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第八十三話 魂の棺

静かに、赤さびの浮く艦体に手をかける

ざらつき、肌に刺激を伝える振動に『こんごう』は一度めを閉じ、波の音に耳をゆだねる


「『こんごう』……三笠の姉、敷島さんって」


粉川の声には張りがなかった。三笠を知っていてもその姉妹については彼女の口から話しに上った事もなかった

言わない理由は、失った者を思い出す辛さだと自分勝手に考えていたが、どうも様子が違う事にぶれる視界をより確実なものにしようと指で見開いくと


「どんな顔をしている?」


少しでも仕入れたい知識のために隣を歩く『こんごう』に訪ねた


「厳しい、厳しいお顔だ」


心象を伝える簡素な返事

粉川は目を凝らさなくても解る鋭角の縁を持つ目に、三笠を思い浮かべた


「似ている……そういう事か」

自分の内につぶやくと、先に進む『こんごう』の背中を追った


波はひたすらに静かで、心地の良い音を響かせる昼下がり

触れる事で、真夏の海風と熱を持った鉄の感触を刻み込むよう、歴史には忘れられてはならない熱さがあった事を刻み込むように艦体中央に、今は構造物のあった立型の根っこしか残らない甲板に降りていった


追いつく粉川を横に、ゆっくりとした足取りはこの水の記憶が見せる世界で唯一ふれる事の出来ない「生者」の元にたどり着くと姿勢を正しすと


「敷島中将……『こんごう』であります」


刀をかざし沈黙を守る二人の姉の姿に、『こんごう』は踵をそろえた敬礼をした

鉄心を込めた初心の挨拶は、見えぬ相手の前でも変わらぬ心を捧げ、誰が見ても恥ずかしくないもので、つられるように粉川も敬礼をすると


「『こんごう』?話せるの?」質問をした

「話せない……触れる事も出来ない、でも……私はやっとこの人に会えた」


水の瞳にたたえた涙

死に行く姉である人は『こんごう』にとって、自分生い立ちに深く関わったとされる人でもあった

白い軍装と、ペンキをぶちまけられたように阪神をさび色に塗り替えた傷の水兵服を纏う帝国海軍の姉二人のとなりに立つと、顔を交互に見つめた


黄昏色の髪、海行く魂にふさわしい青い瞳の敷島

踵をそろえた大柄な身と、肩幅を広く持った英国生まれのしっかりとした体躯

今まで見た事のなかった帝国海軍黎明期を活躍した姉の姿。今の日本には彼女達の足跡を示す物があるとするなら人の残した記録書しかない、それも近代とされ写真まで残る時代にありながらも多くの記録が失われている

魂達が残した記録は、今はどこにも残っていないのだから、この時代に導かれた『こんごう』が風景も人も、生きた魂の姉達の姿も刻みつけるように大きく目を開いて見つめるのは「役目」でもあった


自分達の先を生きた姉達の記憶を持ち帰るという役目


二人の間に立ち、もう一人の姉に目線を動かす

昼下がりの静かな波の音と、熱波和らげた海の風の中で

伝統を受け継いだ黒、カラスさえも美しき羽根と称した日の本歌人の言葉がごとくの髪

うっすらと涙を浮かべた目の涼月

戦艦大和の護衛として坊ノ岬の海戦を戦った姉は、猛禽たちの苛烈な攻撃の末に瀕死の重傷を負ったが、ボロボロの体を後進微速という形で海を泳ぎ佐世保に戻ったところで力尽き、着底した

