第九十話 想いの塊
「……美しいのに棘だらけ……って感じ」
「近寄りがたくて近寄りたくない……そんな感じ」
久々にメインの席に戻ったのを良い事に『くらま』の近々に席を取ったエセックスは直近に座る『ひえい』の第一印象を口にしていた。
姿勢正しく形式的挨拶は不足なくこなした『ひえい』だったが、必要以上に相手を近づけようとしない鉄壁の態度は隣に座るパーハスフェリーの言う通りのものだった。
刺々しい、必要以上に自分の中に入ってくるな。
口に出さなくても感じられるそれは会場全体の空気を明らかに悪くしていた。
「なんか空気重くねーか」
給仕補佐で会場全体を見回していた『むらさめ』は隣に立つ『ゆうだち』に仕方なく聞いていた。
仕方なくというのは『ゆうだち』の性格がユルユルの天然系に近いため、聞いたところでまともな返事は返ってこないだろうという予想からで、それによって少しは気楽になりたかったというのが本音だった。
それほどにメイン席から放たれる緊張は全体が感じており、『むらさめ』自身も居心地の悪い空気を感じており、少しでも気持ちを弛緩させるために話しかけている。
「こういう時に隠し芸大会とかやったら、そうだ赤道祭みたいなさぁ」
「それはそれで楽しいけどぅ、きっと『くらま』司令にボコられるのでわぁ」
弾けてなんぼの『むらさめ』は赤道祭が大好きなぐらいパーティーは楽しむタイプ。
自分以上にはしゃいでいる者がいれば場を譲る事もあるが、寒いのと重いのとジメジメ感は大嫌いだ。
「何にしてもぉ『ひえい』司令わぁ、ご機嫌すごく斜めからさらに角度をあげそうだよねぇ」
変わらぬ笑顔、緩い声から緊張のハードルを上げる返答。
「具合悪いならもっと後にしても良かったのにな……、エセックス司令みろよ顔色まで悪く見えるぜ」
「そだぁねそうねぇ」
居心地の悪さ、それは如実に伝わるものだった。
いくら礼儀正しく挨拶ができても醸し出される雰囲気で気苦労を背負わせたのではホスト失格。
国際的海域に出る事が少なくない司令が、その根源としているのでは佐世保基地の名誉を落としかねない。
普段ならば空気が硬直化しないように、ゲストとの軽快な会話をこなす『しまかぜ』がいるのだが、今日は『ひえい』と入れ替わったかのように体調を崩しこの会場にはいない事も大きく影響している。
有能な助手でもある『しまかぜ』を欠いた『くらま』は、それだけで表情を硬しているとは思えないが、いつも以上に尖った目線と口元にかかる力みは感じられる。
「本当に雰囲気悪いわねぇー」
嬉し目の『ゆうだち』は重い空気を気にしているそぶりは見せなかった。
ただ課された仕事を普通に果たし、笑い顔の中に笑わない意志を抱えていてた。
「つまり『あまつかぜ』姉さんの日記が見つかるかもしれない……の可能性があるという事だと理解していいのだな」
夕方に近づく佐世保駅までを歩く粉川の隣を『こんごう』はともに歩いていた。
佐世保川を渡る冷たい風の中に粉川は黒のコート、『こんごう』は海自の冬服姿、どう見ても変わった二人組の姿。
人の目に『こんごう』が見えているのなら随分と硬い恋人同士に見える図だが、二人は共に短い時間を縫うように今後の話を続けていた。
「うーんと、あくまで可能性の一つ、思い込まれて結果を出せないのは……」
「かまわん、何か可能性があるというのならば筆ととして逃したくない。頼む」
防衛庁から帰参を指示された粉川の1日はめまぐるしかった。
行動も思考もめまぐるしい進展を見せており、答えに向かう採択の道へと進もうとしていた。
「そうだね、何が真実に近いのか……僕にはまだ知らない事が多すぎる」
母と慕った三笠が自分に告げなかった事がある。
