■「カルインの少女1」
「変わった生徒がいた?」
「はい、エル義兄様」
教師としての最終研修でバルクス領内にある学校に九ヶ月ほど赴任していたルークが帰省した九月中旬。
姉であるベルと一緒にお茶を飲みながら報告を聞いていた中でルーク君がそう口を開く。
「確かルークの赴任先は……」
「カルイン村です。人口も五百人ほどで生徒数も三十名ほどの非常にのどかな村でした」
「あー、そうそうカルイン村だったね」
そう言いながら僕の中で僅かばかりの引っ掛かりを感じる。昔、この村の名前を聞いたことがある気がするんだよなぁ。
「それで、ルーク。どんな変わった生徒だったの?」
一緒にお茶を飲んでいたベルが、ルーク君に話の続きを促す。
――ルークの話だとこうである。
カルイン村は人口五百人ほどとバルクス領内ではありふれた村の一つである。
ちなみにこの世界には村と町の定義はそこまで厳密では無く、大体において二千人を越えた位から町と呼ばれるようになる。
生徒も三十人ほどで皆とても勉強熱心だったという。うん、学習意欲が高いということは僕としては嬉しいことだね。
その中で一人。気になった少女がいたという。
名前はアーガント・レクス。今年で十二歳になる少女。
授業態度は真面目でテストにおいても常に上位、他の生徒とも仲が良いとそこまでであれば普通の優等生といった感じだったらしい。
だが授業の合間の休憩中の様子がまず普通の子と違っていた。
十二歳の子供には相応しくないほどの分厚い本を読むことが多かったという。
そもそも平民の少女がそれだけの本を読むということ自体が珍しい。
活版印刷機を辺境侯管理の下、商人連に貸し出した事でバルクス領内には次第に安価な本が普及しつつあるとはいえ、未だに高価であることは変わりない。
それは本が分厚くなればなるだけ――手書きの労力が高くなるので――顕著である。
しかも記載されている文字はルークでは理解できなかったそうだ。それを少女は事も無げに読んでいた。
いや、多分読んでいると思われる。といった感じだった。
なにせその本の内容をルークが尋ねた際、少女は嬉々として語るのだが、殆どをルークは理解できなかった。
どうやら人体の構造についての話らしいが、貴族学校でも聞いたことも無い単語や内容だったそうだ。
それでも、ルークはそんな事もあるのかな。と思っていたらしい。
なんせ、自分の姉であるベルも小さい頃からルークが読めない文字――前世の書籍だ――を読んでいたのだ。
彼にとってはさほど驚くべきことではなかった。うーん、慣れとは恐ろしいものである。
そんな中、ある事件が起きた。
屋外授業として教師数人と近隣の林に行った際、同級生の少年が不注意で怪我をした。
ある虫に刺されたのだ。ただしそれが毒を持つ虫だったことが事件を大きくした。
毒に治癒魔法は効果が薄い。いや、正確には毒の効果にあわせた治癒魔法でなければ効果が無いのだ。
引率した教師の中でも治癒魔法が使えたのはルークだけ。
しかもルークが覚えていた幾つかの治癒魔法を使ったが、不幸にもその毒に効果は無く次第に少年の顔からは血の気が引いていく。
治癒方法に逡巡していた教師達を他所に少女は、少年の症状を確認すると近くに群生していた野草を摘み、石と自らの手を丁寧に水らしきもので洗うと磨り潰し始めた。
そして磨り潰した物を教師が止めるまもなく傷口、そして水で薄めて飲ませたという。
教師としては、少女が闇雲に草を食べさせただけに見えたのだろう。
少女を叱責しようと口を開きかけた時、少年の顔色が徐々に元の赤みを帯びたものに回復した事に気づいたという。
そして少女はほっとしながら口を開いたという。
「エクズ毒の症状だったので、解毒作用のあるホーキ草を磨り潰して服用させてみたのです。良かった助かって」
と――
「後で確認したのですがエクズ毒は致死性が高く、なにも考えずに学校まで少年を運んでいたら助からなかったかもしれません」
「すごいですね。わずか十二歳でそんな対応の仕方を知っているなんて」
「それ以来、少女は少年を救ったということで皆から褒められてましたからね……ん? どうかしましたか。エル義兄様?」
話を聞きながら考え事をしていた僕に気付いたルークは僕に尋ねてくる。
「ルーク、その少女は薬草を磨り潰す前に手と石を水で洗ったって言ってたよね?」
「え? はい、実際には水ではなく少女が携行していたアルコールでした。
未成年なのに飲酒するつもりだったのかって皆が笑ってましたが……」
そう返すルークの言葉に、ベルも僕が考えていたことに気がついたのだろう。
「エルさん。それって……」
「アルコール消毒だね」
「アルコール消毒? エル義兄様、姉さまそれって何です?」
ルークはその言葉をはじめて聞いたかのように尋ねてくる。いや、実際始めて聞いたのであろう。
医学の進歩が劣るこの世界において、そもそも消毒という考えが存在しない。
目に見えない細菌の存在が知られていないのが現状だからね。
もちろん手洗いは皆実施しているがその多くが『手が汚れているから』といういわゆる『日常手洗い』というやつだ。
付着した病原菌を取り除く事を目的とした『衛生的手洗い』や煮沸殺菌といった事を実施しているところはまず無いだろう。
一応、我が家では廃油を使って石鹸を作って手洗いを奨励している。
実践しているメイド達も石鹸で洗うとよりさっぱりするというのが主で本当の理由は分かっていない。
出来ればバルクス領全体に石鹸を普及させたいけれど、油自体が貴重なため廃油自体が少なく石鹸の大量生産はまだまだ先の話。
今の目標はオリーブや椿といった天然油脂の原材料の大量栽培かな。
閑話休題
その少女が処置をする前に手と磨り潰すために使用した石をアルコールで洗い流したというのが重要なのだ。
つまりアルコールに殺菌作用が存在すること――細菌の存在を知っているという事を意味している。
とすると思いつくのは唯一つ。
僕が十歳の時に願ったギフト『医術、特に免疫学と防疫といった感染症、生物災害への知識を持った人物』だ。
年齢も十二歳と合致している。
もちろんただの偶然という可能性もあるが、それはそれで有力な人材情報を手に入れたと喜ぶべきだ。
古代中国の三国時代。魏の曹操は人材コレクターとして有名だけれど僕も出来れば優秀な人材であればどんどん集めたい。
これから近い将来に起こるだろう戦乱を考えると特にである。
しかしそれにしても……また少女ですか……神様わざとでしょ。
「ベル。できればその少女に会ってみたいな。手配をお願いしても構わないかな?」
「はい、分かりました。エルさん」
僕のお願いにベルは笑顔で返すのだった。