片想い 6
それからは怒涛の様な日々だった。
「帰ってきたんだから、少しはゆっくりすればええのに」と母親が呆れるくらい、バイトと教習所に明け暮れた。
おかげで桃に大阪で会う約束の日までには真黒に日焼けし、これ以上ないほど夏を満喫しているかのような風貌になっていた。
大阪駅で待ち合わせた桃は、蒼汰の姿を見るなり驚きで小さな声を上げたほどだ。
「久し振り。海でも行ったの?」
そういう桃は全くと言っていいほど焼けていない。
蒼汰は苦笑して首を横に振り
「プールの監視員のバイトはしたけどな」
と弁解めいた口調で答えた。
同じサークルで同学年は彼女を入れて四人だけ。福岡出身の藍と違い、同じ関西の桃の方が何となく話はあった。
まぁ、どちらかといえば、くらいのレベルなのだが。
「ね、青くんとは連絡取ってる?」
初めから予定していた映画を観に歩き始めた時、桃の方から口を開いた。
さっそくですか。と肩をすくめたくなるような気持ちで、微笑むと
「いや、こっちからのメールは律儀に聞いた事だけ答える返信はしてくるねんけど。可愛げのあるメールはないなぁ」
「そっか」
ちょっとホッとしたような、それでもまだ寂しいような顔をして桃は足もとの少し先の方に目線を落とした。
「桃ちゃんとこもそんな感じか?」
「うん。迷惑なのかな?メールとか」
確かに、そういうやり取りだけなら女の子が心配しても仕方はない。でも、青にかぎっては……
「ちゃうと思うで。迷惑やったら無視するタイプやし。どっちかって言うたら、長文メールとかのキャラとちゃうやん」
「そう、かな?」
桃は幼さの残る頬を僅かに染めて、不安に目を潤ませる。
あぁ本当に恋してるんだな、と蒼汰は微笑ましく思った。
「だって、青のメールに絵文字とかありえへんやろ?『お返事待ってます! ハート』とかきもいやん」
ふざけて言うと、桃は想像したのか吹き出した。
「確かに。そうだよね。ちょっと、イヤかも」
「おいおい。俺、こないだのメールでそれ、打ってんけど」
「え? そうだっけ? ごめん!」
「うそうそ」
「も〜」
ようやく笑顔になった桃は、口をアヒルみたいに突き出し、蒼汰を小突いた。
蒼汰は笑いながら、桃から雑踏に視線を移す。
いろんな世代のいろんな人間が、いっせいに全く別方向を向いて歩いている。
皆全く違う目的を持ち、全く違う事を考えながら、それでもこの同じ時間同じ場所にいる。それが不思議でたまらなかった。
桃にしろ、藍にしろ、青にしたって、出会えたのは本当にものすごい確率や偶然を潜り抜けた先のもので、ましてやそこで恋を見つけられたって言うのはすごい事なんじゃないかと思う。
「なぁ。桃ちゃんはなんで青が好きなん?」
それはどうしてこれから観に行く映画を決めたのかを訊くのと、まるで変わらない口調だった。
桃は一瞬、肩を並べる蒼汰を見上げたが、すぐに視線を戻し
「わかる?」
「たぶんわかってへんのは、サークル内で青だけや」
これは本当だ。彼女の一途な視線は誰がどう見てもどこに向かっているのかはすぐにわかる。
「藍ちゃんにしか話したことないんだけどな」
「藍ちゃんが話さんくても、一目瞭然やって」
「そんなにあからさま?」
桃の顔が恥じらいの朱色に染まっていく。
蒼汰は苦笑しながら頷いた。
「あからさまやな。でも、ええやん」
ふと、最近はもう、何かにつけて思う出すようになったあの泣き黒子の笑顔を思い出す。
気持ちが本物なら、それがどれだけ周囲の失笑を誘うものでもいいんじゃないかと、開き直り始めていた。
ただ、自分の場合は、彼女にとってそれが迷惑になるんじゃないかという懸念があって何にもできないでいる。
だから、こうやってまっすぐ突き進める桃が少し羨ましくも、眩しくもあった。
「で、どこがええの?」
「う……ん」
意外にも桃は考え込んで口を閉ざした。
この質問は、ここまで真面目にではないにしろコンパで一緒になった女の子達にした事がある。その時はたいてい「顔」その次に「話聞いてくれて優しいし」と続くのだ。でも、桃はしばらく考えた後に
「わかんない」
そう眉を下げて答えた。
「へ?」
思わず間抜けな声を出してしまう。
桃はその声にさらに眉を下げ