それを知った時、心を石臼で砕かれた気分を味わった。
だがそこで止まっていられない事も即座に悟った。年末のめまぐるしさの中でもその事をわすれた事はなかった。
わすれず、追求する事を自分の使命と決めたのは暮れの事だったが、「逃げない」を決めたのは新年の日の出を見た時。
時間はくれる年から新しい日の出へと変わるままに、同じく心を改めた新年だった。
「とりあえず僕は氷川丸さんに会ってみようと思う」
これだけの決意を胸に秘めながらも粉川はただ一つ伝えられない事があった。
『こんごう』には確信が出来た時にしか言えない事、それは自分を救った最初の魂が三笠である事。
心苦しさの一つではあったが、そこだけはまず自分で確かめたいという思いで隠していた。
三笠が隠す真実の外堀を埋めるためにもまずあの戦争を知る船に会いたかった。
「氷川丸……そうだな、それは粉川に任せよう。ただ彼女は自衛隊を歓迎しない」
「大丈夫、僕は文官だから」
コートの襟を立て頬を撫でる海風を凌ぐ、決意を秘める口元に『こんごう』は黙って頷く。
失われた時間の間を生き、今も生き続ける日本国の船は少ないが氷川丸はその中でも随一の有名船でもある。
聞きたい事は山ほどあるが自分で近づく事のできない船には粉川に行ってもらうのが適任でもある。
「彼女の前ではおちゃらけた話方を控えろよ。マナーにうるさいという事で有名だ」
「了解です」
敬礼こそしないが肝に命ずるという顔で頷く。
「『こんごう』は明日出航だよね。ついたら装備点検やらいろいろあるだろうけど……」
「そうだ、だから私個人としてはそれなりに時間はある。三笠様に会うチャンスも十分に」
三笠に会う。
それが『こんごう』最大の使命だった。
胸に収まったロケットの中には水の記憶で「絆」を語った姉たちの意志が息づいている。
「『こんごう』、三笠には僕も一緒に行くから……一人ではいかないでね」
粉川は少し強めに釘を刺した。
粉川の任務では時間は取りにくいが『こんごう』は横須賀にさえ着けば時間は十分にある。
自分のいないところで『こんごう』が三笠に接触してしまえば、また一つ知らない事が出来てしまうのではという危機感があった。
「わかっている」
焦燥感を出さず、顔を見合わせるわけでもないやりとりに彼女は簡素な返事をするだけだが、中身にある情熱は嫌という程知った。
水の記憶以降の『こんごう』は明らかに情熱的だった。
「ところでさ、今日昼ごろに『しまかぜ』さんを見たのだけど、何かあったの?」
高速バスの時間を確認する。
ここからバスに乗って長崎空港に向かう、空を渡って東京へと戻る粉川は昼下がり宗像との会話を終えて外に出た時魂たちの官舎から『しまかぜ』が飛び出していくのを見ていた。
普段なら軽く挨拶ぐらいはかわす彼女が、目を赤く腫らしていたのを瞬時に見てしまった事で言葉をかわす事はなかったが、それゆえに不安があった。
何かしらの騒ぎがあったのか、と。
聞かれる声のトーンを『こんごう』はよく空気を読んでいた。
一度周りを見回す視線を走らせた後、区切りをつけて話し出した。
「姉さんの事は……例の『ひえい』司令が来たからな。いろいろと面倒がある、姉さんと『ひえい』司令はもともと中が良くないというのも一つの原因かな」
「仲良くない……例のDDHとDDGの確執ってやつかな」
「まあそうだ。それと今回はもう一つ。多分『ひえい』司令が大元なんだろう、『あまつかぜ』姉さんの日記ならび「魂の引き継ぎ」に関する全ての探求を禁じる発令がなされるかもしれない」
始まったばかりなのに時間がない。
海上保安庁との折衝や、リムパックへの準備という問題を抱えた粉川の心臓にもう一つの楔。