それから終戦の日までの間を浮き砲台として努めたの彼女


静かすぎる時間、途絶える事なく打ち続ける波音の中で見つめ合った二人の姉

敷島の手に立てられた軍刀を前に涼月は一礼すると


「それは、ご命令であっても聞けません」


厳しい視線の前で、涼月は断りを入れた


「敷島中将、私達は三笠元帥のお言葉に縋ってここまでやってきました。バカな事だとお思いでしょうが、どうか私の願いと思ってお許し頂きたいのです」


涼月の静かながらも意思を強く固めた顔に、敷島は歯ぎしりをすると


「お前は…お前は、ただ死ぬよりも辛い道を歩まねばならぬ事になる。もは、戦争は終わり私達はこの国に必要とされなくなった。語弊はあるやもしれぬが最後の時を自分で選んで何が悪いか?」


敷島が懸命に言葉を、喉に押し上げて話しをしている事は見て取れた

何度も奥歯を砕かん勢いでかみ合わせ、目をつむると


「……三笠が正しいとは限らない、いや間違っているかも知れぬのだぞ」

「それは、私達以降の者たちにしかわかりません。残念ながら敷島中将にも結果を知る時間がないように、私達は…帝国海軍はここで終わるのですから」


揺らぎのない返事

危機に走っていった日本、人と同じく船達も混乱の四年近くを走った

それ以前から、真綿で自分達の首を絞めるように断続的に続いた争いの年月の集大成だった太平洋戦


負けると思って戦いを始めたりはしないが、勝てるという見込みがあって始まったわではない戦い

それは軍人という人の間にも理解している者達がいたように、魂達もまた賭けである戦い理解をしてい者がいた

案の定、混乱の戦いは最初の進撃からあっという間に暗闇の悪路に転換する時を迎え

ミッドウェーしかり、一大消耗戦のガダルカナル、暗号機の解読が進むアメリカ軍の先手を打つ攻撃に、海はまさに羅針盤を惑わせた暗い坩堝と化していく


終わらない戦い、

先の見えない戦いに出る者達には、自分達を支える「何か」が絶対に必要になった

それが現実的な教えでなくとも、船の魂である者達を支えるには大切な教えとされ、そして……教えを振りかざした者がいた


「涼月、だが…」

「敷島中将、中将も絆の片鱗を見た事があるとおっしゃいました」


命じた側である敷島を問い詰めるように、涼月は壁に自分の体を押しつけて立ち上がると


「名を継ぐ者、魂を継ぐ者」

「それは、それこそが願いだったのかも知れぬだろう」


金の髪を揺らし、小さく否定

長く生きたからこそ「継ぐ」という姿を見たこともあった敷島は遠い目をした

涼月はその目を逃がさず聞いた


「金剛少将は、次を生きる事を信じていました」

「言うな……」


声に力はないが、顔を背けなくてはいられない程の衝撃が敷島の頭を叩いた

日露の戦いはもう過去の栄光のように扱われていた頃、そんなものには目もくれず日々の鍛錬こそが実戦で役立つ全てであると

何人もの艦魂を叩いて鍛えた。その中にイギリスからやってきた金剛がいた


「金剛……」


眉をしかめ、今は星条旗を翻す基地となった港を見渡した

十六条旭日旗をはためかせ並んだ日本の艦艇達はもうここにはいない、愛した愛弟子金剛はいない

敷島は目頭を押さえた。涼月に死ねと掲げた軍刀を下ろしすと


ここが一大軍港、佐世保鎮守府として才気を大輪のごとく咲かせた頃、敷島は国防の第一線で働く艦艇としては最後の時期に入っていた

同期の艦艇達も急激に流れ時代の中で、一線から退き、または別の用途を得て長い奉公に入ったりしていた頃


約束の人はやってきた


「巡洋艦金剛であります」


高い身の丈、金色の風にながれる髪、するどく尖った目

初めて見たときに「約束」が果たされたと心を叩いた


二代目金剛の姿は、あの頃、日露の戦いに向かう自分達と共に懸命に切磋琢磨をした初代金剛の姿によく似ていた

初代金剛、黎明期大日本帝国海軍の最初の海戦を経験した彼女は、指導者として力量に迷いを持っていた敷島を励ましたときに言った言葉があった


ここは自分を必要とし苦楽を共にした愛する国だと

そして

転生輪廻というものがあるのならば、次に生を得られるのならば、必ずやこの国へと

魂の良き指導者に敷島がなる事を信じ、付け加えた最後の言葉は約束そのものだった


「次にもしこの国に貴女が生まれたら、私は鍛えなければならんのかな?」


「その時は徹底的に鍛えてください。国を護る盾として恥ずかしくないように、私もそのつもりで貴女に着いていきますから」




今は昔、自分の元に戻ってきた猛き隣人だった金剛の思い出に目が潤む

年甲斐もなく自分があの頃に戻ったかのように日本にやってきた彼女を鍛えた


時に褌にサラシ姿で

「心を鍛えるためには体もだ!!」と竹刀片手に追いかけ回し


兵装の話しから艦体運動の一から十までを徹夜で語る、彼女はどこで憶えたのか渡世の人間が語るでない博徒のような言葉で、懸命に質問を繰り返してきたのが微笑ましかった


敷島にも勉強が必要だった。二人の思い出

すでに老骨の艦となった敷島では最新鋭の金剛との装備手順など話しを合わせるのが困難だった。故に敷島自身にも多大な勉強が必要とされ、言う事、見る事で全てを吸収する姿勢を持ち、学ぶ事に貪欲で、知らない事を恥と素直に認める金剛を心から可愛がった

