3、グルオの隙自語(後編)
反射的に鼻を利かせれば、僅かだが確かに血の匂いが感じ取られた。
こいつ、食人鬼の俺より鼻が良いのか。
いや今はそんな事より──
「っトトル兄ちゃん!」
「あ! ちょ待てよ」
どこかで聞いた事あるような無いような台詞を放つポニテの横をすり抜け、俺はトトル兄ちゃんと別れた場所を目指して再び駆け出した。
流石に全速力は出来ないけれど、ジッとなんてしてられない。
トトル兄ちゃんは確かに強くて大きい。
でももし冬眠明けのデスベアーや悪い大人の魔物に遭遇していたら大変だ。
「ハァッ、ハァッ」
先程いじめっ子共と遭遇した場所に差し掛かる。
トトル兄ちゃんの姿はない。
「……!」
血の匂いが濃くなった。
心臓が警鐘を鳴らすようにドクドクと嫌に脈を打つ。
もしかしてトトル兄ちゃん、いじめっ子共の後を追ったのか?
でも何で?
考えがまとまらない頭を強く振り、咳をしないよう気をつけながら茂みに隠れて移動する。
……あ。
「ぐぅぅぉぉおぉぉーーっ!!」
「っ、トトル兄ちゃん!」
あの便秘に苦しむサイのような雄叫びはトトル兄ちゃんの咆哮だ、間違いない。
慌てて声のした方へ駆け出せば、トトル兄ちゃんの「来るなチビオ!」という怒鳴り声が聞こえた。
トトル兄ちゃんのこんな焦った声、初めて聞く。
「ハッ、ハッ、トトル兄ちゃ……」
──グルルルル……
「馬鹿! 逃げろチビオ! デスベアーだ!」
辿り着くと同時に目に飛び込んできたのは、見た事もない程でかい化け物がトトル兄ちゃんを組み敷いている光景だった。
何だこれ、デスベアーってこんなでかいのか!?
2メートル近くあるトトル兄ちゃんが小さく見えるぞ。
「ひっ……あ……わ、」
デスベアーがゆっくりと顔を上げて俺を見た。
何の感情も無さそうな鋭い目に射ぬかれ、膝がガクガクと震えだす。
怖い怖い怖い怖い怖い!!
今まで野生の獣に食べられそうになった事は数あれど、ここまでハッキリ死を感じるのは初めてだ。
駄目だ、逃げる事すら出来ない。
俺はこんな所で喰われて死ぬのか──
「ぅぐ……ぁ……」
「!」
デスベアーが俺を見たまま、トトル兄ちゃんを前足でゴロリゴロリと左右に転がし始めた。
「ぐぁ、ぁあ゛……」
痛々しげなトトル兄ちゃんの呻き声を聞き、俺の胆が別の意味で冷える。
こいつ、トトル兄ちゃんを弄んで弱らせる気か──!
トトル兄ちゃんの肩と脇腹からドクドクと流れるおびただしい血に気付いた瞬間、俺は沸き起こった怒りの力をバネに足元の石を投げつけた。
「トトル兄ちゃんを離せこの野郎ーっ!」
石はデスベアーまで届かず放物線を描いて落下したが、挑発には成功したらしい。
デスベアーはトトル兄ちゃんからゆっくりと足を下ろし、俺に一歩、また一歩とにじり寄ってきた。
そうだ、もっとこっち来てトトル兄ちゃんから離れろ。
「……ぐ、逃げろ、チビオ……」
「ぃ、嫌だ!」
俺みたいなクソ雑魚魔物にだって、何かの役に立ちたいって意地がある。
それに、最悪俺が死んでもデスベアーの腹の足しになればトトル兄ちゃんを見逃してくれるかもしれない。
──ガルルルル……
四足歩行で近付いてきたデスベアーに真正面から対峙する。
そうだ、来い。
もっと引き付けるんだ、せめてあと三歩……
俺が攻撃射程圏内に入った瞬間、デスベアーが右前足を動かした。
「くっ!」
攻撃が来ると予測すると同時に右後方へと思い切りジャンプする。
俺の予想は運良く当たり、デスベアーの右手は斜めに振り下ろされて空を切った。
速すぎて全然見えなかったけど、動き自体は単調だぞ、こいつ。
足を止める事なく今度は左に動く。
デスベアーの目は俺を見据えたままだが自身の右手の動きに捕らわれてすぐに二撃目を繰り出せない。
「こっちだ!」
そのままピョンと後退して近くの木の前に立つ。
既に体勢を整えたデスベアーは怒ったように唸りながらノシノシと俺の元へと寄ってきた。
攻撃は早いけど、走って追ってくる様子は無さそうだ。
……今の所は。
──ガルルルル……
デスベアーが両前足を高く上げて仁王立ちした。
でっっっか!!
