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第八十二話 三笠の姉

長かった…慣れ親しんだパソコンの消失がこれ程に被害を出すとは…

お久しぶりの新話です!!待っていて下さった方ありがとうございます!!

小さな波紋を広げる波が鈍い光を反射させる護衛艦の上、『こんごう』と粉川、月からの神秘を惜しみなく享受し輝きの髪を揺らすコーパスクリスティーが揃っていた


立神T1バースにかけられた艦体は月の下にある事で兵器の影というよりも、鋼の城であるが、柔らかい光のおかげで硬さをみじんも感じさせぬ美しい風景の一部と化していた


佐世保の夜

港の側から見る景色は、中空に浮く光の階段にもみえる

長崎程ではないにしろ、ここも坂の町だ。山裾から天を目指す家に連なる人の灯りは面前見え

大きなガンクレーンの輪郭を浮かび上がらせる

T1の端に付け競られている『こんごう』からは川向こうの町がよく見える

国道35号沿いは開けた地域、学校から病院、中央に続く道にはより多くの人が夜を楽しむ時間を惜しみなく輝かせる光の列


地上の星達が紡ぐ夜の世界、そこから離れたもう一つの世界へと粉川という人が今足を踏み入れようとしていた



繰り返す波の音、それが誘う世界の入り口に立つ者達は護衛艦『こんごう』の上に姿をあらわしていた

三人の中、粉川は初めて経験する道の世界への誘いに鼓動を早くしつつも、色々な事に気がつきそして考えを巡らしていた


その一つ、コーパスクリスティーの髪

場所を移す間に変化した彼女の髪にも脅威と、人とは違う者達の姿を確認する事になっていた


「今宵は良い月が出ておりますから、きっと人にも水の持つ時の欠片を見る事ができましょう」


ただでさえ歩くというより、かすかながら浮いているような移動の足

つられるように靡く赤いスータンのはためきなどがみせる偉容

『こんごう』達とも一線を画した彼女の姿は船の魂達が実際はいかなる者なのかを知ろうとする粉川には予想外の人物の姿と重なっていた


「髪……」


声に出して聞くのはと小声で『こんごう』に耳打ちする


「前にも見た。前、水の記憶の世界に入った時もああなっていた。特殊な力を使う時はああなるのだろう」


これから神秘の世界へ、この佐世保の持つ記憶に入ろうとする手前を慌ただしくしたくないという返事

いつもより詰めた視線、制服の襟を正す『こんごう』の緊張とは別に、粉川は思い当たる出来事に顎を掻いていた


「特殊な力」


コーパスクリスティーの姿は神秘ではあったが、『こんごう』とは別に粉川はこの光景を見ていたことに気がついたのだ


護衛艦『こんごう』の上、もっとも月明かりを受ける場所はヘリコプター甲板である艦尾

灰色の甲板も静かな時を楽しむようにほのかな光に身をさらし、眠りの子守歌を聞くように

鎮座する中で、月に向けていた目線を、海に走らす、ここより遙かに北の地にいる人の元を見据える


「三笠…」


思い出した事

それは横須賀の夜、祭りの町を後にして彼女に会いに行った時の事

あの時、三笠は月の光の下に手を広げ…

記念艦三笠の甲板の上、古びたサビの城で彼女は何をしていた?

