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Apollo  作者: ゆいまる
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終幕の始まり 7

 それも、三日目になると、ちょっと飽きてきた。

 もともと、好きなこと以外には集中力が及ばない性格だ。すっかりあらかた段ボールに荷物が詰め終わった部屋に、寝転がってカレンダーを見上げる。この四年間で、一番時間の流れの遅い日々かもしれない。藍からは毎日メールや電話は来るが、会いたくなるばっかりで……。

「青は、どないしてるやろ?」

 そういえば、桃は大晦日だか一日に実家の方に帰って、そこからイギリスに発つといっていた。

「きっと、寂しいのは青も一緒やんな」

 自分と似たような境遇に置かれているだろう青を勝手に想像すると、蒼汰は携帯電話を手に取った。

 電話をすると、青は珍しく実家に帰っていた。一瞬がっかりしたが、青はすぐに戻ってい来るといい、結局、蒼汰は午後には青の部屋にいた。

 桃がいなくなったと思うと少しさみしく感じる青の部屋。きっと、青は自分以上なんだろうな。蒼汰はそう思うと、いつもより余計に明るく取り繕ってしまった。

 正月からどうしようもない事にしんみりしてもしょうがない。

「なんで正月ってろくな番組せぇへんねんやろうな? テレビ局もさぼってんのか?」

「いや、セットはそれなりなんじゃないのか?」

「こんなん、去年の使い回しでもわかれへんやん。ってか、毎年毎年、飽きもせんと……こんなんやったら、映画の一本でも流したらええねん」

「そういう人間にはレンタルショップをお勧めするだろうな。テレビ局は」

「青はテレビ局の味方なんか?」

「春から広告代理店で働くからな。どちらかといえば得意先になるテレビよりだ」

 たわいもない会話だけど、打てば響くようなやり取りはやっぱり楽しい。

 青は話しながらも手際よく料理を盛り付け、蒼汰の待つ居間のテーブルに大皿を置いた。

「青の料理はすごいなぁ」

 いつもながらの青の料理の腕に感嘆のため息をもらす。お節料理をアレンジしたものが中心なのだが、どれもひと手間くわえてあって、ここまで来たら、青は料理人というよりオカンに近い。

「まぁ、あるもんと実家からくすねて来た物の組み合わせだけどな」

 青はいつものように肩をすくめ、日本酒を口に付けた。

 蒼汰も同じように酒を口につけながら、ふと気がついた。

「なぁ、何か、主食なくないか?」

「米でも炊くか?」

 青も今気がついたらしい。いつもそつない彼には珍しいミスだ。

「ええよ。もう座り。ピザ頼んだらええやん。タウンページは?」

 やっぱり、どこか気はそぞろなのかもしれない。そう思って蒼汰は立ちあがりかける青を引きとめると、もう勝手知ったる青の家の電話台の引き出しを開けた。

「あれ?」

 そこにあるタウンページの上に小さなアルバムを見つけた。

 出したものはすぐしまう青だ。あちこちにアルバムを置くはずはないし、ましてやアルバムは本棚でこんな電話代の中にしまうはずがない。

 良く見ると、表紙に付箋が貼ってあり、そこには桃の字が並んでいた。

「どうかしたか?」

 青の声に蒼汰はそのアルバムを手に振り返った。

「これ、お前にちゃう?」

 受け取る青の表情が固まる。その顔に、蒼汰の勘が嫌な予感を告げた。

「え、お前達……」

 うまくいっているんじゃなかったのか? だから、遠距離恋愛でも大丈夫で、それで、桃が離れる決意をしたんじゃないのか?

 眉を寄せて戸惑う蒼汰をよそに、青は黙ってそのアルバムをそっと開いた。

 それは青の写真ばかりが収められたアルバムだった。どの写真にも青を見つめる桃の気持ちが込められていて、蒼汰は言葉を無くした。

「桃ちゃん」

 ひらりと一枚の手紙が落ちた。

 青はそれを拾い、じっとそれに目を落としていた。蒼汰は置かれたアルバムを手にとり、言いようもなく胸が締め付けられた。

 桃は、どんな想いで旅立ちを決め、どんなおもいでこのアルバムを作り、どんな想いでここを出て行ったのだろう。こんなに、こんなに、青が好きだったのに……。

「桃ちゃん、ほんまにお前が好きやったんやな」

 思わず零れた蒼汰の言葉に、青は痛みをこらえるように唇を噛みしめていた。

 青は今までに見たこともないような悲痛な顔でその手紙を握りしめていた。固く閉じられた眼は細かく震え、泣くのを堪えているのだとすぐにわかった。そして同時に、彼らが別れを選んだのだという事も。

