裏切りの雨
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ワイパーが何かを振り切る様に雨粒を蹴散らして行く。
初めて知った嫉妬という感情が、本物の恋を教えたように、あの時感じた殺意にも近い怒りは、現実というものを教えた。
そう、自分がどうし様もなく無力だという現実を。
子どもの頃は、正義は常に勝つものだと信じていた。
憧れてやまなかったテレビという小さな箱の中を自在に飛び回るヒーローは、いつだって強く正しく、弱い者の味方だった。
ピンチになれば颯爽と現れ、あっという間に敵を倒して行く。
もしかしたら、あの紅の伏せられた目を見る、あの瞬間まではそれを信じていたのかもしれないな。蒼汰はそう苦笑した。
ヒーローだったのならば、あの時に彼女を救えていたのだろう。
でも、自分はちっぽけな、ただ他人の女に恋をする、ただの男にすぎなかった。
しかも、あんな現場を見た後でも、その現実を受け止めることすらできていなかった。あの、お粗末な誤魔化しでさえ本気にしかけたほどだ。
それほど、自分にとっての神崎川は大きくて絶対の存在だった。
今思えば、心酔していたのだ。
だから、彼が紅に対して無意味に暴力なんて振るうはずはないと逃避したかったのだ。
でも今なら、この世に絶対なんてものはないと哀しいほど言い切れる。
正義は悪になり、悪は正義になりうる。
あの時、紅の伏せられた目は、暴力という悪も黙認するのが正義だと語っていた。そして、自分のヒーローを悪だと思いたくなかった弱い自分は、それを受け入れてしまったのだ。
「紅さん……」
あのか細く冷たい指先の感触は、まだこの掌の中にある。
本物にもヒーローにもなれない自分がなろうとしているのは何なのだろう?
自問する
行ってなんになるのだと。
あの男にボロボロにされた彼女に、一体自分は何ができるのだ?
あの時、自分も彼の暴力に加担していたのではないか? 黙認という、薄汚い自己欺瞞の逃げ道に立って。
自分になにが……。
答えのまだ見えない道は、それでも彼女への距離を近づけていた。