これは全体重をかけた両手振り下ろし攻撃っぽい。
そう思うやいなや、俺は後ろの木を支えにしてクルリと後ろへ回って避けた。
ズドォォン!
轟音と震動に襲われたものの、まだ俺は生きている。
攻撃は全く見えなかったけど、また予想が当たったようだ。
良かった。
「はぁっ!」
バッ
──ガルルルル……
「やぁっ!」
ドォン!
──ヴォォォォォ……
その後も二度、三度とデスベアーの攻撃をギリギリで避け続ける。
よしよし、だいぶ苛立ってるな。
トトル兄ちゃんの事は完全に忘れてるみたいだ。
と、ここで突然デスベアーが姿勢を低く構えた。
あ、これまず──
ダンッ!
それまで探るような足取りだったデスベアーが一気に距離を縮めてきた。
突進攻撃だと理解するより先に視界がグルンと回る。
俺、ついに死ぬのか?
「ふむ。やはり本気を出した獣が相手では素早さが足りなかったようだな」
「…………え?」
どういう事だ?
デスベアーは俺が先程まで立っていた場所の延長にある岩にぶつかってよろめいている。
どうやら俺はいつの間にかポニテに小脇に抱えられて移動していたようだ。
そんな馬鹿な。
「お前、今どうやって俺を助けた?」
「出来る限り映えを意識して華麗に助けたぞ」
「そういう事を聞いてるんじゃない!」
デスベアーが怒り狂った咆哮を上げ、再びこちらに突進してきた。
来る! 速い!
「そぉい!」
「はぁぁっ!?」
俺はポニテの手によりポーンとボールのように投げ飛ばされ、少し離れた木の上へと落とされた。
超痛ってぇ……ってそうじゃない!
「おいお前……!」
急いで上体を起こして下を見下ろせば、デスベアーとポニテが距離を取って対峙していた。
あいつ、まさか俺を投げ飛ばしつつあの突進攻撃を避けたのか!?
腕力オーガかよ。
ポニテは俺と目が合うと悪戯っぽく笑いながら人差し指を口元に立てた。
声を出すなという事か。
デスベアーは俺を見失った腹いせにポニテを次の標的にしたらしい。
鋭い爪が何度も振り下ろされては空を切る。
「すげぇ……」
ポニテはまるで地を這うGの如き素早さでデスベアーを翻弄している。
靡く長髪はさながら触角といった所か。
「おいお前今失礼な事考えて無かったか!?」
デスベアーの動きを完全に見切っているポニテの怒声に、慌ててフルフルと首を振る。
なぜバレたし。
「あ、ってゆーかヤバい。汗かいてきた。汗臭くなるからこれ以上は動きたくないでござる」
「(はぁ!?)」
ポニテは「タンマタンマ!」と叫びながら俺やトトル兄ちゃんから離れた岩陰に身を潜めた。
いや、角出てる角出てる。
当然のように岩を目掛けてまっしぐらなデスベアー。
「ちょ、待てって言ってんだろーが先生に言いつけるぞ男子ぃ!」
先程とはうって変わって焦りの色を見せる情けないポニテの姿に、どうしたものかと思考を巡らせる。
俺が行った所で足手まといだし、投擲武器もない。
詰んだか? これ。
「……よし……」
ならせめて捨て身戦法だ。
冬眠明けのデスベアーなら僅かな餌でも食べたい筈。
ポニテのあの素早さと力なら、俺が餌になってる隙にトトル兄ちゃんを助けてくれるかもしれない。
のそのそと木を降りるやいなや、ポニテより先にデスベアーが俺の存在に気が付いた。
控え目に言って爆裂怖い。
「こ、来い! 喰うなら俺を喰え!」
「バッカお前……っ」
ダンッ! と地を蹴りデスベアーが俺の方に駆け出した。
血走った目と剥き出しの牙が迫ってくる。
あぁ、今度こそ終わった──
「くたばれクマ公ーっ!」
「逃げろ豆もやしー!」
「ギャバギャバギャバ!」
ドスドスドスッと何かが刺さる音がしてデスベアーの動きが止まる。
その隙に近くの茂みに飛び込むと、すぐ背後でデスベアーの振り絞るような呻き声が聞こえた。
近っ!