 蒼汰は青の指にまだはめられたままの指輪に目をやった。

「俺、お前達がまだ指輪してるから、遠距離になっても続くんやと思ってた」

 青は言われて初めて気がついたようだった。静かに目を開けると、じっとその二人が寄り添っていた証を見つめる。

 まだ、終わっていないのだ。青の中では、桃の事が終われていないのだ。

 直感でそう感じた。

「ええんか? このままで」

 蒼汰は思わず問いかけていた。青は蒼汰の言葉に、まだ指輪をはずしたくないとでも言うように拳を握りしめる。そのくせ、口をついて出た言葉は真逆だ。

「もう、決めた事なんだ」

 その自分自身に言い聞かせるような声は、涙を堪えているためか酷くしゃがれていた。

 蒼汰は煮え切らない青の態度に腹が立ってくる。

「ちゃんと、お別れはしたんか?」

 指輪を外せないのは未練のある証拠だ。こんなのでいいのか? 割り切れない思いは口調をきつくした。

 腹が立ったのはもしかしたら、一途に走り続けていた桃をかつての自分に重ねてしまっているからかもしれない。

 桃を見て、自分も頑張れた。自分の恋がうまくいかなくなっても、桃の恋がうまく行って、どこか救われた気もしていた。そう、きっとどこかで信じたかったんだ。必死に願い、諦めずに努力すれば、想いは報われるのだと。

 彼らの間に何があったかは知らない。どうしてそんな結末に及んだのかわからない。それでも、終わらせるにしても、あの桃の想いが報われないと嫌だった。

 桃の青を見つめる笑顔が脳裏に蘇り、胸を締めあげる。

「青! 桃ちゃんはこんなにお前を想ってくれててんで。もし、終わらすにしても、ちゃんとせいや!」

「ちゃんとって……もう、桃は」

 青は手紙を握ったままうつむく。

「アホが」

 蒼汰はもどかしさに思わず吐き捨てると、勝手に青のパソコンを立ち上げた。

 あんな真っ直ぐな想い、報われないと嘘だ。


桃の寂しそうな笑顔

桃の一生懸命な顔

桃の青の事を話すときの楽しそうな顔


 それらが、こんないい加減に扱われるのは我慢できなかった。

 結末は二人が決めればいい。でも、こんな、指輪も離せないような中途半端は絶対良くない!

「四日の関空って言ってたやんな。明日の朝か。まだ間に合うで」

 蒼汰は忙しく指をキーボードに躍らせると、関西空港の国際便の時刻を調べ上げた。

「え?」

 言っている意味が分かっていない様子の青に蒼汰はじれったくなり、彼の肩を強く握る。

「こんな所で、逃げててもしゃあないやろ! 青は、桃ちゃんの事が大切とちゃうんか?」

 一音一音、ハッキリとぶつけるように言い放った。

 お願いだから、逃げないでくれ。ちゃんとあの小さくも勇気を振り絞って精一杯、青に恋した彼女の気持ちにちゃんと向きあってくれ。

 祈るような気持ちで、力ない青の体を揺さぶる。

「男なら、こんなにまで尽くしてくれた女に最後ぐらいばしっと答えたれや!」

「でも、俺は……」

 青は目を伏せ押し黙る。

 何を迷っているのかわからなかった。わかるのは唯一つ。桃の想いにこたえられるのは世界中で青だけだってことだ。

「あ〜! じれったいな! 桃ちゃんが好きなのはお前しかおれへんやろ! ちゃんと、彼女が前を向いて行けるように見送ったり!」

 青はもう一度手紙に目を落とした。しばらくの沈黙。青は手紙から顔を上げると、ぽつりと呟いた。

「まだ感謝を伝えてなかった」

 途端に、その眼に光が宿りだす。

 青の中に、何かの答えが出たのだとわかった。

「蒼汰、すまない。留守を頼む」

 青は口早にそう言うと車の鍵を手に立ちあがる。

 ようやく、決心がついたのだな。

 蒼汰は嬉しくなって思わず笑みを零した。

「あぁ、行ってこい」

 その声に、もう青は振り返らなかった。

 飛び出していく親友の背中を頼もしく見送りながら、蒼汰はこの不器用で素直じゃない親友と一途な恋心を通したもう一人の親友の恋が、どんな形であれ彼らなりのハッピーエンドを迎えられることを心から祈った。


 この町に戻ってくるのを一日早めたのは、蒼汰に会いたいからだった。

 毎日声を聞くにつれ、クリスマスのあの夜の手のぬくもりを思い出し、彼に会いたい気持ちが募り我慢できなくなったのだ。

 なのにどうして……。

 蒼汰から青の家で留守番をしていると聞かされ駆け付けた藍は、隣で青のアルバムをめくる彼の横顔をそっと見つめた。

 昨夜、一日早く帰る事を告げようと蒼汰に電話した。

 その時に聞かされた言葉が、自分の心の色を塗り替えた。


−青と桃が別れた


 すぐには信じられない言葉に、後頭部を強く殴られたような衝撃を受けた。『青は桃の彼氏』それは太陽が東から昇るように不変のものでないといけなかった。それが……崩れる? 自分の中で錆びついていた心の歯車が醜い音を軋ませ動き始めたのを感じた。その音はいつも感じていた痛みの正体だ。でも、それが何なのか今を持っても判然としなかった。させたくなかった。確かなのは何かが動きだした。それだけだ。

 そして、それは蒼汰にあんなに会いたいと思っていた気持ちをどこかに追いやり、あんなに輝いていた世界をくすませていた。

 蒼汰の手のアルバムに目を落とす。

 やっぱりどこか惹かれる風景写真に、藍は溜息をついた。

 二人はもう会ったのだろうか? どんな話をしたのだろうか? 一体どんな結末を選ぶのだろうか?

