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Apollo  作者: ゆいまる
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月と海 3

 行動力と計画性。どちらもあるなら素晴らしいと思う。

 蒼汰は大学のある駅に着いてから、自分には完全に後者が不足していると痛感し、深い溜息をついた。

 夕方まで研修をうけ飛び乗った新幹線。在来線に乗り換え、藍に『明日会えるの楽しみだ』なんていう内容のメールをしばらくやり取りして、この事態に気がついたのは改札を通ってからだった。

 時計を見上げればもう十時。家は引き払っている。藍には明日会おうってやり取りで盛り上がっちゃっていて……。

「青く〜ん」

 まるで子供の頃によく見た、未来のネコ型ロボットにすがる少年の様な声を小さく出すと、携帯を開いたのだった。


 やっぱり、愛想のない友人は助けを求めた自分にあきれた風な口を聞きながらも、泊めてくれることになった。

 とりあえず……のフレーズでよく来た店に待ち合わせを決める。

 店内は休日前という事もあってか客が多く、すぐにはテーブルにつけなかったが、それでも青が来るまでにはカウンターの席を馴染みの店員が用意してくれた。

 注文してすぐに出てくるジョッキを受け取りながら

「明日で卒業ですか?」

 の店員の言葉に蒼汰は

「さみしなります」

 と答えた。

 もっと話したそうな店員は、他の客に呼ばれて去っていく。

 喧噪の中、入口が開く音が聞こえ店員たちの掛け声の様な「いらっしゃーい」の声が響いた。

 やっぱり男前はどこにいても目立つ。彼は入ってくるなり投げられた女性客の視線を知ってか、知らずか、涼しし顔で手をあげて隣に座った。

 二三言葉を交わしながら、大学に入った当初、他の男子から一緒にいて苦痛じゃないかと聞かれた事を思い出した。

 一緒にいると、引き立て役になる。話をしてもそっけない。そんなのと一緒にいて何が楽しいのかと。

 蒼汰はそういう連中は実にもったいない友人の選び方をしているのだと思った。引き立てるもなにも、青は男前で自分は普通なのに変わりない。彼は彼で自分は自分。比べたり優劣を友人間でつける方が変だ。

 言葉は少ない人間はその分言動に誠実だったりするし、イケメンだからって外見にコンプレックスがないとは言い切れないのだ。

 自分は彼と知り合えたのは、ここで手に入れた財産の一つだと思っている。

「荷物はそれだけか?」

 青が蒼汰の足元の荷物に目をやった。

「あぁ。明日のスーツと着替えくらいや。明後日の昼には京都に戻らんとアカンねん」

 休みはそう多くは取れない。取る事自体は不可能ではないし、実際、職場の方は休みを明後日いっぱいは取れるようにしてくれようとしたのだが、自分が嫌だった。同期に遅れがあるのは否めないし、あの脚本を見てからますます追いつきたい気持ちが高まっている。もちろん、自分が目指すのはもう監督業ではない。企画・制作といった別方面だが、いつか一緒に仕事ができるくらいにはなりたかった。

「厳しいんだな」

「カツカツや」

 そう笑ってグラスを合わせる。

「青は?」

 青は一口だけジョッキにつけると下ろしながら

「俺の方は研修は四月からだし、寮に荷物を送ったら、少しの間は実家で、来週くらいから東京になるな」

 彼らしい口調でそう答えた。

 東京。今でも少し切なくなる土地の名前。

「東京かぁ……せや、仕事で神崎川先輩の名前、早速聞いたで」

「え?」

 青がその名前に緊張したのか瞬きを何回かした。その緊張は、きっと自分の気持ちを推し量ってくれた先の副作用の様なものだろう。

「アメリカの映画会社と契約したらしい。日本の会社に籍を置いたままやけど」

 何となく、脚本の事は企業秘密の様な気がして、話したい気持ちはあったが口にしなかった。神崎川翠を思う時、いつも苦々しい記憶とともに、まだ憧れる気持ちが蘇ってしまい、彼の活躍を半ば自慢げに語ってしまいそうになる自分がおかしい。

「ほんまに……すごい人なんやな」

 ポツリと零した。目標はずっとずっと先を走っている。もう背中も見えないくらいに、彼女をその腕の中に隠したまま。彼女は元気だろうか? 彩はどうしているだろうか? そこまで考えそうになる気持ちは、きっと本当にもう過去にしないといけないはずだ。