彼女のために分厚い教本と格闘した日々を思えば自然と涙も流れるというもの


「涼月、確かに実感した。私は最初の金剛大佐との約束が果たされ、あの人が私のところに戻って来たと歓喜した」


背中を向けたまま、復興のための煙が揺れる港町を見る敷島に涼月も並ぶと


「中将だけではありませんでした。前身者の名前を頂いた者の多くを、中将を始め朝日大佐や常磐大佐、出雲大佐など多くの方が「名と共に生を継いだ者」と言われました」


指折り数えられる程に継がれた名前


「だがな、かならずしも継がれたわけでもない。だから」

「いいえ、信じます。私の名をもって私が戻るべき場所、現世あらよへの道しるべを残していけると……そしてまたこの国に生まれると」

「しかし、一概に三笠の教えの通りというわけでもない」


敷島の生は長かった。涼月の言うとおり名を継ぎ、前任者の魂を体現した者は多かったが、そうでない者も多かった

事実、帝国海軍最後の戦艦となった姉妹である大和、武蔵には前任の名を持つ者がいた

だが二人は前の者とは少しも似ていなかった

高雄なども三代続いた名であったが、初代と似ていた者は三代目の高雄と曖昧な繋がりは見て取れたが、必ず継がれるという事はないというのも身をもって知っていた


「長門中将も信じて行かれました」


悩む敷島の背に声をかけたのは、挨拶にきた痩せた眼鏡の男だった

彼は情けなくも先に涙をこぼした目を拭いながら訴えるように言った


「敷島中将、大和も武蔵も…扶桑も山城も、お言葉を信じて逝きました。貴女が否定なさらないで下さい。貴女もまたあの時はそれを信じたとおっしゃったハズです」


泥沼の戦い、誰もが心を壊し優しかった日々を取り返そうと自分を死地へと向かわせた

この国に務むる数多の船達に希望はなくなっていた

ある者は客船として産まれたにも関わらず、魚雷を満載し南洋に向かう任務の末に死に

ある者は貨物船として産まれた事で、必死にその日の糧に事欠く日本の為に海を渡る道で猛禽たちによる爆撃を受け、骨をもついばまれる最後を迎えていた


「死しても我らの魂は受け継がれる」


開戦から一年、消耗に次ぐ消耗は物資だけではなく、人も魂も同じように心をすり減らしていた時に大きく手を振り、軍艦旗を掲げた彼女はそう宣言した

その考えの中身を三笠から敷島は直接聞くことはできなかったが、三笠がその理論に至った理由は分かっていた

あの事件以来、妹三笠は探していた。自分達の生というものを


混迷続く戦いの中で敷島は、引き継がれる姿から「魂」自分達の存在がどういう形で続いてきたのかを考えるに、苦境の中での説法を振りかざす三笠にそれなりの賛同てしいた


