4、魚の生臭さはクエン酸か酢で落とせる
移動は昨日と同様にひたすら退屈なものであった。
空は憎たらしい程に晴れ渡っている。
せっかくの晴天(しかも誕生日)に何やってんだ俺。
「あっるっこ~、あっるっこ~♪ わたっしは~マ↑オ↓ォ~♪」
「マオーさんうるさいですー……」
「そうは言うがな、カロンよ。こうも暇だと歌わねばやってられぬというものだ」
◇
「ねぇ知ってるぅ? タヌキってイヌ科なんだよぉ」
「魔王様、口より足を動かして下さい」
「俺は足と同時に口も動かしたいんです~」
◇
「あっ! なぁなぁ恋バナしようぜ! まずはエーヒアスから!」
「フフ、機会があったらね」
「今がその機会だと思ったのだが……」
◇
「おやつ持ってる者がいたら手を挙げよ。俺のクッキー一枚と交換しようぜ!」
「あぁ、すまない。あいにく酒のツマミ用のナッツしか持ち合わせていなくてね」
「! 五粒と交換なら全然構わぬ!」
……
…………
………………
……ツラぁ……(ナッツポリポリ)
とはいえ時間とは常に流れゆくもの。
たまに休憩を挟んだりカロンお手製のジャムサンドをムシャッたり、やかましいと怒られたりしている内に、気付けば空が夕焼け色に染まり始めていた。
そして数分前から見えてきている焦げ茶色の建造物。
もしかしなくてもあれがコレカラ側駐屯所だろう。
「はぁ~、やっと見えてきたか」
「マオーさん、ずっと喋ってましたもんねぇ」
「黙ると死ぬ呪いにでもかかってるんですかぁ?」と失礼な発言をかますカロンの帽子を軽く叩き、俺は前方に向けて目を細めた。
ぬぅ、人の姿も魚人の姿も見えんな。
物騒な気配は感じられず、海風のせいで音も匂いも拾えない。
人間は全員逃げ出したのだろうが、魚人の姿が全く見当たらないのは少し不穏である。
もし魚人が駐屯所に籠城しているのなら、気付かれない内に通過する手もアリか?
……ドリュー氏が納得するかは別にして。
「さて、どうする。何か策がある者はいるか? ちなみに俺としてはこっそりと『ちょっと通りますよ』作戦を推したいのだが」
俺の提案に静かに頷くパーティーメンバー三人と、明らかに不服そうなドリュー氏。
やっぱりか。
彼は同情を誘うような、いかにも「困った」といわんばかりの苦笑で頭をかいている。
色素の薄い髪が夕陽に煌めき、中々絵になっている様が実に腹立たしい。
別に嫉妬ではない。
念を押す訳ではないが、嫉妬ではない。
「う~ん、出来れば早期に解決したい問題なんだが……それが君達の意向なら任せるよ。魚人退治分の報酬はなくなるがね」
「報酬は惜しいが仕方あるまい」
まぁ魚人に見付かったらその時はその時考えよう。
結局いつもの『行き当たりばったり作戦』である。
こうして出来る限り静かに駐屯所を通過する事にした我々は、かつてない無音ミッションにチャレンジする事となった。
建物まで50メートル──
「(それにしても四角い建物だな……豆腐建築すぎるだろ)」
「(広いと言っても橋の上だもの。こんなもんなんじゃないかしら?)」
建物まで10メートル──
「(静かだな)」
「(波の音しか聞こえませんねぇ~)」
建物まで5メートル──
「(ところでドリュー氏。魚人って何人……何匹? いるか聞いてるか?)」
「(そういえば聞いてないな。それにしても魚人の単位って何なんだろうね)」
建物外壁の陰──
「(押すなよ、絶対押すなよ)」
「(魔王様、今この状況でそのフリはお止めください)」
「(ゴメソ)」
ここまで来れば無音ミッション(※ただし黙るとは言っていない)も佳境入りだろう。
駐屯所は二階建てで橋にそった長方形のシンプルな造りをしている。
外壁は何度も修復したような跡が多く見られ、塩害の凄さが窺い知れた。
やはりマイホームの土地選びに海沿いエリアを避けたのは正解だったようだ。
維持費ヤバそう。
コソコソと静かに進みはするものの、隠れる場所なんて全くないから実質丸見え状態である。
今建物から誰か出てきたら魚人でなくとも俺達に気付くだろう。
もしそうなったら次の作戦は『全力のBダッシュ』しかない。
戦闘はしたくないし、魚人の足が遅い事を切に願う。
「………………」
建物のメイン扉が近付いてきた。
おぉ、この状況はかなり緊張するな。
子供の頃、父上の目を盗んでこっそり城外に遊びに行った時の事を思い出すぞ。
滅多にないドキドキ感を堪能しつつ、扉の前に差し掛かる。
よし、どうにかなりそうだ。
「ぶべしっ!」
ズシャァッ!