いつもは濡れ羽の光沢を持っている髪が銀色に変わっていた

あの時だけではなかった、三笠は月の出る夜には必ず外にいた。外にて月の光を集めるかのように手を広げ、髪はプラチナの輝きのものえと変化をしていた


子供の頃から見ていた光景が故に、不可思議と思った事はなかったが「記憶」というラインにそれが上った事で粉川の仲には一つの疑問が浮かび上がる


「三笠も水の記憶を操る術を持っていた?」


作業青服の胸に拳を打ち付ける

波が静かであれば鼓動さえ響かせてしまいかねない夜

二人に比べると大柄の粉川は自分を抑えるように胸を打つ


「三笠、君はあそこで何をしていた?何をしようとしていた?」

敵は目の前だけにいるわけではない。そう教えた母親代わりの彼女

今はそれが目の前にある大切な事から全てを暗ますためのねい言にも思える

「何を隠していたの?」


一度だけ見たことのある帝国海軍軍装姿の三笠

凛と澄ました青い瞳は甲板の上で軍刀を立てに、手を重ねと月を見ていた12月の空

きら星の欠片に目を向け立ちすくむ姿は姿勢も正しく、いつものおちゃらけた姿など微塵もなかった

海風に煽られる元帥のローブ、流れる髪、静かで湖水を写したような青い瞳

まるで今から戦いの海に赴かんとする気迫と、「恨め」と泣いた瞳


「大日本帝国海軍軍艦三笠」


黎明期帝国海軍の中枢に産まれ、末尾の日の中、滅び行く帝国海軍を見つめ

帝国海軍が滅亡した後の日を、現代まで生きる魂


「三笠…君はいったい何をしている?」


「御心に届くかも知れませんね」


背中を丸めてしまった粉川の顔に銀の瞳が笑った

いつの間にか思いを募らせ、雑音をふさぐように方針していた顔の前で


「どうした?腹でも痛くなったのか?緊張してるのか?」

目の前に立たれたコーパスクリスティーの後ろで『こんごう』の鋭い目が粉川に激した

「しっかりしろ!!何も恐れるような事はない!!」


変わらない彼女、三笠の中に変化を感じた今。『こんごう』の変わらない強気が粉川には安心のおけるものに変わっていた

いつもの尖り目とへの字口、威張った態度の仁王立ちの前で粉川はおどけた顔を見せる


「恐れてなんかないけど、確かに緊張してるってだけ」


心に上った不安を歌消す、気取られぬように語り、声を返す


少しばかりぎこちない粉川の様子に、軽めのため息をする『こんごう』もまた考えを持っていた

前回は東シナ海にあって、日本国にある戦船にとっても忘れる事のない歴史の世界へストレートに飛び込む事ができたが、今回は佐世保港という場所に残る記憶という曖昧さ

知りたいと希望する時に手が届くのかは不明であるという事に


「コーパスクリスティー大佐、佐世保の記憶の何処に私はいけるのでしょうか?」


佐世保は長い軍港としての歴史を持っている

それは帝国海軍初期の頃からという百年の歴史を、『こんごう』の知りたい戦艦金剛の歴史さえも包括している港でもある

そこえたどり着けるのかという思いをぶつけてみた


熱い目線を持つ『こんごう』に、コーパスクリスティーは聖女がごときの緩やかな視線で、試すような声を滑らす


「さあ、望む記憶を探し当てる事ができるのは貴女の意思にも関係していますから、でも貴女ならば、きっとみつけられます」


意思の大切さ、水の記憶の幅はとても広い

コーパスクリスティーを介しても全てを知る事の出来ない秘技の世界は、思いを知りたい時に集中する事だけを注意すると

氷を思わせる目を俯かせて、打ち付けていた波に手をかざす


「大丈夫ここはただの港じゃありませんから、喜びも悲しみも、希望もを、多くの魂達と人が折り重ねた心を埋めた海なのだから。きっと貴女が来る事を望んでいる者に会えるはずです」


