■「魔物とハサミは……1」
さて、メイリアが王都に向かった間でも僕たちとしてはやる事が山積みである。
まずはバルクス辺境領内の衛生面についてである。
人が群れを成し町を作り出した中でどうしても排出されるものが存在する。
それは生活ゴミや排泄物といった類のものである。
生活ゴミについては、前世の頃と違って有害なガスを発生させるような化学製品が殆ど流通していない。
だから、町ごとに決められたゴミの集積場に集められて一定の頻度で焼却処理が行われる。
焼却処理も爆炎魔法による焼却と中々にダイナミックでエンターテイメントとしてちょっとしたお祭りになるらしい。
バルクス領民のモラルは中々に高く路上にゴミが散乱しているという事がない。
まぁ、少しだけ治安が悪そうな裏道はどうしてもゴミが落ちていたりはするけれど、日本でもたまにあったことだからこればかりは仕方がないだろう。
実際に付近に住む領民によって主体的に清掃活動も行われているから大量にゴミが落ちている。ということは少ない。
いずれ化学製品の取り扱いを開始できるようになった頃にはごみ焼却処理場といった施設の検討も必要だろうけれど、こちらは追々でいいだろう。
さて問題は、排泄物についてだ。
といってもこちらも個人宅トイレや共同トイレ(平民の多くがこちらを利用する)でちゃんと溜めるようになっている。
中世のヨーロッパのように窓から排泄物が投げ捨てられる……何ていう笑うに笑えない状況でなくて本当に良かったと思ったものだ。
では溜められた排泄物はどうなるのか?
この世界には『掃除屋』と呼ばれる専門職が存在している。
排泄物を集約して郊外のある場所まで運び出し、そこに廃棄されるのだ。
おいおい、それだと環境汚染だろ。と思いきやその『ある場所』というのが重要なのだ。
その場所というのはある魔物の巣になっている。
魔物の名前は『レーゲンアーペ』。全長は平均で十五m、最大で百mにも成るといわれる巨大ミミズだ。
レーゲンアーペは、魔物ではあるけれど人間を積極的に襲うことはなく有機物――つまりは人間の排泄物だろうと食べるのだ。
『トイレのお掃除屋さん』なんて可愛く呼ばれることもある。実物は人も一飲みしそうなくらい巨大だけどね。
いやはや、ここら辺は魔法と魔物の世界だなぁとつくづく思い知らされる。
掃除屋という仕事は、王国のみならず帝国、連邦でも無くては困る職業ではあるけれどその多くが下級平民が就く仕事だ。
なんせ扱っているのは排泄物だ。『きつい』『汚い』『危険』『臭い』のいわば『4K』といわれるような仕事。
普通に就職先があるような人が就く様な仕事ではないから明日の職も無いような下級平民の専門職となってしまった。
特にバルクスにおいては『危険』というのが、より重要な問題だろう。
レーゲンアーペが生息しているのは郊外……つまりは魔物が跋扈する場所に行かなければ行けないのだ。
さらに排泄物を運んでいるということは、鼻が利く魔物たちにそこに人が居る事を教えているに等しい。
ゆえにバルクスでは、年に十数人ほどの『掃除屋』が行方不明または死体で発見されている。
バルクスの人口から考えればたかが十数人、されど十数人なのだ。
さらにいえば、農業改革と商業改革によってバルクスの領民は全体的に少しずつ裕福になってきている。
その結果、掃除屋の成り手が徐々に少なくなりつつある。裕福なのに危険な職業になりたいとか思う人は少ないもんね。
ということで本格的に下水処理施設の検討を始めた訳だけれど……
「いやぁ、予想していたけれど予算・工期ともに莫大だなぁ」
僕はベルとアリスによって試算された見積を片手に苦笑する。
農業と商業が徐々に潤ってきたことで余裕が出来た財政によりいよいよと思ったけれど現予算でやっとエルスリードに下水道を整備することが出来るくらい。
できればイカレスとアウトリアもと思っていた僕の思惑は、はかなくも崩れた。
「これでも、コンクリートと魔法『ダイナマイト』のおかげでかなり安価にはなったんですけれどね」
アリスはそう言いながら両方を使用しなかった場合の試算も見せてくれる。うわぁ三倍以上だぁ。
「下水道自体は、今まで培った技術があるので問題ないのですが、どうしても下水処理場がネックになりますね」
