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Apollo  作者: ゆいまる
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月と海 2


 京都の撮影所での研修が始まり、同時に新生活への準備に忙しくなった。

 初めの一週間だけはウィークリーマンションを借り、その後、藍とFAXや電話でやり取りをしながらアパートを決めた。

 新築ではないが、割に駅にも近いマンションは2LDKで、これまで1K暮らしだった蒼汰には広く感じられた。

 荷物を運んでも、一人じゃスペースがあまりガランとする。

 それでも、ここにこれから藍と一緒に色々埋めていくのかと思うと、一時の寂しさも紛れた。実際、寂しさに浸る余裕もあまりなかったのだが。

 専門学校や専攻科を出たわけじゃない蒼汰は、同期よりも勉強をしないといけないことも多く、寝る間も惜しかった。

『ちゃんとご飯てベてる?』

 電話の向こうの藍の声に蒼汰は苦笑した。

「なんや、おかんみたいやな。そない心配するんやったら、こっち来た時は美味しいもん作ってや」

『そのつもりだけど』

 未だにこう言うと少し照れるのが可愛らしい。

 蒼汰はお茶のペットボトルを置くと、身を投げ出すように自分で組んだベッドに座りこんだ。

 窓の外はもう暗い。カーテンの隙間から見える星が綺麗だった。一瞬窓を開けようかと思ったが、すぐにその手を引っ込めた。京都の冬は結構冷え込むのだ。冬といっても、もう三月だからこの寒さが解けていくのも時間の問題だが。

「今日はどこに行ったん?」

『ん。商店街。そこでも三宮教授に会っちゃって。呆れられちゃった』

 藍と青が街を二人で回って写真を撮っているのは二人から別々に聞いていた。1%も気にならないって言うわけじゃないが、やきもき心配するような事もなかった。

 青は青で、藍は藍だ。二人が毎日会っていようと、極端な話しどちらかがどちらかの家に泊まろうと、本人たちから何か不穏な言葉を聞かない限りは信じていられるだろう。いや、信じたかった。

「今度会ったら[呆れるのはこっちや。教授職はそんなに暇なんか?]って言い返したり」

 そう言うと、電話の向こうの藍は笑っていた。その笑い声にも何の不純物はない。むしろ、こうやって神経を尖らせている自分の方が、本当は不純なのかもしれないな。蒼汰は苦笑すると、カレンダーを見上げた。

「なぁ。藍ちゃん」

「ん?」

 会話が途切れる。やっぱり、この部屋は独りには広すぎる。

「はよ、会いたいなぁ」

「うん」

 明後日はいよいよ卒業式だ。この四年間、どの時間を切り取っても隣にいた青とも別れてしまう。その寂しさに胸が苦しくなった。

「卒業式、だね。私、その……」

 少し戸惑う声に、蒼汰は首を傾げた。言葉を待っても出てこないのに、しばらくして卒業式の後の約束の事を話したいのだと思い至った。

「あぁ。部屋、ちゃんと予約したで」

 こちらも落ち着かなくなって、携帯を持ち直した。卒業式の夜からはずっと一緒にいたい。

そう思って、大学が見下ろせるホテルを予約した。下心な期待が全くないとは申し訳ないが言えない。でも、それより、その部屋を選んだのは大学が一望できるからで、できれば藍と一緒にちゃんとこの四年間の幕を下ろして、一緒に新しい朝を迎えたい。そんな気持ちが強かった。

「うん。嬉しいよ。でも、私、卒業式は袴をレンタルする予定で、だから一度返しに行かないといけないの」

「へぇ。藍ちゃんの袴姿か。楽しみやな」

「ふふっ。気合入れるね」

「じゃ、式終わってから時間決めて待ち合わせやな」

 具体的な話をすれば、うす曇りの様な不安も晴れる。電話の向こうの藍は、やっぱりいつもと何にも変わらない。

「明日は、夜にそっちやから、電話無理そうならメールはするわ。ほな」

 時計を見上げる。もう日付が変わりそうだ。

 明日は早い。大学の時計より早く感じる秒針は社会人になった自分を急かす。いつまでも声を聞いてはいたいが……

「うん。おやすみ」

「おやすみ」

 携帯の通信を示す画面が停止した。

 その画面をしばし見つめてから、発信歴をそのまま開いてみた。昔なら、彼女ができればその子の名前ばかりが並んだその画面も、今は仕事関係のモノが多分に交じって、何とも味気ない。

 夢や恋に夢中になれる季節は、もう終わったのだと、その画面が告げている気がした。


 翌日、蒼汰は王子が東京の方からこっちに来ると聞いていたので、研修中も少しそわそわしていた。あれだけ目にかけてくれていた王子だが、会社に入ると彼が遠い人間だと言う事が実感を伴ってわかって、これまで失礼がなかったか、今更ながらに緊張した。

