オウランド紀13年-6
季節変わりのオウランド大陸は気候が安定しない。晴れた日が続くかと思えば、突然、天が裂けたかのような雷雨になる。大風が吹き、急ごしらえの天幕が吹き飛ばされることがあれば、大雨からの鉄砲水で、陣地が大地ごと流されてしまう時もある。気候の荒れ模様につられる様に、跋扈する魔物たちも行動が活発なものになる。昼間には活動しない筈の、夜行性の魔物が群れを成して行軍する部隊を襲ってくることも多くなる。
季節が変わってしまえば、それまでの荒れ狂っていた様相は鳴りを潜め、今度は大地が沈みこんでしまったかのような、静かな日が続く様になる。そして静かに、季節が深まっていくのである。
静かな夕暮れが続く様になったある日、調査団員の定例報告会の準備をしていたシバの下に、早馬の使者がやってきた。
「シバ団長はいらっしゃいますか?」
書類を整理していたシバと副団長が顔を見合わせる。次の船が港に来るまでには早く、また、魔物の活動が落ち着いてくるこの時期に、調査団員に急を要する呼び出しが掛かる事は珍しい。
「どうされました」
早馬の使者は、前線基地の防衛を任されている部隊員だった。その顔が返り血だろうか、赤く濡れていることを確認して、シバと副団長の表情が引き締まる。
「新種の魔物が発見されまして、調査団の助力をお願いしたいのです」
「前線基地が襲われたのですか?」
「いえ、今戻ってきた哨戒任務に就いていた部隊員が襲われました」
「魔物の特徴は?」
「初めて見た魔物とのことです」
「被害は?」
「部隊員一人を残して全滅です」
「そんな凶暴な魔物ですか」
副団長が驚いた様に尋ねる。気候も落ち着いてきたこの時期に、凶暴な魔物が出ることは珍しい。新種の魔物の発見ということも驚きだが、装備を整えている軍隊員を全滅寸前まで追い込む魔物が現れた、ということも驚きだ。
シバは暫し考え込んでいたが、副団長に顔を向けて、
「報告会は任せてもいいかな」
と尋ねた。
「お任せください」
頷いた副団長に資料整理を任せ、シバは壁に立て掛けていた愛刀を手に、使者の後に続いて走り出した。
連れて行かれた天幕は、負傷者の治療用にと建てられた野外病院ではなく、前線基地の表門の近くに建てられた兵士用の天幕だった。天幕の入り口は大きく開かれ、そこには人だかりが出来ている。天幕の外では焚火に鍋がくべられ、ぐらぐらと湯が沸かされている。
「シバ団長をお連れしました」
使者の声に人だかりが割れた。天幕の床に設けられた簡易寝台の上に、血塗れになった兵士が寝かされている。処置をしていた医師が擂り潰した薬草をその傷口に塗り込み、包帯を手早く巻いているが、巻き付けた所から瞬時に赤く染まっていく。
兵士の状態は素人目に見ても手遅れだった。右手は千切れ、頭部は包帯で包まれているが形が歪なものになっている。胸には切り裂かれた傷があり、血に塗れた足は骨折しているのかぐにゃりと曲がっている。
「失礼」
呼吸が浅くなり、早くなっている兵士の傍にシバはしゃがみこんだ。血の匂いが鼻につく。しかし微かに、刺激臭が漂っていた。
「どんな魔物だった」
シバは兵士の耳元に口を寄せ、短く尋ねた。
「東の、丘」
「東か」
「みんな、やられて」
「どんな奴だ」
「でかい」
兵士が口を戦慄かせながら、必死に言葉を紡ぐ。
「それで、あな」
「穴?」
「穴から出てきた」
その言葉を口にした後、兵士の呼吸音が変わった。ごぼごぼと血の泡が口の端から噴き出て、シバの顔に飛ぶ。
「もう駄目だ」
医師がシバを押しのけて兵士の顔を横に向けた。口の中に指を突っ込み、大量の血を地面に向けて吐き出させる。しかしその途中に、兵士の体は一度強張り、そのまま脱力した。
「死んだな」
医師は何度か兵士の頬を叩いて意識の確認をした後、力なくそう言って頭を振った。
「解剖に回すか?」
「お願いします」
シバはそう答えると、天幕の入り口にいた兵士の一人に声を掛けた。
「すいませんが、今回被害の出た部隊の哨戒行程の確認をお願いします。それと、他の部隊の状況の確認もお願いします。東の丘、と言い残していましたが、他の隊が東の丘に向かっていないかの確認もお願いしたいのですが」
兵士はシバの言葉を聞いて天幕を出ていった。医師に促され、何人かの兵士が死んだ兵士を寝台ごと持ち上げ、野外病院へと運んでいく。シバは寝台の傍に置かれていた兵士の装備を手に取り、その破損状況を確認した。哨戒任務に就く兵士の平均的装備である厚い革鎧が、鋭い切傷により引き裂かれている。槍や鉄剣は戦闘の跡だろうか途中から折れ曲がり、その刃は折れてはいないが欠けている。
野戦病院に入ると、医師が手早く解剖の準備をしていた。厚めの撥水加工された衣服に着替え、手袋と口当てで厳重に身を包んでいる。
「始めるぞ」
医師の言葉に、シバは頷きながら手早く着替えた。手袋と口当てを装着して、穴が開いていないか確認する。魔物の体液には、人の皮膚程度ならば瞬時に溶かすものもある。遺体の中に残っていた毒液に不用心に触り、指先から毒が回り苦しんで死んだ者もいる。確認はしすぎて困るものではないのだ。
「これは酷いな」
医師は先ほどまでは生きていた兵士の遺体に小刀を入れながら顔を顰めた。シバがその言葉について聞こうとした瞬間、鼻に付く臭いに気が付いた。
「毒ですね」
嗅ぎなれた臭いだった。正確には毒の匂いではない。オウランド大陸の魔物の持つ毒の中には、人の肉を溶かす作用のあるものがある。その肉を溶かす際の、独特の刺激臭が遺体から香ってきていたのだ。
「牙かな?胸から腹にかけての切傷。その傷の奥から溶解している。痛かったろうに」
医師が兵士の顔を見て眉をひそめる。シバは溶解した血肉液を陶器の容器に入れ、保管用、と張り紙をする。調査団にとっては貴重な標本ではあるが、その採取行為に医師は眉間の皺を深くした。
「死因は出血によるものだが、切傷が深い。毒による溶解もひどい」
「この傷は深いですね」
シバは物差しで胸からの傷を測る。今までの魔物の牙や爪による切傷の深さや形は記録を付けている。そのどれにも該当しない傷だと、シバは記録を見るまでもなく考えていた。何より、鋭く深い。今まで巨躯な魔物による傷は多く見てきたが、このような傷は見たことがなかった。魔物は巨躯になると牙や爪に鋭さを持つ者が減る。他の生き物のように、草食性だから摂取した食物を消化吸収するために体が大きく進化し、その巨躯を保持するために四肢に生える爪は大地を摑む蹄のような形になると考察されている。
巨躯で肉食、或いは鋭い牙を持つ魔物は、海の中を泳ぐものぐらいしか確認されていないはずだ。
「東の丘、でかい魔物か」
シバは暫し考え込んでいたが、いずれにしてもすぐに調査団の出番が来る、と思い、改めて遺体に目を向けた。今はまず、この遺体から収集できる情報を残さず拾い集めておくべきだ。そこから今回の新たに発見された魔物について、考察し、対策を講じるべきだろう。シバは気になったことを細かく、愛用の帳面に書き記していった。