声の途切れる時と同時に波が跳ね上がる。コーパスクリスティーの呼びかけに応じるように

ティアドロップの輝きが手の中に走る


「さあ、始めましょうか」


先ほどまで、陽気とはほど遠くとも普通の音色だった声は変わり、鈴の音のような頭に響く音を絡ませた音が粉川の脳に届く


「頭に…」


急に耳を介さず通る声、頭の真ん中を叩くような振動に粉川の体が揺れる

『こんごう』はすかさず粉川の肩を支えると

今日、これから体験する事はおそらく現在船の魂を見ることができる「人」の中で初めて経験する出来事となるだろうと語り、


「耐えられるか?」


心配というより、付いてこられるのか?というような澄ました顔をした


粉川は移動する前コーパスクリスティは語っていた事を思い出し、大げさに見えないように片手で額をさする仕草をみせると

片目を跳ね上げ相方に首をふる「平気」というゼスチャーで


「少し、痛みがあるかも知れませんね」


鼻を鳴らして


相手の様子を見た銀の瞳

コーパスクリスティの髪は月明かりと、超常の力が満ち天をつくように逆立ってる


「大丈夫です、こんな事は二度と経験できないかもしれませんから。多少の事は気になさらないで」


苦言を出せば、隣の『こんごう』に、水の記憶への旅を止められてしまうかもしれないという不安を押し切る勇気に賛辞を送ると

初めて『こんごう』にあった時と同じように手の中の水を泳がせ


「180の軌跡、今は永久への軌跡。時を繰り、時の流れの元に」


人差し指に絡ませた水滴を粉川と『こんごう』に向かって投げる

「繋がる糸よ、いざ導かれん」






「粉川!!」


耳に響く声が鈍い、大きな膜を張ったような世界の中で粉川は息を吹き返した

というか、正確には一瞬にして真空状態の中に放り込まれた感覚から、五感を圧迫され

体を押しつぶされる圧力に気を失う暗闇を感じたまま目の前の空間が歪み、水を浴びせられたように溶けると渦を巻く光景から海の中に蹴落とされる


『こんごう』の声はそれを引き上げた形となっていた


「ここは?」


大口をあけ必死に酸素吸入をする顔の前、景色は相変わらず歪んでいた

粉川は何度か自分の頭を叩き目をこするが


「ぼやけてる…」

「ぼやけてる?」


たどり着いた朝焼けの港、『こんごう』の前には焼けただれた町、まるで大火事で全てを失った平地と山まで続く残り火、くすんだ灰を巻き上げる海風の中に立ち並ぶ粗末な小屋の群れ