正直なところ粉川にそれほど自由になる時間はない、要点を詰めるための回りくどい話をするわけにもいかない。
当人たちにあうまでに融点をまとめたケーススタディーが必要になると即座に考えた。
「……それは近々に? いつ発令されそうなの?」
「心配するな、たとえ発令されたとしても私がそれを探求する事をやめたりはしない」
思わず足を止めた粉川に、止まらぬ歩みの『こんごう』は語気を強めて答えた。
「それは心強いけど、つまり護衛艦群にある亀裂を大きくしない限りで迅速に事を運ぶ必要があるという事だね」
「いつだってそういうものだ。私たちの使命は答えがわかっていて万全を期するわけじゃない、不測の事態も込みで前進する、必ず解決するために」
強い返事で拳を固める『こんごう』に焦りを見る事はできなかった。
だがその歩みに焦燥感は現れていた事を粉川は見切っていた。
「時間は、それほど多くないけど慌てて解決っていう事でもないからさ。横須賀についたら慎重に互いに連絡を取り合いロスのないように頑張るしかないね」
粉川はコートのポケットから携帯を取り出した。
「携帯だよ、これで連絡をとり合おう。僕の渡したものなら使えるでしょ、使えるかな?」
「簡単な事だ、隊員が使っているのはよく見ている」
堅物な表情だが、文明の利器に疎いなどあり得ない事。
侍のような精神を持ち合わせていても、最新鋭のイージス艦の魂という生い立ちからして機械に弱いという事はない。
手渡された携帯を一通り眺め、操作をしてみせる。
「……色はなんとかならなかったのか」
「ピンク、可愛くなかった?」
「……次からは黒にしてくれ」
女の子の手にあって不可思議ではない色。
『こんごう』は、しかめた眉をみせ色はお気に召さなかったようだが、その程度の事で言い合いもしたくないという顔に粉川は苦笑いする。
ひょっとしてここでキックなど食らったら一人芝居にしてもかなり恥ずかしい。
海自の関係者である事はこの地域の人たちならば一眼でわかるだろうという不安で少し後ろに下がって茶化す。
「いやいやいや、そういう色にも慣れた方がいいよ。機能はまあ電話できてメール出来ればいいかなって程度のものだけど……もっと注文聞いておいた方がよかったかな」
思い出したように照れる二人。
「いやいい、色は機能に関係ない」
見えてきた佐世保駅、アーチのかかったモダンな建物、海側からコンコースは見えないが東口から長崎空港行きのバスが待っている。
港口に足を止める『こんごう』、線路をまたぎ向こうまで送るつもりはないという意思表示をみせる。
「先に行くよ。『こんごう』も気をつけて」
海に向かう敬礼。
粉川は暗雲立ち込める東京へと向かっていった。
そして『こんごう』もまた、一つの決意を持って基地へと向かって姿を消していった。
「姉上、もう退出なさった方がいい。貴女の今日の態度はホストにふさわしくない」
重い空気の中でまちがいなく一番忍耐力を働かせていた『くらま』は『ひえい』の耳元に寄せた口できつく注意を促していた。
「ふぅ……そうね」
自分の存在が会場の喝采を干上がらせている。
それは『ひえい』にしてみれば十分にわかっていた。そのうえでするべき事もできなくなり、感情が機能不全をきたしている事にも気がついていた。
「もっと早く言いなさいよ……」
最後の抵抗のように『くらま』に棘のある返事をし、立ち上がると『ゆうだち』を指差した。
「部屋についていらっしゃい」
給仕件懇談係のように綺麗なスーツを着こなした『ゆうだち』の姿はおっとり顏の笑目である事をマイナスにしないスタイルのよさを見せていた。
