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第七十九話 私達の事

恋愛に高い純度を持っている方は読まないでください

艦魂が可愛い女の子と信じている方には不向きな作品ですから十分にご注意ください

遠慮なく頂いたカレーの重みを消化するために小走りをしていた粉川が、月光に輝く女神を見つけたのは、見渡した立神バースの桟橋から少し戻った駐車場付近での事だった

監部に近いところに『こんごう』がいた事で気がついたのだ


夜を迎えた無風の空の下

月はいびつな分身を水面に映し『こんごう』は静かにそれを見つめていた

粉川は直ぐにでも声をかけようと歩を進めたのだが…

近づくに連れ、声をかけては行けないのではと言葉を喉に押しとどめた

月の輝きに照らし出された彼女は、美しかったからだ


特別な衣装を身につけているわけではない、いつもの服、海自のダブルスーツを模したジャケットに、プリーツスカート。遠目に見たら女子高生と間違えてしまいそうな出で立ちだが、彼女はかなり長身

180センチに近い粉川をして170センチはある身の丈、華奢というよりはしっかりとした骨格を持つ身体のラインは成熟と青い果実を折半したくらいの姿

海から浮かぶ誕生のミューズならば、ちょうどこのぐらいが神秘的な年の頃合いに見えて安心でき

むしろ異世界的な生き物は人の世の女子高生と言い切れた



茶色の髪に輪郭を柔らかなモールで覆ったような星の破片を纏い揺れる

細波に伏せた瞳には、写り返る涙の雫のようなラインストーンが見え

叩いていた腹の手を止めて、立ちつくすように見つめる


普段の印象にある『こんごう』は尖り目で、口をへの字に曲げて笑わない

目を合わせた相手を石にしてしまう迫力を感じるのだが、要は目が大きいという事なのだ

欠点のように見えていた不機嫌の顔が。夜の静けさと、少しだけの風、シチュエーションが変わった中で見る事で違って見える

きつく結んだ唇も、ギリシャ神話の彫像のような美のための大口を開くことのない唇になり

瞼を少しおろした大きな瞳はテンペラ画のマリアのようにも見える


動かぬ芸術の絵画が夜の神秘にゆっくりと動くさまを、月明かりのシルクを纏った容貌に粉川はただ見とれていた

どこか覚えのあるシルエットに


「何してる?」

立神バースから少し離れた駐車場に立っていた粉川は、女神のシルエットに見惚れながらもよそ事を考えていた粉川は間を詰められていた事に驚いた


「やあ!良い夜だね」


何十年前の口説き文句だ?自分で口走っておきながら失敗と片目をつむり額を掻く


「そうか、波は静かでいいけど」


ばつの悪そうな粉川の顔に『こんごう』は遠い沖合に目を向けた

少しの風と、小さな揺れの波が重なり夜の輝き立ちは四方に散らばっていた

さらに遠くに目を向けすぎれば、空や山ともつながる黒の世界は境界線がなく一つの色に支配された静かな心地よさを与えている


「波、静かだと落ち着くの?やっぱり大波よりは良さそうだとおもうけど?」

冴えない切り返し

満足行くほどに腹をみたしたせいか、小走りをした程度で頭の回転を挙げる事はできなかった粉川だったが


「そうだな、そうなのかもな」


伏せた目の横顔は、優しい返事をした

いつもなら「なんだそれ?」と急転の不機嫌を晒す『こんごう』だが今日は違った

というか、あの演習以来彼女は無闇に不機嫌面を人に向けることがなくなっていた

長崎に修復のために立ち寄った期間、目が覚めてからの彼女はどこか理性的だった

ぶっきらぼうなしゃべり方は相変わらずで表情も乏しいだが、話を途中で退席したりあからさまに顔を合わせない背中で会話など今はない


雰囲気自体が極端に柔らかくなったという事もないのだが、人の言う言葉に耳を傾けるという余裕が出来たことで、断絶的な態度が無くなり

やっとの事だが普通に話せるようになっているとも見えた


「波の音は、あれだよ心身のリラックス効果があるってね。CDとかにもなってるんだよ」


押さえていた額から手をおろし、その手で揺れる波の真似をしてみせると