「故に死を恐れてはならない!!神国日本に嫁した全ての后達よ!!国から頂きし名に恥じぬ働きを示せ、さすれば名を刻みし魂を再び現世へと妾が導かん!!」


赤く燃え上がった空襲の港

横須賀鎮守府最後の時に彼女は何をしていたか……


肩をふるわす彼の側に敷島は顔を向けると


「三笠はどうしている。あれほど名を馳せた艦だ、只では居られまい」


「三笠元帥……記念艦三笠は現在米軍の管理下に置かれておりますが……」


有様のひどさは言葉にして伝えるのをはばかられる状態だった

終戦後進駐してきた米軍は戦勝の記念品として三笠からありとあらゆる物を引きはがしていった

昼はもとより、夜には日本人による略奪が行われ艦内は廃墟のように薄汚れた壁を並べた見苦しい姿と化していた


国が有った頃、大切にされた記念の船は敗戦の重荷を請け負うがごとく無残に千切られ配線、銅線、室内に残されていた食器から棚らか全部をはぎ取られ、大砲は全て輪切りにされて切り落とされた


「動かぬ大砲までを恐れて切り落とすとはな」


三笠にされた強奪は敷島の身の上に起こった事とまるで同じだった

敗戦と同時に、国民を守れなかった国の盾は役立たずの金食い虫以外の何者でもなくなった

米艦艇艦魂からの暴力以上に堪えたのは、愛すべき自国民からの略奪行為の方だった

だが、事実役に立てなかった自分達を残して置くことなど出来ない。そして魂である自分達は最後に役立てる物と変えるために、復興の資金となるために自分達の体を千切っていく日本人を見つめ続けた


「それで三笠は、何をしているのだ」


荒れ果てていく自分の身の上など事ここにいたって大した問題ではなかった

問題なのは魂達の死の所存、それを宣言した者が今何をしているかという事


「長門中将の厳命により三笠元帥は自室にて一切の交流を絶っておられます」

「長門の?三笠は自分では責任をとらなかったのか?」


勢い振り返った敷島の尖った目がズイと近づいて、彼の言葉を射貫くと


「数多の港で、矢面に立っている仲間がいる中で何故にさ最高責任者である三笠は動かぬのか?」


出雲でさえ、沈没した半身の上で仲間を守らんと手を広げている時に三笠が姿も見せないというのは敷島には考えられない事だった

全ての帝国海軍艦魂に「自殺」を禁じ、生きて戦い抜く事を誉れと御旗を振った者が、自らは逃げるように自室に篭もるなど許されざる行為だった

怒りの混ざった力で敷島は、男の肩を掴むと


「どういう事か!!」


現役さながらの怒声を耳元に響かせた


「三笠元帥の魂をなくせば、いままでそれを頼みにし「心」を預けた者達の魂への道を無くすことになりかねません。横須賀は長門中将が責任を持って出航の日までを守られました。三笠元帥を失わぬ事、それを長門中将が望まれ鎮守府に残された全ての艦魂達も望みました」


