02. 帯広の夜 - 焼肉屋『平和園』
ダイマ: https://tabelog.com/hokkaido/A0111/A011101/1000108/
1時間半ほど飛んだのち、俺たちは新千歳空港に到着する。
この空港には、学生の頃に何度か来たことがある。研究関連の出張のためだ。
もう20年ほど前の記憶だが、それほど変わった様子もない。
俺たちは荷物を受け取り、空港内を歩いて移動する。
「出る前に言ったけど、悪いがここではのんびりできない」
「うん」
歩きながら長女と会話する。
「ほんとはなんかスープカレーとか昼食にできればいいんだが、
残念ながらバスの出発までそれほど時間がない。コンビニのサンドイッチとかで済まそう」
ここからは高速バスに乗る。
バスは、日高山脈の山道を抜けて十勝平野へ向かう。
今日は帯広まで移動して、晩御飯を食べたら終了だ。
「晩飯はジンギスカンでも食べてみよう」
「いいね! そういう北海道らしいものを食べるべきだよ。
スープカレーとか別に北海道じゃなくても食べられるんだし」
俺より精神年齢上か。『カレー! カレー! バスよりカレー!』脳内次女が騒ぐ。
バス乗り場はすぐに見つかった。俺たちの乗るバスはすでに待機している。
... とかちミルキーライナー
ちょうどよく、近くにコンビニもあった。適当に昼食と飲み物を買う。
「お」
長女が何か見つけたようだ。
「そういちろう、これ、いろはすのハスカップ味だって」
「おお、北海道らしいな。飲み物はこれにしとこうか」
「そうしよう」
なんだかんだお前もミーハーやないか。でも北海道限定だろうなこれ。
... いろはすハスカップ味
買い物を済ませてバスに乗り込む。窓側の席はやはり長女に譲ってやる。
おおむね山間を走ることになるから、北海道の開けた大地は見られないかも知れないが、いい経験になるだろう。
ほどなくバスが出発する。長女と一緒にサンドイッチを食べる。
「いろはすお先にどうぞ」
「どうも。飲んでみるね」
キャップを開けて、長女が一口飲む。
ハスカップって名前は聞いたことあるけど食べたことはないな。味がわからん。
長女はしばらくバスの天井を眺めて感想を考えているようだったが、ふと俺の方を向いて言う。
「ふつう」
味の感想を言え。俺もキャップを開けて飲んでみる。
……おお、ブドウっぽい? ブルーベリーのような風味となんとない野趣味があるが……、
「ふつうだな」
「しょせんは清涼飲料水だよ」
危なかった。もう一口飲んでたら吹き出していた。
*
バスの移動は2時間半ほどかかる。
しばらく市街地を走ったのち、雪に覆われた山道に入っていく。
外の景色を眺めていた長女だったが、いつの間にか眠っている。
まあな、朝も早かったし仕方ない。たぶんこの雪山より、
明日の移動で見られる景色の方が、より北海道らしい風景だろう。今は休め。
しかし寝顔かわいいな。長女も次女も寝顔は嫁そっくりだ。
おおいかん、嫁にLINEしておこう。
『こちらは無事です。いま、空港から帯広までのバスで移動中。長女は寝た』
すぐに返信が来る。
『無事でなによりです。長男坊の熱はまだ下がってない。
次女も寝ちゃった。いつもあんなにケンカしてるのに、
付きっきりで看病してた。絵本とか読んであげてたよ』
そして次女と長男が並んで寝ている写真が送られてくる。小さい嫁と、さらに小さい俺だ。
『我々ながら、いい子たちに育ってくれたね。ホテルに入ったらまた連絡します』
それから長女の寝顔を送信する。
『了の解』
うふふ、家族ってのはいいものだな。
そのうちいつの間にか俺も眠っていた。
*
15:00ごろ、帯広へと到着する。
車内のアナウンスで目を覚ます。おっと、寝ていた。
喉が渇いたのでいろはすを飲む。やはりふつうだ。
長女の肩をぽんぽんとたたいて起こす。長女は薄く瞼をあけて、
周りを見渡すように目を動かしていたが、すっと覚醒する。
「もう着く?」
「あと5分くらい」
「ん」
長女にいろはすのペットボトルを手渡してやる。
「ふつうだ」
いくらか口にしてから長女は小さくつぶやく。
ほどなくバスは帯広駅に到着する。
今晩 宿泊するのはありふれたビジネスホテルのツインルームだ。
2部屋を予約していたが、前日に1部屋をキャンセルした。
規定としてはキャンセル料が発生するはずだったが、
息子が発熱したためのキャンセルだと事由を説明すると、
そういうことならキャンセル料はいただきませんよ、と返答された。
世界は優しさで回っている。いいホテルじゃないか。
ホテルまでは駅から歩いて5分程度だ。
場所はすぐ分かった。ホテルに入り、フロントで名前を述べる。
「伊ヶ谷様ですね。お待ちしておりました」
ん? このお姉さん、もしかして電話対応してくれた人じゃないか?