それゆえに刺された指先と指示が何を意味するのかを『くらま』は悟ってしまっていた。
「姉上!!」
飛び出しそうな妹をメガネのしたの目はうすく笑った感情を見せてて押し返す。
「心身ともに具合をよくしたいのよ、そう……ううん、体の方のね。そのためには助手が必要でしょ」
牙を隠した艶やかな唇の中にあるのは悪意のため息だった。
『くらま』はアメリカ艦隊の前で事を荒立てたくないという思いと、姉の蛮行という板挟みで力んで吐血しそうな程喉元に怒りのラインを走らせていた。
『ひえい』の誘い、それは夜の相手をしろという誘い。
内外に知られているかどうかは別として海自護衛艦艦魂で知らないものはいないであろう色事。
会場を無理やりにでも盛り上げようとしていた海自艦魂の間に稲妻走る衝撃だった。
「ちょっと待ってくれ『ゆうだち』にはまだ仕事が」
誰もがこみ上げる怒りを協力な忍耐で封じ込めていた中、『ゆうだち』の姉である『むらさめ』は黙っていられなかった。
自分の妹が身売りを求められるなんて、知らぬところならいざ知らず衆人環視の中で許して良い事ではない。
だけど騒いで本音をぶちまければ海外艦魂にこの不祥事を知らせる事になる。
「おねぇ、ちょっと行ってくるだけだよぉ」
乗り出したまま、行き場のない思いを握りしめていた『むらさめ』を抑えたのは当の本人である『ゆうだち』だった。
きっと薄々そうなるだろうという予想をしていた『ゆうだち』はいつも以上にゆるい笑みで、はっきりと『むらさめ』の耳に伝えていた。
「慣れてるから、気にしないでお姉ちゃん」
それこそ聞きたくなかった言葉に口が曲がり胸ぐらを掴み寄せてしまう。
「てめー、何言ってるんだよ」
「ダメダメ、酔ってないのに喧嘩なんてダメだよぉ」
諦めの笑み、騒ぎを大きくしないでという哀願の目に『むらさめ』は戦う決意を決めていた。
拳を固め、怒りを『ひえい』にぶつけるべく前に飛び出した。
「呑んでないな『むらさめ』」
強く踏み出した一歩を止めたのは、鋭く尖った青い瞳だった。
「『こんごう』……」
がっちりと止められた拳を前に『こんごう』の目は正気だった。
酔った勢いとか、その場のノリとか、そんなもの一切合切ない瞳は『むらさめ』と顔を付き合わせると
「呑まないからイライラしている。そうだろう、ダメだぞこういう場では絶対に呑まないと」
人差し指を前に、拳をなだめ注意をしてみせる。
青い瞳は、静まり返っている場の中で『くらま』への挨拶をする。
「遅くなりました。しかし酒宴を盛り上げる覚悟は十分にしてきました」
会場を染めた不穏を切る第三者として『こんごう』は現れた。
いきり立ち上官を殴る気力をあふれださせていた『むらさめ』を抑え、行き場のない叱責を抱えた『くらま』でもない。
まっさらな姿に酒瓶を抱えて登場した『こんごう』は、まったく場の空気を読んでいなかった。
それがまた幸いとなっていた。
「お待たせしましたエセックス司令、祭りと参りましょう」
救いの船。
剣呑な雰囲気に飲み込まれつつあったアメリカ海軍の艦魂にとって飛びつかなずにいられない者だった。
「待っていたのよミス・ダイアモンド!! 呑みましょう!!」
ノリは大事だ。特にアメリカ海軍はその事一番重視している艦隊でもあった。
世界で一番働いている軍団と船たち、パーティーは心と体の洗濯場。
ましてや本国から遠い日本に来て、在任年数を重ねるほどに楽しみな場で痛い思いはしたくない。「がつんと飲んでくれる貴女を待っていたわ」
エセックスは自分がいる場が白けたなど決してあって欲しくないと心のそこから願っており、こんな事ならば今日こそこの場にお祭り司令旗艦アイゼンハワーがいてくれたらと後悔も半ばに入っていたところを救われた気持ちだった。
