●「農試の春」
「うーん、これで春の植え付けは完了かなぁ」
目の前に広がる広大な畑を見ながらアリシャ・バルクス・シュタリアは満足そうに呟く。
農試も一年目の試験段階を経て、二年目の春を迎えてより本格的な栽培が始まることになる。
人材不足や準備不足から昨年作付けが叶わなかったサツマイモやトウモロコシ、トマトやナス、キュウリと言ったエルの前世では当たり前のように存在していた農作物の栽培が今年の目標となる。
そのために職員の数も昨年の実に六倍まで増加していた。
本日は、去年と同じくジャガイモを連作にならないように注意しながら植え付けを行い、春の作付けの全てが完了したところだ。
次の作付けは夏ごろになるだろう。
二人にとっては兄との約束どおり後任を育てるための準備もしていく必要がある。
その為に増員された職員を数人ずつのチームにしてそれぞれ専門職にするための準備を始めていた。
それは貴族の子女とはいえ、メイドや使用人を含めて家族のような接し方をしてきていたため、人を使うという事が未経験の二人にとっては新鮮でかつ大変なことでもあった。
もしかしたらそこも含めて経験させるためにエルがアリシャやリリィに農試を任せたのかもしれないとアリシャは考えていた。
「お疲れ様。アリィ」
「うん、リリィもお疲れぇ」
畑を眺めていたアリシャに双子の妹、リリィ・バルクス・シュタリアが声をかけてくるのに、笑顔で返す。
アリシャもだがリリィも万全に対策しているとはいっても、健康的な日焼けにより貴族令嬢にイメージとは大きく離れていた。
それでも最愛の兄であるエルは、病人のような肌色よりこちらのほうが好ましいという考えなので二人にとっては然したる問題ではない。
それにどうせ辺境であるバルクスでは貴族同士の交流もほぼ無いので元々気にするほどの事ではないが。
「それにしても……やっぱり、皆がいないのはちょっぴり寂しいね」
アリシャの笑顔に、リリィも笑顔で返しながらもそう呟く。
「うん、今回はレッド、ブルーくらいしか参加できなかったもんね」
アリシャもリリィの言葉に返す。
けれど、二人の言葉とは裏腹にその顔は嬉しさにあふれている。
こういったお祭りごとを好むクリスやユスティ達は今回参加しなかった。いや、参加したくても出来なかったという方が正解だろう。
「しょうがないよ、皆、お母さんになるのだから。安定期までは無理出来ないわけだし。
アインツ兄やローザも鉄竜騎士団のお仕事で忙しかったからね」
そう、エルの妻である皆が妊娠したのだ。しかも全員――クリス、ベル、ユスティ、リスティ、メイリア、アリスの六人とも二月に妊娠三か月だと分かった。
非常に喜ばしいことなのだが、さすがに六人同時ともなればシュタリア家は出産に向けててんてこ舞い状態になっている。
アリシャやリリィにとってはアルフレッドという、まさに目に入れても痛くないほど可愛い甥っ子だけでも幸せなのに今年の秋には順調にいけば一気に六人も甥っ子・姪っ子が増えるのだ。まさに幸せの大放出だ。
だからこそ、今の二人は気合も活力も十二分に充実していた。
二人で作付けしたばかりでまだ大部分が土色の畑を、何とも無く眺めている中でリリィがふと口を開く。
「ねぇ、アリィ……、私たちももう十七歳だねぇ」
「そうだけど、どうしたの急に?」
「あのさ……この間、ベル姉様達とお話したんだ。幾つくらいからお兄様を好きになって結婚したいって考えてたのかって」
「へー、確かに気になるね。でもクリス姉やベル姉は小さい頃からだったんでしょ?」
「うん、二人とも子供の頃から……すごいよね。十数年も一人を思い続けられるなんて」
「幼い頃から一緒にいたあの二人だもん、何もおかしくないよ」
「……うん、そうだね」
アリシャやリリィの幼き頃の記憶に残る兄と一緒にいる二人は、そりゃ怒ったり泣いたりしていた事もあったが、何時も笑顔だった。
そして再び再会した三人は今でもあの頃と同じように笑顔という印象が強い。
