魔神、山賊に襲われる
いつの間にか追いついたのだろうか。
一瞬だけ村かと思った。
山道を曲がったところで、景色になかったものが見えたのだから。
先ほど通った馬車が停まっている。
こちらを向いているのも気になるが。
休憩でも取っているのだろうか。
道でも尋ねてみるか。
そのままの足で歩いていく。
もしかしたら同乗させて……いや、あの騒がしい女と一緒だとしんどそうだ。
さぞかし連れも大変だろう。
つながれた馬だけがじたばたとしている。
妙に静かだ。
御者台、幌の中……。
異変に気づいた。
――縛られている。
「おいおい、おいおい……!」
歩を速め、走った。
「おいおいおい!」
それしか言えないのかと自分で思うほど混乱している。
縄を――結び目が固い。おまけに粗い縄だ。
繊維はもろいが、それが余計にほどくことを難しくしている。
どこに売ってるんだ、こんな粗末な縄が。
御者とフードの女が二人、震えて怯えている。
そして少女。
口に布をかまされ、全身でもがいている。
こんな状態でも騒がしい。
こっちからほどくか。
「ぷはっ……うしろっ!」
「うん?」
影が覆う。
――ひとを襲う人間というのは、こうも恐ろしい顔なのか。
無表情でいて、怒りか、力を込めている。
それが、こん棒というのか、振り下ろそうとしている。
ご丁寧にも先端は石で殺傷力を高めてある。
痛そうだ。痛いで済めばいいが。
木や石は、この山で採れたものだろうか。
なら材料には事欠かない。
その辺に、そう、ちょうどあそこにも転がっている。
この山には、岩のように男たちも転がっているのだろうか。
岩陰や茂みから、泥くさそうな男たち半分ほど身を出している。
まさに今、姿を現す瞬間だ。
「ひょっとして、隠れていたのか?」
ああ、こいつらが馬車を襲ったんだな。
すると、山賊とでもいえばいいのか。
「時代錯誤もいいところだ……」
まあ、馬車が走っているくらいなんだが。
目を戻すと幌の中で縛られた一行。
近くで見ると、小ぶりだがしっかりした馬車だ。
二頭の馬に、御者台、車輪が組まれて椅子台が乗る。
いちいちに付けられた金属の輪っかは飾りだろうか。
椅子台には荷物が積まれ、対面して座席がある。
そして座席に押し込まれている少女たち。
少女は動いていないのに騒がしそうな表情だ。
「そりゃ口を塞がれるわけだ……」
……動いていない。
動いていないのだ。
あの時と同じだ。
トレーラーに轢かれる瞬間。
時間が止まったように感じた。
確かに生命の危機だが、あれは感覚だけのはずだ。
今はちがう。
今は、体が動く。
いま、避けているのだ。
こん棒の男から離れる。
水中にいるような感覚がする。
動く先の空気が、粘るように抗っている。
牛の舌になめられた感じを思い出した。
意識と身体と周りの時間がちぐはぐだ。
すべてがゆっくりと動く。
それでも時間はまだ進んでいない。
このまま時間が戻ったら、こん棒は振り下ろされるだろう。
空振り……ではない。
俺がいなくなって、馬車の少女に当たる。
ずいぶんと痛そうだ。
叫んだまま、少女の時間が切り取られている。
ともすれば絵画のような光景だ。
「動画編集かよ……」
ゆっくりと男に近づく。
急に、動き出さないよな?
押したら、どうなるんだろう。
やはり水中のように、いやもっと重い粘りが返ってくる。
足元を強く踏み、反動に耐える。
こん棒を振り上げたままの男は、押されていく。
慣性は働くのか、手を止めると男は滑っていく。
これもゆっくりとだ。
実にシュールな眺めだ。
しかしこれで、こん棒は空振りに終わるだろう。
「さて……」
時間を止められたのだ。
元に戻すこともできる。できなければ困る。
空気が重いのだ。いつまでも動いていられない。
呼吸だって重いのだ――。
男が吹き飛んだ。
低木の茂みを突き抜け、岩に背中を打つ。
その岩陰から、にやにやと男たちが現れる。
「……うん? おめえ、なにやってんだ?」
ひと呼吸して、吹き飛ばされた仲間に首をかしげた。
「避け……避けられたのね、わかんないけど。ねえ、これもほどいてよ! きついのよ!」
少女がぎゃあぎゃあと騒いでいる。
口は塞いでやろうかと思いながら縄をほどいていく。
やはり時間を止められた、のか?
魔法のように、異能力のように。
「早く!」
「今やってるだろ……」
それって、無敵じゃないのか?
山賊たちが近づいてくる。
それぞれが物騒なもの――こん棒だとか弓矢とかだ、手に持っている。
「待て、こんなにいたのか」
見渡してみると、こちらを取り囲むほど隠れていた。
ぞろぞろと武器を見せつけてくる。
「急いで!」
「わかってる」
しかし、待てよ……。
また時間を止めて、どうする。
ひとりひとり殴りつけていくか? この人数を。
武器を奪って、殴打してまわって、縄で縛るか?