 しかし、そんなのは杞憂だったようで、実際顔を合わすと王子は以前と変わらず気さくに接してくれ、昼休みの少し前には自ら研修室に足を向け、蒼汰を食事に連れ出した。

 年の割に若い服装に、妙に軽薄でそれでいて不思議とイヤミのない彼の雰囲気はに変化はなく、何となく蒼汰をホッとさせた。

 撮影所の近くの洋食レストランに二人で入る。

 趣のある店内には緩やかなジャズの音が漂っていて、木製のテーブルや椅子の深い茶色によく似合っていた。ランチ時間で、席はほとんど満席状態だったが、運良くすぐに窓際の二人席に通された。

「ここは結構、この業界の人間が使うから、君もちょくちょくは来るといい。思わぬ収穫があるかもよ」

 そう言いながらも、顔見知りだろうか、王子は二つ向こうのテーブルの男性二人組に軽く手を挙げて挨拶していた。

 蒼汰は「はぁ」と緊張の隠せない返事をすると、落ち着きなく周りを見回す。自分がこれから入っていく世界は人とのつながりが何より大切だ。そんな事を教わっているような気がした。

 注文を済ませると、王子は『実はこの話をしたくてここに来たんだ』といわんばかりにすぐに話題の口火を切った。

「こないだのさ、神崎川翠の映画企画なんだけど」

 胸が疼いた。その事に蒼汰は悟られないように息を飲む。

 やはり、まだ、平気ではいられない。

「はい」

「一度、延期になったんだよ。アメリカで力つけたいからって。それがさ……」

 見ろといわんばかりに蒼汰の前に一冊の本が置かれた。よく見るとそれはパソコン画面からのプリントアウトされたものだというのがわかった。

「脚本?」

 びっしりと並んだ字には、推敲された後なのだろう、迷いがない。

「ちょうど昨日だったかな、添付ファイル付きのメールが届いて、驚いたよ。まぁ、見てみな」

「はい」

 蒼汰は言われるままにその台本に目を通した。台本はこれまでにも何本かは読んだことはある。が、この台本はそんなプロが書いたものと一つも遜色がなかった。

 一ページめの数行から世界が出来上がっているのだ。圧倒的なまでの広がりと深さを感じさせる世界観。引き込ませる何か。テンポの良い会話と心地よい行間。

「凄いだろ?」

 最後まで手が止まりそうになかった蒼汰に、王子は苦笑を浮かべながら声をかけた。

 蒼汰は先を知りたい、読みたい、そんな欲求を何とか押し込めるとその台本を閉じる。

「はい。でも、これって……」

「あぁ。どうやら彼が書いたらしい。彼は脚本も書いていたのか?」

 正直、心底驚いた。蒼汰は首を横に振りながら驚愕の心境で台本を見つめる。

「いえ。少なくとも自分がいた間のサークル作品には一度も」

 それを聞いて王子は嬉しそうに腕を組んで、息をついた。

「天才に磨きがかかったんだな。これを読んだ時、久々に鳥肌が立ったよ。これはもうこのままで完成品だ。すぐにでもプロジェクトを組んでいいレベルだ。でも彼に連絡取るとな、これは試作、プロットの様なものなんだそうだ。本当に、化け物だねぇ」

 自分の見る目が正しかったといわんばかりの満足げな表情に、蒼汰は複雑な気持ちでしなれない愛想笑いを浮かべる。

 また、一歩先を行ってしまったんだ。

 台本から目をそらすように窓の外の空を見上げた。遠い空の下で、彼らはどんな生活を時間を送っているのだろう。空には白い月が浮かんでいて、おもわず彼女の名を心の中で呼びかけて痛みに止めた。

 この先、何度も彼の名を聞くのだろう。その度にこんな気持ちになっちゃいけないのだ。自分には、藍という人がいて、もう新しい生活もここにある。

 蒼汰は注文の皿がテーブルに並び終えるのを待って、ファイルを大切そうに鞄にしまう王子に声をかけた。

「その映画はいつ頃進められそうなんですか?」

 王子はその質問に顔を上げ

「まず、上にこれを企画書と一緒に提出してからになるが、必ず通るよ。彼さえその気なら夏までには動き始められそうだけど、アメリカの方の会社とも契約したみたいだし、実際はもう少し先かな」

 そう、まるで誕生日やクリスマスを待ちわびる子どもの様な表情で答えた。

 それならもしかしたら、この作品に携われるかもしれない。

 色々思わないではない。

 それでも、彼と一緒に何かをもう一度作れたら……。

 蒼汰はそんな夢に近い事を考えながら、タイトルを聞きそびれたのに思いついた。しかし、話題は他に流れてしまい、結局その日にはタイトルを知る事は出来なかった。

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