「まぁ、もう、昔の話やし」

 自分に区切りをつけるように蒼汰はそう言った。

 そんな彼を見る青は、やはりその心中を知っているのか知らないのか、見た感じでは分からない表情で

「そうだな」

 とグラスを飲み干すと、別の酒を注文した。

 これが、彼特有の優しさなのだ。蒼汰は綻ぶ自分の顔を自覚しながら、鮮明に蘇ってくる思い出に目をこらした。

「そうそう、覚えてるか三年の夏合宿。あの時な、お前、俺と神崎川先輩の違いを見せるって、飛び出したやろ」

「そんな事もあったな」

 青は眼鏡を触る。本人自覚はないのだろうが、この癖は蒼汰も桃も、藍だって知っている彼の照れ隠しだ。

「あの時な、結局お前は俺に、先輩と俺の違いが何か言わへんかったけど、俺はお前のあの姿見た時に思ってん」

「ん?」

 蒼汰はグラスに目を落とすと、小さく微笑んだ。

「確かに、俺一人じゃ奴を超すどころか追いつくこともできへん。でも、俺にはお前がおる。一人やないんや」

 そう、目標との埋めようもない差は同じ世界に浸っていけばいくほど身に染みる。それは引き立て役とかそう言うレベルじゃない。比較も及ばないほどの絶望的なまでの差だ。けれど、自分があの時にその差の前に打ちのめされても腐らず、今もこうやって夢を追いかけられるのはきっと、自分を本気で怒ってくれた彼のおかげだ。

 蒼汰は苦笑いして青を見る。

「それが、才能ゆえに孤独で、紅さんしか逃げ場のなかった奴との違いやなって」

「蒼汰」

 青は困ったような顔で固まった。

 無愛想なのは照れ屋だから。表情が硬いのは人に対して臆病だから。言葉が少ないのは心の中での言葉が多いから。ちょっと変わった自分の友人。誰よりお互いのしょうもない所を知っていて、誰よりお互いを尊敬していて、誰より信頼しあえる自分の親友。

「ほんま、お前が女やったら結婚してるのに」

 思わず気持ちがこみあげて、冗談に変えて蒼汰は笑った。

「ばーか」

 青は舌を出して顔をしかめて見せ、それからやはり同じように笑った。

 自分には彼がいて、彼には自分がいる。そんな当たり前が、当たり前であることを大切にしたかった。

 これから先もずっと。離れても、この友情と信頼は守りたかった。

 青のニ杯目がやってくる。蒼汰はそれに彼が口をつけるのを待って、悪戯心に口を開いた。

「それはそうと、藍ちゃんとのデートはどうでしたか?」

「デートって……そんなんじゃないよ」

 彼は苦笑してから、反撃とでも言わんばかりに蒼汰の顔を少しだけ覗きこんだ。

「何? 心配した?」

 きっと、こういう仕草って女の子はされたら弱いんだろうな、なんて思いながら蒼汰は彼の額を小突いた。

「アホか。せやったら、こないにノンキにしてへんて。他の男ならいざ知らず、青なら……なぁ」

「何だよ。何か微妙だな、それ」

 憮然とした彼に、蒼汰は笑って

「いやいや。信用してるって事や。藍ちゃんの事も、お前も」

 そう言ってグラスを掲げた。

 青は口元に笑みをこぼすと、また眼鏡を触る。

 不意にその目が真剣なものになった。自然にこちらの気持ちも引き締まっていく。喧騒が遠のき、沈黙が下りた。青はしばらくじっと蒼汰の目を見つめた。偽りを許さない目だ。

「な、俺に約束してくれ。藍を絶対泣かせないって」

 その言葉に言葉以上の重さを感じ蒼汰は、わかってしまった。

 青の気持ちがどこにあるのか。そして、その気持ちを自分の為にどうしたのか。

 今、自分がするべきはその気持ちをなじることでも、彼らが二人で過ごした一か月に不安や疑問を持つことではなく、自分に大切なものを託そうとする彼に応える事だ。

 蒼汰はしっかりと頷いてみせた。

「わかった……約束する。藍ちゃんはお前にとっても……」

「あぁ。大切な……」

 青は一度落とした視線をあげると、真っ直ぐに目を合わせた。

「大切な人だからな」

 自分は彼だからこそこんな気持ちになれた。

 彼も、自分だからこその決断なんだろう。

 裏切っちゃいけない。何があっても。

「今夜は語ろうな」

 この大学生活で幾度となく繰り返されたフレーズに、青は黙って頷いた。

 離れて行く寂しさに涙がこみ上げそうなのに、これからの未来にもこの友情が続いていくのを信じたくて、蒼汰は無理やりに笑った。



 青の部屋に向かう帰り道。酔いに心地よい優しい風に誘われ見上げると、雲の影間から見えた月がそに浮かんでいた。

 もう、あの月に手を伸ばすことはない。きっと二度と会う事もない。けど、彼女への想いはこの月のように静かに輝き続けるのだろう。そしてこんな夜に思い出したりするのだろうな。

空を飛べなかった人間は、それでも自分の道を歩く。微かな月の引力を感じながら。

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