「ザザザーっと押し寄せて、後は水が混ざり合う音、これの繰り返しなんだけどね。とってもリラックスっていうか癒されるっていうのか?一時期流行ってたりしたんだよ」


動く波形の手を見る『こんごう』は、どこか堅さの取れない表情を変える事はなかったが


「私達はいつも聞いてるハズなんだけど、そんな感覚はないな」

「そうだよね、人間も大地の暖かさってものに郷愁を覚えたりするんだけど、言われてみて…そうかな?って思うものだから、気がついたらの感覚なのかもね」


桟橋から離れた駐車場付近には、波打ちに人が入れないように大雑把な手すりが設けられている

人用の手すりというよりは車の転落を防ぐための大きめのコの字バー、潮に晒されてアールの部分はどれも錆び付き、平台の天端だけに黄色の塗装が残っている

粉川と『こんごう』は二人してそこに腰かける形で話を続けた


「ところで粉川、お前寒中水泳したんだってな」

大きめのバーに二人並んで腰を着けた瞬間に『こんごう』は変わらぬ表情のまま聞いた

「あ、は、それ知ってたの…」


口が横に引きつる、顔をあわせながらも言葉がつまらせる粉川

『いかづち』のところでは調査まがいな質問を自分から繰り出し続けた側だったが、『こんごう』は勘の良い事はよく知っていた

寒中水泳はネタ的には面白いが『こんごう』の顔を見るに、許される行為という見方はないような眉の上がり具合

しかも言い訳が通用しない相手

遠回しに話をはぐらかそうとしてもすぐに勘ぐられ見破られるだろうという思いから、できるだけ普通に話そうと息を呑み、天を仰ぐ


「あれはねぇ、自分の意志とは関係なく」

「自分の意志もなくやったのか?お前は夢遊病者か?」


気安く会話の出来る仲になったとはいえ、容赦のない言葉

粉川は目を閉じて思った。いつも感じていたのだが確信した『こんごう』はあまり言葉を選べない人なのだという事を


「いや、あれわね、『むらさめ』ちゃんが」

「一回目は知らないが、今日も飛び込んだんだろ?『うずしお』と一緒に」


さすがに海を生息地とする彼女達は耳が早い

粉川は参ったと一度は顔を背けたが、勢いよく振り返ると


「僕は被害者なの!!あれは!!『ゆき』姉妹って子達が『なるしお』ちゃんを虐めるから、止めようとして」

「落ちたのか?」

指をたて懸命の説明をする粉川の顔に付き合わせるようにした『こんごう』

鋭い目がもう一度聞く


「止めようとしてどうして落ちる?落ちたんじゃないだろ飛び込んだんだろ?」

「だから…話を最後まで聞こうよ!止めようとしたら『うずしお』ちゃんが来て」

「怖くて飛び込んだのか?」

「だから…話を聞いて」


展開の早い会話

とても静かな夜の波打ちをバックに楽しむ会話とは思えないテンション


焦りながらも粉川は『こんごう』が以外とせっかちな事にも気がついた

今までなら畳みかけるような会話は、自分に対する距離のための方便なのかと思っていたのだが、そうではなく、とにかく結果を早く出したい

いわゆる彼女が生い立ちから持っている、結果を示し続ける事で自分を『こんごう』であると保たせてきた部分と性格が一致している事に気がついた


片目を大きく開き次の言葉を待ちかまえている『こんごう』と自分の間に平手を立てる

会話の中に間をおくようにして、一息つけると


「でね、その『うずしお』ちゃんは僕が『なるしお』ちゃんを虐めていたと勘違いして、プランチャーをご馳走してくれまして、結果海に落ちました。これが本当の話」

「プランチャー?なんだそれ?」


率直な質問、真顔の目が興味に動く


「あれ、『こんごう』はプロレスとかしらないの?」

「プロレス?『むらさめ』が好きなヤツだな。そのぐらいしかしらんが」


粉川は笑いそうになった

『こんごう』はYESもNOも断言系の魂。微笑ましいというか潔いというかで

知らないものは知らないと言い切ってしまえるところは、とても好ましい部分であり

人物像が初恋の人と似ていた事に今更気がついた


今までは忍耐を働かせながらも相手の出方を伺う話方ばかりしてきたが、今日は違った相手の性格などをゆっくり把握しながらの会話が出来ている自分にちょっとばかり余裕を覚えた