「見えないのか?」


工場の焼け落ちた鉄骨が、仰向けに倒れた人の肋のように乱立する景色を見渡す波止場の石堤

『こんごう』は鼻を動かし、くすぶる匂いを嗅ぎ耳を澄ませながら、記憶の世界にある「本物」の感触を確かめると現在ある状況を話し粉川の肩を叩く


「見えない、というか…はっきりとした輪郭がないかんじなんだ」


何度も目を開け閉めし、額に皺を寄せて風景を探す

「あそこは港?」

ぼんやりした輪郭でも情報を与えられれば、漠然とながら何が自分の前にあるかは理解ができるもの、同時に鼻腔に流れるただれた匂い、風と潮の音し味

霞む景色に意識を集中させながら


「何か燃えてる感じだけど、匂いがする」

「燃えてる…違うな、もうおおかた燃え尽きてる。ただ規模が大きかったから匂いが離れないんだろう…」


いつもより抑えられたトーン、『こんごう』の目は悲しく潤み、眉は少し下がっていた

粉川に見られる事のないよう後ろに立ったまま


「戦争が終わったあたり、終わった直後かな」


沈んだトーンからと、あたりに香る匂いで少しの理解はしていた粉川も、残念そうに顔を歪めると風に靡く旗に気持ちを曇らせた


かつて、大日本帝国海軍の一大軍港だった佐世保鎮守府の残された建物の隙間、高く上がった国旗は日本国の物ではなかった

星条旗がくすぶる煙の間を縫うように高く掲げられ、港には合衆国海軍の艦艇が大きく陣取るように並べられている


戦いが終わり、負けて全ての軍備は失われた

日本国の基地であった鎮守府は接収をうけ朝焼けの黄色い景色の中、米海軍施設として可動していた


「戦争が終わった頃の佐世保…そうなの?」


後ろに立つ『こんごう』の姿さえ霞んでで見える粉川は、荒げていた呼吸を落ち着かせながら広がる港の景色を見つめる


「じゃあ、日本の船はもういない頃なんだね」


敗戦時、日本には国土を守る艦艇はほとんどいなかった事ぐらいは粉川もよく知っていた

空襲の港に立たされるのは困ると考えながらも、終わってしまった姉達の歴史に立ち会う事の方がつらいだろうといういたわり

記憶を追うのならば彼女達が華やかだった頃にこられれば良かっただろうにと


「もう他の記憶には飛べないのかな?」


黙して港を見つめているだろう『こんごう』に聞いた

「いや、ここに何かがあるからこそ導かれた。ここに知るべき何かがあるんだ」


粉川の慰めを物ともせぬ顔は、焼けて平らになった佐世保の町を見渡し

静かに港に、かつて鎮守府と呼ばれた場所に歩きだした


「どこに行くの?」

空気さえも実物のように感じる世界、歪み霞んで見えたとしても自分の手足に感じられる実物感に及び腰になりなが粉川は後を追う


「港に、感じるんだ」

「感じる?何を」


背中を向けたままの『こんごう』が手を挙げ指差す

太陽は高く上がり、真夏の熱を降り注がせる

すでに周りには多くの日本人の姿さえ見える中を二人は歩き、『こんごう』の指し示す方向を粉川は鼻っ柱をつまみながら懸命に見る


「あそこに、日本の戦艦がいる」

「戦艦、でも戦後に日本に残った戦艦は長門ぐらいのハズだよ」


話し合いながらも前を進む『こんごう』の背を見失わないように追う粉川

いつしか焼け野原の中に並ぶ粗末な小屋のある道に出ていた

騒がしい朝、周りの声を聞くに粉川はここが終戦直後の夏では無いことを感じ取った

少なくとも戦争が終わた翌年の夏、そういう生活の音がそこかしこに響いている事に


「『こんごう』ここは終戦直後の佐世保じゃないみたいだよ。少なくとも一年はたっていると思う。そんな中に戦艦なんて…」


放り出された記憶の世界の中でも、汗を流さざる得ないほどの熱気

半ズボンの子供達が顔を真っ黒にして走り、粗末な小屋に住まう人達がいつものように洗濯と炊事の火をつくり、肩を寄せ合うように生活している

看板所に立つ板きれの伝言板には、所狭しと手紙が貼られている。水中に裸眼でいるような光景の中にあってそれが何かを知りたい粉川は顔を近づけて字を読む


「和彦と学は引き上げし候、静恵へこれを見たら役所に連絡を帰りを待つ俊彦」


満州からの引き上げ

敗戦による混乱の中、命からがらで日本に帰ってきた人達の伝言

板きれは何枚も連絡所の壁に建てられ、登録以外の方法でなんとか家族との再会を望む人達の願いで満ちていた


ヒビの入った眼鏡で懸命に家族の宛てを探すくたびれた軍服の男

背中に風呂敷を背負った白髪もちりぢりの老女

周りには混乱の中でも役所の業務をする男の人達

戦後、数年、焦土と化して何もなくなったところから生活の第一歩を始めた国民の姿に、ぼやけた視線がさらに霞んでしまいそうな粉川


「こんな状態から…日本は立ち直ったのか…」


心に石を詰められるような痛みが走った

今まで写真で見るばかり、話しに聞くばかりの世界が目の前にある事に、ただ立ち尽くしてしまう


「止まるな、粉川」


雑踏の中に止まった粉川の前、多くの人を挟んだ向かいに立つ魂は慄然とした声で告げた


「この事は憶えておけ、この国に、こういう時があった事を忘れるな。でも今は前に進むぞ」


はぐれるなと手を伸ばす

「『こんごう』…」


粉川を励ましながら『こんごう』の目は、粉川の霞む目よりも鮮明に戦後の世界を見ていた

戦後

戦いの後の日本、この国を愛して戦った姉達の死以降の世界を、きつく結んだ唇と尖った目で心に焼き付けるように見つめ続けていた


「姉さん、ここまでの道は」


粉川の手を引きながらも背中を丸めてしまいそうな自分を知ったする『こんごう』

一面焼け野原、道に合わせて立ち並ぶ小屋の住処

傷を露わにした日本の大地、こうなっていく国土を見続けた姉達がいたという事に胸を押さえた


守りたかった人達は、苦難の戦後を生きている

そしてこの先に感じる鼓動の姉はどんな人なのか、どんな思いを持っているのかという事を考えるに心が張り裂けそうだった


「『こんごう』」


左手で弾いていた粉川が背中を支えた

「君の向かうところに一緒に行く、どんな事があったのか、それがボク達に何を知らせようとしているのかを共に知ろう」


右手で飛び出さんばかりの痛みの心を抑えていた『こんごう』と目を合わせる


「この先だ」

支える手を握り返す、目が見る先にあるのは佐世保鎮守府と呼ばれた港、今は米軍の艦艇が並ぶ中に聞こえる熱い鼓動の主への道


「行こう」


二人は陽の注ぐ工場内に向かって意を決して歩き出した

灰色の工場、ところどころのトタン板が外れ青空を見せる程の隙間と、鉄扉の前を彩る火災で付けられた焼けた影

油の匂いも十分に流れ蒸し暑さに嫌味な彩りを添えている


真っ直ぐ目的地に向かう二人とは真逆に戻ってくる者達の間を縫う

すれ違う無数の工員達、戦後ここの全ては米軍に明け渡されたが、工場を稼働させるのは日本人の手を使わなくてはならず、多くの日本人が焼け跡に残ったこの港の仕事を担っていた