飛び上がるように立ち上がり高くグラスを掲げる。
「私の佐世保復帰と『ひえい』司令の帰参を祝して!! 速やかに盛り上がろうではありませんか!!」
言動が飛び抜けるほどに、会場に立ち込めていた暗雲を振り払おうと。
普段ならば自分から羽目を外したりしないエセックス、おとなしそうを装って『くらま』にお近づきを望んでおり自らを「リーバ」と呼んでほしいとのろけていたが、ここまで沈黙が続けば自らが音頭を取るのもやぶさかでもない。
ましてや海自から『こんごう』が酒瓶抱えてやってきていれば乗るしかない、この波に。
「今日を輝いた日に」
「期待に応えます」
『こんごう』は宣言と共にそそり立つ焼酎森伊蔵、この日のために粉川に用意させたもの。
「燃えて散るまで呑みましょう!!」
あっという間に出来上がった暑苦しい空間、先ほどまでの静まりと苛立ちがあっけにとられる転換が行われていた。
「なんなの、この無作法は……」
切り替わった場面に対して苛立ちを吐く上官を『こんごう』が止める。
「『ひえい』司令、心労を持ち越すのはよくありません、どうぞ呑み明かしましょう」
立ち去るにも立ち去れない、騒ぎの影で消えようとしていた『ひえい』に立ちはだかる『こんごう』。
「……なんなのこれは、分をわきまえなさいよ。ここはただの飲み会じゃあないのよ」
「分というものがあるのならば役目を果たしてください『ひえい』司令」
淀みも寸間もない返事だった。
厳しく顔を引き締めた『こんごう』は対決のためにここに来ていた。
なぜ「魂の引き継ぎ」を「絆」を探す事を禁忌とするのかを公の前で聞くつもりだった。
何かを覆い隠した形で、懸命に組織であり続けようとする海自。
そういうものを一切合切隠さない形にする、そのために起こすべきは今の破壊であると決めていた。
『ひえい』司令がその元締めとして自分たちを締め上げているのならば、この対決はさけられないという覚悟を今日決めては来た。
時間はあっても、生きる時は無限じゃない。
自分がリムパックに出てしまえば次はいつ『ひえい』に会えるかわからないし、『たちかぜ』総司令退艦の時期が知らされるに躊躇しながら進めない事だと理解していた。
生きている時にできる事をしていかなれば、遺恨は大きくなりいずれこの組織を食いつぶす。
それを帝国海軍の姉たちは願っていないと確信していた。
「姉たちは次につながっていく事を望んでいた」
十分すぎるほどその想いを受け取った。
胸に輝く水の記憶が輝きを増すように、熱血の蒼である瞳には強い意志が宿っていた。
相対するメガネの奥に私怨を光らせる『ひえい』を見て。
「役目を果たせ、うん、あんた私にそれを言っているの? うん」
「当然です、貴女は日本国海上自衛隊における四大司令艦、ホストとしての役目を放棄して自分を慰めるなど控えるべき愚行です」
「愚行と……」
「かつての姉達がどう思いましょうや、そのような司令を」
会場のテンションは別の意味で熱くなっていた。
妹をかばうために前に出ていた『むらさめ』は拳を握ったままこの先を待ち、『ゆうだち』はここから先に起こるだろう事件を見逃すまいと瞬きを忘れている。
「『こんごう』……よくもそんな事を」
『ひえい』はうまく言葉を選べなくなっていた。
それはただ一つの魂に気押されたからではなかった、自分を見る全ての海自艦艇艦魂たちの目線に気がついたからだった。
絡み合った糸を断ち切る一撃を持って前に現れた『こんごう』の背中を支えるものたちの姿に慄いた。
「ええよくもこんな事を、言いにやってきました。司令が禁忌とする全てをぶちまけていただくためにこの席を借り戦いにきました」