捕まれた首の下で男は辛そうに続けた

零すような言葉には苦みが一杯に詰まっている


「三笠元帥は敗戦当初全ての魂に自決を許されました。しかし長門中将が許しませんでした」


ボロになったとはいえ、魂の力に衰えのない敷島の拳の前で彼は、その時の様子を伝言してくれた艦魂の話しを紡ぐように続けた


あの日、八月十五日大日本帝国は連合国に敗北を認めた

流れる大御心の言葉の前、膝を屈し涙を流した人と共に魂達も泣いた

「七月十八日に富士姉姫様ご自刃」

横須賀に残っていた曳舟の報告はそこから始まり、残された者達の苦難が続けられた



夕闇を待つと事なく、泣き崩れた人の群れは家にもどり

この国がこの先どうなってしまうのかという不安で沈んだ青空の下、静かな時間が流れていた

横須賀鎮守府もまた同じように、誰もが敗戦による虚脱状態にあり幾度もの空襲で緊張の夜を過ごしたハズの者達もただ空に目を馳せ過ごすという状態になっていた


鎮守府港の岸壁ギリギリに無理矢理寄せるように付けられていた長門の姿に往年の輝きはなかった

マストも煙突も無残に切り取られ、迷彩のための緑色を一面に塗りたくった艦体は焦げ焼かれた爆炎によりヒビを走らせた塗料の跡と、飛び散った破片に付けられた落書きのような傷で溢れていた


輝かしき連合艦隊旗艦の姿など微塵にも残らず

細かな砲塔は全て陸揚げされ、唯一己の誇りでもあった四一センチ砲塔だけがむなしく波風に晒されていた


夕闇が近づき、鉄の鐘楼は赤茶けた光の鷺を纏い、人のいない物言わぬ山の陰に、鎮守府に残された大小数少ない艦艇と曳舟達は甲板に集まっていた


「誰も異存はないな」


確認するように話す長門


長かった黒髪も乱れ、火の粉をかぶった各所に生臭い匂いを付けた中将は、甲板に集まった者たちに最後の挨拶をしていた


「では、行こう。我らの行く先へ、魂の棺に迎え入れられるために」


片目を無くした顔の長門を前に覚悟を決めた艦魂達は、三笠の元に飛ぶ光の渦に呑まれていった


終戦直後の記念艦三笠もまったく無傷という訳ではなかった

物資に事かく日本は、神明の鉄と評し三笠の内部にあった鉄の抜き取りを何度かに渡って行っていた

そんな微々たる量で戦争の行方を左右する事は出来ないだろうが、まさに藁にも縋る思いがそうしていたのか、内部の奥深くボイラーのあった箇所などの壁はことごとく切り取られていた


また空襲による被害も少なからず出ていた

標的として狙う艦艇が長門のようにカモフラージュされた艦もいる事もあり、陸に上がっている三笠もまた「陸に揚げてあるだけの船」という認識の元幾多の空爆に晒されていた

命中弾こそなかったが爆発による傷痕はすさまじく、各所に黒ずみの汚れや焦げた後を残していた


後部甲板、焼けたチーク材の跡も生々しい場所に鎮守府に残された艦魂達は光の渦を飛び出して集まっていた

誰も彼もが怪我をし、光を使って移動する体力のない者は肩を担がれての出席であった

その中を乱れる事のない帝国海軍軍装を纏った三笠は一巡すると、みんなの顔をしっかりと見て


「全てが終わった今、残されたお前達に有るのは苦難だけである」


自分の前に傷ついた体を押して飛んできた魂達に、どういういたわりがあるのか

まるで自分に問うような声は


「今まで良くやってくれた、みなよく尽くしてくれた。だが帝国は滅びた。我らは負け、護り生きるべき国はなくなった」


信じる

そんな安い言葉でこの戦いに出た訳ではなかったが、最後は信じなければ戦う事が出来なかった

いつか「神風」は吹くという妄想にも似た思いが帝国海軍を支配したのは太平洋戦開戦から二年もしないうちの事だった

それ程に疲弊しも心を殺して戦った国はついに負けを認め

全てが瓦解してしまった


並び立つ事の出来ない者達は三笠の足下ですすり泣き、立ったまま今は亡くなってしまった仲間の名にわびを入れる者もいた

その中でも長門は毅然とした態度で真正面に三笠を捉えて言葉を聞いた

横須賀を襲った空襲で艦橋直下に続けざま三つもの爆弾を食らった顎は下唇の艶を奪い焼けただれた皮を晒したまま、首回りの全てを煤けた包帯で覆い、失った片目の穴をふさぐことなく、空虚な暗闇の傷の顔で、残した瞳に決意を燃やしていた


