オウランド紀13年-1
オウランドという国があった。
一夜にして滅びた、過去に語られる国である。しかし今や世界にその名を知らぬ者はいない亡国である。そして今や世界共通の暦の名として扱われることになった、世界変革の悪因であり、その国の名で呼ばれる大陸は、未だ治まらない戦火の中心であり、人類が取り戻さなければならない聖地と化していた。
オウランド大陸には、魔獣と呼ばれる他の大陸には生息していない化物が多く潜んでいる。魔獣の生息範囲や分布は長い期間研究されているが、未だ全ての魔獣が把握されているわけではなく、長い期間に新種が発生しているのか、未発見の魔獣が報告されることも珍しくない。オウランド国があった大陸深部に進むと、大地に生える植物から他の大陸とは姿を変えていることから、魔獣発生の地から生態系が変化している最中なのかもしれない。
オウランド紀13年。夏。
何度目かの侵攻行為の結果、人類はオウランド大陸深部に向けての前線基地を布陣することに成功した。オウランド大陸は魔獣が跋扈する異界の様相を為している。それは過去の物語で伝えられる魔物であったり、誰も見たことがない化物の群れだった。人間を狙って食らうもの。自身の縄張りに侵入するものだけを排除するもの。夜に蠢くもの。地中を泳ぐもの。森の中に潜み獲物を待ち伏せるもの。岩のような肌を持ち巨大な手足を持つもの。群れで動く獣。水の中を泳ぐ巨大な影。鱗に覆われた体躯を持つ巨大な獣。赤い瞳を輝かせ、人類を監視している化物たち。多くの魔獣たちが、オウランド大陸に侵攻する人類連合軍に立ち塞がる壁となった。人類は魔獣を研究し分類し、生息範囲や生活環境を知ることで、大陸侵略の足掛かりとしていた。
連合軍に付随する調査団団長のシバは、今日までに発見された魔獣を報告書にまとめながら、夕食のスープを啜っていた。携帯用にと乾燥された野菜と、オウランド大陸に自生する根菜で作られた塩気の強いスープである。
本日は一週間ぶりに調査隊員が集まるミーティング日でもあり、シバの周囲には同じようにスープの器を手にした団員たちが集まっていた。
「西に行った調査員は誰だったか?」
シバが報告書から目を上げて隣に座る副団長に尋ねる。
「新入りのフォーカスです」
名前を呼ばれフォーカスが、スープを口に運ぶ手を止めてシバに目を向ける。
「海の魔獣で何か発見はあったかい?」
「今回は海岸線を進む部隊に同伴したのですが、新規の発見はありませんでした。道中空から鳥型の魔獣に襲われました。歌う人面鳥、ハーピィと呼称する種です」
ハーピィは人の顔に似た頭部を持った鳥形の魔獣である。悪臭強く、大声で鳴くことから発見は容易である。鳴き声は人の声とは似ても似つかぬものであり、人面とはいえ会話が出来るような知恵はない。足の爪は鋭く、不潔なことから、引っ掻かれると感染症に罹患してしまうこともある。集団で海岸線や森の樹々の上に巣を作り、集団で生活することが知られている。食形態は鳥類に近いが、人間程度の大きさの生物ならば襲い掛かり殺傷して喰らい、巨大な魔物ならばその死骸を貪る姿が目撃されている。
「ハーピィか」
「臭かったろ?」
古株の調査員が、揶揄う様に訊く。
「ええ。とても」
フォーカスが顔を顰めて答えた。
「団長は何か発見しなかったんですか?」
調査団は人類連合軍の各部隊に団員が同行する形で活動している。オウランド大陸西部から上陸している連合軍にとって急務となっているのは、前線基地に繋がる各陣地周辺の魔獣の生息分布図を作成することである。調査部隊は魔獣の生息地を調査するだけでなく、魔物の出現以来様相を変えたオウランド大陸の地図を作製することも任務としていた。
オウランド大陸に侵攻する連合軍の人員は増員されているが、調査団の団員は微増しかされていない。新たな魔獣が発見されることが増えている昨今、調査団員一人当たりに対する負担は増えていると言って差支えはない。
「変わった植物を見つけたよ」
「植物?」
調査団員たちの視線がシバに集中する。シバは足元の鞄の中から、一枚の花弁が入れられている袋を取り出した。
「これなんだが」
「薄紫色の花弁ですね」
「見ててくれ」
