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ツクモムスビ  作者: 塩漬
第一章 平安の残滓
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物騒な宝物


 春は、出会いの季節だ。

 学生の人ならわかりやすいだろう。新たな桜に出会い、新たな環境と出会い、新たな友と出会い、そして新たな自分と出会う。


 だが、春は別れの季節でもある。

 これも学生の人なら嫌という程わかるだろう。今まで時計に支配された時間を共に共有していた仲間との別れ。筆舌に尽し難く、そして誰しも一度は経験する矛盾。


 故に、私は春が嫌いだ。

 私からかけがえのない人を奪う春が嫌いだ。

 私に毎回不幸な出会いを与える春が嫌いだ。

 私の鼻に毎年花粉をぶち込む春が大っ嫌いだ。

 でも今私の鼻にぶち込まれているのは花粉ではない。逆に垂れ流されているのは鼻水だ。


 ――ああもう、みっともない。


 もしも私に好きな人がいて、もしもその人が今この場にいたなら。羞恥心によって私は自らの首を、何の億劫もなくもぎ取るだろう。

 いや、流石に誇張し過ぎた。もし本当にそうだったら、今この瞬間、私の首は胴体と離婚しているはずだ。だって、すぐ目の前に私の大好きな人がいるのだから。


 漂う線香の匂いは、まるで入れ過ぎたワサビのように鼻の奥をツンと刺激し、雨を降らせる。

 ボヤけた視界に入る純白の家。

 その窓から顔を見せるその人は、とても綺麗な表情だった。純粋無垢だった子供の頃のような、満たされている表情だった。


 ――笑って、見送ってくれてもいいじゃない。


 そう言われた気がしたから。昔から、私の心を見透かしたような物言いをする不思議な女性に、笑えと言われた気がしたから。


「うんっ……!」


 私は笑った。

 笑ったつもりだったけど、どうやらそれは私の勘違いだったらしい。


 ――うーん。顔と心が一致してないから、一点!


 ダメ出しをくらった気がする。まあ、それも仕方ないだろう。

 どれだけ頑張っても、私には泣き笑いしかできなかったのだから。


 雨が強くなった。ああ、もうやめてほしい。私の服はびしょびしょだ――。



 ♢♢♢



 満開の桜が咲き乱れ、コンクリートロードを両側から華やかに彩っている。


 眩しい過ぎて、目が痛い。


 私は桜に反射してキラキラと輝く光に目を細めた。この辺りは少し、明るすぎるのではないだろうか。目に飛び込んでくるのはキラキラのエフェクトを纏った人間だらけ。

 何か良いことでもあったのだろうか。もしそうだとしたら、その幸せを少しくらい分けてくれてもいいじゃないか。


 ――いや、違うな。周りが眩しいんじゃなくて、私が暗すぎるだけだったんだ。



 ――そこで私はハッと目覚めた。


 一定のリズムで揺れる空間。電車に揺られて、そのまま眠っていたらしい。周りの人も、私のように眠っている。


 通勤ラッシュが過ぎた時刻のベッドタウンでは、電車に揺られる人が極端に少なくなる。

 イヤホンを付けてスマホを弄っている人や、首を傾けて浅い眠りに落ちている人も、一車両につき十人いるかどうかじゃないかな。


 ゴウッという壁を叩くような音と共に、進行方向から来た対向列車とすれ違った。

 私は生まれつき目が良いから、何をしているのかはよく見える。見ようと思えば、その表情でさえも。

 すれ違いざまに窓から対向列車の中を覗くと、私たちと同じように眠っている人やスマホをいじっている人が見えた。特にスマホをいじっている人は、なんだか感情というものを感じさせない顔をしていた。


 やはり、すれ違った電車に乗っている人もいつもより少なかった。

 春休みだというのに、電車で外出する人が少ない。勿体無いなという印象だ。


 かく言う私も、特に用事がなければ滅多に電車を利用しない人間なんだけれども。

 ではどうして今電車に乗っているのかといえば、別段旅がしたかっただとかそういう訳ではなく、単純に目的地も目的もある外出だからだ。


 イコカを見事に忘れてきた間抜けな私は、券売機でわざわざ買った切符を改札に通し、こじんまりとした駅を抜ける。


「……結構長旅だったなあ」


 歩いた時間よりも、電車に乗っていた時間が遥かに長かった。兵庫から京都まで、わざわざ県を跨いだからね。

 いくら車内の椅子がフカフカだからといっても、長時間座り続ければ腰の一つや二つ痛くなっても仕方がないだろう。


 それから五分ほど上り坂を一生懸命に上がり、「東泥犂霊園」と彫られた門をくぐった。


 結局のところ私が何をしに来たのかと言えば、先日亡くなった私のひいおばあちゃんのお墓参りだ。

 親は仕事で忙しいため、今日は私一人で来たのだ。


 水を汲んでブラシを借り、ひいおばあちゃんの墓石へと向かう。

 ひいおばあちゃんの墓は山の上の方に位置するので、ただ手を合わせに行くだけでも一苦労だ。

 水の入った桶を持ってそこそこ急な斜面をえっちらおっちら登り、ようやく目的のお墓に着いた。


 周りの墓より一際目立つ位置にあるその墓石には「藍咲家」と大きく彫られている。下の方に列挙された名前を見ると、「叶泰」の文字の隣に「侑緋」というひいおばあちゃんの名前があった。

 どうやら親戚の人が先に来ていたようで、花が新しくなっていた。


「……何を今更」


 と反抗期さながらの感想を抱いた。

 ロクにお見舞いにも来なかった人達が死んでから参りに来たとしても、ひいおばあちゃんだって嫌なはずだ。墓もロクに掃除してないのに。


 そんな心のモヤモヤを抱きながら、墓の掃除を始める。

 水を墓石にゆっくりとかけ、ブラシで丁寧に磨いてゆく。

 その墓石の光沢が私を写すたびに、ひいおばあちゃんとの思い出が蘇ってきた。

 とても嬉しそうに不思議な昔話をして、何も言ってないのに考えていることを言い当てられたり、笑顔が可愛らしかったり。

 大好きだった。

 いつも一緒にいるのが当たり前だと思っていた。

 でも、もうその人はいない。

 その現実は私の心を確かに蝕んでいく。


 気がつけば、首にかけている首飾りを握っていた。


 ――これを託すわ。私たちを繋いでくれる。きっと、あなたを守ってくれる。


 銃弾に紐を通しただけという、物騒な代物。

 全く錆びていない鉄の凶弾は、尖った先端の凶器を銀色に輝かせている。平らになっている方には、小さく模様が彫られてあった。


 ――これはね、実は私の大切な人に貰った宝物なのよ。


 これで二人の宝物ね、とひいおばあちゃんが嬉しそうな笑顔で言ったことをよく覚えている。

 いつの日か、ひいおばあちゃんが私にくれた贈り物。

 互いに互いを永遠に忘れないための、遺物。

 どこだろうと私たちを繋いでくれる、二人だけの宝物。


「ひいおばあちゃん……会いたいよ……!」


 心をありのまま吐き出したような独り言は、誰にも拾われることもないまま、晴れ渡った空へ虚しく消えていった。

 心にあったモヤモヤがどんどん広がって、遂には空をも飲み込んでいく。


「――あれ?」


 ここに来てようやく、私は異変に気がついた。

 先程まで晴れ渡っていた空が暗くなり、溢れ出していた春の陽気というものが綺麗さっぱり消えてしまったのだ。


 まさか本当に曇るとは思わなかった。いや、それにしたって唐突過ぎやしないだろうか。気のせいか――などと考えている暇もなく、事は起こったのだった。


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