「!? キィ! キーィィ!!」
《悲報》ほぼ同時に大音量勃発《知ってた》
ちなみに上から順にカロンのくしゃみ、ドリュー氏のズッコケ、寝てたのに驚いて起きてしまったコエダの泣き声である。
いやカロンとドリュー氏、そこは立ち位置逆だろ普通。
何で花の十代女子がオッサンみたいなくしゃみして、顎髭ダンディーがドジッ子発動してんだ。
コエダは災難だったな。おーよしよし。
「あちゃー。これは……」
「そこに居んのは誰だぁぁーーっ!!?」
野太い怒声が響き渡り、バーーァァン! と金属製の扉を壊さん勢いで水色の大きな何かが飛び出してきた。
そぅら、皆が待ち望んだ魚人がおいでなすったぞ。
こうなるともう諦めの境地である。
飛び出してきた水色のそれはゴロゴロと高速で地面を転がった末、橋の中央でビタンッと片膝を付いて静止した。
「こっちの要求通り、ちゃーんと良いオトコ連れて来たんでしょうねぇ!?」
「……はぁ?」
ちょっと待って、話が見えない。
瞼のない魚類の丸目が俺達を捉え、これでもかという程眉をつり上げて睨み付けている。
っていうかこの魚人、声だけでは分からなかったがよく見たら女じゃないか。
ヌラヌラと鱗が光る水色の肌──
ぐっしょりと濡れた青い髪に、手足の指に見られる薄い膜のような水掻き──
うむ、分かりやすく魚人である。
肩幅はガチムチに広く、かなり筋肉質な印象だ。
桃色の貝殻ブラとペラペラな海藻の腰巻きという格好は中々に衝撃的である。
え、魚人てこれが普段着なの?
エロ本以外でこんなコスプレみたいな格好初めて見た。
文化の違いって凄いわぁ……
「さ、ん、に、ん、だぁ~!?」
鯉のような口がパクパクと唾を飛ばしながら激しく動く。
汚っ!
「たった三人とは随分アタイも舐められたもんだねぇっ!」
ビッターーン!
尻尾のように生える長い尾びれがぶん回され、橋の表面が少し欠ける。
流石に橋が落ちる事は無いだろうが、中々に力強い尾びれだ。
普通の人間があの打撃を食らったら痛いだけでは済まないだろう。
「色んなタイプの男を連れてきた努力は認めるけどねぇ! 圧倒的に! 選択肢が! 足らーーん!!」
ビッターン、ドッゴーン!
荒ぶる尾びれと増えゆく橋の傷。
発言こそ不可解だが、魚人の視線が俺達男性陣に向けられているのはありありと分かる。
カロン以外の皆もそれを察したらしい。
グルオが俺とドリュー氏の間に立つようにそれとなく一歩前へ出た。
「落ち着いて下さい。我々はただの通りすがりの冒険者一行です」
「あら、案外良い男」
魚人の気がグルオに向いた隙に、エーヒアスがカロンの腕を引いてドリュー氏とグルオの後方に三歩退く。
おぉ、これは依頼人とカロンのカバーがしやすい布陣である。
二人共、ナイポジ(※ナイスポジショニング)乙~。
魚人女は興奮冷めやらぬまま「でもアタイは見た目だけじゃ納得しないわよ!」等と怒鳴り散らすばかりでこちらの困惑など気付きもしない。
仲間が居ないっぽいのは結構だが、なんと厄介な気性だろうか……
「とにかく落ち着け。事情が全く分からぬ故、まずは話を聞かせてはくれぬか?」
「うわ兜ダサッ。……まぁセンスの悪さは付き合ってから修正してけば問題ないわね」
「急に冷静な酷評するのは勘弁願おうか」
普通に傷付くわ。
目を逸らしつつ対話に持ち込めば、魚人女は鼻息荒く捲し立てた。
「チィッ、仕方ないねぇ。アタイはねぇ! 人間共に怒ってんのよぉっ! もうこの怒りは彼氏の一人や二人、見繕ってくんなきゃ収まんないっつってんのよぉっ!」
ビタンッ、ビタンッ、バシーンッ!
危ね! レンガの破片が飛んできたぞ。
とりあえず我々の方に飛んできた破片は剣を鞘ごと一振りして払い落とし、なるべく穏やかに声をかけ続ける。
「人間に何かされたのか? 魚人の君」
「だぁから! アタシは『 人 魚 』だって言ってんだろーがぁぁ!!」
ビタビタ、ビッターーン!
怒り狂った様子で尾びれを動かす魚人、もとい自称人魚。
何とも活きの良い……じゃなかった、激しい動きである。
あーもう、色んな意味で話がしづらいなオイ!
困惑の視線をグルオに向けると、既に俺の意図を察していたのか奴の手には大きな布が用意されていた。
うわー助かるぅー。
「あー……失言を許せ、人魚の君。とりま目のやり場に困る故、この布を羽織って頂こう。話はそれからだ」
「……はぁ!?……え、は!? ちょ、そんな事言われたの初めてなんだけど……」
魚人女は俺以上に困惑しながらグルオの差し出す布と俺を交互に見ている。
その格好を誰にも指摘されなかったという事は、やはり文化の違いって突っ込みにくい物なのだろうな。
そう考えるとかなり失礼な事言っちゃった気もするが、目のやり場に困るのは事実なのだから仕方ない。
いくら好みでないとはいえ、裸に近い女性を相手にするのは気が引けるのだ。
意外と素直に布を羽織った魚人女の反応にホッとしつつ、俺は再度疑問をぶつけた。