シバが手にした袋を地面に置くすると、袋が浮き上がって宙を漂い出した。素早く袋を摑んだシバは、足で押さえている鞄の中に袋をしまった。
「おお」
「なんですかそれ」
思わず立ち上がり、騒めく団員たちにシバが口を開く。
「前線基地の近くの丘に群生している花の花弁なんだ。どうも切り離すと元の花に向かって動く性質があるらしい」
オウランド大陸に人類が侵攻する理由は、かつての土地を取り戻す、という単純なものではない。世界を変革する異物を排除することは当然として、外界にはない未知の資源を手に入れる為という側面もある。例えば、魔獣の血肉。その毛皮や爪、牙の再利用。新たに発見される植物などの価値は言うに及ばずだ。異界の地から人類に齎される利益は、ともすれば大金に姿を変えるものも多い。
「花の元に戻る、ですか」
「花弁が散っているのに群生地以外では花弁を見ないから、不思議に思って実験してみたんだ。どうも元の花からの距離に関係なく、常に一定の力で戻ろうとする性質があるらしい。最短距離で戻ろうとするから、今見たみたいに宙を飛んで行くこともある。足で踏むくらいの力で抑えられるから、力自体は弱いんだけどな」
「変わってますなあ」
唸る副団長にシバが頷く。
「今は花弁がどれくらいの期間で枯れるのか、枯れた花びらでも元の花に戻ろうとするのか実験中だ」
調査団員に求められるのは、どんな細かいことであっても異変に気付くことができる繊細な発見力と、未知の異物に対して考察、実験できる思考能力である。調査団員が増員されない理由の一つに、求められる能力が高い所為である、ということに気が付いている団員は今のところいなかったりする。
「そういえば」
シバの言葉から何か思いついたのか、団員の一人が手を挙げた。
「ここから南東部に向かうと、飛びつき蛇が多く潜む森があるのですが」
「ああ」
苦い顔で頷く団員がいるのは、飛びつき蛇に襲われた経験があるからだろう。その牙の毒は強い溶血作用があり、処置が遅れると死に至ることで有名である。
「森の樹の一部に穴が開き、風が通ると歌のような旋律を奏でるのですが」
「ほう」
シバだけではない、多くの調査員が興味深げに声を上げる。
「私はてっきり、森に棲む魔獣が樹に穴を開けているからだと思っていたのですが、あれはそういう樹なのですかね?」
「風で歌を唄う樹か」
「面白い考察だな」
「歌に何か意味があるのかもしれないな」
一見荒唐無稽な考察に聞こえるが、オウランド大陸に上陸して生活していると、未知の異物には既存の常識は通用しないことを思い知る。また、何気なく見過ごしたものが原因で、命を失う危険も多い。だからこそ、調査団員は誰一人、新たな発見、考察に対して否定的な言葉を返すことがない。
「何らかの幻覚作用があるかもしれないからな。確認するなら注意しろよ」
誰よりも慎重だったからこそ、生き延びることができた古株の調査員が、手を挙げている調査員にそう言った。オウランド大陸に棲息する魔獣には、幻覚作用を持つ特殊能力を持つ物が多い。有名なのは、海中に潜むセイレーンと呼称される魔物である。海上に鳴り響くセイレーンの歌声には、聞く者の意識を失わせ海中に誘う幻覚作用がある。初期連合軍の上陸作戦が失敗した理由は、このセイレーンの歌声にあったと言っても過言ではない。また、深い森の奥には目を合わせたものを誘う、赤目の魔物がいるという。夜になると跋扈する魔獣の中には、人に意識を奪う甘い息を吐く物がいる。その職務上、調査団員は未発見かつ危険性の不明な魔獣と出会うことが多い。生き残り調査結果を持ち帰ること。それこそが調査団員の職務であり、知識欲に負けて魔獣に近付きすぎて行方不明になることは、あってはならないのだ。
「樹に擬態する魔物がいたな」
副団長が頷きながら言う。
「新種の魔物かもな」
シバは地図を取り出して、南東の森に印をつける。次に取り出したのは、前線基地に所属する全部隊の、今後一週間の工程表だ。
「南東の魔獣調査は二日後だ。同行できるか?」
「出来ます」
シバはそのまま、他の調査団員の予定も決めていく。オウランド大陸深部の前線基地の周辺には、未知の魔獣が多い。前線基地に繋がる兵站路の確保の為にも、周辺に潜む魔獣の生息範囲を把握することは、急を要するものとなっていた。