「……」
返す言葉のない『ひえい』の手を引いたのは『くらま』だった。
「姉上、座ってください。この問題は貴女だけのものではないのですから、すべての者達に答えが必要なのですから」
沈黙を守っていた『くらま』には頭の中に『こんごう』の意志が届いていた。
ここまでねじ曲がる事に任せた責任を負うのもまた司令職の自分たちである事を示せと座らせる。合わせたように前に立つ『こんごう』
「大いなる無礼講で楽しみましょう!!」
無駄のない一直線の挑戦にメイン席の魂達は乗っていた。
このまま鎮痛の時間がつづくより、事件でも嵐でもやってこいのノリで立ち上がる。
「無礼講……いいじゃあありませんか!!」
エセックスの承認は降りた。
会場に話し声が響く、熱気の注入を許した場で覚悟を決めた『こんごう』と観念した『ひえい』がにらみ合う。
普段ならこんな挑発にはのらなかった、だが今日は特殊だった。
『しまかぜ』の心を打ちのめす為に自ら触れた議題。
それがリフレインされる事にいきり立ってしまっていた。
「では、呑みましょう。皆様をお待たせするのはよくありません」
「呑むわよ……あんたに苦痛が呑めないものだと教えてあげるわ」
「それは結構な事です」
火花散るパーティ会場。
アイゼンハワーがきた時と変わらない、いやそれ以上に熱い戦いにメイン席の魂達がグラスを合わせる。
「乾杯!!」
合わせるように下座テーブル席の魂達もグラスを鳴らす、まるで戦場へ向かう儀式のようにテンションをあげていく。
「では、痛みを飲み干してみせてください。なぜ絆を恐れるのかを教えてください!!」
最初の一杯をあけた『こんごう』はグラスをテーブルに、すかさずそれを注ぐ『むらさめ』を前に『ひえい』も杯をあけて熱い息を吐く。
「現在を生きる私達に必要のない事だからよ!!」
『ひえい』のグラスを注ぎ足したのは他でもない『くらま』だった。
『くらま』の周りではむやみに盛り上がるエセックス達がいるが、それとこれを区別したままで目線は『こんごう』に進めと合図を送っていた。
「笑止、絆に触れようとした事もないのに何を持って不要と!!」
注がれる先からそれを煽る。
氷の瞳を燃やす真っ赤な肌は相手との間を詰めて迫る。
「触れる必要もない、誰も戦争の記憶を継いだり経験を背負う事なんかに耐えられないのだから!!」
「ますます持っておかしな事を、我らはの修練は何のために!!」
「修練とは違う!! それは絶対の苦痛!! 今でさえ私達は国家のお荷物であるのに、このうえ敗北の記憶を背負って生きろと貴女は言うの!! 間違ってる!! 決して許されない!!」
喉を切る想いが溢れ出し、『こんごう』の二の句を断ち切る。
「あんたはここにいる全ての魂に苦痛を与えようとしている。前の戦争で帝国海軍の全ての艦が苦痛のうちに没した。この記憶を受け継ぎたい? 自殺願望でもあるの? 死のその時の痛みを思い出したいとでもいうの!!」
完全な怒りだった。
昼間も話したそれをパーティーの席で話す。
こみ上げるのは怒りと苛立ちとが混濁したものだった。
痛みを伴う事、恐怖を伴う事を『ひえい』は禁忌としたが、全てに伝える術を持っていなかった。
「私はこれ以上の苦しみを……必要とは思わない。誰にも必要ではない……誰もそれは背負えない……」
全ての魂達は実感する事ができた。
戦争という巨大な力の前で苦しみのうちに死んだ姉達、帝国海軍との絆を取り戻すべきなのかという疑問にかかったモヤが晴れ真実が突きつけられている事を思い出した。
静まる会場で『こんごう』はグラスを開け、より『ひえい』に近づいていた。