粉川はそれにしてもと彼女の顔を見ると、あの人を思い出す

三笠も自身が知らない事には「しらん」とはっきり言う人だった

そして尖り目の『こんごう』に少なからずの興味を持ち続けられた理由がココで理解できた気持ちになった


三笠に少し似ている、『こんごう』


口から白い息を吐き、笑いをごまかしながら首をすくめる

涼しいを通り越した時期の海っぺりで、二人の距離は少し狭まった

星を見る目のままの会話


「以外だね、『こんごう』は格闘技とか好きそうに見えたけど」

「嫌いじゃない、柔道もやるし剣道もやるが、プロレスはなんか良くわからない」


これまた以外な答えに、今度は粉川が聞いてしまった

『こんごう』には『いかづち』にしような質疑的な会話はしないつもりだったがねこんなに話が弾むのならば興味のうる範疇で聞き、新しく彼女達を知るきっかけができるというものと


「柔道や剣道はやるんだ?みんなやるの?そういうの」

「基本はみんな身につけるものだ。帝国海軍の時代からそういうものはあるし、そう聞いている」

「聞いてる?誰に?」


彼女達が探す帝国海軍との絆、多くはない昔の資料の中で不思議な物言い聞き返す

普通の会話の中で返された質問に『こんごう』は目線と顎で倉敷岸壁の側を見ると


「海保の奴らが教えてくれた」

簡単に答えた

「海保が?どうして」


疑問は続く、海自と海保の艦魂は粉川が不審船事件の直前に見たミーティングの風景から、気心しれる相手として存在しているようには見えなかった

むしろ、毎日を海の警察として活動する彼女達の方が「自分たちこそ日本の護り」と豪語し、海自の艦艇には金食い虫と罵る犬猿の仲というイメージを持っていた


『こんごう』は目線を動かし、倉敷の岸壁の上の方

海上ターミナルの側の置くに浮かぶ船を指差した


「『ちくご』さんは大戦後からしばらく日本の港の仕事をした鎮守府付けの姉さん達に会ったことがあるんだそうだ」


『こんごう』が見つめる先を粉川も見る

おそらく一番型の古い巡視船である『ちくご』の姿、互いが白と青の波ラインを持つ船を確認したところで『こんごう』は続きを話した


かつて国土のほとんどを焼け野原にしたこの国

港には栄えあると言われた帝国海軍艦艇の姿はどこにもなくなり、燃料に事欠き身動きの取れなくなった小さな船達がのこされた

上は旧・海軍の300トン曳舟から下は10メートル足らずの交通船達

復興のために所属も業種も違った姉達が懸命に働いてくれた頃の話しを

戦後どころか戦中から働ていた姉達は少ない資源のやりくりし、代替えはおろか部品の交換さえなかなか出来ない苦行中、贅沢を言えない国の懐を察したように船として耐久年数をはるかに突破しても身を粉にして働いた


長い者は昭和10年から昭和50年近くまで

頭の下がる話だった。当時を戦った船達にも人達にも

敗戦当時の人達、海防を任された者達の多くは帝国海軍の生き残りの者達だった

複雑な思いがあっただろうが、己の心を殺して

荒廃した日本のために、復興のために、海を開く作業から国を護る仕事まで多くをこなした


重い話に身をすくめ耳を傾ける粉川

『こんごう』は自分たちが探す絆を、ほんの少し手に持ってこの国を支えた姉達の記憶を『ちくご』から聞いたの話を噛みしめるように続けた


「『ちくご』さんが産まれた頃、姉さん達はやっとお休み(廃船,解体)になれる頃に入っていて。港での最後の休みを柔道?いや柔術っていうんだな、そういうのを甲板の上でやっていたらしい」