「こっちだクマ公ーっ!」
「豆もやし、今の内に移動しろー!」
「ギャバギャバギャバ!」
どうやらケンタウロスとミノタウロスとリザードマンが弓矢攻撃で引き付けてくれているようだ。
まさかあいつ等に助けられる日が来るとは思わなかった。
「ハァッ、ハァッ」
咳き込みつつ地べたを這って移動する。
格好なんて気にしてられない。
この機を逃したら本当に死ぬ。
──グヴヴヴゥゥ、ヴォォーー!
矢は十発以上当たっているのに、デスベアーは倒れない。
むしろ興奮して暴れだす始末である。
防御力も高いのか、厄介な……
「ギャバ!?」
デスベアーが一番近くに居たリザードマンに狙いを定めた。
頭を振り乱して高速で迫る巨体に恐れをなしたのか、リザードマンが転倒する。
くそっ!
「っのヤロー!」
こんな奴等に借りを作られたまま死なれて堪るか!
火事場のクソ力で石を投げ付けてやると、今度はガツンと命中した。
しかも当たったのはデスベアーの左目である。
どうなってんだ俺のエイム力。
デスベアーが怯んでいる間にリザードマンと俺は弾けるように駆け出した。
早く、早く、ここから離れないと!
──グァァァァァ!
すぐ背後で感じる獣臭い息遣い。
堪らず振り返った俺は本日何度目かの後悔をした。
赤黒い口と乳白色の牙が、目の前に迫っ
「我が道を阻みし者よ深淵に消え去れ、消去魔法」
突然感じる目眩のような空気の震え。
何が起きたのか理解する暇もなく、デスベアーは地面から這い上がってきた黒い靄に呑み込まれて消えてしまった。
俺はペタンと尻餅を付き、放心してしまって動けない。
「いやぁ、危なかったな。まさかお前がそこまで無茶をするとは思わなかった」
ザクザクッと軽快な靴音を鳴らして駆け寄って来るポニテ。
またお前か。
「今の魔法……何だよ。お前がやったのか?」
「あれ? 折角手を汚してまで助けたのに思った以上に感謝されてない件。泣くぞ?」
「……………………ありがとう」
「やだ、こんな嫌そうな感謝、アタイ初めて!」
白々しく傷付いたフリをするポニテから目を逸らしてどうにか立ち上がる。
気付けばわらわらとケンタウロス達が俺達の周りに集まってきていた。
「お前スゲーな! 何だあの魔法! あのデスベアーが跡形もなく消えちまったよオイ!」
「豆もやしも案外やるじゃねーか! あんな化けクマに正面から向かってくなんてよ!」
「ギャバ……お陰で助かり申した、感謝致す」
「「「「キェェェェアァァァァシャベッタァァァァァァ!?」」」」
リザードマンお前喋れたのか。
デスベアーの件が無ければ今年一番の衝撃だったぞ。
「コホン……それはそうと、お前達も中々の働きだったぞ。普段いがみ合う者同士が、いざという時に助け合う……年一回のガキ大将的な展開で感動した!」
ポニテはケンタウロス達を褒めながら「こんな熱い戦い見せられたら見捨てられんわ」とハンカチで額に滲む汗を丁寧に拭っている。
あんなに汗をかく事を嫌っていたのに……コイツなりに頑張ってくれたのだろう。
ちっ、面白くない。
「! そうだ、トトル兄ちゃん!」
すっかり忘れてた!
