■「婚儀の中で1」
ニアがバルクスに来てから三か月ほどが経った王国歴三百十六年六月二十日。
ここ主都エルスリードには多くの人が訪れていた。
その目的は、バルクス辺境侯の弟クイ・バルクス・シュタリアとファウント公爵家末娘イーグニア・ファウント・ロイドの婚儀のためである。
僕とクリスの婚儀の際にも周辺貴族への招待状は出したもののクリスが第十二王女でさらに降嫁と王国に対して何の権力も持たなかったし、僕自身も辺境にある一伯爵家程度の扱いだったからだろう、色々と理由をつけられて欠席するものがほとんどであった。
王家からも代理人が来た程度だ。
僕としては気楽なもんだったけれど、中央の貴族社会の中では冷笑される出来事だったらしい。中央の貴族コミュニティに興味がないから知らんけどね。
一方で今回は今を時めくファウント公爵家のご令嬢だ。
少しでもファウント公爵家に近づこうと多くの貴族が訪れている。中には招待状を送ってもいないのに勝手に訪れてきた貴族も数多くいる。
ただ貴族社会では婚儀に訪れてくるそういった不作法者の多さも自身のステータスとなるらしい。
彼等流に言えば、自身の人を惹きつける指針の一つでそれらを受け入れる度量の広さも良き宣伝材料らしい……ホント、ご苦労様なこって。
とはいえ、そんな不作法者でも追い返すのは失礼になるということで別館へと案内して食事や飲み物も提供している。
ここら辺の準備は、貴族社会に詳しいクリスが主導となって対応してくれている。
一方でアリスを筆頭とした執務官たちは、今回の婚儀をバルクスのビジネスチャンスとばかりに動いている。
提供される食事や飲み物にバルクス発祥――つまりは前世の野菜や果物――を使った料理を出している。
貴族たちはそのプライドに比例するかのように美食家としても知られる。
そしてそのプライドゆえに初めて食べたものに対して異様なほどに執着する。
貴族の使用人から配膳するメイド、執務官へと食材に対しての質問および『うちでも手に入れることは出来ないか?』といった相談が来ているとイシュタールの悪そうな顔とともに報告も受けている。
今頃、控室では契約を委託した商人連と貴族たちの使用人とで注文交渉が行われていることだろう。
商人連も金に糸目を付けぬ貴族相手だから吹っ掛けているんだろうな。とふと考える。
まぁ、商人連の利益はまわりまわってバルクスの利益にもなるのだから無茶しない程度に儲けてもらうことにしよう。
さて結婚式自体は、ニアをクイの正室に迎えることが決まってから準備を行っていたおかげで順調そのものである。
今まで当事者だった僕も、今回ばかりはバルクス家当主の役回りだけだから大変とはいえ気楽なものだ。
ただ、挨拶に来る貴族たちからは、何とかして取り入ろうという雰囲気が見え見えで、うんざり感を顔に出さないようにするのが一番大変だった。
彼らからしたらファウント公爵家の娘。しかも婚儀の話をファウント公爵側から出したという事実が、貴族社会の中でバルクス辺境侯がファウント公爵派閥の有力者として認められたということになるのだろう。
「私、クイ・バルクス・シュタリアはイーグニア・ファウント・ロイドを生涯の伴侶とし、永久の愛を此処に宣言する」
「私、イーグニア・ファウント・ロイドはクイ・バルクス・シュタリアを生涯の伴侶とし、永久の愛を此処に宣言します」
「今、ここに誓いは成った。二人の永久の愛に祝福を!」
そんな色々な思いが渦巻く中。二人の宣言によって婚儀は終了するのであった。
――――
「やぁ、エルスティア。お互いに良き日になったものだねぇ」
婚儀への出席者への挨拶がひと段落ついてほっと息をついたところで僕は背中から声を掛けられる。
「これは、リンクロード様。この度は出席いただきありがとうございます」
振り返り声をかけた主――リンクロードに僕は一礼とともに挨拶する。
「ははは、エルスティア。僕たちは義理とはいえ兄弟になったんだ。そんな堅苦しい物言いは勘弁してほしいな」
「ですが……」
「んじゃ、命令」
「……わかったよ。リンクロード。今日は本当に出席してくれてありがとう」
「なーに、可愛いじゃじゃ馬の晴れ舞台だ。参加しないわけにはいかないさ。
父上が参加できないのを悔しがってたほどだからねぇ」
そう言いながらその様を思い出したのか面白そうに小さく笑う。
「ファウント公爵がですか? とても想像できないな」
「それだけニアには期待していたって事さ。じゃじゃ馬であることを除けば優秀な子だからさ。まぁそのじゃじゃ馬ってのが一番の問題なんだけどね。
大変な子ほど可愛いってよく言うだろ?
けどバルクスに来たからかな。中央にいたころに比べてとっても生き生きしているよ。ここの水が合ったんだろうね」
「なるほど。そうかもしれないな」
そう言って僕は笑う。
たしかにニアが来てから三か月ほどの中で、彼女の聡明さは十分にわかった。
もっともその聡明さが向けられる興味の対象は、芸術や音楽といったいわゆる令嬢が興味を持つような物ではなく、銃や魔導エンジンと言った科学技術だったけどね。
もちろん、根幹部については、情報漏洩を考えて見せたり教えてはいないけれどそれでも目を輝かせながらベルたちに質問していたものだ。
なるほど、中央の貴族社会の中では異端児と見られていたことだろう。そういった環境では彼女がじゃじゃ馬と見られるのも不思議ではない。
一方でバルクスは良い意味で中央から隔絶された場所だ。ここでは貴族がスポーツとして行う狩猟行為は魔物を倒すための訓練になる。
中央とバルクスでは多くの事柄の考え方が変わってくる。
最初は、上級貴族の令嬢とのギャップに戸惑っていたクイも根っこの部分はバルクス人だ。
ニアの気質はバルクス人の気質に合っている。だからあっさりと慣れたようで二人ともに良好な関係のようで一安心だ。
クリスに『エルに比べればニアは至極まともだからね』と言われたが全くどういう意味なのだろうか?
「さて、それでだ」
思い出し笑いも落ち着いたようでリンクロードが口を開く。その続きを話そうとして……ちらりと横目で周囲を見渡す。
周りでは各々で歓談をしている貴族が多くおり、ちらりちらりとこちらの様子を見ている者たちも中にはいる。
ファウント公爵家の代理人にして次期当主候補と(彼らの中では)派閥内の有力者との歓談に興味があるのだろう。
かといって場所を移してともなると、余計に話に尾ひれがついて大きくなりそうである。
「なるほど。では……」
そういって僕は、ある言葉を呟く。それが終わると同時に足元がほんの僅か青色に発光する。
その発光が終わると同時に今まで聞こえてきていたざわめきが突如聞こえなくなる。
「へぇ、面白い魔法だね」
「単純に音を遮断するだけなので使える用途は限られますけどね」
そう僕は笑う。
周りで聞き耳を立てていた貴族たちも僕たちの口が動いているのにその声が聞こえなくなったことを訝しんでいる。
いわばエアシールドの応用だ。周囲を不可視の壁で囲んだことにより音を遮断したに過ぎないが、読唇術でも使えない限りそれで秘密の会話をするには十分だ。
念のため、僕は誰もいない窓の方へ体を向ける。リンクも理解したのだろう僕に倣って窓の方に体を向け僕の横に立つ。
そして手に持ったワイングラスからワインを一口飲むと一つため息をつく。そして……
「もうそう長くはない。動くぞ歴史が」
そう呟くのであった。