「難しい事考えるな、あるがままでいろ」
声は『ひえい』の心に響いていた。
情景が入れ替わるり、目の前に立っている『こんごう』の姿が別の誰かになっていた。
「姉さん……私に出来るのでしょうか、ただの練習艦となった私が陛下を頂いての御召艦の任は重すぎます」
黒の詰襟、金色の髪の青い瞳は肩を叩いて続けた。
「比叡、お前だからこそだ。帝国海軍全ての艦達の規範として堂々と前に立て!!」
海原は今と変わらない色だった。
小刻みに揺れる艦の中で、いつもは厳しい言葉で皆を叱る姉は大任に肩身をすぼめている妹を励ましていた。
「私だからこそ……」
「そうだ、自慢の妹よ。より良き手本として胸を張って前に立て」
「姉さん……金剛姉さん……」
ほんの一瞬だった。
幻影の向こう側で笑った姉の姿はしっかりと見えていた。
鈍い七色の光に飲まれ消える笑みにメガネのしたで尖らせていた瞳が潤んでいた。
「胸を張って前に……」
つづく言葉は出ず、ただ静かにうつむくばかりだった。
見えたものを否定するにも言葉にならず、置かれた状況にも反応できず。
応えようにない想いを抱えていた。
「『ひえい』司令、私は絶対に断然の答えとその真実に至ってみせます。そのための研究を止める事のないよう……改めてお願いいたします」
目の前に立った『こんごう』は胸の真ん中を手で押さえていた。
熱くなったそれは、姉達の遺した想いの塊であり、それが見せたであろう思い出を如実に感じ取っていた。
「勝手に……勝手にすればいいわ、私はそれについてまだ何も言っていないのだから」
俯いた顔をあげられない涙。
触れてしまった記憶は暖かかった。
『ひえい』は感じてしまった温もりを隠すようにただ俯き、手をふって自分の前から消えてと合図をしてみせた。
『こんごう』は一礼すると待ち構え、そして絶頂の飲み会に入ったエセックス達の元へと歩いて行った。
パーティーを終えた夜、エセックスと佐世保に詰める米国艦魂達はよった顔の赤さとは別の胸騒ぎを抱えていた。
「こんな事になるのならば……アイゼンハワー司令にいてもらった方がよかったわ」
「まあまあ」
パーパスフェリは広くとられたソファーの上で溶けるようにへばりついたままでいる。
「とりあえず……サイファ司令に連絡だけしときます」
「ブルーリッジ司令は……うーん、今それどころじゃないでしょ……言ったらキレそう」
3人は各々椅子にかじりつくように固まっていた。
それは何もパーティー最初が凍りついていた事にばかり原因ではない。
互いに崩した制服姿を叱る事もできない焦燥感は、『ひえい』と『こんごう』のやりとりに起因していた。
「……今回の司令旗艦は誰だった?」
「ジョニーでしょ」
「ジョニーか……遠いね」
酒臭いため息が3つ、部屋の中に木霊する。
「いずれにしろ連絡は必要になるわけど……今日はやめておきましょう。いろいろ疲れたわ」
泥のように、まさにそれにふさわしい形で3人は眠れについていった。
同じ頃、眠れないまま夜風に当たっていた魂がいた。
「私に見えるなんて」
『ひえい』は自分と先代はまったく関係のない別次元の存在で、絵空事に妄想と言い切るほど距離を置いてきた者の影に震えていた。
「あれが姉さんだったの、そんなはずはないのよ」
繰り返しの額を塗り替える言葉はずっと木霊していた。
「胸を張って前に立て」と。
翌日、『こんごう』は佐世保をあとにし、リムパックのための最終調整を行う横須賀へと出港した。
共に南洋へと進む『しまかぜ』と『むらさめ』を連れて、今まで封じ込めてきた大きな壁との戦いを目前に控えていた。
すごく久しぶりです。
待っていてくださった皆様に感謝します。