「なんぞええもんは残っとったかと?」


真っ黒に焼けた肌の男達、食べ物の行き渡らないこの時期の男達はみんな焼けた炭のような肌で枯れた棒のような体をしていた

『こんごう』達の向かう先から、戻る人、足を引きずった男にすれ違う熟年の白髪が尋ねる


「なんもないばい」

唾を吐き、苦く顔を歪める

「おっかぁに、鏡台の変わりでもあるかおもっていったがと、何ちゃかんちゃひとつも残らんごとなくなっとっ」


口を曲げて、大きくため息を落とす

「飾ってあった海軍の船やけ、もっとええもんがあっとおもっとたかよ」

「なんもあらん、あんなん戦争終わってすぐの頃にみんな追いはぎみたいに持っていきよったとよ」

「そん後、アメちゃんからさわんな言われとと、だけんなんかあっとおもうとったとぉ」


不機嫌な会話をする男に白髪は大笑いをして


「あん船が骨董品よ、そうだばってんもう鉄くずぐらいにしかならんばい」

「ほんと、あんな船で日本を守ろう思うとったとか、海軍どもは」


悪意の目が港の向こうをのぞく、ロープに幾重に固められた塊の姿を睨む

「ボロ船なんぞ、はようバラして金にせんと」

「なんも、明後日から解体ばい、今日は入れるだけと、みんな金目の物目当てにきよっとが、すぐにかえらい」


言われとおり、朝早くに物取りにやってきた男達は手ぶらで歩いている

人のはけてゆく向こうに見える船



「ボロ船…」


行き交う男達、工具を背負った者達の先にある艦影に『こんごう』の目がとまる

同時にそれを見つけた粉川は呼吸が止まった

見覚えのある艦影に、思わず声が出る


「三笠…?」


古式ゆかしい艦体、顎をそり返したように作られているラムを持った艦首

錨を乗せるアンカービッドの岩のような段差

平たく構えた艦橋、すでに主砲もなければ副砲もないが見覚えのある形に心が凍る


「ちがう、あれは戦艦三笠じゃない」


動きを止めてしまった粉川の前、『こんごう』も艦を見つめながら


「あれは戦艦敷島、相ノ浦にて帝国海軍最後の日までを見続けたふね、この時の帝国海軍の中でもっとも長老にあたる姉さん」


そういうと導かれた運命を受け入れた手が粉川を引く

「行こう、この人に会うためにここに来たんだ」

強い足取りがここに導かれた意味を知るために前に進んだ








軍艦敷島

かつて日露の戦いを三笠と共に仲間を率い戦った有名艦も、敗戦と同時に見る影を失っていた

長く現役をつとめ、退役後は海軍佐世保海兵団所属の練習艦として余生も磨きをかけてきた艦体だったが、今は灰色にサビの赤をそこかしこと浮かび上がらせ、備品であった全ての装飾はおろかチーク板の甲板までも破がされ、推進に必要だった足も抜き取られた状態にあった


その日照りの激しい甲板の上で、開襟シャツで敬礼をしている男がいた

ひげそりもままならない物資不足の中、なんとか整えた身なり丸い眼鏡の顔に苦悩を浮かべて


「すみません、こんな服も整わない姿でご挨拶となりまして」

「かまわない、楽にしてくれ」


砲塔を抜き取られた影、艦橋の下をくぐり副砲のあったあたりを歩く影、敬礼を受けていたのは体躯もすばらしい女の姿だった

軍装の彼女だったが、着ている服に階級章はなく、むしろ痛みそこらじゅうが解れている

ただ、乱れなく整えられた金色の髪がかつての威厳を保持している

顔に少しの疲れを浮かべつつも向かい合うように立つ男の言葉を待った


「敷島教務中将。長門中将より…最後の伝言が」

「聞こう」


留まらぬ潔い返事に、男は最敬例がごとく踵を打ち鳴らして合わせると


「後の事は全て三笠元帥に託しました。私はこれより…」

声がつまる、先を告げられない苦しみで目を硬く閉じる彼に艦魂敷島は黙って、続かぬ言葉の先わ待つ


「私長門はこれより南洋の海に向かい標的艦として没する事になりました。多くの責務を担う者として最後までこの国元におられぬ事を悔しく思います。しかしながら最後の時まで帝国海軍魂であった事を忘れず果てる所存にございます。次にお会いする時を楽しみにしております。…との事でした」


待つ相手に一気に、心を重くしていた言葉を吐きだした男は涙を流し

「大変にご立派な姿にございました。随伴に巡洋艦酒匂を伴いの出航でした」


「そうか、ご苦労だった」

一寸の間だったが、感慨を振り切った答え、起立していた体が背中を向けると


「長門も逝ったか、いよいよ私も逝くことになる」

目をつぶる先に何かを見るような笑み


「別れに際し、長門中将より軍刀を三笠元帥の元へと賜りました」

「そうか、それを君がしていてくれたのか」


振り返り礼を言う敷島に、硬く踵を合わせたまま立ち尽くす彼は


「もう、こんな事でしかお役にたてません。申し訳なく…」

「いや、ありがたい」


敗北のつらさを一身に肩に背負おうとする彼の言葉を遮る

「私達は最早この国を護る力ではなくなった。もう何も出来ない、工員達のいうように役立たずだ。なのにこうして礼をつくしてくれる者がいる。本当にありがたいと思っている」

