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Apollo  作者: ゆいまる
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片想い 9


 結局悩んで、明日戻るから遅くはなれないと言う条件付きで待ち合わせをしようと返信すると、すぐに携帯が鳴った。

 慌てて取ると、携帯の向こうの茜は弾んだ明るい声で計算してなのかどうか…蒼汰が高校1年の時に彼女に告白した、その公園を指定して来た。

 まぁ…赤也の言うように、全ては『今更』なのだ。別にビビることは何にもない。

 蒼汰は了承すると、自転車の鍵を手にマンションを後にした。


 公園に着くと、まだ茜は来ていなかった。

 待たされるのは付き合ってた頃からだし、待たされるのはそんなに苦に感じない。子どもの頃から母親の帰りを待つ習慣があったからだろうか…。

 夜風に交じって、花火の残り香がした。

 誰かがさっきまでここで花火をしていたのだろう。

 明日には皆で花火大会だ。

 祭りごとは大好きなので純粋に楽しみだったし…何より、浴衣姿の女子二人を前にして青がどんな反応を示すかも興味があった。

 藍に興味はないのだろうか?

 入学式の日も二人は親しげだったし…掴みどころのない藍は置いておいても、青の方は少なくとも意識していると思っていたのだが…。

 一生懸命浴衣を選んでは「青君褒めてくれるかな?」とはにかんでいた桃の笑顔を思い出す。

 もし、自分の見当が外れているのなら、あの一生賢明な女の子には報われてほしいとも思う。ま、人の恋愛をとやかく言う余裕なんて、本当はないんだけれど…。

 携帯が鳴った。

 サークルのメンバー専用の着メロ…映画のサントラだ…が夜の公園に響いた。

 その相手を見て、目を疑う。

 携帯のディスプレイには予想もしていなかった人物の名前が点滅していた。

『中津紅』

 それはメールだったらしく、数秒の後に消え、すぐに着信を知らせる点滅に変わる。

 どうせ、サークルの業務連絡だ。わかってる。わかってるが…。

 あの細い指が打った文字が自分の掌の中に…そう思っただけで胸が苦しくなった。

 茜の事も好きだったが、あの時とは全く違う。

 同じ『好き』にこんなにレベルというか…バリエーションがあるなんて知らなかった。

 何故か読むのがもったいなくて、すぐにでも内容を確認したいくせにそれを掌で包むと、顔を上げた。

 古錆びた滑り台が、遊び相手がいないのを寂しがるように佇んでいる。

 ちょうど、あの場所で自分は茜に告白したのだ。

 あの時は…クラスで一番話が合ったし、向こうもなんとなく意識してるのはわかってたし、周りも二人をくっつけたがっていた。

 付き合うって事にも、大人の関係になる事にも興味が合ったし…男として色々引っ込みがつかなくて、告白したのだ。

 付き合ったこと自体にも、彼女より夢をとったのもどちらにも後悔はない。

だからこそ、綺麗な思い出はそのままにしておきたい…そんな気持ちが強かった。

 今夜、会ってどうなるというのだろう?

 自分の心にはもう、完全に別の人がいる。それが叶わない相手だとしてもだ。

「お待たせ。ごめんね。子どもがなかなか寝てくれなくて」

 振り向いて立ち上がると、先日よりは地味な…ジーンズにTシャツとこざっぱりとした格好の茜が立っていた。

 蒼汰の好みを把握した上での服なのだが、そんな事を知らない蒼汰はあの派手な姿はやっぱり仕事用だったのだ…と簡単に思い込んでしまった。

「いや。ええよ。で、子どもは?」

「おかんがおるから、目が覚めても大丈夫や。…座ろ?」

 茜の言葉に座り直す。

 そう言った茜は距離を決めかねているらしく、すぐには座らなかったが、結局半人分開けて腰をおろした。

「ごめんな。無理言って」

「別に。暇やったし」

 メールを返さなかった事を詫びようかとも思ったが、すぐに茜が話し始めたので言葉を飲み込んだ。

「ほんま…大変やってんで」

 そう切り出した茜は、退学になってからの事、出産間近で彼の浮気が発覚した事、結婚が白紙になった時のこと、出産の事、子育てが大変な事、そして本当は今の夜の仕事を辞めたいと思っている事などを、堰を切ったように話した。

 その話しぶりから、初めて彼女は今まで孤独だったのだと気が付いた。

 先日の赤也のように、大学生と付き合いだしてからの彼女は仲間内には評判は良くなかった。それは女子にも同じ事で…振られた自分がホローするわけにもいかず、本当の友達ならいずれは何とかなるだろうと捨て置いたのだが…。