 錆びた歯車は今まで以上の痛みを生み出す。

「青くん、会えたかな?」

「たぶんな」

 蒼汰と二人で待つ青と桃がいた部屋。妙な感じがした。二人だけの時間をここで彼らは重ねてきたのだ。そう思うと一層痛みは強くなり、逃げ出したくなる。

 ぎゅっと蒼汰の腕をしがみつく様に握りしめた。

「大丈夫」

 優しい声がして、二人の心配をしていると勘違いしている蒼汰が頭を撫でてくれた。藍は曖昧に笑いながら、甘えるように蒼汰の肩に額を寄せた。

 こんなにずるい自分が嫌になった。


 青が戻ってきたのはその日の午後だった。

 よほど疲れたらしく、二三言言葉を交わすと、玄関に突っ伏して眠ってしまった。蒼汰はそんな親友の寝顔を誇らしげに見つめると、青をしばらく寝かせようと藍を振り返ったのだった。


 豪勢な鍋料理で青を驚かせようと蒼汰が杖を手に出て行ってしまった部屋は、怖いほどに静かだった。

 布団の上に蒼汰と寝かせた青は、時々その胸の上下を確認しないと死んでいるんじゃないかと不安になるほど深く眠っていた。

 自分の鼓動が、時計の刻む音に重なりそして追い越す。

 眼鏡を外したその顔は、今、何の夢をみているのだろう?

「桃ちゃんの夢?」

 零した声は自分のものではないような気がした。

 とたんに居心地が悪くなり、藍は波立つ気持ちを誤魔化すように立ち上る。かといってどこに行けるわけでもない。結局、やる事を探して台所に向かった。

 何かしていないと落ち着かない。

 流し台に置いたままの蒼汰と使ったグラスを洗う。

 冷たい水がさすように痛かった。それはまるで、何かに戸惑い動揺する自分の気持ちを責めているかのようだった。

 ふと、何かが動く気配がする。

「あ、おはよ」

 振り返ると、青が眼鏡に手を伸ばしているところだった。その姿にドキリとし思わず目をそらしそうになる。彼はそんな事に気が付く様子もなく、身を起こすと時計を確認しながら尋ねてきた。

「蒼汰は?」

「ん、蒼次郎が心配だから一度帰るって」

 青が起きたらそういう嘘をついといて、と蒼汰に言われたままの言葉を口にする。青はそれで納得した様子でそれ以上は何も聞かなかった。

 沈黙が怖かった。沈黙は、鼓動の高鳴りを意識させるから。

「昨日の夜ね、たまたま蒼汰くんに電話したら、青くんの事聞いて、ビックリした」

 藍はその沈黙を蹴散らすようにここに自分がいる言い訳を早口でまくし立てた。

 手持無沙汰の空間を埋めるように甘めの珈琲を用意する。

 青がいつもブラックしか飲まないのは知っていたが、疲れている時は甘いものを取った方がいいと思ったのだ。

 藍は自分の分の珈琲も入れると、テーブルにカップを二つ並べた。

 青は眼鏡をかけると、いつもの顔に戻り布団から出て座る。仕草一つ一つに胸の軋んだ歯車が悲鳴をあげていた。

「桃ちゃんには会えた?」

 そんな自分が嫌で、藍は友人の仮面を作り上げ、心を鎮めるようにカップを口に付けた。

 穏やかな空間にコーヒーの香りが舞う。

「あぁ」

 頷く青の声に、今迄にない深い落ち着いた色が浮かんでいた。

 桃とちゃんと向きあったのだとわかった。二人はきっと気持ちを重ね合わせ、二人で答えをだしたのだろう。そう思うと、さらに悲鳴は大きくなり、藍にはもう微笑むしか選択肢は残されていなかった。

「良かったね」

 青は桃の彼氏。じゃ……もう、ない。

 それでも、やっぱり自分は桃の友達であり

「無事に帰ってきて、本当に良かった。心配したんだよ?!」

 青の友達だ。

「お帰り。青くん」

 藍は歯車を止め、軋む痛みを消そうと自分に言い聞かせた。

 このままでいいのだ。このままで。蒼汰とだって、うまく行き始めている。クリスマスの夜つないだ手に、胸を弾ませたのは本当だ。皆が笑っているのが良いに決まっている。誰も裏切りたくない。誰も失いたくない。だから、このままで……。

 藍はようやく落ち着き始めた鼓動に、どこか安心しながら顔を上げた。

 青の、まるで夜明けの空の様な深く優しい瞳と目があった。青は穏やかに微笑み、藍をじっと見つめる。

 そして、まるで空耳の様な声でそっと静寂に言葉を置いた。


「好きだよ」


「え」

 止まりかけていた歯車が再び軋み始める音を、藍は信じられない思いで聞いた。

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