■「生ける伝説」
「おぅ、エル坊。邪魔するぜ」
アルーン要塞への遠征を二日後に控えた夜。一人執務室で不在時の内務方針を整理していた僕の元に珍しい人物が現れた。
「御大。珍しいですね。何か用ですか?」
「いやなに。珍しい酒が入ったんでな。エル坊と一杯やりたいと思ってな」
そう言うと御大ことルッツ・ヘイマー第三騎士団団長は左脇に抱えたワイン樽を見せてくる。
「僕そこまでお酒には強くないですよ」
「構わんよ。その分俺が飲むからな」
そう笑うルッツに僕は苦笑いする。
執務室のソファーに相対して座ると、御大は右手に持ってきていたワイングラス二つにワインを注ぐ。
「それにしても。いいんですか? 第三騎士団は明日出立ですからその準備で皆忙しいんじゃないですか?」
「ガハハ、俺には優秀な副団長様がいるからな。アスタートに任せておけば万事抜かりなしだ」
「不良中年ですねぇ。アスタートさんもご苦労なことです」
「坊主。年寄りからの金言だ。世の中には適材適所があるってこった」
「なるほど。しかと心に刻んでおきますよ」
そういいながら僕たちは、他愛もない会話を肴にワインを飲み進める。
「エル坊。お前に初めて会ったときのこと覚えているか?」
不意に御大が僕に尋ねてくる。
「ええ、もちろん。僕の五歳の生誕会の時ですよね」
五歳の生誕会は、クリスとの出会いや神様からのギフトを貰ったことが特に記憶として残ってはいるけれど、数多くの人との挨拶も行われた。
その中には、当時は副団長であったルッツの姿もあった。
「あぁそうだ。あの時のエル坊に対しては、正直次期当主候補として不安しかなかったな」
「不安……ですか?」
「レインフォードの息子のくせに物腰が柔らかすぎたからな。それに魔法に傾倒しているって言う噂も聞いていた。
シュタリア家の歴代当主は魔法よりも剣技に重きを置く風潮がある。その中で魔法だ。俺たちの頭として大丈夫なのか? とな」
「そうだったんですね。それにしても父さんの息子のくせにって父さんってそれほどまでに血気盛んだったんですか?」
「おぉ、戦場に立てば我こそが一番槍を狙っているのかってくらいに先頭に立って戦っていたからな。
まぁ、だからこそ俺たち騎士も負けてられねぇって気合が入ったわけだが」
「僕は結局、一緒の戦場に立つことは出来ませんでしたから。新鮮な話ですね」
執務室で毎日書類と格闘している姿が僕にとっては父さんの姿である。
怪我が原因で戦場に立つ姿を見ることが出来なくなったことが悔やまれる。
「そんなお前が、入学しレインフォードに代わって当主になり……。バルクスは見違えた。フッ。俺の目の方が節穴だった」
「いいえ、父さんがいて母さんがいて、クリスやリスティ、ベル、アリス……皆がいたからこそですよ。僕だけじゃ何も出来ませんから」
「それがお前の才能だ。お前には人を惹きつける何かがある。それはどれだけお前が偉くなっても……大事にしろ」
「……はい、勿論」
そう言う僕の頭を御大は優しく叩く。前世でも当世でも祖父を知らない僕にとってまるで実の祖父のような気持ちになる。
「しかし、あれだけ小さかった坊が……今や……」
「もう二十二ですよ」
「フッ。そうか、あれからもう十七年か。そりゃエル坊にも子供が出来るし俺も年を取るはずだな」
「何を言うんです。まだまだ頑張ってもらわないと」
そう返す僕に、御大は静かに首を横に振る。
「いや、いつまでも年寄りが上にいちゃいけねぇ。それは若い力を邪魔しちまう。老大木が若芽に降り注ぐべきお天道さんの邪魔をしてちゃ碌なことにならねぇ」
「御大……」
「副団長……アスタートは来年で三十二とまだまだひよっこだが団長として力量は十分だ。それにアスタートのサポートをしているリックは、まだ性格的に若さが残るが副団長として責任が芽生えれば問題ない。
エル坊、今回の遠征を最後に俺は引退することにした。それを決断できるだけの後継者は育てたつもりだ」
「取りやめる……ってのは無いんですよね」
僕の言葉に御大は首肯する。
「寂しくなりますね。でも……御大が決めたことですから。今までバルクスを支えてくれて本当にありがとうございました」
頭を下げる僕に、御大は笑う。
「なーに、これからは引退したもん同士、ローグンと毎日釣り三昧だ」
「あぁ、そっか。ローグン従伯父上とは戦友でしたね」
ローグン従伯父上は、昨年息子に家督を譲った後、来年早々にもエルスリードに移住してくる予定だ。
お互い後継者が独り立ちした今。悠々自適な老後生活を送るのだろう。
「それじゃたまにでいいので若い騎士達の指導に来てもらえませんか? そのついでに今日みたいにまた飲みましょう」
「老後生活の俺には高価な酒は買えないぞ」
「もちろん僕のおごりです」
「よっしゃ、乗ったぞエル坊。今回の仕事が終わった際にも頼むぜ」
「えぇ、御大が驚くようなワインを準備しておきますよ」
「おぉ、そりゃ楽しみだ」
そう豪快に笑う御大とその日は遅くまで二人で酒を飲み交わすのだった。
――――
「うー、飲みすぎたぁ」
「まったく、弱いくせに勢いに任せて飲むからよ」
翌日、二日酔いの僕にクリスが小言を言い、その姿にベルたちが苦笑いしながらルード要塞に向かう第三騎士団の見送りのため、エルスリードの町外へと続く南門へとやってきた。
僕たちの他にも第三騎士団の家族や知人達だろう民衆が路肩を埋め尽くすほどである。
その中を騎士団三千人は威風堂々と行進する。
その内の騎馬に乗る一人――バインズ先生が僕たちの前で止まる。
「バインズ先生。お気をつけて」
「こっちよりアルーン要塞の方が危険なんだ。エル。気をつけろよ。それから……」
「リスティのことは任せて置いてください」
「あぁ、そうだな。お前がいるんだ大丈夫か。それじゃ行って来る」
そう言うと右手を振りながら騎馬の歩を進めていく。
「リスティ。何も言わなくて良かったの?」
尋ねる僕の言葉にリスティは微笑む。
「はい、昨日十分に話をしましたから」
「そっか、それなら良かった」
そう会話する僕たちに民衆が一際沸き立つ声が届く。
視線を送った先にいるのは御年六十七にして生きる伝説、ルッツ・ヘイマー第三騎士団団長。
自身の団のみならず別騎士団、民衆からも慕われるバルクス騎士を体現した姿である。
そんな彼は僕を見つけると豪快に笑う。
「なんだ、エル坊。あれくらいの酒でグロッキーか」
「だから言ったじゃないですか。僕はそこまで強くないって」
「ハハ、そういえばそうだったな。んじゃ、エル坊。帰ってきた時のとびっきり楽しみにしているからな」
「はい、お気をつけて」
右手を上げながら遠のいていくその姿は、これまでも何度も見た僕たちを安心させる力強い背中だった。
王国歴三百十四年十二月五日。後に『南方の悪夢』と呼ばれる事件の一部として記載されるバルクス侯の戦いはこうして始まるのであった。