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Apollo  作者: ゆいまる
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終幕の始まり 6

 今年のクリスマスの夜空は、どこか神聖な気がした。それは冴えわたった澄んだ星空のせいなのか、この静寂のせいなのかそれとも……。

 三宮教授に呼ばれて参加した、岡本家での桃の壮行会を兼ねたクリスマスパーティーの帰り道。藍は蒼汰の車いすを押して住宅街を歩きながらそんな事を考えていた。

 楽しそうに話す蒼汰の背中を見つめる。白く消えゆく二人の吐息が、煌めく夜空に上り重なって消えるのを少しこそばく感じた。

「それにしても桃ちゃん、すごいよね」

 藍も留学の事を聞かされたのは、つい最近の事だった。蒼汰はその藍の言葉に頷くと、少し複雑そうな顔をする。退院の日の青の事を思い出したのだ。

 青も桃から何にも知らされていないようだった。蒼汰には、どうして桃が彼氏の青にも、親友の藍にも何にも相談せず、何にも言わずにいたのかわからなかった。今日の二人の様子だと、青とはちゃんと話し合ってはいるようだったから、少しは安心したのだが……。

 蒼汰は今夜一番輝いていた桃の笑顔を思い出す。

「せやな。世界か……。桃ちゃんにはいつも驚かされてばっかりや。それに、勇気ももらってる」

 そう、桃の諦めない姿、青の隣を射止めた強さ。それはいつもうまく行かない自分の励みになった。

 青は、そんな彼女の本当の強さと弱さををちゃんと見抜いているんだろうか?

「そうだよね。私も」

 相槌を打つ藍を蒼汰は見上げた。

 車いすから見えるこの角度の彼女の見慣れたその顔は、自分だけのベストショットだ。青と桃への心配は尽きないが、今夜は素直にこの横顔に見とれていたい気もした。

 夜の住宅街は静かだ。それでも退屈しないのは、各家が灯すクリスマスイルミネーションのおかげだろう。

 藍と蒼汰はその光の展示会を眺めながら、帰りを惜しむようにゆっくり歩いた。優しい光の中、二人の時間は穏やかで自然に笑みがこぼれる。

 どこからか、子ども達の笑い声とクリスマスソングが聞こえてきた。

「桃ちゃん、羨ましいなぁ」

 藍はぽつりと呟いた。藍は藍で、二人の事を考えていた。

 今日も光っていた二人のペアリング。彼らは確かに繋がっているのだと思った。だから、お互いの道を選べたのだ。そう、思った。

 青は本当に桃の彼なんだ。そう今更ながらに痛感すると、文字通り痛みは感じたが、それにしっくり来る説明はつけられない。もし、無理やりにでも説明するなら、それはきっと、自分にないモノを桃が手に入れたことへの妬みなのだろう。

 青は桃の彼氏。桃は自分の親友。そして、二人はうまく行っている。

 何度も確認してきた事実。何度も確認してきた自分の立場。あるべき感情。あってはいけない想い。世界は危うい線の上を、バランスをなんとか取りながら保っている。何かが揺らいだら、たちまち奈落の底に落ちて、もうきっと戻ってこれない。だから、こんな痛みの存在は否定しないといけないのだ。

 小さな小さな溜息は、白い塊となって聖夜の星空にかき消えた。藍はスッキリしない気持ちから目をそらすように、目の前の背中を見つめ直した。

 最近、彼の傍にいる事は自然と感じるようになってきている。むしろ一人の時間や、どうしても会いに行けない日はまるで調子が狂う。彼のいない生活の方がどこか不安定で不自然、こうやって一緒にいる方が落ち付けた。蒼汰はどう思っているのだろう? 自分達は今なんという関係なのだろう?