どれくらいの時間――時間は止まっているわけだが、なかなかの手間が要りそうだ。
いっそ逃げようか……。
吹き飛んだ男が起き上がった。
「な、なにしやがった……? ああ、中親分、あいつがさっき山に入ってきた、怪しいやつですぜ!」
「おう、確かに怪しいな」
中親分。
すると大もいるのか? どうでもいいことだが。
「……もういいだろ。あとは自力でほどけ」
「ちょっと! 助けるなら最後まで助けなさいよ!」
後ろからぎゃあぎゃあとうるさい。
こほんと咳払いをして息を吸う。
「あー。君たち。怪しいとは失礼だな。俺はただの手ぶらの登山客だぞ? 怪しいといえば、そちらのほうこそ怪しいじゃないか? あー、まあ、手ぶらの登山客であるということは怪しいが、ではこれが散歩だと考えてみてほしい。手ぶらであることが怪しいだろうか。いや、俺はそう思わない」
手を後ろにやる。
インベントリーを開いて……なにか、武器はないか。
「ごはん粒を残すなって習わなかったのかしら! きちんと責任とりなさいよ! 縛られたら痛いんだからね!」
少女がうるさい。
ごはんだ。
ちがう、強い武器だ。
想像力を働かせろ。
伝説の剣、レーザー銃、八十四ミリ無反動砲……。
いやいや、どれも実際に見たことがない。
細部までイメージができないものは取り出せないのだ。
「なにを言ってるかわからねえが、手ぶらなら金目のものはなさそうだな」
山賊がじりじりと迫り寄る。
「いやいや。あー、レーションメイドはあるぞ? 知ってるか? 知ってるよな。待て、ちょっと待て。すぐに見せてやろう」
……本当に取り出してどうする。
「途中でやめないでよお……! 手首も足首も痛いよお……」
小うるさい後ろのせいで集中できない。
「おめえら、うるせえぞ! 連れ帰ろうと思ったが、ここで黙らせてやろうか!」
山賊が、来る。
時間を止めてまた吹き飛ばすか。
なかなかの巨漢だが、押して動くだろうか。
「よしっ! ……どいて!」
反射的に身をひねった。
「あ、どかなくてもいいわ」
「どっちだよ!」
少女が腕を解いたようだ。
足は縛られたままだが。
衣服の下から棒を取り出す。
短い杖、だ。
先端に石が、その周りを宝石が囲う。
宝石のひとつが光る。
まさか……魔法――?
「ゲリロッ! 音のスタイッ! 漣の民、吹き荒び。獣王の咆哮、彷徨う鼓動。ヘイヨー、ヨー、ヨー、エブリバ。汝に命じ、瞳閉じ。哀れな子牛に我行使! ……デスハウリング!」
「ラップかよ!」
耳鳴りがした。
ギザギザの鋸同士が擦れ合うような音だ。
金属がせめぎ合い、切り重なり、しのぎを削る。
山賊たちはみな、ひざをつく。
苦悶の表情で耳を押さえる。
もがき、苦しみ、絶叫している。
こちらは少しの耳鳴りなのだが。
少女を中心に――その杖をかもしれない、環状に音が走っているのか。
脂汗を浮かべ、身をねじって抗う。
音波だとしたら避けられない。
耳鳴りが止んだ。
解放された山賊たちは、ぐったりと崩れ込む。
馬車や山賊なら、まだわかる。
まさか魔法まであるとは。
本当に、ファンタジーの世界じゃないか。
「……すごいな」
まあ、俺も物を生み出したり時間を止めたりしている。
そう考えてみたら、そこまで驚くことでもないか。
少女は腰に手を当てて、得意げに言う。
「ふふん、まあ、こんなもんよ。もっとほめてもいいわよ?」
「いや、お前じゃなくて。この世界が、すごいなって」
聞いていないのか、馬車の上から一歩を踏み出した。
「さあ、とどめを刺してあげ――」
顔面から落ちる。
足を縛られていることを忘れたのか……。
杖が転がり、顔面を押さえて泣き出す始末だ。
「てめえ……キャスターだったのか……」
中親分、と呼ばれた男が起き上がった。
ふらついてはいるが足取りは頑丈そうだ。
ぎょろりとにらむ。
「やはり最初に片付けるべきだったぜ。連れ帰ろうとしたのが間違いだった。俺はな、欲を張りすぎちゃいけねえって習った男だ」
「なによ偉そうに! わたしを誰だと思ってるの! 教会がだまっちゃいないわ! 聖天使様の罰を受けなさい!」
「うるせえ! 教会がなんだ。ここはお前の墓場だよ!」
偉そうなのも、うるさいのも、どっちもどっちだ。
とりあえず時間を止めておこう。
――山賊は意外と素早かった。
あと少し遅ければ、拳が振り切られていた。
そして、近くに見るとなおさら巨漢だ。
押しても動かない。
なにかないのか。
武器だ、兵器でもいい。
イメージのヒントはないのか。
トレーラーに轢かれて、墓場から出て、吐瀉物を見つけて……。
ああ、ダメだ、ろくなことがない。
いや……。
墓場――。