「確かに青くんはかっこ良いよ。でも、それよりなんて言うか……青くんの事、もっと知りたいと思ったの。でも、そう思って傍にいるうちに、どんどん自分の中で青くんが大きくなってきちゃって」
自分で自分の言う事に恥ずかしくなってきたのか、桃は両頬を押さえて俯いた。
「蒼汰くんはどうなの?」
そして何故か責めるような口調で訊き返す。
蒼汰はポケットに両手を突っ込むと、今度は本当に肩をすくめて
「好きな人は出来たけど、難しそうやなぁ」
想い続けるのも、諦めるのも両方な。そう心の中で付け足して、ようやく雑踏を抜けた先に見えたビルの合間に広がる夏空の眩しさに、顔をしかめた。
桃と観た映画は、そんなに良くも悪くもなかった。
夏休み映画らしく、飽きさせない展開ではあったが、きっと三日後には忘れてしまう。その種の映画だ。
映画の後はぶらぶらと桃の買い物に付き合い、食事をすることになった。
その間も、桃は何かの拍子につけ青の名を出しては色々と目まぐるしく表情を変える。きっと口にしている以上に彼女の中では青がいて、それはもう、本人にもどうしようもないのだろう。
その様子はまるで自分を見ているようで、少し気恥ずかしかった。
自分も紅と同じような髪型の女性の後姿を見るにつけいちいち心臓を跳ね上げていたし、買い物では彼女へのお土産を買おうかどうか、買うなら何がいいだろうかと悩んだ。
それにしても、恋とは病ってよくいったものだ。
今日、十何回目になるこの場にはいない男の名前を口にした桃に、きっと毎日これを聞かされているであろうルームメイトの藍を少し気の毒に思った。
もし、本当に青が藍の事を思っているという自分の勘が当たっていれば、少々ややこしい。でも。桃には悪いが、その時は青を応援するだろう。それが男の友情ってもんだ。
「そういや、藍ちゃんとは連絡取ってるん?」
ふと、口にしてみる。
「え?蒼汰くん、藍ちゃんの事、気になるの?」
何故か顔を輝かして『青の好きそうな浴衣』選びに専念していた桃がこちらを見た。
蒼汰はややたじろぎ
「いや……そう言うわけやないけど」
誤解のないように「なんとなく」と付け足した。桃はやや落胆した様子で
「なんだ。連絡は取ってるよ。今日、蒼汰くんと会うって言ったら羨ましがってた」
「ふーん」
真には受けなかった。そんなに親しいわけじゃない。
藍に限っては、まだ印象が薄いというか、どことなく掴みどころのない子だと感じていた。いつも桃と一緒にいて、彼女の姉の様な感じ。話せばそれなりに盛り上がるし、頭のいい子だなって言うのは会話からわかる。が、彼女自身、常に一歩引いているというか、それは自分に対してだけでなく、周りの人間皆に対して距離を置いてるように見えた。
それが、不思議とあのとっつきにくい青に対してはその警戒を解いているようだから面白い。青に脈があるって言うより、気を許していると言った方が的確な雰囲気なのが勿体ない所だが。
興味がそんなにないのを察したのか、桃は藍の話しを切り上げ、再び浴衣に目をやった。
「ね、どう思う?これ、子どもっぽいかなぁ。そもそも、青くんの好みってどんなのだと思う?」
それを訊かれても、本人じゃないから答えようもない。
蒼汰は本気で困って、腕を組むと
「その浴衣ええと思うで。ま、青の好みは知らんけど。それより」
こんなに真剣な桃に少し協力してやりたくなってきた。
蒼汰は悪戯っぽく笑うと
「夏祭りの時、二人になれるように協力したろか?」
「え?」
桃の目に期待の光が宿る。
なんだか子どもにプレゼントする大人になった心境で、目を細めると
「手ぇぐらい繋いでみ?それくらいせな、あの鈍感男はわからへんって」
「でも、迷惑じゃ……」
「下駄で歩きにくいとか、はぐれそうやからとか、適当に言えばええやん。夏やねんし、ちょっとは攻めても罰は当たれへんて」
言ってしまってから、煽って良かったのだろうかとハタと気づく。
しかし、もう後の祭り。桃はすっかりその気になって、手にしていた浴衣を抱きしめてその時の事を想像しているのか真っ赤な顔で目を潤ませていた。
「うん。考えてみる」
やってもうたかな。内心苦笑したが、すぐに、でも、まぁええか、と無責任に想いなおし
「おう。頑張れ」
と口にした。