「国が滅びた今、我らの役目も終わった。故に生きる事に苦しむ必要はない、みなここにて自刃いたせ」


自ら軍刀を前に出した三笠の声に、長門の声が間髪おかずに響いた


金打きんちょう*1」


声に合わせたように各々が携えた軍刀の鍔を打ち叫んだ

怪我をした者達も一糸乱れぬ動きで、床をつくように揃った音に三笠は驚き目を見開くと、音頭をとった長門に問うた

夜の風の中、長く伸ばした髪が揺れる連合艦隊最後の戦艦魂に


「何をしている?何に誓いを立てた?」

「我らが自決せず、先に逝った者達の元にゆく事を」


自らも立つことままならぬ大けがを背負った長門は、片口を笑わすと

「我らは、ただでは滅びませぬ。必ずやこの国に戻るために今生最後の生を全うする事を誓いました」


覚悟は決まっていた

この先、進駐してくる連合軍からどんな目に会わされようとも、苦難の海を戦い魂を散らした仲間の元に行くためには自殺は出来ないという思いは、三笠の教えの神髄に添おうとしていた


「やめよ!!自ら死ねぬという者は名乗りでよ!!妾が介錯してくれようぞ!!」


ローブを巻くように手を振り、軍刀を掲げて見せる

力を失い自決するにも手足を損なっている者も多い、腹を召すにも喉を切るにも足らぬというのならば、責を負うがごとく首をはねようと三笠は吠えたが


並んだ艦艇艦魂達の目は決して心折れて、死から逃げようなど曇りも見せぬ目を向けていた

「それを信じて戦った、信じた者達に殉じたい」という思いもあったに違うない

草木のように揺れながらも、集まった全ての魂達は立ち上がり長門の起立に従うと、帝国海軍から配刀されていた守り小刀を前に差し出した


「私達は共に海を走った者達が信じた教えに従います。そしてまた再びこの国で相まみえる事を願います」


長門の目が、苦しみに歪む三笠の目に挨拶をする


「心は、この国に置いて参ります」と、高く宣じた言葉の下で別れの笑み見せたままで





「長門に釘を刺されたか……」


男泣きの彼の肩を離した敷島は、顰めた眉のまま小さく笑った

懸命に教えた大切な生徒達の下した結論は、三笠の責任を問うものでも有ったことを理解した

そうだ、それを宣じ愛弟子達を争いの海に進ませた、負けては成らぬと叱咤して背中を押した者の責任は誰よりも重い

代表者として長門がそれを気がつかせ、死ぬなどという安い道を選ばせなかったという態度に感心した


「そうだ、私達こそが責任をとらねばならぬ。何故に戦いが無情で不条理で、どこまでも理不尽なものであるという事を心根に残る程に教えられなかったのか」


敷島もまた、責任を痛感していた

栄光の帝国海軍

その中身は、日露の戦いに小国ながら勝ったという喜びに参じた無様なものとなっていた事に、対馬の海戦を武勇伝のように聞かせた覚えはなかったが、人の心がそれを誇りに前進するように、魂にも垢は付き、戦いを肥え太った目で達観していた事を思うに

何も教えられなかったのではという残念と後悔の中で敷島は何度か首を振った


「ああ、責められて当然だ。私達もまた苦しみの抜いた果ての死を知らねばならぬ。敵を撃つための技術だけではなく、撃つことの痛みを教えられなかったのだから、それをどう心に刻むかを知らしめる事ができなかった!!これは私の罪だ」