「しかし…中将を始め各港では多くの魂達が…僕にはもう何もできなくて」


負けた、戦争に負け国の全てを侵され

刃向かった者達に叩きつけられた風は、台風のそれよりも凶悪で悪意の分厚い刃物を振り下ろしていた


彼は泣く

軍港に残された帝国海軍の艦艇艦魂達が、進駐してきた連合軍の艦魂達にどんな目に遭わされたかを知っているから

ある者は記念品として階級章をよこせと立ったままタコ殴りにされ、ある者は「軍人でなくなった者が軍服を着るなと」裸になれと恫喝され、拒むとビール瓶で頭をかち割るなど日常的に行われ

傷つき動く事もままならぬ魂に非道の限りを尽くした


「中将もご苦労をなさった事でしょう」


古参の艦艇で現役ではなくとも「中将」の肩書きは大きい、事実佐世保に進駐した連合軍、中でもアメリカの艦艇艦魂達は競うように敷島の階級章を奪いに走ってきていた


思い出すに苦い事と顔をしかめたが、男泣きの彼の前で両肩をあげると


「あんなものは海に投げ捨ててやった」

「ちょっと驚きましたけどね」

唾を吐くように軽い声に、若い魂の声が相の手を打った


敷島の後ろにかろうじて体を立てる形で立つ女の顔にはまったく生気がなかった

それどころか右腕をなくし、おそらく横腹を抉る怪我を負っているのか、右側の軍服は不自然な凹みを作っている

もっとも目を覆いたくなる傷は首の根を抉られた深い傷跡、人間であるなら骨を向きだしにしたであろう傷の魂は、自分の顔を見る男に名のごとく涼しく微笑んだ


「おひさしぶりです少佐」

「涼月…」


立つことが辛いであろう相手に肩を貸す敷島は、話しの続きを何事も無かったかのようにした

「負けた国の階級章などに、どんな価値がある?よほどにこの国の者達の方がわかっている」

ボロ船、鉄くずに身を変える事を最後の奉公、正しい自分の最後と信じる声は高らかに言う


「私はいい、どうなっても。私はそれだけの責務を担った者だ。有るべき叱責を受けるのも勤めだ」

「私も覚悟は出来ております」


上司の声に同意を告げる涼月は床に座らされたまま二人を見上げて


「でも他の港はどうなってしまったか…心配ですよね」


「横須賀は長門が居なくなったことで少しは騒ぎも収まるとして…呉には行ったかね?」


馳せる目の示す方角

帝国海軍の港だった呉鎮守府には、燃料を失して浮き砲台となった者達が多数いた

「出雲はどうなった?浅間は…」

旧友を思う言葉途切れる、友だけでなく全ての者が同じく苦境の波の中におぼれ始めている今、それを聞いて良いのかという思いで止まった言葉を彼がつなげた


「出雲特務大佐、磐手大佐はともども呉の海に足付く状態にありながら、多くの者を敷島中将と同じく矢面に立ってお守りになっておられました」


終戦間近にあった呉の大空襲で出雲も磐手も大破、出雲は転覆の憂いを得、磐手は着底というありさまだった

終戦から呉に進駐したアメリカ艦艇達はここでも同じような狼藉を働いていた

同じく呉の港に着底した榛名、日向の階級章を奪おうと争奪戦に走り、呉に残った船達に対して横暴の限りを行う中

出雲は完全とした態度で立ち向かった

自身の半分を海に沈め、魂の状態は最悪であったにも関わらず


「殴るならまず私を、死に損ないだ遠慮はいらないだろう」


赤腹の上で大きく手を広げ、老いた自分を倒せぬのならば他の者に手を出すのは卑怯なりと笑った


「そうか、出雲らしい、実に頼もしいな」


かつての友が最後まで我を通した話しに、消えゆく命の姿とはいえ笑みがもれる


「ここでもしばらくそういう騒ぎはあったが…」

そこまで言うと振り返り

「姿勢を解け、もう私も中将ではない」

「しかし」


「少し呑まないか」


リラックスを促す手が甲板の縁を指差す

解体を明後日に控えた敷島には今は人はいない、ボロ船の処理にいちいち人を配して置けない程戦後の日本はフル回転で良くも悪くも復興の道を走っており、消える魂に興味を持つ者はほとんど居ないからだ