戦後10年、昭和30年で東京オリンピック、平和の祭典を焼け野原だった国が復興の証として会した日本

高度経済成長と言われても、国土の全てが潤っていたわけではない

社会問題にイデオロギーの衝突、複雑化した国防


そんな時代を生き、次の世代に絆をつないだ帝国海軍最後の姉達

「帝国海軍の魂達は柔術を始め多くの武術を弛むことなくやった!それが国を護る者の嗜みだし、己の心を鍛える鍛錬の場だから」

お役御免を得て、港の片隅に係留され解体を待つ間

最後の日々を朗らかに過ごした姉たちの記憶を『ちくご』が伝えてくれたことを『こんごう』は感謝していると話を閉めた


「そうか、繋がりを見つけたんだね」

「ああ、少しだけ、だけど大切な事だ。弛まぬ努力の源が柔道や剣道にあるのなら、私達がそれを身につけるのは当然というものだしな」


話の重さに頭を下げた粉川の背中を『こんごう』が叩いた


「しっかりしろ!!人だって同じようにこの仕事を続けているんだろ!!馬鹿な事ばかりしているなよ!!」

さすが力のある平手

背中にばっちり紅葉を残されむせる粉川は顔を上げると


「だから、僕が自分で望んでダイブしたわけじゃないんだってば!」

居たい刺激で正された背筋から手振りをして


「だいたいあの光がいい加減な力だから、海に落っこちちゃったんだよ。あの光あぶないよ!」

「移動で落とされたのか?プランチャーじゃなかったのか?」

「あっ…」


二回のダイブ、粉川の記憶は少しの混線で最初にやられた『むらさめ』の事を思いだしていた


「いや、最初の時は『むらさめ』ちゃんに飛ばされて…」


最初の話題に迷って粉川は口ごもったが、嘘は付けないと咳払いをすると大人らしい落ち着いた口調で

「あの日、『むらさめ』ちゃんに連れられて寄宿舎に行ったんだよ。アメリカ空母の艦魂が見えるかな〜〜って思ってね」

急に鋭く怪訝を示す目は

「合衆国海軍の司令艦を物見胡散に来ていたのか?」と、あきらかに無礼者を見る目


「いやぁ、興味深くって。どういうひとなんだろうかな…って思って、外国の魂にあうのは滅多にないチャンスだし…」


そこまで言うと、やはりというか怒りに口を歪めた『こんごう』に一言謝った

平手を立てて頭を下げると

本当は泣く『いかづち』に引っ張られる形でその場に居合わせた事はさすがに言わず

本心ではないが、合衆国の艦魂にも興味があった事だけを懸命に告げた


「それで顔だしちゃいそうになって、『むらさめ』ちゃんにヤバイからって…飛ばされたの」

「自業自得じゃないか」

艦魂達のパーティーに首を突っ込もうなどあってはならない事

『こんごう』は人差し指を立てると、少し挙げた顎のまま以前粉川が海保の魂達とのミーティングに顔を出した時の事を例に出した


「海保はまだ同じ日本国の船艇だから、あんな程度ですんだけど。合衆国海軍は大事な同盟国の仲間だし、空母司令艦は大切なお客様だぞ!気を付けろよ!」


ごもっともなお叱り

人であれば司令官どおしの懇談会を立ち聞きするような無粋な真似にもなるのだから、厳しい言われようには申し訳ないと頭を下げるしかない


「はい…」


すんなりと自分の非を認めた粉川だったが、謝っておきながらも

『こんごう』の仁王立ち飲酒が正しい歓迎かは疑問だった。だが詳しくあのときの事を話追求するような事はしなかった

あの時、飛ばされる事になった経緯は喉に深く刺さった棘となって容易に言葉にする事はできないと感じていた

『こんごう』とは、かなりうち解けた会話が出来ていると感じられているが『むらさめ』が答える事をしぶり、禁忌だとまでせ言った事を聞くには憚られた

むしろ聞いてしまってやっとココまでうち解けた交友関係が壊れてしまうのを惜しいと、本心で思えていた


手を重ね背中を丸める

禁忌についてはやはり『しまかぜ』に聞くのがベストだと判断して、緩んだ口元をきつくつぐんだ


「粉川、何を隠してる」


伏せた背に電気を撃たれる感覚、この会話を閉じようとした粉川の顔に『こんごう』の青い瞳が心を刺すように問うた


「嘘を付かれるのはイヤだ。私はお前に嘘つかないと決めているからな。だからお前も私に隠し事をするな」


ゆっくりと頭を上げた粉川

立ち上がって返答を待つ『こんごう』


まだ言えない事はたくさんある、隠すなと言われても言えない人の事もある

だけど『こんごう』の覚悟が半端なものでない事をココに再確認した。絆への道のために人である粉川に尽力を頼んだ

その時から『こんごう』は粉川の話、知りたい事にはできるだけ答えようと決めていた

ワンサイドな申し込みをする程自分が他力本願一直線の状態にならないために


夜の紫を目の光りに写した顔には真剣さがあった

粉川はゆっくりと同じように立ち上がると一度浮かぶ月を見て、海に歪む月も見た


「『こんごう』…今から聞くこと、答えられないなら無理に答えてくれなくて良いよ。本当は『しまかぜ』さんに聞こうと思ってた事だから」


緩んでいた口元を縛り、鼻から少しの息をながし

目の前で静かに頷く相手の目を見て


「君たちは「人」と会うのは僕が初めてだと言った。でも本当は君たちの側で人と会う方法を持っている。それがどういう方法かはわからないけど、曰く禁忌タブーであるという事、でも僕はそれが何かを知りたいと考えている」