 きっと自分とこうやって再会するまで、誰にもその胸の内を話せずにいたんだろう。だから、誰かに聞いてもらいたかったに違いない。

 そんな役目なら、引き受けてもいいと、蒼汰は思って黙って聞いていた。

 一通り話終えた茜は、スッキリした顔で微笑むと

「ごめんな。うちの話ばっかで。でも、スッキリした。なんか飲みもん買ぅてくるわ」

 と立ち上がった。

「じゃ。俺…」

「どうせ、コーラやろ。知ってるって」

 本当は今はお茶にしてるんだけど…昔の自分の嗜好を何故か誇らしげに口にして駆け去る彼女にそれは言えなくて「おぅ」と短い返事だけを返した。

 手にしたままだった携帯に目をやる。

 彼女には、どんな悩みも聞いてくれる人がいる。

 神崎川は思っていた通り…いや、それ以上に尊敬に値する人物だった。

 自分の信念とかセンスとかそういう絶対のものは持っているのに、決して他の人間を邪険にしない。うまく相手の気持ちや長所をくみ取り、周りを気分よくさせその能力を最大限引き出す。

 彼に会うと、たいていの人間は彼を好きになる。

 笑顔もその大柄な体つきも、どんな人間にも安心感を与え、瞬時にその場の空気を軽し、それでいて整然とさせる。

 カリスマ性がなにかと問われたら、きっと真っ先に神崎川の事を思い出すんだろう…それくらい魅力のなる男だった。

 また、映画に関しては本当に貪欲で、知識も深く、技術も高い。なのに暇さえあれば専門誌や顔のきく映画会社の手伝いに行ったり、映画を見たり…そんな姿勢にも憧れた。

 だから…。

 着信の点滅が彼女の送った電波の欠片がここにある事を伝える。

 あの、無条件にもう、理屈じゃどうしようもないくらいに惹かれてしまう彼女でも…彼なら…と諦めではないが納得はしてしまうのだ。

「はい」

 茜は戻ってくると、さっきより近くに座って良く冷えたコーラを差し出した。

「いただきます」

 素直に受け取ろうと手を出した時だった。その蒼汰の手を、茜が掴んだのだ。

「…」

 思わずひっこめそうになる手を、茜は強く握りしめる。

「なぁ…うちら、やり直されへんやろか?」

 一番聞きたくなかった言葉が、風の凪いだ熱帯夜の肌に纏わりつく空気に滲んだ。

 蒼汰は自分の手を握るその強さに、胸が苦しくなった。

 彼女の近況や、これまでの話を聞いて…むげにできるはずがない。

 やはり、会うべきじゃなかったと後悔の溜息をついた。

 じっと見つめる、かつてはずっと一緒にいたいと本気で思った相手に小さくでもしっかりと首を横に振って、そっと他方の手でその手を外した。

「あかんて」

「なんで?まだ怒ってるん?それとも、うちに子どもおるからか?」

 明らかに動揺した瞳には、好きで自分にこんな事を言っているというより…不安で誰かにしがみついていたい…そんな気持ちがありありと浮かんでいた。

「どっちもちゃうよ」

「せやったら。な?あん時は遠距離とか考えられへんかったけど、今やったらうち、待ってられるし」

 痛々しいまでに何とかしようとする彼女の声に、もう一度首を振って見せた。

 途端に茜の顔は曇り、見る間に頼りない表情で涙を浮かべ俯く。

「もう…うちのこと嫌いなん?」

「嫌いやったら、ここには来ぉへんやろ。せやけど、ごめん…。やり直すことはできへん」

 ハッキリ言わないと、きっと自分の為にも彼女のためにもならない。

 さっき、明るく出て行った母親の顔を思い出した。

「やっぱり…子持ちはアカンな。どうしても邪魔に…」

「そんなん言うな!」

 無意識に怒鳴っていた。

 驚きに茜が顔を上げ、すぐに蒼汰が母子家庭で育った事を思い出したのか「ごめん」と呟き目をそらした。

 蒼汰は思わずあげてしまった声に「怒鳴ってすまん」とこぼすと、さっきの滑り台の方を見た。

「なぁ…きっと、女一人で子ども育てるのって大変なんやろうなぁ」

「……」

 茜は返事しなかった。

 その頑なな怒ったような顔に、蒼汰は小さくため息をつき、話を続ける。

「おかん見てたら、ほんまそう思うわ。俺のせいで男も作れへんかったんやろうなぁって…。別に、父親とちゃう男が家におってもかまへんのに…」

 茜の息をのむ声がした。言い方がストレートすぎかとも思ったが、自分にはこんな話し方しかできない。

「でも、それはな、おかんが絶対、俺のおかんを辞めへんって信頼があったからやねん。おかんが、おかんなんやったら…なんでもええねん。せやから…お前もそんな寂しい事言うなや」

