魔神、救世主になる
サモン・スキュラは消えていく。
山に溜まる靄のように沈んでいく。
いや、靄になったのだ。
砂のように、土のように、山の一部に消えていく。
ハッチを開けた。
操縦席に立ち、新しい空気を吸い込む。
そして吐き出す。
さらさらとした髪を、ぽんぽんとなでた。
そのメナは、きらきらと瞳を輝かせている。
苦しいくらいに、ぎゅっと抱きしめてくる。
「旦那さま、すごく、すごく、かっこいいです!」
「メナ、お前は健全に育ってくれ……決して、自分は片翼を失い鎖に縛られた暗黒の堕天使だとか、腕に包帯、片目に眼帯、竜の血を継ぎし半竜悪魔だとか、考えるんじゃないぞ……」
「よくわかりませんけど、はい! 旦那さま! 旦那さま? 旦那――」
「――さま。旦那さま」
メナだ。
がらがらと聞こえる。
それがどこか心地よくもある。
がたんと跳ねた。
そしてまた、進んでいく。
「ああ、馬車か。なぜ馬車に乗っているんだ」
「先生、おはようございます。ただいまコートベルに向かっています。今は……コートベル第四街道の中ほどですね」
どこかで聞いたセリフだが。
甘ったるい声がささやくように告げる。
「……そのあとで王都へ向かうと思われます。状況次第では、本教会が先になるかもしれませんが」
「……王都……」
ばっと飛び起きた。
ふらふらと頭が沈む。
幌のすき間からの日差しがまぶしい。
草原のにおいが迷い込んでくる。
傍らにはベルーシカが倒れている。
揺れる馬車に目が死んでいる。
「一頭……足りないから……」
「うん?」
「一頭、足りないの……」
「寝言か?」
起きているが。
死んだ魚がうなっている。
「馬を一頭、先に走らせたので……早馬ですね。それで馬が足りないので、揺れるのだと言っていると思います」
パーシアンナが水を与えながら言う。
「つまり、寝言か。……ところで、いま何時だ?」
「なんじ……?」
白衣が首をかしげた。
「いや……俺が眠ったあと、どうなったんだ?」
「いつものだね!」
ミシァの頭突きが飛んできた。
そして、しっぽが鼻に入ってくる。
「そうしないとしゃべれないのか、お前は……」
「聞いて! 魔神の魔神! 登れたよ!」
「登った……W.W.に、またか。登るなよ、また落ちるぞ?」
「先生、ミシァさんが登って、先生とメナちゃんを降ろしたんですよ?」
「うん? ……ああ、そうか。操縦席で眠ったんだったな。あそこまでよく登れたもんだ」
ミシァの頭をなでる。
くすぐったそうに目を閉じた。
メナもおそるおそる頭を出してきた。
ついでになでると、くしゃりと笑った。
「……で、肝心の、その後なんだが。添い寝をしたとか、暴動を起こしたとか、そういうのはいらん。サモン・スキュラはどうなった? 王国軍は?」
ぶつぶつとベルーシカがうなる。
「あんたは救世主らしいわ……」
「お前、生きてたのか……」
「はあ? 生きてるわよ!」
ベルーシカが立ち上がる。
ふらりと倒れ込んだ。
また干からびた魚に戻る。
口をぱくぱくと動かす。
「……異端の虚体をやっつけて……王国軍もひれ伏してたわ……わたしたちにね……」
「そうか……」
とりあえず、その王国軍に捕まっていないのだ。
作戦は成功といえるだろう。
「その本体……首領の召喚師は? 捕まえたか?」
パーシアンナがまた水を与えながら言う。
「ええ、王国軍が。私たちは処分保留、と。ずいぶん遠くから告げられました。直接、話ができたのは例の隊長だけでしたが。王国へは、大罪人を討った救世主と報告する、とのことです」
「そうか、うまくいったのか……」
ほっと胸をなでおろす。
安堵の汗が出てきた。
顔を手のひらで拭う。
「……うん? なんか顔がぱりぱりするんだが……」
「差し出がましいとも考えたのですが……」
パーシアンナが胸に手を当てる。
「魔神様は暗黒の深海で瞑想中、と例の隊長に告げましたところ……」
「……まあ、いいか。ただの爆睡中だと完全に無防備だからな。王国軍としては、とっ捕まえるチャンスなわけだ」
「そのように見えるよう、先生のお顔に、禍々しく怖ろしい紋様を描かせていただきました」
「……鏡をくれ」
「うちの家に着いたらあるけどね!」
ミシァが指をさして笑ってくる。
なにを描いてあるんだ……。
馬車にも、がらがらと笑われている。
「……しかしまさか、魔神の国家転覆から救世主になるとは」
「あんたが救世主なわけがないじゃない……」
「俺はお前が聖女なわけがないと思うが」
死にかけた魚を見やり、幌をめくってみた。
はるか遠くまで草原が続いている。
ここに、最初に来たのだ。
「この馬車は? 教会の布教馬車か?」
前に見た教会のものとは作りが異なり、広い平台を引いている。
人よりも荷を運ぶのに向いているんじゃないだろうか。
円環の飾りは……ついていない。
代わりに、コートベル領爵の紋章を布に見つけた。
「コートベル卿の計らいです。ミシァさんのために村へ物資を運んで来まして。その帰りに便乗、というわけです」
「うーん……ミシァのためには物資を送るんだな……。ああ、その物資は?」
パーシアンナに尋ねる。
物資、というほどの荷物は乗っていない。
しっぽが平台を叩きながら言う。
「うちはいらないって言ったけど、せっかくだし村に置いて来たよ。置いて来たけど……」
「なんだ」
指をするりと、パーシアンナが答える。
「村人で取り合いになりまして。暴動が起きたのですが……お聞きになります?」
「いや、いい……聞きたくない……」
「村を焼きそうになったよね!」
「頼むから……おとなしくしててくれ……」




