片想い 7
小さな溜息をついてカレンダーを見上げる。
強行軍だった帰省中のスケジュールもすべて問題なく終わり、明日、大学のある町に戻る日になっていた。
無事に車の免許も取れたし、これまでの貯金とこの夏のバイト代を合わせれば中古なら車も買えそうだ。
ふと、部長は車の免許も車も持っていないと言っていたのを思い出す。
それなら神崎川の役にも、もちろん紅の役にも立てるだろう。
運が良ければ紅を助手席に乗せる機会だって作れるかもしれない。
そう思うとがぜん、戻るのが楽しみになって来た。
「ほんまに、落ち着きない子やなぁ」
これから夜勤という母親は、そんな息子の横顔を鏡越しに見て苦笑する。
蒼汰は良く似た苦笑を返して
「すまんな。明日は午前中には帰ってくんねんやろ?」
と、尋ねた。母は息子のそんな何気ない言葉に嬉しくなり、口元をほころばせる。
この何でも自分で探して、決めて、行動してしまう息子を、頼もしくも少し寂しくも思っていた。
もちろん、息子には息子の人生を好きに生きる権利があるし、それだけの力も責任感も持っていると信じているし、それが誇らしく喜ばしい事だともわかっている。
でも…でもなのだ。
幼いころから、父親がおらずこうやって放ったらかしになりがちな生活に、文句も疑問も口にしない息子に、少しは甘えてほしいと思ってしまう。
今回だって、帰省の旅費も、教習所の受講料も、たぶん車を買うのも全部自分で賄ってしまっている。きっとこちらが出すと言えば、「そんな金、老後にとっとけ」とでも言って受け取らないに違いない。
地方の国立大に行きたい。そう自分に相談した時、その申し訳なさそうな顔に、ようやく少しは親らしい事をしてやれると安心すら覚えた。
「ごめん。今、忙しいから、たぶん、アンタの電車には間に合わへんわ」
「そうか。しゃあないな」
少しは残念がってくれてもいいのに。母親の贅沢な注文とは思いながらもそう思ってしまう。
蒼汰は幼いころからの癖で、前髪をくしゃくしゃとかき回すと苦笑いを鏡に向けた。
「戸締りはしとくし。まぁ、無理すんなよ?」
「はいはい。あんたも、ちゃんとご飯食べるねんで」
「そこは大丈夫。飯作るのうまい奴おるから」
意外だ、息子にそんな彼女がもういるのか?
母親のキョトンとする顔が鏡に映り、蒼汰は首を振った。
「彼女とかとちゃうで。野郎やねんけど、鬼のように器用な奴がおんねん。めっちゃイケメンやで」
ま、人間関係はその分不器用やけどな。とは母親には言わなかった。
母親はようやく振り返り、いつもの明るい笑顔を向けると立ち上がり
「ほな、いつか連れておいで。いつもご飯食べさせてもろてるなら、お礼せな」
「せやな。おかんのから揚げ教えたって。そしたら、俺、どこでもあの味食べれるし」
「なんや、それやったらお礼にならへんやないの」
「ほんまやな」
悪戯っぽく笑う息子に小さく笑いながら、鞄を手にした。
息子の携帯が鳴る。
「今日が最後やから、赤也くんとかからやない?」
「そうかもな。メールやし、後から見るわ」
そう言うと、蒼汰は玄関まで母親を送る。
「ほなな」
「おぅ」
きっと駅まで見送りなんて気恥ずかしい、こんな別れのくらいが自分達にはあっている。どうせ、今生の別れでもないんだし。
自分に元気を見せるように、若い子のようにわざと大きな笑顔で手を振ってみせる母親に手を振り返すと、その姿が廊下の向こうまで見えなくなってから、ようやく扉を閉めた。
「さて」
さっきの着信を確かめるために玄関で携帯を開く。
誰からだろう?赤也はもう大阪に戻ったし…他の連中とも昼に別れたから、今更連絡来るはずないのだが…。
「……」
その名前のないアドレスに、息を飲む。
「茜か」
忘れていたわけじゃない。ずっと空けないまま消せないでいたメールは、あのすがる目のようにずっと待ち受け画面に表示され続けていたのだから。
明日には帰るんだし。そう溜息をつくと、ようやくそのメールを空けた。
今からどうしても会いたい。切実な思いを添付したそのメールに、直観は赤也と同じ言葉を囁いていた。