その船に顔を出す者達がいた

曳舟の少女達

敷島に調査と称して乗艦した人の影を見つけた彼女達は追うように寄ってきたのだ


「上がってこい、酒を呑もう」


敷島の手招きに各々手に肴を持った彼女達は一斉に前にあらわれると

「涼月様、これ食べて元気になって」

「敷島様、お酒呑んで元気になって」

口々に頼むように獲物を前に置いた

大きな手袋を付けた彼女達は小さな力持ちで戦後の港の多くの仕事をこなす働き者の魂達だった


呆然とする彼に耳打ちする


「食べると元気になると信じている、彼女達が私達を今まで守ってくれたともいえるんだ」


語るように帝国海軍の港は連合軍に蹂躙され、全ての港で魂が魂に奮う暴力は横行していたが、ある事件がきっかけでそれは収束の方向に向かっていた

それは曳舟達の反乱だった


最初は小さな出来事だった

舞鶴で残されていた巡洋艦艦酒匂に対し暴力をふり続けていたアメリカ艦艇が、港の中で接触事故を起こした


そもそも進駐したからとて全ての設備をアメリカ人が使いこなせるという事はなかった

だが艦艇を寄せたり引いたりを日本人に任せるのは危険と判断され、曳舟達は軍港譲渡と共に第一線でアメリカや連合軍艦艇を港に着ける激務に入り、帝国海軍の艦艇の中では唯一優遇された船となっていた

アメリカの船員が乗り込み、操る事もあり

誰も魂の彼女達には手を挙げなかった、いや、自分達を曳く大切な働き手として挙げられなかった


一方では敗北の責を負われ、国内の船達にも罵倒され米艦艇達には暴力を振られる帝国海軍艦艇達がいる中でもっとも好待遇を得た船となった彼女達だったが、それなのに彼女達は反乱を起こしたのだ

ささやかな反抗は「泣く」という事だった

最初に接触事故を起こした曳舟は大声で泣き叫んで


「いや!!いや!!仲間(船)を虐める人の言う事なんか聞かない!!」


そういうと大きな手や足をばたつかせてストライキを起こしてしまった

突然曳きを止めてしまった彼女の前、止まることもままならない米駆逐艦は桟橋と岸壁に激突、艦首を左に3度以上曲げるという大けがを負う

その時はさすがに他の米艦艇がきつくしかりつけたのだが、翌日同じ形で事故が起こった


原因は前日の失態に腹を立て、酒匂を殴り倒した彼女(艦魂)を見たという事によるストライキ

今度は同型の駆逐艦同士が横腹をぶつけ合うという派手な事故になり、人の側では戦勝に浮かれた注意不足と上を下への大騒ぎとなり

米艦艇の魂達も警戒し始めた。原因が自分達の暴力行為にあるという事を知るに至り

暴力の数は日を追うまでもなく激減、減ることにより曳舟達は真面目に働き元気を取り戻すという原理を目の当たりにし、さしもの戦勝国艦艇の魂達も努めて控えた態度をとらざらず得なくなったのだ