慌てて来た道を戻ると、血溜まりの中で倒れ伏すトトル兄ちゃんの姿があった。
一瞬ヒヤリとしたけれど、小さな呻き声を聞いて胸を撫で下ろす。
良かった、まだ生きてた。
「大丈夫かトトル!」
「俺らを庇って……すまねぇ!」
「ギャバ……恩に着るギャバ」
「運べ運べー!」とトトル兄ちゃんを担ぐケンタウロス達の言葉で色々察する。
やっぱりトトル兄ちゃんは優しいや。
背も力も足りない俺は心配する事しか出来ずに皆の後ろを付いていく。
ふと視線を感じて振り返ると、ポニテが思案顔で俺を見ていた。
「な、何だよ」
「……いや、先の戦闘を見て思ったのだが、貴様は観察眼が抜きん出ているようだな」
「……よく言われるけど……」
「予測だけでよくあれだけの攻撃を避けられたものだ。無謀な判断もありはしたが、醜く取り乱す事も無かったしな」
ここまで真っ直ぐに褒められてはくすぐったい。
やたらと感心しているポニテの意図が読めず、俺はまた憎まれ口を叩いてしまった。
「でも、結局強い奴には勝てないよ。今回は運が良かったけど……どうせ俺はこの先生きのこれないんだ」
「ネガティ部の部長かお前は。そういった考えは良くないぞ?」
ポニテは眉を顰めて「これからは教養とエンタメの時代だ!」などと訳の分からない事を力説している。
俺、なんでこんな変な奴より弱いんだろ……
ガックリと肩を落とす俺など意に介さず、ポニテはコロリと話を変えた。
「ところでお前のレベルはいくつなんだ? 誰にも言わないから教えろよー」
「……それあとで絶対バラす奴だろ」
嫌な事を聞きやがる。
「前に調べた時はレベル9だった」と呟くと、ポニテはどこまでも明るく笑い飛ばした。
「ハハッ、弱いな! とりあえずお前、死なない程度に頑張ってレベルを上げよ。とりまレベル15もあれば魔王城に入れるだろう」
「それが出来たら苦労はない!」
簡単に言うなよ、この無神経野郎。
そもそも魔王城に行ける力があったら親に置いていかれる生活なんて送っていない。
「まぁ聞け。魔王城の食料事情はこの森とは比べ物にならない程良いのは分かるな? 良い飯を満足に食えるようになれば、その貧相な体躯も幾らかマシになろう」
「……本当か?」
食事を満足に食えるなんて、そんな夢みたいな話……揺らがない訳がない。
ポニテの誘惑の言葉は続く。
「お前次第ではあるがな。だが、そこから更に力をつければ、運が良ければ城勤めの魔物として正式に採用されるやもしれん」
「……」
運か……そんなの俺には無縁な物である。
暗くなる俺の肩をバシリと叩き、ポニテは腹立つどや顔を向けてきた。
「元気出せ青少年! レベル20もあればよほど面接でポカしない限り採用されるぞ! お前顔はそこそこ良さそうだし、人事が女なら顔採用もありかもしれん」
「いやお前なんでそんな魔王城の採用事情に詳しいんだよ」
俺のツッコミは華麗に流され、ポニテは髪をかき上げてあからさまに話を逸らす。
「そうだ! もし貴様がレベル25に到達したら、祝いの一つでもくれてやろう! 目標があるとやる気出るって言うしな」
「いらない」
バッサリ切り捨ててやったのに、奴は楽しげに笑うだけである。
「まぁ気長に待つとしよう。待ってるからな」
「…………ん……」
「何を」とか「どこで」とか聞くのは無粋な気がした。
小さな返事は確かに届いたらしく、ポニテは満足気に頷くと長い髪を翻して俺達の向かう先とは違う方向に歩き始めた。
「え、どこ行くんだよ。そっちはトゲトゲ崖しかないぞ?」
「今日は十分楽しめたからな。お……私はもう帰る。じゃあな、チビオ。トトル達によろしくしなちく」
急だなおい!
左右に揺れるポニーテールが迷いのない足取りで遠ざかる。
今を逃したらこの変人にもう二度と会えなくなるような気がして、俺は夢中で叫んだ。
「お、俺はチビオじゃない! 俺は……食人鬼のグルオだっ! 覚えとけよ!」
今までずっとグールを名乗る事に抵抗があったけど、不思議と今は気にならない。
そんな小さな事より、もっと気にしなきゃならない事、やらなきゃいけない事が沢山出来たのだ。
まるで三下の捨て台詞になってしまったが、ポニテは気にした風でもなく振り返った。
「覚えておこう。じゃあな、グルオ」
ちっ、何だよ、格好つけやがって。
そんなに早く帰らないといけない理由でもあるのか、この野郎。
「……名前くらい教えろよな! このオンナ男!」
「!」
ギクリと肩を揺らし、ポニテは右手で頭を抱えた。
いや、あれだけ「俺」って言いかけてたら流石に気付くに決まってんだろ。
「バレテーラ。まぁいっか。俺の名はル──」
◇
この出会いから十数年後、まさか自分がこの変人に忠誠を誓う事になろうとは──
更に言うと「もう岩の城は嫌でござる」などという我が儘に巻き込まれて旅に出る羽目になろうとは──
この頃は夢にも思わないのだった。
ちなみに「か弱い魔物の子」では後日談の内容(オチ)が違ったりします。
ご興味ある方はぜひそちらの成長後グルオの語りをお楽しみ下さい。
◇
以下、「か弱い魔物の子」では掲載しなかった裏設定↓↓
チビオ達が読めなかった文字は魔物言語で「立ち入り禁止」「命の保証なし」と書かれていました。
読めなければ意味ないですね。