ベルは、そう言いながらエルスリードの地図を机に広げていく。
その地図には町の中心で交差するように東西・南北に赤い線が一部引かれている。
「この線が既に作られた下水道ってことだよね?」
「はい、コンクリートとダイナマイトの性能テストも兼ねて。水の流れが全て南に集まるように緩やかな勾配が付けられています」
新しく生み出されたコンクリートとダイナマイトについては、性能テストのついでに地下五mほどの位置に丸二年かけて進められていた。
測量技術について不安があったもののベルによって事前に測量器が作られたことで時間は掛かったもののかなり正確な下水道の一部が作られていた。それでもまだ全体の一割ほど。先は長いが予算さえつけば、一気に増員して作業スピードを上げることができる。
さて問題は下水処理施設の方だ。
日本においても下水処理の施設というのはかなり大掛かりであった。
いくつもの沈殿池や濾過施設、消毒施設を通って河川に放流される。
それを作ろうとすると広大な土地と施設が必要となる。現に今回の予算の六割以上が下水処理施設を作るための予算になっている。
しかもこの予算は順調にいった場合を前提としている。ベルやメイリアが陣頭指揮をとったとしても全てが順調にというのは難しいだろう。
「とはいえ汚水をそのままアインズ川に流すわけにもいかないしねぇ」
そんな事をすればエルスリードより下流に住む人々の健康状態への影響があることは火を見るより明らかだ。
映像でしか見たことがないけれど、高度成長期時代の泡だらけの死んだ川をここで再現なんかしたくはない。
そんな中で僕の頭の中に一つ思いつきが生まれる。
「ねぇ、ベル、アリス。レーゲンアーペを捕獲して下水処理施設の代わりに使えないかな?」
僕の問いかけに少しの間沈黙が訪れる。
「すみません、エルス。どうやら聞き間違えたようなのでもう一度お願いできますか?」
「あ、うん。レーゲンアーペを捕獲して下水処理施設の代わりに使えないかな?」
「……聞き間違いでなかったですね」
そうアリスは苦笑いする。
「魔物を捕獲……ですか。考えたこともなかったですね」
ベルはそう言いながら。少し考え込む。
なるほど、確かにこの世界の人にとっては、魔物イコール倒すべき害悪なのだろう。
ただ僕の感覚の中には、魔物だからといって全てが倒すものであるという思いはそこまで強くはない。
もしかしたら懲らしめることで、仲間にして欲しそうにこちらを見てくる可能性だってあるのだ。
それに全てが全て元の世界の方法が正しいとは限らない。
元の世界だって多くの失敗を繰り返したことで今の歴史に繋がっているのだ。
さらにこちらの世界には、魔法や魔物といった元の世界には無かった物がある。それを活用できるのであれば活用すべきなのだ。
「けれどベル。確かに考え方によっては非常に有効かもしれないわ。
バルクスにおいて掃除屋の最大の懸念は巣までの往復時に他の魔物に襲われること。
その巣の位置を町の傍までもってくると考えれば、その懸念は解消される。
もちろん大人しいとはいえ魔物である以上、それなりの対応は必要になるでしょうけどね」
アリスも僕の突飛な発想からメリットとデメリットを考えてくれたらしい。
「アリス、汚水の流入先を下水処理施設じゃなくてレーゲンアーペを隔離するための施設に変えた場合、どれくらい予算を削減できそう?」
「正確に算出する必要はありますが……少なくとも四割は削減できるかと」
うん、四割も削減できるというのはかなり大きいな。
「ベル、エルスリードで一日あたり排出される汚水の予測量とレーゲンアーペが汚水処理できる予測量から最低限必要な数を算出してもらえるかな?」
「はい……わかりました。ですがどうやって捕まえるのですか?」
「魔物の巣に居るのを根こそぎ……ってのは今の時点では難しいからね。まずは、はぐれを一・二匹捕まえてみるってことをやってみたいね」
「……それってもちろんエルさんも……」
「うん、参加するよ。捕獲するってことは束縛系魔法が一番有効だろうからね」
そういう僕の言葉にベルとアリスは
「やっぱり、この前線に立ちたがる気性は」
「シュタリア家の血よねぇ」
苦笑いしながらそう言うのだった。