「藍ちゃんは、桃ちゃんのどこが羨ましいの?」

 イリュミネーションの柔らかい光に照らされた蒼汰の横顔は、口調こそ軽かったがその問い自体に意味を含ませていた。藍は少し緊張し、言葉を選ぶ。

「ん……好きな人と繋がってるって言うか、信頼しあえてるって言うか。そんなところかな?」

 少し違う? 自分の口の下手さに苦笑しながら、藍は蒼汰の横顔に答えた。

 蒼汰はしばらく黙ると「ちょっと止めて」と急にそう言った。

「?」

 言われるままに車いすを止める。

 すると蒼汰は、すっかり操作に慣れた手つきで車いすごとくるりと藍を振り返った。

「藍ちゃん。これ」

 そして、ポケットから何かを取り出した。

 小さな小さな包み。

「え」

「クリスマスプレゼント。あんまり時間も行ける店もなかったから、こんなんで申し訳ないけど……」

 藍は自分の掌にそれを載せると、予想していなかったことに目を何度も瞬かせた。

 周囲のイルミネーションより優しく、クリスマスの街明かりより暖かい何かが、胸の中に広がっていく。

「開けてもいい?」

「どうぞ」

 藍はそっとその包みを開けた。

 その中に煌めくのは細い銀色の鎖のブレスレット。

「いつも支えてくれてる手に、感謝しようと思ってな」

 照れているのか、蒼汰ははにかみながら前髪をかき回していた。

 こみ上げる想いは、喉を詰まらせ、藍はそっとその頼りなくもこの夜空の星明かりを宿らせたようなブレスレットを自分の腕に付けた。嬉しくて、嬉しくて、言葉にならない。

 胸の前でそれを包むように他方の手で握ると、溢れる想いを抱えきれずに溜息をついた。

 自分達にはあのペアリングの様な繋がりはまだないのかもしれない。でも……。

「嬉しい。ありがとう」

 ようやく出た言葉は何の飾り気もなかった。

 それでも蒼汰の笑みは優しく藍に降り注がれる。

「そら、嬉しいです。こちらこそ、いつもありがとう」

「蒼汰くん」

「行こうか。寒いし」

「うん」

 再び藍が蒼汰の車いすを押し始める。

 二人で行く聖夜の夜道は明るく、優しく、全てが眩かった。


 クリスマスの次の日から藍は実家に帰る事になっていた。

 結局、あのままどちらも何となく離れるのが嫌で、藍は蒼汰の家に泊まっていた。といっても、何か仲に進展があったわけじゃない。遅くまで、蒼汰のうちにある映画のDVDを観て、お酒を飲んで、話して、ただそれだけだ。

 蒼汰は「良いお年を」と朝に帰っていく藍を見送りながら、少しもったいなかったかな? なんて思わなくはなかったが、それでも昨夜ほとんどずっと繋いでいた手を見ると、今はこれくらいがちょうどいい気もした。

 桃の出発の日が迫っているのも気になっていたが、時々様子を見に来てくれる二人の様子を観ていると、自分が下手に入るより二人だけの時間を大切にしてやる方がいいのだろうなと思った。

 これから、桃と青は簡単には会えなくなるのだ。自分が彼らの立場なら、一分一秒もおしいと思うだろう。それに、不思議と二人の間の空気が、以前よりぐっと落着き穏やかな感じがした。藍が言うように、本当にこの二人の間には距離を超える絆ができているのかもしれないな、と思った。

 そういうわけで、年末はとても暇だった。

 もうギプスも取れ、松葉杖も随分必要としなくなったとはいえ、帰省ラッシュにもまれてまで実家に帰る自信はなかったし、結局、寂しく年越しをした。

 カレンダーの日付が変わる。

 去年と違った年越しに、寂しさはあったが、それはこの場所を離れて行くそれに似ていた。

 もう、ここにはいられない。楽しかった思い出、切なくて苦しかった記憶、いつも何かに必死になれた時間。それは、もう過去にしていかないといけない。

 新しいカレンダーには、この間王子から貰った研修スケジュールも書き込んであった。

 三月から京都で研修が始まる。

「ここも、引き払う準備始めるか」

 ぐるりと見回す、四年間住んだ汚い自分の部屋。クーラーもない。暖房は炬燵と電気ストーブだけ六畳一間所狭しと積んだ映画の資料や雑誌やDVD。空っぽになった蒼次のいたゲージ……。

 旅立ちの準備をゆっくり始めるにはいい時期かもしれない。

 蒼汰は一息つくと、正月番組が騒がしくはしゃぐテレビを消して、片づけを始めた。

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