「失礼ですけど、先日にお電話とってくださった方ですか?」
「ええ、そうです」
「キャンセル料金については本当にありがとうございました。感謝いたします」
「いいえ、伊ヶ谷様もご家族のご旅行でしたでしょう。これくらいの融通は効かせられます」
いいホテルにいいお姉さんだ。惚れそう。俺には嫁がいるからダメだぜ。
「ありがたく、ご配慮ちょうだいします。
……ところでなんですが、このあたりにジンギスカンが食べられるお店ってありますかね?」
「何件かございますね。ただ、どこも有名店ですので予約がないと難しいかもしれませんね……」
「そうですか……、それはこちらの手落ちです。仕方ない」
「よろしければ確認してみましょうか?」
「ほんとです? すみません、お願いできますか?」
「承知いたしました。そちらのソファーでかけてお待ちください」
「ありがとうございます」
いい人、いい娘すぎる。マジ惚れる。ダメだよ、俺には嫁がいるから。
おっと長女を放置していた。あれなにその顔。「ふうん」って感じの表情だね。
「はるかに言ってやろ」
「なにを? なんで?」
「そういちろう、すごいにやにやしてたから」
「してないしてない」
「『はるか、そういちろうがね、ホテルのフロントのお姉さんにデレデレしてた』」
「してないです! ぜんぜんしてないです!」
「ほんとに?」
「……ちょっとしてました」
「事案だ」
なにも起きてねえよ。
にやにやしている長女を誘導して、対面した1人がけのソファに座る。
こういうのはマジレスするのが手っ取り早い。
「なあ」
「え? はるかには言わないで欲しい?」
「俺ははるかを世界でいちばん愛している」
長女が真顔に戻る。ふふ、雑魚め。
「それと同じくらいにお前のことが大好きだ」
長女の顔が赤らんでいく。そうだな、次女はまだ「そういちろう好きー」とか無邪気に言うけど、
お前はもうこの手のことも言わないし俺からも言ってなかったな。
「はるかに言っても構わんぞ」
「……じゃあ言わないよ別に」
長女は顔を背ける。耳まで真っ赤だ、かわいいな。
*
長女は一言も発すことなく、俺と目を合わせようともしない。
しばらくしたのち、フロントから声がかかる。
「申し訳ございません、やはり、どの店も埋まっているようです」
「わかりました。仕方ありません」
ソファから立ち上がりながら答える。
「もしよろしければなんですけど」
「はい?」
「私がたまにいくお店なんですけど、いいラム肉を出す焼き肉屋さんがあります。
念のために確認しましたが、そのお店なら今夜でも入れるみたいです」
おもてなしの塊か。長女にはああ言ったが20年前にこの対応されていたら完全に惚れていた。
「ありがとうございます! それではぜひそのお店に行ってみようと思います」
「よかった。ここからそんなに遠くありません」
そう言うと、お姉さんは簡単な地図を描いてくれた。なんていい人だ。
「通りに面しているので迷うこともないと思います。
娘さんといいお食事をお楽しみください。それではこれ、お部屋の鍵です」
「本当にありがとうございました」
「いえいえ、それではあちらにエレベータがありますので」
「はい、どうも」
鍵を受け取ると、2人分の荷物を手にした長女がいつの間にか脇に立っていた。
空気読めるやつだなお前は。
「ありがとう。俺のは自分で持つよ」
「ん」
長女が差し出してきた自分の旅行鞄を受け取る。
「聡明なお子さんですね」
「そうでしょう、自慢の娘なんです」
長女が空いた手で俺のケツを叩く。なんでじゃい。そこそこ痛い。
そうしてずんずんとエレベータの方に歩いていく。
「うふふ」
「かわいいでしょう」
長女に聞こえない声量で自慢する。
「とってもかわいい。行ってあげてください」
「はい、ありがとう」
「どういたしまして」
長女とエレベータに乗り込む。やや気まずい。なんで娘に気まずさを感じなければならんのだ。
目的階に着く。部屋はすぐに見つかった。
次女は切り替えが早いというか早すぎるが、長女はなかなか機嫌を直さない。
こういうときはなんのかんの言わない方がいい。
少し1人にしてやるのが長女には効く。
適当に荷物の整理をしてちょっと長めにシャワーを浴びる。
体を拭いて、浴室内で服を着直す。ここでフルチンとか下着とかで出たら、
長女の神経を逆撫ですることになることは分かっている。
ユニットバスから出ると、長女はテレビを点けてローカル番組を見ていた。
「長いよ。私も入ってくる」
「ん、わかった。出たらご飯食べにいこう」
「うん」
機嫌は直ったみたいだ。よかった。
切り替えは遅いが根に持つやつではない。
ベッドに座って嫁にLINEで報告したのち、
