魔神、また眠る
「あの、旦那さま……。村でなにをするんですか?」
膝の上に座るメナが尋ねる。
ここだけ切り取れば、穏やかな日だ。
森がそよいで川がせせらぐ。
それぞれに陽光が色彩を散らしている。
おまけに目を凝らせば小動物までいる。
「うん? まあ、話し合いだ」
最悪、どうなるかはわからないが。
「……メナがちゃんと暮らせるように、説得するんだ」
ひざ小僧の傷……と言えれば可愛いほうだ。
小さな肩越しに、崖の崩れたようなすり傷を見る。
おまけに裸足でもある。
こちらはもう見るに堪えない。
この世界の医療が、さほど発達していないとは予想できる。
川で水を汲むだとか山で薪を拾うだとか、そんな生活水準だ。
だとしてもだ。
だとしても、こんな子供を働かせて心は傷まないのか。
「……村はどっちだ?」
「ええっと、あっちです」
か細い指が、ちょうど操縦席の後ろを示す。
よし、とペットボトルの水を置いた。
頭にあったのは、飛んで行くか歩いていくかだった。
行ってみないことには、どう対処すべきかわからない。
ぐるりと視覚が回った。
つんと音がかすんでいく。
まぶたが日の光を閉ざす。
そのまま眠ってしまった……。
川の音が聞こえる。
星が……いや、瞳だ。
メナの顔がこちらを覗いている。
今にも泣き出しそうな表情。
……そんなに心配するな。
ちゃんと、村の大人たちに言って、なんとかするさ。
「……ああ、そうだ。村に行かないとな」
また、昼寝をしてしまったようだ。
色々あったし、天気もいい。
大自然に酔いしれて気が緩んだんだろう。
「すまん。うたた寝を……。いま何時だ?」
座席に張り付いたままの背中を起こす。
まあ、ゲーミングチェアで寝落ちしたのは一度や二度でもない。
「ボク、旦那さまが……動かないから……動かないから……」
メナは泣き出す。
ぽんぽんと頭をなでた。
「いや、大げさだな。ほら、ちゃんと起きてるし、生きてる。お前も……ああ、いや、お前こそは寝落ちなどせずに健全に生きるんだ。ちゃんと遊んでいっぱい寝て。人生はこれからだぞ?」
背骨をばきばきと鳴らす。
肩もごりごりと鳴る。
「魔神さまだから、日が暮れたら起きると思って……夜になったら起きると思って……でもひと晩中、起きなくて……」
メナは声をしゃくりながら言う。
「このままずっと起きないんじゃないかって、どうしようって、お水を飲むかなって、川の水でお顔を拭いて、寒くないかなってボクが毛布になって……そしたら目が覚めて……」
「……なにを言ってるんだ?」
「ごめんなさい! ボクの服は汚いのに……!」
身を縮こませて震えだした。
川の流れも森の眺めも変わらない。
風は少し冷えているか。
さっきいたリスはもういない。
枝葉の露が頬に垂れる。
まるでいま陽を受けたかのような涼やかさだ。
「……念のために聞くが……。いま、何時だ?」
メナは首をひねる。
目が赤い。
「……あれは、朝日か?」
山々のすき間がシルエットを響かせる。
まさにいま蒼く、蒼くなろうとしている。
だとすれば……。
メナがこくりとうなずいた。
俺はがっくりとうなだれた。
「また……爆睡していたのか……」
爆睡もいいところだ。
ごしごしと目をこすった。
メナは俺の真似をしているわけではないだろう。
宝石のような瞳は真っ赤に腫れ、涙を巻き戻すように肌をこすっている。
「ああ、ああ、そんなにこするな。きれいな肌が台無しだ」
一晩中ずっと、俺のそばにいたのか……?
さらさらの頭をなでると、合図のように腹が鳴った。
「……お腹が空いちゃいました」
今度は顔を赤らめた。
どうしようもないと、あきらめ捨てたような笑い顔だ。
「よし、今日はチーズ味だ。チーズ……は、知ってるよな?」
メナは小さく首を振る。
膝の上で姿勢を正す。
目を輝かせて食べている。のだろう。
後ろからでもわかる。
今度は十八時間、になるのか?
時刻を示すものがないからはっきりしないが。
ふたたび、ほぼ一日、眠っていたことになる……。
W.W.のハッチを閉めた。
朝日が遮断され、別の、もっと静かな光に包まれる。
軽く跳躍するとモニターに映る川面が延びていく。
かなり長い川で、山林の谷をくねっているようだ。
メナが食い入るように立体投影を見つめている。
俺はモニターが見えなくなったが、まあ、ほほえましい。
「好奇心があるのはいいことだ。ちなみにこの数字は距離だ。あそこからあそこまで、何キロあると思う?」
メナは小さく首を振る。
「えっと……なんのことかわかりません。文字も読めません……」
どう返事をしたらいいのだろうか。
「あー、今、空を飛んでいるんだ。わかるか?」
小さく首を振る。
うなじをさらさらと髪がくすぐっている。
「メナ、村はどこだ?」
「ごめんなさい……わかりません」
「うん? 自分の村だぞ?」
「空からなんて……見たことないです。ごめんなさい、ボクは空を飛んだこともありません……」
ああ、そうか。
「だいじょうぶだ。大抵の人間は空を飛べない。俺もついさっき飛んだばかりだ。あー、それとだ。……しがみつかなくてもいいぞ。落ちないから」
「はい、旦那さま」
もっと両腕を締めてくる。
顔まで埋めてくる始末だ。
川辺、さっき居た場所だ。
そこから地形をたどっていく。
道のない道、一キロメートルほどだろうか。
山の起伏も入れると、体感としてはもっと長いだろう。
ひっそりと、村があった。