 そう言うと振り返り、泣き出しそうな赤い茜の鼻をつまんだ。

「お前が辛かったんは、よぅわかった。でもな…お前には子どもっていう最強の味方が傍におるんやん。一人やないで?」

「でも…」

「皆には、ちゃんと話しとく。もう、一人できばんのはやめとき?な?俺かて、いつでもこうやって話くらい聞くやん」

「…」

 茜は涙が頬を伝う前にそれを拭うと、まだ諦めきれない気持をその強い視線に籠めて蒼汰を見つめた。

「どうしても、あかんの?」

「あかん」

 きっぱりと言う。

 手の中の着信ランプに嘘はつけない。

「好きな人がおるねん」

 口にして、どれほど自分のその想いが強いか思い知った。

 そうだ…どれだけ手の届かない相手でも、この気持ちはもう変えられない。

 諦める日が訪れてくれるのかどうかも不安だが、傍にいられる今はそんな事も考えないで、彼女の幸せだけを見つめたかった。

 自分の気持ちに嘘をついても仕方ないのはよくわかっている。

 なら、早々に白旗を上げて、納得いくまで突っ走る…それだけのことだ。

 だから…茜の気持ちには応えられなかった。

 茜はしばらく苦しげに眉を寄せ唇を噛んでいたが、何かをまとめて吐き出すように溜息を夜空に吐き出すと

「そうやんな。もう…お互い、新しい生活してんねんもんな。ごめん。弱気になって、変な事言って」

「かまへんよ」

 蒼汰はにかっと大きく口を開け、わざと幼く笑って見せると茜の背中を軽く叩いた。

「頑張れよ。俺も、頑張る」

「映画…撮るの?」

 蒼汰はその単語に、心底嬉しそうに頷いた。

 そうだ、帰ればあんなに心持にしていた神崎川のもとでの撮影が始まる。

 思いっきり色々吸収してやるつもりだ。

「ほんまに…好きなんやなぁ。映画。アホやわ」

「ほんまやな」

 苦笑する茜に、蒼汰は前髪をかき回すと、立ちあがった。

「行こか。家まで送るわ」

「ん…」

 来た時より清々しい表情になった茜は、渡さなかったコーラを今度はちゃんと手渡し立ち上がる。

「映画かぁ…妬けるわ。映画がなかったら、今頃、まだ付き合っとったかもしれへんのに」

 言葉の割には未練の響きはない。肩を並べて歩きながら

「映画知らんかったら、俺やないて」

 そう答えた。そうだ、自分には映画のない人生はやはり考えられない。

 茜はそんな元カレの無邪気で真っ直ぐな笑顔に、どこかで別れてしまった自分の道を少し悔みながらふと、頭に浮かんだ事を口にした。

「もし、その好きな人と映画、どっちかとらなぁあかんってなったら、うちの時みたいに映画とるん?」

 それは別に他意があったわけではなく、純粋な疑問だった。

 訊かれた蒼汰の方には皮肉にも聞こえたが、苦笑すると、夏の夜空を見上げる。

 きっと、その彼女はこの夜空の下に、別の…自分が最も尊敬する男といる。

 初めて、神崎川に対して嫉妬を感じた。

 その焼けつくような感覚に目を細める。

「たぶんな」

 自信はなかったが…そんな選択を迫られる日は来ないだろうと、深刻に考えるのは止めた。

「そっか…」

 茜はどこか満足げに頷くと、ちょうど家の前だった。

 携帯を取り出して振ってみせる。

「蒼汰からの着メロ、蒼汰の好きやった映画のにしてんねん。せやから、蒼汰はうちの着メロ、なんか特別なんにしてくれる?」

 たわいもない注文だ。

 そんな些細で聞き流しそうな事でも、その中に彼女の『忘れないで』というメッセージに気が付けないほど短い付き合いでも、浅い付き合いでもなかった。

 蒼汰はそんな彼女の思いごと受け取ってみせると携帯を同じように振って見せた。

「じゃ、お前が好きやったアユの曲にしとく」

「ありがと」

 素直に頷く茜は、好きだった時の笑顔だった。

「じゃ、またな」

「うん。またね」

 サヨナラじゃなくて、またね…。

 その口約束は僅かでも彼女の心を軽くするお守りにでもなればと思った。


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