あとはローカル番組を眺めて長女が出てくるのを待った。
*
長女も20分ほどシャワーを浴びていた。お前も長いじゃないか。
それから財布とスマホを持って部屋を出る。鍵をフロントに預ける。
先のお姉さんではなかった。残念だ。もう上がったのかな。
冷静に振舞おう。なんらかの気配を出すと長女がまた不機嫌になる。
ちらと長女の顔を盗み見るが、特に感情は表れていない。よかった。
ホテルを出て、お姉さんが書いてくれた地図を見ながら長女と歩く。
「あのお姉さんじゃなくて残念だったね」
おうふ、そういう爆弾投げ込むのやめろや。
「まあお礼を言えなかったのは残念だな。やめようぜこの話題」
「……ん、そうだね、ごめん」
素直だ。なんらか追撃しそうになる気持ちを抑えて話題を変える。
「それにしても寒いよなあ。新潟も寒いけど、寒さの質が違うというか」
「あ、それ私も思ってた。なんか、新潟より乾いた寒さっていうか」
「あー、わかる。新潟は日本海から風が来るからなあ」
「ここは海から離れてるもんね」
さすがの予習力。帯広の位置は理解しているらしい。
そのまま理系談義を続けて10分ほど歩くと、目的の焼き肉屋が見つかった。
*
店に入ると、まだ早い時間帯だったためか、個室に通してもらえた。
長女と対面に座って、さあまずはビールだ。寒いが。
「飲み物どうする?」
「ウーロン茶」
渋い。とりあえず飲み物だけ注文する。
それから長女にメニューを手渡してやる。
「ラム肉は頼むとして、ジンギスカンでもなくなったし好きなものを食べよう」
「まずタン」
渋い。
「十勝平野なんだから牧畜が盛んだよね。
あ、十勝若牛っていうのがある。カルビとハラミとハツ頼もう」
強い。玄人か。
「いい選択だ。ラムはこのあと食べるか。お米は食べる?」
「あ、食べる」
よいよい、よく食べてよく育て。俺はビールでいい。
「野菜盛りも頼んでおこう」
「そうだね」
『野菜とか死ねばいいのに』脳内次女がささやく。死ぬのはお前だ。やだ死なないで。
店員さんを呼んで注文をする。
ほどなく肉が運ばれてくる。
ぼちぼち長女と会話しながら、普通に焼き肉を楽しんだ。さすがに美味いな牛。
長女はそんなにたくさん食べる方ではないし、俺ももうちょっと摘まめれば満足という歳だ。
ここまで頼んだ品でお互いに概ね満足した。
... 平和園の肉
「ラスト、ラム肉行っときますか」
「行こう。私、羊肉って初めてかも」
「お、そうだな。食卓に上がるものではないな。俺も久々に食う」
「たのしみ」
店員さんを呼んで、上ラムを2人前 注文する。
「羊かー。どんな味?」
「うーん、好き嫌いあるとはよく聞くな。乳臭いというかミルキーというか。俺は好きなんだが」
「ふうん」
まあ食べてみないとなんとも言えない味だ。
すぐにラム肉が運ばれてくる。
おっ、あの丸い肉じゃなくて、牛肉と同様に切り身なんだな。
さっそく焼き網に載せる。独特のにおいが立ち上がる。
「あー」
長女もその匂いに気付いたようだ。
「これは確かに好き嫌いある感じの匂いだね」
「そうだろ。俺はいい匂いに感じるけど」
「いや、私もいい匂いだと思う」
こいつな、俺と食の嗜好あってるからな。
俺の酒のつまみはだいたいこいつも好んで食べる。
いい感じに焼きあがったので先に長女に食べさせる。どうだろ。
目をつむって、ラム肉を咀嚼し飲み込んだ長女は、ふいに目を見開く。
「私、これ好き!!」
やっぱな。美味しいよね。
「そういちろうの言う『乳臭さ』ってのが分かった! だけどそれが美味しい!
これはすごい! 牛とも豚とも鶏とも違う! 未体験だ!」
早口でまくしたてる。長女にしては珍しい。そんなによかったか。
「世界には色んな食べ物があるなあ」
2枚目のラムを取り上げながら感慨深げに長女は言う。
そうだよ、いろいろあるんだ。楽しんで生きてくれよ。
非常にお気に召したらしく、結局、もう2皿ラムを頼んだのち会計となった。いっぱい食ったな。
すっかり機嫌のいい娘とホテルまで夜道を歩く。
ほんとに機嫌がいいんだな。テンション高めに色んな話をしてくれる。学校のこととか友達のこととか。
普段 そういうことを話さないわけではないが、長女から積極的に話してくることはなかなかない。
幸せなことだ、と思いながら、長女の話を聞きつつホテルに戻った。
もう一度、ザっとシャワーを浴びる。部屋に戻ると、寝巻に着替えた長女はすでにベッドに入って眠っていた。
まあな、バスで寝てたとはいえ、長距離移動はやはり疲れる。俺も眠い。
いつも寝る時間よりは早いけど、俺も寝ることにした。嫁に簡単に報告して、ベッドに入る。
いい気持ちで、いつの間にか眠っていた。