●「不和誘発4」
「バルクス……ふんっ、やはり犬の棲み処か。 それで? わが軍はどうなった?」
そう吐くように言うオムズレにリスティアと名乗った女性は、少し苦笑いしながら口を開く。
「オムズレ将軍が離脱した後は、率いる将軍たちの多くが負傷したため壊乱状態となり多くの兵が逃亡ないしは降伏しました」
「……であるか」
ここに至って冷静になったオムズレは自身の行動に後悔する。
バルクス軍の二将の思惑はオムズレと軍を引き離すこと。冷静に考えれば明らかなことにまんまと引っかかったわけである。
ここは敵陣のど真ん中。いくらオムズレが屈強とはいえ多勢に無勢。
抵抗したところで目の前のリスティアと十人ほどを道連れにすることが関の山であろう。
そしてこう見えてもオムズレは少なからぬ下心があるとはいえフェミニストである。
戦場とはいえ女性に害をなすことには抵抗がある。
つまりは既に詰んだ状態。後は断頭台に向かうのみであろう。
「それで? いつ私は処刑されるのだ?」
そう返すオムズレにリスティアは少し驚いた表情を浮かべ
「まさか。猛将と名にし負うオムズレ将軍を処刑することなど出来ましょうか。それに勝敗は兵家の常。
此度はこちらにたまたま勝利の女神が微笑んだだけ。
オムズレ将軍には帰参していただき再度、戦場にて相まみえましょう」
リスティアの語った言葉にオムズレは若干混乱する。 わざわざ捕らえた自分を解放するといったのだ。
しかも捕虜交換――という名目の金銭要求――といった手続きもしようとしていない。
「であれば、俺を逃がすというのか?」
「えぇ、もちろん。治癒魔法にて傷は治しておりますのでオムズレ将軍の体調が問題ないのでしたら直ぐにでも」
オムズレの言葉にリスティアは即答する。
「……であれば、体調は問題ない」
「それでは、お願いします」
リスティアの言葉に控えていた二人の騎士がオムズレを介助してテントの外へと連れ出す。
念のため警戒しているのだろう拘束具はつけたままではあるがそこは仕方ないだろう。
陣の中を通る際にバルクス兵の好奇の目にさらされることに内心屈辱を感じながらも外面はそれをおくびにも出さずに威風堂々と歩き続ける。
リスティアの案内で何カ所かの陣や兵装の説明を受けつつ陣の入口へと至る。
「徒歩でお帰りいただくのは難儀するでしょうからこちらの馬を利用ください」
そう言いながらリスティアが一頭の馬を連れてくる。恐らく老馬だろうが文句は言えない。
「再び戦場でお会いしましょう」
「ふん、その時にはその細首もらい受けるぞ」
そう言い放つとオムズレは馬に乗り込み振り返ることなくバルクス軍の陣を後にするのであった。
――
「本当によかったんで?」
去ったオムズレの姿が見えなくなった頃、兜を脱いだ騎士の一人――レッドがリスティに声をかける。
「かまいませんよ。北部貴族連合内でエウシャント伯と双肩をなすと言われるほどのエル嫌いといわれる好人材です。
それほどの好素材を生かさないのは逆に失礼でしょう」
そういうリスティの言葉にレッドは横にいるもう一人の騎士――ブルーに苦笑いする。
そして心の中でリスティの予定通りに動きつつあるオムズレに『ご愁傷様』と若干同情する。
「オムズレ将軍ですか……少なからぬ抵抗をすると思っていましたが、聞いていたより紳士的な態度で少し驚きました。
少し人物像に補正が必要かもしれませんね。まぁもっとも……」
そう言うとリスティは二人の方に振り返り
「二度とお会いすることは無いでしょうけどね」
そう微笑むのであった。
――――
結局オムズレが主都コーカススに帰参したのはそれから三日後の事。
というのもやはり老馬は道半ばで動くことができなくなりそこからは徒歩と途中で接収した馬を駆使してようやくたどり着いたのだ。
帰参報告を行うためにエウシャント伯がいる大広間を訪れたオムズレに向けられる貴族や従者たちの視線。
だがその視線に言い難い違和感を感じつつも前方中央に座すエウシャント伯の元へと歩を進める。
「オムズレ……か……」
「はっ……不肖オムズレ。敵の卑怯な作戦により虜囚の身となりましたが、運良くもこうして帰参することが敵いました。
ですが虜囚になったなかで奴らめの陣立てや武装の情報を得てまいりました。次こそは敵陣に至ること叶いましょう」
そう返すオムズレにエウシャント伯は突如笑う。
「そうかそうか。次は敵陣に至るか。その際には我が首を手土産にすると約束でもしたか?」
エウシャント伯の言葉をオムズレはすぐさま理解することができない。
「…………は? 今なんと?」
返すオムズレの言葉にエウシャント伯は鬼の形相で立ち上がる。
「知らぬとでも思うてかっ! この裏切り者めっ! よくもおめおめと我が前に現れたなっ」
「お、お待ちください。本当に何のことだか……」
「貴様とともに出陣した貴族や将軍は悉く捕らえられてその場で打ち首になったわっ! お主を除いてな。
敵と密約でも結んできたかっ! オムズレっ!!」
実際には多くの者が連行され、既に戦傷で治癒魔法でも回復の見込みがない数名がこれ以上苦しまぬように止めを刺されたのだが、バルクス軍によって大きく誇張されて吹聴された情報をエウシャント伯は鵜呑みにしたのだ。
「なん……ですと……」
その言葉にオムズレは衝撃を受ける。そして自分が帰された意味を理解する。
「そ、そうだオキサドール子爵……オキサドール子爵はっ!」
「オキサドールなら責任を取って賠償金を払い領地に戻ったわっ! 貴様の処分を一任してなっ!」
それはオムズレにとって後ろ盾を失ったに等しいこと。その事実にオムズレはさらに混乱する。
「ま、待ってくれっ! これはバルクスの野郎どもの策略だっ。エウシャント伯爵。騙されないでくれ」
そう懇願しながらオムズレは一歩。エウシャント伯へと歩を進める。
だがそれが、エウシャント伯の猜疑心と恐怖心を煽る結果となる。
「な、何をしている貴様ら。反逆者が我を殺そうとしておる。さっさと殺せっ!」
それはオムズレの命運を尽かせる命令。
「そうか……これが貴様の魂胆かっ! あの阿婆擦れがぁあああああああああああああああああああああああああああああ」
それがオムズレの放つ最期の言葉となるのだった。
――――
大広間に漂う血の匂い。それは普段血を見ることもなく生きてきていた貴族たちに不快感と嘔吐感を催させる。
そして床には自身から出た血のプールに身を浸しながら絶命したオムズレの遺体が転がる。
狂乱の時が過ぎ徐々に冷静さを取り戻しつつある中に
「辺境侯嫌いで知られたオムズレ卿が……」
それは誰が放った言葉かはわからない本当に小さな呟き。 だがそれは静まり返った大広間に広く響き渡る。
そしてその言葉がその場に集まった貴族たちに確実に他貴族に対する猜疑心の種を植え付ける。
バルクス辺境侯への敵愾心や嫉妬心で集まった寄せ集めの集団は確実に破滅へと舵を切ったのであった。