自分なりにメモを書き込んだ台本をめくりながら、食後の冷たいお茶をのどに流し込む。
「明後日からは、長野だろ?準備しいてるのか?」
「もちろんや。でも、楽しみやな〜。お前も、藍ちゃんと旅行って楽しみなんやろ?」
「はぁ?」
こちらのカマかけに寝起きに水でもかけられたような顔をして青が缶を置く。
やっぱりな。花火大会の時には確認できなかったが、ここ数日の彼の妙に藍に対しての余所余所しい態度にそう感じていた。
それに、今回は物的証拠も抑えている。
蒼汰はいたずらっぽく青を見上げながら軽く笑った。
「お、ポーカーフェイスがくずれたな。やっぱり、そうなんや」
「何がだよ!」
珍しくむきになって声をあげる青が面白い。笑いを噛み殺し、落ち着かせるよう彼の肩を叩いた。
意外なリアクションにさらに慌てる青の顔をみたくなり、その物的証拠を突き付けてみる事にする。
蒼汰は彼の台本を手から奪いとると適当に広げてみせる。
開いたページに目を落とし、自分の考えに間違いはないだろう事を確認すると、思わずにやけてしまった。
本当に、本人は気がついていないのだろうか?
それとも、すっトボケているだけなのだろうか?
どちらにしろ…いつも澄ましている人間がこうも動揺するのは、少々悪趣味かもしれないが、見ていて楽しい。特に、青の場合は普段無表情な分、こういう珍しい顔は目の当たりにするこちらも妙に得した気分になる。
蒼汰は吹き出しかけるのを堪え、台本を指してみせる。
「ほら、ここにめっちゃ『園田青は御影藍が好きです』って書いてんで」
「馬鹿!」
青は顔を赤くし、乱暴に台本を取り上げるとそのページをみた。
その必死感がたまらない。
口を押さえていると、青はまだよくわからない様子で首を傾げた。
この男、もしかして天然なのかもしれない。
「何を」
蒼汰はなんとか笑みを飲み込むと、台本を机の上に置き直させ、説明する。
「ほら、藍ちゃんのシーン。そこになると、自分の担当カメラ以外の書き込みも丁寧にしてある。藍ちゃんがどう撮られるか、気になるってことやろ?」
「それは」
青は言葉を失ったのか台本を見つめたまま黙り込んでしまった。この書きこみ……本人は無意識だったのかもしれない。
鉄壁に思えた青の気持ちが動いているのだ。ここは応援しないと友情の名が廃る。
ふと、桃の事を頭に掠めたが、目の前のもどかしいほどに不器用な男を見ているとこちらを助けてやりたくなった。
「応援したるって。な?」
「勝手に勘違いすんなよ。俺は別に」
憮然とするその顔はまだ赤い。
友人の意外な一面に蒼汰は小さく笑うとふと、視線の先に「噂をすれば」という奴か、タイムリーな二人の姿が見えた。
何か楽しげに話しながら食堂に入って来た二人に軽く手を挙げる。
「おう!これは大女優と人気脚本家さん」
藍と桃だ。
茶化してそう呼ぶと、二人は困ったような照れ笑いで駆け寄って来た。
「先に休憩だったんだ。どうしたの?」
藍が顔を伏せる青の顔を覗き込む。
蒼汰は楽しそうに二人の様子を見ながら
「青は今、病気やねん。なんなら藍ちゃん、看病したってや」
軽口を叩いた。
「え、具合悪いの?」
桃が心配げに青の額に手を置く。
「熱は、ないみたいだけど」
「合宿、行けそう?」
女子二人に交互に質問にあう青は硬い表情のまま、少々迷惑そうに眉を寄せいている。素直に喜べばいいのに、損な奴だなぁ。そう眺めていると、青は無言でうなずき、さっさと机の上を片付け始めた。
「蒼汰、時間だ。行くぞ」
早口でそう告げる。そして無愛想な面でその場から逃げだした。
「ちょっ待ってや!藍ちゃん、桃ちゃん、また後でな」
不思議そうに逃げ去る青を見つめる二人に代わりに挨拶をして、慌てて彼を追いかける。
この不器用さはどうしようもないな…蒼汰は苦笑しながらも、この合宿でどうやって彼をサポートしてやろうか、映画作成の次に楽しみになりそうだとその青の背中を見たのだった。
前を行く少々肩に力が入った青の顔を伺うように回りこんでみる。
「照れる事ないやん〜」
小突いてみるその表情は必死に平静を保とうとしているようで、こっちがくすぐったくなる。
青は忌々しげに唇を歪めると、キッと蒼汰の方を睨んで低い声で警告した。
「それ以上意味不明な事いうと殴るぞ」
他人が聞けば不穏極まりないこの言葉も、青特有の照れ隠しと知っているから、笑みを誘われても嫌な気は全くしなかった。
集合時間には少し早かった。
部室棟にはさほど人の気配はない。どうせ、涼める場所は限られているし…部室で時間を潰すのがベストなのだろう。
次のミーティングまでに、もう一度これまでの整理をする時間に充てても良いかもしれない。
そう思った蒼汰が漸く青ををからかうのをやめて数歩先の部室の扉に目を向けた時だった。
中から何か倒れる音がする。
不審に眉をひそめた青と顔を見合わせた。
泥棒か?
二人で足早にドアの前まで来て、耳をそばだてる。
やはり物音は映画部の部室かららしかった。
「なんや」
蒼汰がドアノブに手をかけようとしたのを、青が止める。
青の耳に中から言い争いのようなものが聞こえたからだ。
「様子を見よう」
先輩同士の喧嘩なら、巻き込まれたくない。そう思った青は不服そうな蒼汰を片手で制し、状況を把握するためにドアに耳を寄せた。
蒼汰も仕方なくドアを開けるのを控え、それに倣う。
声は男性と…女性のもののようだった。
言い争っているというより男性がひどく怒っていて、女性の方が諫めている感じだ。それが誰のものか、蒼汰にはすぐにわかった。
何故か全身に鳥肌が立つ。
ドア越しの声はぼんやりしていて、内容まではよく聞き取れないが、時折、物がぶつかる音もしていた。
「おい。これって……」
青が硬い表情で呟く。
蒼汰は一度息を飲むと、地に這わせるような声で、ドアを睨みながら呟いた。
「部長と紅先輩や」