魔神、道に迷う
「素直に大通りを歩けばよかったな……」
メナに聞こえないように弱くつぶやく。
ひとの足が少なくなっていく。
そして静かでもある。
好奇心が働いたというのか。
大通りから横道へ入ってしまい、しばらくのところだった。
道は折れる都度に狭くなっていく。
そして生活風景が濃くなっていく。
建物を渡すロープに洗濯物が干されてあったり、たまに子供が駆けていたりだ。
まあ、街の暮らしを見たかったというのもあるが……。
メナの手前、迷ったとも言い出しづらい。
「旦那さま! いろいろなものが見れて、ボクは目が回りそうです」
「うむ。よく見ておくんだ。街の暮らしぶりを知るのは大切だからな」
俺がなにか言うたびに、メナはまぶしそうな表情を向けてくる。
憧れるようにきらきらとしたまなざしだ。
それがまた、道を戻れなくしているのだが。
「こんな高い建物なんて、どうやって建っているんでしょう……」
メナは空を仰ぐ。
石積みのしっかりとした建物だ。
ただ、高層といえば嘘になる。
村から出たことのなかった少年にとっては、これも珍しいのだろう。
しかしだ。
長々と歩きまわっている余裕はない。
おそらく今日も、昼ごろには眠気がやってくる。
そして目覚めたときには丸一日が経っている、という具合だ。
たくさん睡眠がとれる、というだけなら理想的だ。
誰しもがそう思ったことがあるだろう。
しかし現実にはどうだ。
活動できる時間が短い。
つまり俺の行動には時間制限がある。
街中でいきなり眠りだしたらどうなるだろう。
メナを残して行き倒れと変わらない。
俺自身も、危ないといえば危ない。
街の治安はどうだろうか、それほど悪くも見えないが……。
考えていると、生活感の漂う通りが開けてきた。
「……川か」
上空から見たときに、街を流れていたものだ。
浅く広く、ゆったりと流れている。
ここを沿って進めば、人通りのある道に戻れるかもしれない。
穏やかな川音を鳥が小さく鳴いた。
その平穏をさえぎるように、騒々しい声が立つ。
「なんだとはなによ! わたしを誰だと思ってるの!」
この間の抜けた声……。
存在だけで騒がしい女。
「……ベルーシカじゃないか」
この世界で最初……草原で会った少女だ。
村へ行った帰りに、山賊に絡まれてすぐに街に向かったようだが。
あれから何日だ?
日付を頭でたどっていくと……五日経っているのか。
俺の感覚では、つい昨日やおとといくらいだが……。
川のほとり、体格のいい男たちがベルーシカを囲っている。
不穏な空気だ。
「うるせえ、黙ってろ!」
「時間がねえんだ、いい加減にしやがれ!」
男たちは荒々しくベルーシカに詰め寄る。
襲われて……いるのか?
すると、暴漢とでもいうべきだろうか。
山賊とい暴漢といい、よく絡まれる奴だ。
「メナ、ここで待ってろ」
大男が数人と少女だ。
見て見ぬ振りはできない。
時間を止めることができる、はずだ。
「離しなさい! 離し――」
ベルーシカが叫ぶ。
そのまま、周囲の音が消えた。
空気が重くまとわりつく。
全身が圧に包まれるような感覚に変わる。
暴漢は三人、ちょうど腕に掴みかかろうとする瞬間だ。
その男は半目、間の抜けた顔で止まっている。
時間が切り取られたように、写真の中を俺だけが動ける。
空気の抵抗を全身に受ける。
風のない向かい風。
水を泳ぐように足を踏み込んでいく。
走っているが、呼吸は深い。
空気そのものが重くなっているのだ。
すべてが止まっているのだから当然だ。
ベルーシカの手を引っ張る。
ゆっくりと肘がこちらに伸びた。
伸びたところで肩が、ようやく胴が傾き出す。
揺れた胸が倒れ込み、受け止める。
「意外と……」
そしてもたれかかる体重を感じていく。
停止した世界の中、においや体温はしっかりと感じる。
ああ、まどろっこしい。
ベルーシカの肩に手を添えて両足を抱き上げた。
その髪が、空気をくすぐるように広がっていく。
時間を停滞しているのがよくわかる、瞬間の光景だ。
「このまま向こうまで持っていくか」
メナが心配そうに見つめている。
潤んだ瞳、陽に透ける髪、祈るかのように組んだ細い指。
「待ってろ、少年」
暴漢の背中へ足を向ける。
蹴って押すと、やはり水中にいるかのようだ。
ぐにゃりと膝が沈み込み、反動が返ってくる。
暴漢はゆっくりと離れ、俺は空気を泳いでいる。
「おっと」
行き過ぎた。
解除――。
陽に透ける髪を風が攫う。
暴漢が川面へと吹き飛ぶ。
そして……。
「――なさいよっ!」
俺の目の前には、平手が飛んできた。
乾いた音にメナが振り返る。
「えっ?」
平手で叩いた本人も目を丸くしている。
……痛い。
ばしゃばしゃと音が戻った。
暴漢たちは取り乱している。
消えた少女と、川でもがく仲間。
ここを離れたほうがよさそうだ。




