母の愛に並ぶ愛はあらず
「はっ……はっ……」
茶髪の女性は綺麗に並べられたタイル張りの道を忙しく走っていた。
彼女の名はサリア・アイニッヒ
ベーティス・アイニッヒの母である。
ベティーとは母サリアがベーティスを呼ぶときの愛称。
いつも朝にベティーを起こしに行き、花に水を与え、ベティーと一日中一緒にいる。
それが彼女の日常だった。
彼女、ベティーの元婚約者アイリスが来るまでは。
♢
「待ってよーアイリスー」
「ほらほら、早く捕まえてみなよベティー」
茶髪の少年と銀色の髪を持つ少女は無邪気に野を駆けていた。
「ベティー、アイリス、あまり遠くに行ってはダメよー」
茶髪の女性サリアは子供達に声を掛ける。
「うん!」
「もう……わかってるよ叔母さん!」
銀色の髪の少女アイリスはむすっとした顔で不貞腐れた返事をする。
茶髪の少年ベティーとアイリスは夕暮れになっても無邪気に無垢に遊んでいた。
元々、人見知りだったベティーをアイリスは変えてくれた。
彼女の明るい性格と、貴族と平民という偏見などを気にしない彼女の思考がベティーを変えたのだろう。
最初はアイリスが一方的にベティーに話しているのみでベティーは終始無言で聞いていたが、ベティーはアイリスと長く共に過ぎていくと、だんだんと喋る様になり口数が増えていった。
普段は家で黙々と本を読んでいたベティーだが彼女との出会いによって内緒に家から出ていき、こうしてアイリスと遊んでいる。
「はぁ……はぁ……」
「あれ?もう疲れちゃったの?」
「うん、僕、疲れやすくてさ……はぁ……はぁ……」
膝に手をつき息を整える。
「ケホッ!ケホッ!……はぁ……はぁ……ケホッ!ケホッ!ケホッ!ケホッ!」
ベティーが急に激しく咳き込み地面に手をつける。
「ベティー!?大丈夫!?叔母さん!」
「すぐに運ぶわよ」
この出来事がベティーとアイリスの別れ際になったのだろう。
このあと、ベティーは医者に見られ直す事が絶対にできない不治の病だということが発覚した。
この日から彼はベッドにただ独り佇む様になった。
サリアとアイリスは毎日来て、話を聞かせてくれていたが、アイリスが勇者パーティーのメンバーとして選ばれ、毎日来るのはサリアだけになってしまった。
サリアは後悔していた。
あの時、ベティーを止めていれば……あの時、アイリスを止めていれば……あの時、ベティーとアイリスが出会うのを止めていれば……
サリアがベティーに会っていたのは後悔からだった。
彼が自分のせいで自由を得れなくなってしまった罪を懺悔するために彼に会っていた。
彼の弱々しく浮かべる笑みを見ると胸が締め付けられる。
──なんで笑えるんだ、なんで絶望しないんだ、なんで自分が不幸と思えないんだ。
彼の浮かべれなくなった無邪気な笑みをもう一度見る事によってサリアは許されるような気がした。
全ては自分の為と全ては己の為と
アイリスを止めなければ……
──彼女を止めねば、私は彼の、息子の、あの時見た太陽の微笑みを見て許されたい……
サリアは走る、アイリスのもとへ。
やがて太陽が落ち、空は暗雲が立ち込める。
そして彼女は見つけたのだ。
一人佇む白銀の少女を
「アイリス!」
「……叔母さん……」
「お願いだから……もう一度……ベティーの婚約者になってほしいの……」
「……ごめんなさい……私にはそんな事をできません……」
「そんな事!?貴方はベティーを何も想っていないの!?」
「……好きでした……前までは……」
アイリスは目を伏せ言う。
「……叔母さん……もうこんな話はやめましょう……意味がない……」
「いいえ!私は諦めないわ!貴方は変わってしまった。きっと勇者様と出会ったからでしょう……」
「………」
「お願いだから思い出して……貴方がベティーと過ごした日々を……」
サリアは真っ直ぐな目で彼女を見つめる。
「あーあ、うるせえよババア」
「え……」
鋭い剣がサリアの胸を貫く、胸からポタポタと血が剣から流れ落ちる。
「勇者、様……?」
「あの気持ち悪い男のババアか……しつけんだよ、俺の女にちかよんな」
サリアの胸を貫いたのは勇者レオールだった。
彼は侮蔑した目で吐き捨てる。
「あーあ、剣に血が付いちまった……後で洗わねーとな」
「……レオール行きましょう……」
アイリスは何もなかったようにこの場から去ろうとする。
「アイ、リス……なん、で……」
サリアはアイリスに手を伸ばすが彼女には届かない。
「死体が見つかったら面倒だ、魔物に食わせるぞ」
「ええ……」
段々と意識が遠のいていく。
(ごめんなさい……ベティー……私は貴方を幸せにできなかった……許して……私が貴方の母だということを許して……)
意識が遠のく中、茶髪の少年が見えた。
「母さん、僕は幸せ者だ。こんな優しい母さんと出会えて……許して欲しいのは僕のほうだよ……ごめんなさい、親不孝な子で……もう一度母さんと家族として出会えるのなら僕は、母さんを幸せにしてみせるよ……」
茶髪の少年が微笑んだ。
(ああ……私は許されたかったんじゃない……私は貴方の……貴方の愛が欲しかったんだ……)
茶髪の少年が手を差し伸べる。
「母さん、そろそろ時間だ。僕と一緒に帰ろう、もう一度あの夕暮れへ……」
少年の手をゆっくりと手を取る。
(暖かい……貴方はこんなに暖かったのね……)
彼女は息子の忘れた温度を思い出す。
『ベティー、今日の夜ご飯は貴方が大好きなシチューよ!』
鮮明な記憶が甦る、あの日歩いた夕日の道。
『やったー!母さんのシチューだ!』
『今日はいつもと違って大盛りよ』
『本当に?じゃあ今日はいっぱいシチューを母さんと食べれるね!!』
茶髪の少年が眩しい程の笑顔を咲かせる。
『ええ……私もお腹が空いてしまったわ、早く帰りましょう……』
『うん!』
母親と少年は手を繋ぎ夕日のもとに呑まれる様に消えていった。
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