勝った国が負けた国で沈むなんて大恥だと、苦い顔を晒しながらも黙して港に入り、おとなしく休息の日々を送るようになった


もちろん敷島達は、こんな事件が合ったとはつゆ知らずの出来事だったが、似たような事は佐世保に事故として発生していた

執拗に、怪我を負っている涼月を蹴倒す者を見続けた曳舟は、米艦艇の出航日に機関ストライキを起こし全てが止まってしまった

自分を囲むように綱を張ったまま止まった彼女達は一斉大泣きを始め、うんともすんとも言わない状況になると、さすがに参りましたというもの


懸命にあやす駆逐艦達は「日頃の暴力を見せられるのが怖くて働きたくない」という曳舟の意見を聞き、佐世保でも暴力の横行は絶えた

小さな彼女達は純粋さで帝国海軍の残った艦艇を守ったのだ


「戦争の前もこうやって良く宴をしたものだった」


曳舟達の用意した酒をまだ陽も高いうちから煽る敷島

宴会をこよなく愛した厳島も居なければ、宴会部長だった長門も今はもういない

でも曳舟達は憶えていた

急激に悪化の一途をたどった戦争の中で、辛い思いを吹き飛ばしたい一身で宴会をし、翌日には命散らす海に出て行った帝国海軍艦魂達を

だから今も敷島や涼月が回復してくれる事を信じて酒や肴を運ぶ


「最後まで本当に良くしてくれる者達に恵まれた」

最高の褒め言葉で近くにいる曳舟の頭を撫でた


「良かったです」


傷ついた末火の魂の言葉に男は帽子をとり、ようやく力を抜いた姿勢で座ると盃を交わした


「ところで今日は何も別れの挨拶をしに来ただけではないのだろう」


最初の一杯を開けた彼に敷島はやっとの本論と目を尖らせた


「三笠はどうしている?」

早い質問は、まるで襟を締め上げるような気迫を伴ってい相手の心を刺す

「三笠元帥は部屋にて祈祷を…」

「そのためにここに来たのか?」


男は改めて正座をすると


「お刀拝領をする為にやってまいりました。心を預けてはいただけないものでしょうか?」


すりつけるような願いの前で敷島は荒い息を吐くと

「生きるべき時は生き、死すべき時は死ぬ」


そういうと自分の隣で、うまく運べぬ酒の盃を持ったままでいた涼月に顔を合わせた


「涼月、最早階級を持たぬ私がお前に命じる事は出来ぬが…三笠の姉としてお前に言おう」


決意に尖る目、きつく結んだ唇は激するとは違う重い気迫を伴って告げた

手には自分の支えであった軍刀を鞘を払った白刃の輝きが、漏れ落ちる太陽の欠片にきらめきを乱反射させる


「ここにて自害せよ、潔く果てる事を私が許す」





「三笠の姉さん」


ぼやけた視界の中、三人の会話を記憶の滴の力で聞き取っていた『こんごう』と粉川

粉川は懸命に目を開き相手の姿を見ようとし、『こんごう』は静かに遙かな姉達がとった道、過酷であろう結論を待った

カセイウラバナダイアル〜〜踏んだり蹴ったり〜〜〜



とにかくそんな二ヶ月でした

色々な事が一度に起こりは波となりまた遅うという人生的にも分かれ道的な出来事に巡り会ったヒビでしたが、なんとか戻ってきました

これからペースを少しずつ戻していこうと思いますがも以前のようなハイペースはまだ時間がかかると思いますので、長い目で、優しい目で見てやってくださいませ



火星明楽


作中の米艦艇の激突事故ですが、大々的にはなかったようですが、それなりに発生した本当の話です

原因は慣れない日本の曳舟を使った作業と、慣れる以前に物資の不足で整備もままならない状態のものが多かったため、不慮の事故を発生させるという事が多かったようです

結果、米軍はハワイなどから自国の曳舟を要港であった軍港に配置しなくてはならなかった程に…それ程に日本の全てが疲弊しまともな活動が出来る者が少なかったという事です


それでも多くの曳舟が戦後日本の港のために多岐にわたる仕事をこなしてくれました


米艦艇の暴力行為

「いくらなんでもひどすぎる」

「米軍を悪者にしすぎている」

とのご意見ありでしたが、これには少しばかり理由があります

戦争が失わせる者は、個人の理性や感情だけではなく、大切にしていた繋がりも当然のように失います

帝国海軍が滅亡する事で『こんごう』達のように自分達の始祖的な姉を失う、失ったという過去があるように

米軍には「ある理由」で失った絆があります

それは作中で語られる事になりますが、とにかくやたらに勉強です

足りない事があるので指摘というのは大歓迎です

ですが、一つ


これは小説ですから、意図的に感情を操り「反感」を持つキャラクターも作られているという事を忘れないでください

「あのキャラクターがこんな事をいったから嫌いになった」という意見は実は作者的には成功、読者の心を揺らしささくれを作ったという意味では大成功なんですが、…その逐一感情的になって意見を送られると、先の設定をばらさなくてはならない事もしばしば起こりかねませんので

ですからどうか、お願いです、一つの作品として長い目で見てやってください


作者の勤めは作品を終わらせること

作品は公開された時にはすでに終わりが決まっているもの

そこに向かって頑張っていこうと思ってますので、できれば今年中に『こんごう』は最終回を迎えたいと考えておりますから


…しかし二ヶ月の空白で今年中に追われるかwww


それでもがんばります!!!


でわでわ、またウラバナダイアルでお会いしましょ〜〜〜

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