そういうと涼月に顔を向けた

はがされた側部の衝立に背中を任せ、肩に下ろした黒髪を揺らす水兵である彼女に

最初の時のようなすごんだ声ではなく、優しく問うた


「今一度聞こう、自決はせぬか?今ここで死なねば、お前はただの死よりも苦しみの生を何年も続ける事になる」


大破の姿をさらし佐世保に戻った涼月には、復員の仕事さえ与えられる事がなかった

すでに死に体であり海を行くための働きは出来そうにない彼女の行く末は、実に船として辛いものが待っていた

解体という有るべき死の形を得た敷島とは違い、生きたまま防波堤として埋め込まれるという苦しみが


「はい、それでも生きて…この魂の心を届けたいのでございます」

「いいのか、お前の苦しみは尋常なものではないのだぞ。それでもか」


敷島は自分を甘いと思いながらも涼月の最後を哀れんで、言わずにはいられなかった

代われるものならば、自分こそが責め苦の果てに死なねばならぬと思うほどに

上官の苦悩に満ちた目に、涼月の若い娘である歳相応の丸い目が頷く


「もう決めております、姉妹達の元に参るためにはこの道を通るしかないと」


壊れた体の輪郭を風が晒す

敷島は片手で涙を抑えた。教えられなかった事の多さと、最後まで形はかわれども決して諦めない事を学んだ部下の姿に背筋を正した


「そうか、ならば私も行く末を見るために、心をこの国に置いていこう」


涼月の弱々しい手から差し出された小刀を受け取り、自らの軍刀を重ねると男の側に向けた


「託そう、この心を。三笠一人に責を負わせても、いかな果てがあるかを見るために」


大小を重ね合わせされた刀の前、痩せた男は直立の鉄心がごとくに敬礼をした

長くお互いの労苦を厭い合うように波の音の中で

静かに手を下ろし深くお辞儀をすると整然と、かつて帝国海軍の軍人達がそうしたように静かに刀を受け取る


「一命を賭して、必ずや三笠元帥のもとにお届けいたします」

胸を打つような返礼、夏の風の中で残された者達は顔を見つめて別れの時間へと走ってゆく


「大和の心も届けてくれたそうだな」

「はい」


かけがえのない時をともに生きた魂達は死んでゆく、彼は何度もその光景を見てきていた

そして数少ない艦魂を見られる人である彼に、多くの魂が心を託した

終わりに向かって、毎日のように心を預かる気持ちは、身を切る程の苦行であった事は容易に想像がつくというもの


「荒行がごとく辛い道のりであったであろう。しかしようしてくれた」

「いいえ、いいえ……」


涙つたう頬、欠けた眼鏡の奥で思い出は巡る

女という形を持つ魂達との交流は、華やかだった時もあり、共に頭を悩ませ学んだ時でもあった

時に互いを思いぶつかり合い、時に苦しさから弱音を吐き心身を支え合った


「この先どんな事があっても自分は、帝国海軍に嫁した姫君達の事を忘れたりはいたしません。出来る事をこれからも致します。そして……そして、今はみなの菩提を弔いましょう。またお会いする時に不足なき用に」


