■「初顔合わせ」
「お初にお目にかかります。アーネスト・ファウント・ロイド公爵が四女。イーグニア・ファウント・ロイドと申します。
この度は、クイ・バルクス・シュタリア様との婚約をお認めいただき誠にありがとうございます。
エルスティア・バルクス・シュタリア辺境侯」
その可憐な少女は、目の前の僕に対して深々と頭を垂れる。
その姿は事前に聞いていたお転婆という話からはまるで別人のようである。
その髪は父親譲りの黒髪。新緑を思わせる鮮やかな緑色の切れ長な目は意志の強さを感じさせる。
年相応の幼さは残すがその整った顔は、自身に満ち溢れた表情をする。
その所作は見る限りでは、付け焼刃な無理をしているという感じではない。
体になじんだ礼儀作法が自然となされているようにしか見えない。そこにファウント公爵家の教育の質の高さを思い知らされる。
「こちらこそ。我が弟クイとの婚約によりファウント公爵家との確かなる繋がりができ僥倖なことです」
返す言葉として打算が見えるのはどうなの? とも思うが、これがこの世界での貴族の婚約における最上の返しなのだから仕方がない。
何度も言うように貴族社会は婚姻関係による繋がりを重んじ、婚約関係は貴族内でのパワーバランスに大きな影響を与える。
なので『あなたの家と繋がることは我が一族にとってこれほど嬉しいことは無い』という事をダイレクトに伝えることを良しとするのだ。
……まったくもって日本人的感覚である謙遜というものが未だに残る僕には馴染めない。
そんなことを考えながらも僕は左隣に立つクイに視線を送る。
「我が弟。クイ・バルクス・シュタリアです。未だ十六歳と若輩ながらも当主代行として私の補佐を十分にしてくれています」
僕の言葉にクイは少し照れ笑いしながらもイーグニア嬢に対し一礼する。
「それを申されますと私も未だ十五歳の若輩の身です。これからは非才の身なれどクイ様を支えていきたいと思います」
「これほどに可憐で聡明なあなたを妻とすることができてクイも果報者です」
「私には過ぎたるお言葉でございます」
こうしてちょっとわざとらしいまでのやり取りを行った僕とイーグニア嬢はお互いに微笑み合う。
……うん、そうです。ここまでが貴族の婚姻のやり取りのワンセットになります。
この無駄ともいえるやり取りを終えたことで応接室の空気が若干和らぐ。
部屋にいるのは僕と当事者同士のクイとイグーニア嬢。
父さんと母さん。直系の兄妹となるアリシャ、リリィ、マリー。
僕の妻であるクリス、ベル、リスティ、ユスティ、メイリア、アリス。
僕が立ち合いをお願いしたアインツとバインズ先生。
そしてイグーニア嬢の傍付きのメイドの計十七名である。
これほどの人数で迎えるってのは圧迫面接かよ。とも思ったりもするけれど公爵家の令嬢ともなれば歯牙にもかけないようである。
そりゃそうだ。公爵家ともなればパーティーでも開催しようものならば数百人単位で人が集まるのだ。
片田舎の貴族の家族程度であればプレッシャーにもならないだろう。
むしろバルクス家の後継者に関する人数の脆弱さを露見しているのかもしれないけれどクイの妻となるのだ。
ファウント公爵であればこちらの親族構成など把握しているだろうし、遅かれ早かれ分かるわけだから隠すこともないだろう。
とはいえ当面の間は僕の子供の居場所といった情報は伝えられない。
クイとイーグニア嬢は、今後は辺境侯館から東の土地に新築された別館に住んで接触自体も極力抑えられることになる。
これは継承権が高い子供の暗殺などによるお家乗っ取りを防ぐためで貴族の中ではどこでも行っている対処法である。
なんとも生臭い話ではあるが、過去にはそのために娘に暗殺術を習わせたという貴族も実際にいるのだから仕方ない。
僕としてはファウント公爵の気性を考えれば可能性は無いと思ってはいる。
クリスやアリスも僕がバルクスの布石となることが、後継者問題の早期決着を考えるファウント公爵の計画を円滑に進める最良手だから不信感を持たせる行動はしないだろうと考えてはいるけれど当面の間。という事で念には念を入れたというわけである。
僕としてもお互いに思惑はあるだろうけれど、義理の妹といつまでも腹の探り合いをしているのはやっぱり寂しい所である。
――
「……さてと、それでイーグニア嬢」
一通りの挨拶が終わり、雑談をしている中で僕は、紅茶を一口ふくんだ後、カップを机に置いてイーグニア嬢に話しかける。
正直これまでの雑談の中ではイーグニア嬢は深窓の令嬢ばりにお淑やかな受け答えをしていて報告に合ったようなお転婆さを垣間見ることは出来ていない。
おそらく猫をかぶっているのだろうから、この年にしてよほどの役者である。
「エルスティア様。これからは家族となるのです。そのような畏まったいい様は必要ありません。ニアとお呼びください」
「そうか、わかったよニア。それでは私も様は不要です」
「そうですか……それでは、エルお義兄様と呼ばせていただきます」
ニアの言葉にアリシャやリリィ、マリーもが笑顔のままピクリと反応する。
こらこら、実際義理の兄になるんだから僕の呼び方に対して嫉妬して反応しないの。
「御覧のようにバルクスは片田舎。あなたがいた王都と比べることも出来ません」
「いえ、私としては喧騒から離れて暮らす方がどうやら性に合っているようです。
驚いたことと言えば、エルスリードに着くまで魔物の襲撃が一度もなかったことです。正直一度や二度は襲われると思っていましたから」
「ははは、バルクス以外から来られた方はバルクスは魑魅魍魎が跋扈する地と思われてますからね。
確かに他に比べれば魔物の襲撃はありますが、魔陵の大森林との間には難攻不落の砦がありますから住民の被害はほとんどありません。
むしろ行路に発生する盗賊がいませんからむしろ安全かもしれませんね」
「なるほど……それは残念」
……うん? 今、残念って言った? いやいや、気のせいだよな。
「このような場所だから何でも。とはいかないけれど何か欲しいものはあったりするかな?」
その僕の言葉にニアはすっと目を細める。ただそれだけ。にもかかわらずガラッと変わった印象となる。
まるで多くの経験を積んだ大人顔負けの……
ニアは自身の懐から何かを取り出す。
意匠を凝らした首飾り。その先についているのは、ルビーのような赤い宝石がついた菱形の銀板。
ある者が肌身離さず付けているという信仰の象徴。
それを両手でとても大事そうに握りしめながらニアは口を開く。
「それでは此処、エルスリードにアーグ教を信仰するための施設。教会を建設することをお許しいただけますでしょうか?」
そう笑顔と共に言うのであった。