二人にとってもユスティやリスティ、メイリアやアリスは大好きな義理の姉達であるが、やはりクリスとベルは特別である。
「ユスティ姉様やリスティ姉様は、十歳くらい。メイリア姉様やアリス姉様も私たちと同じくらいには意識していたんだって」
「へぇー、そういうの聞くと面白いね」
そう相槌を打つアリシャの言葉の後、ちょっとした無言の時間が生まれる。
その時間を崩すようにリリィが口を開く。
「アリィはさ、兄様以外で異性に誰か好きな人とかいないの?」
そう言って来るリリィの言葉をアリシャは一瞬理解できなかった。しかし徐々に脳が理解していくと頬が熱を帯びていく。
「そ、そんなのいないよ。いるわけない。うん」
「それじゃ気になっている人とかもいないの?」
それに再び否定しようとしたアリシャの脳内をふと一人の影がちらつく。
「ちょっとだけほんのちょっとだけだよ、気になっている人はいると言えなくもないこともないのかもしれない」
「なによそれ」
アリシャの漠然とした答えにリリィはクスリと笑う。
「私もね、アリシャ。好き……かどうかは分からないんだけれどちょっとだけ気になっている人がいるんだ」
「えっ、誰々? 私の知っている人?」
貴族の娘とはいえ、そこは年頃の少女達。色恋話は大変に興味がある。
しかも自分の半身に近い存在の双子の妹の気になる人というのはさらに興味があるのは当たり前だ。
「アリィの気になる人も教えてくれたら教えるよ」
「うーん、それじゃさ、お互いに同時に相手の名前を言うってのでどう?」
「うん……それならいいよ」
そういってお互いに向き合うと、誰が聞いているわけでもないが顔を近づけあう。
「それじゃ、せーの」
アリシャの合図でお互いに気になる人の名前を呟く。気になっている、そうただそれだけなのになぜか緊張して声が震える。
「へー、そうなんだ。リリィは彼がタイプなんだぁ」
「そういうアリィだって、驚きの名前だよ」
そうお互いにお互いの気になる人に驚き、そして被っていなかった事に少しだけほっとする。
「でもさ、まだお互いに気になるってだけなんだよね?」
「うん、そうだね」
「それじゃさ。この気持ちが何なのかが分かるまでは、皆には内緒ってことで」
「うん、私とアリィの二人だけの秘密」
「えへへ、久しぶりだね。こうやって二人だけの秘密話って」
「そうだね。特に今回の話はお兄様が聞いたらすごい事になりそうだし」
「はは、お兄ちゃんは私たちの事をすっごく大切にしてくれてるからね。好きな人が出来たっていったらどうなっちゃうんだろ?」
「『妹が欲しかったら、僕を倒してからにしてもらおうか』とか言いそうだよね」
「確かに言いそうだね。うん、それなら好きになった人には頑張って強くなってもらわないとね」
そう言って、双子は最愛の兄の反応を想像しながら笑いあうのだった。
――――
「ぶえっくしょん」
「エルス、風邪でもひきましたか?」
執務中に突如大きなくしゃみをした僕に、結婚以降エルスティア様からエルス呼びになったアリスが声をかけてくる。
妊娠四ヶ月を迎えた大事な体だから、病気に関して神経を使っているのだ。
「いや大丈夫。多分誰かが噂してるんだよ。おっ『一褒め』だから誰か僕の事を褒めてるのかもな」
「なんですかそれ」
前世の迷信にアリスは首を捻った後、笑う。
「前の世界での迷信でね。くしゃみをしたら誰かが噂しているってのがあったんだよ。
そして回数によってもどんな噂かっていうのがあってね。たしか……『一褒め、二謗り、三惚れ、四風邪』だったかなぁ」
「……なかなかに面白い迷信ですね。ならばエルス。出来れば今後はくしゃみは一度だけにしてくださいね」
「鋭意努力するよ。さてとそれじゃエルスリードの下水処理と道路舗装についての話を続けようか」
そして僕は、くしゃみの事をすぐさま忘れて執務に戻るのだった。
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