敷島と涼月の笑顔とは対象的に、涙を拭わず歯を食いしばった彼はもう一度敬礼をした


「心遣い感謝する。長谷川少佐、貴殿の行く末にも良き光があらん事を」


そう言うと大きく手を広げて見せた

「さあ、最後の宴を楽しもう。心ゆくまで呑もうではないか」

事の成り行きに涙燦々の曳舟達を手招いた


「いや、最後ではない。また会うために、この日を記念に忘れぬために飲み明かそう!!」





影の存在として歴史の記憶を見ていた粉川はすでに膝をついていた

ボロの甲板に足をつき、熱波をしのぐ日陰の下で首を振る

息を詰めるような会話の中で顔を真っ直ぐに向けて聞き続ける事が出来なかった


人と魂の邂逅、その果てを見送った側の人間の気持ちを今初めて実感したから、心にヒビを入れるほどに痛みを抑えるように胸を抱えて

自分ではとてもそんな事は出来ない、辛いものを見てしまっていた


「お前は後悔する」


三笠の言葉が響く

魂に出会えたことをあらゆる方面でこれほどに辛く後悔した事はなかった

有るべき死以外の死。戦いに敗れ最後の時を待つ者達の心を初めて見ると、自分の前で涙ながらに別れの杯を重ねる男を見た


「そうでしたか…さぞ、辛かった事でしょう……」


ひざまずき胸を押さえる粉川の前を『こんごう』はしっかりとした足取りで歩いていった


「『こんごう』?」


見えぬ世界で、真っ直ぐに奇跡がくれた再会を確信していた

乱れぬ足取り、定規で測ったかのように歩幅をあわせ立ったまま盃を煽る敷島の前に出ると、踵を合わせ敬礼をした

まるで今にも顔を触れあえるような位置にて、しっかりと姉であった人の顔を見据えると声も大きく


「日本国海上自衛隊護衛艦『こんごう』であります。貴女の前に帰ってまいりました」


愛弟子と呼び涙した敷島の言葉、戦艦金剛の次代である自分が何も継げなかった事は心を刺し通していたが、礼をせずにはいられなかった

締め付ける思いに声が震え、水の瞳から涙がこぼれ唇を噛んだ


「『こんごう』」


奮える肩をいつしか粉川が支えていた

ここに来ることで先人がどれほどの涙を飲んだのか見た粉川もまた、自分では何もかもが足りていなかったと反省をしていた

『こんごう』に並び立つ粉川は、敷島の前で同じように敬礼した


「日本国海上自衛隊、粉川一等海尉であります!!」


真っ直ぐな目で、三笠の姉であり、最後まで教育者たらんとす姿勢を貫く者に敬意を表する礼に


「粉川……」

『こんごう』は自分を支え、共に敬礼をしてくれる人の手の中で耐えられない涙をこぼした

この人の愛した魂を継げなかった事や、苦難の時を知る事が出来なかった自分のふがいなさに、どう謝ればいいのかと


「私は…私は…」


何も告げられない不出来な次代、頭を下げてしまいそうになったその時。胸にしまっていた欠片の玉が輝きを増し声を響かせた


「私達の魂を探して」


輝きの玉を見つめる『こんごう』の前、敷島は豪快な笑い声を上げると『こんごう』に目を合わせた



「ああ、必ずやまたこの国にて相まみえようぞ!!」



手を重ね光りをともに支えると


「私達の心は必ず帰って来る。『こんごう』私は必ずや再び貴女に出会う」


自信に満ちた笑みは、しっかりと『こんごう』と彼女を支える人粉川を見つめていた



「私は信じる」


敷島の声は至高の響きの中、心消える事のない決意と思いを二人に届けた

カセイウラバナダイアル〜〜まだまだ〜〜


まだまだ……まだまだですよ


てか、氷川丸の続きが掲載できなくてごめんなさーい!!!

次回はなんとか同時掲載が出来るようがんばります!!


今話登場の長谷川少佐については、もう有名過ぎて言う事なしです。

ただそのまま長谷川さんというわけではないので、そのあたりはご注意下さい。


私がこの小説を書くきっかけとなった作品で、その作中で多くの魂達と邂逅をした人

私個人の考えで、これほどまでに魂との会話をした人は戦後立ち直れなかったのではという思いがあったため、こんな形での登場となりました


長谷川少佐、モデルは言うまでもなく大作「艦魂年代史」に登場の長谷川翔輝さん

黒鉄先生作品からの登場でした


*1 金打


侍用語集というのでも普通に掲載されているので難しい言葉ではないのですが、誓約を立てる、または誓いを刻むという意味で刀の鍔を叩くというのが一つの作法?としてありました

彼女達は戦船の魂であるという事もあり、この作法を採用しました


鬼平犯科帳では小説にも、映像にも出ていたりしますから確認して見るのも良いかもしれませんよ〜〜



それではまた〜〜

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