棒読みな言葉だったが、粉川的には間違った事をきかないように丁寧な対応をしたつもりだった


月明かりの下で間を詰めた二人の顔

相手の微妙な変化が隠れてしまわない距離の中で『こんごう』の目はゆっくりと、だが大きく開き静かになる

波の音だけが続く沈黙


絶えられなかったのは粉川の側だった

やはり『むらさめ』のような元気一発な性格を持ってしても言い渋る事を、規則に厳しい『こんごう』が教えてくれるどころか、禁忌に振れたことに怒りを燃やしているように感じたからだ


「無理に」

「こっちに来い」


断りを入れようとした粉川の前で『こんごう』は身体を回し背中を見せた

「ココでは目立つ、ついて来い」

開けた駐車場ではなく、奥まった防風林、少しだけ残されている木立の側に歩き出した

一歩出遅れた粉川は早足で背中を追うと


「教えてくれるの?大丈夫なの?」


自分で知りたいと言っておきながらいささか情けのない対応

方に茶色の長髪を揺らす『こんごう』は変わらない声で


「私に答えられる事は答える」


背中越し、振り向くことなく進む足は答えると月と星を遮った木立の影に入ると、一度港をぐるりと見回した


19時を回った佐世保の港は静かだ

SSKの大クレーンも活動を止め、港を回る船の音が少しだけ響く

慣れた潮の香りと波の音のしたで粉川は緊張していた

まさか『こんごう』がそれを教えてくれる気になるとは考えていなかったから、ただ隠し事はしないという事を前提に自分がこの事をいずれ『しまかぜ』に聞くという事を正直に宣言しておこうぐらいの気持ちだったが

まるで夜の間を、逢い引きをする恋人のように隠れた二人


周りを確認した『こんごう』の光る青い目が粉川の顔に戻ると、いいだろうと一息つく


「『こんごう』無理はしなくても良いんだ禁忌とまでいわれる事だろうし」

この後に及んで弱腰の粉川に、闇の中でも相手の顔を見据える事のできる高性能な目がしっかりと顔を合わせると


「それ自体は禁忌じゃない、問題なのはそれが起こった事件の方だ」


濁りのない口調で続けた


「粉川、お前も知っているハズの事件だ」

「事件?」

『こんごう』の目は一瞬だけ倉敷岸壁を見て


「お前は覚えてるか、潜水艦『なだしお』を」


粉川の胸に痛みが走る、自衛官なら、いや海自に属する者ならば忘れる事のできない名前に、息のつまる感覚に声がでなくなるが

目は覚えていると答えた


『ゆうしお』型潜水艦5番艦『なだしお』

1983年に産まれ、2001年、ほんの数年前に除籍された艦


「粉川、これはな船の魂ならば誰だって知っている事だ。私達は必ずその場に居合わせたのならば最後の仕事する。『なだしお』一佐もそれをしただけの事。人が何を思い、何を考えているかはこの時には関係ない、ただ私達は起こしては行けない事故もある。だから禁忌だと言われている。私達でさえこの事を語りたがらない」


言われなくてもわかっている事故

海自史上最悪と言われた海難事故、潜水艦『なだしお』と遊漁船第一富士丸の衝突

死者30人、重軽傷17人

ハープーン発射を可能とした最新鋭の潜水艦と、乗船定員を超えた遊漁船が起こした事故は、まだ学生だった粉川の耳にも入った一大事件だった


海自の立場を窮地に追い込んだ事件の話に、聞いた側の粉川の心が萎縮していた

だが『こんごう』の目は本気の輝きで告げた


「事故についてはお前も知っているとおりだ。だが良い機会だ、そういう時の私達の事を知ってくれ」


そういうと自分の前で頭を下げた相手の肩を掴まえて


「話そう。いや、やっと人に聞いてもらえるのだから、しっかりと覚えておいてくれ」


月明かりを遮った闇の下で、真っ直ぐに自分を見る覚悟の目に粉川はただ静かに頷いた

続きは七十五話からどうぞ


艦魂物語,魂の軌跡〜こんごう〜 外伝 港の働娘



船底を叩く鈍く重い波の音の中で彼女は最後の仕事をしていた

ススを無造作に塗りたくるように蔓延させ、視界を霞ませる灰と、床を何度もの波に揺られ溶けたナメクジのような液体の中で


「もう大丈夫」


彼女は、第2氷川丸は、赤く燃える地獄の門の前に座っていた

目を細め、静か甘い息を吹くように




昭和20年、米国とは良い勝負だ熱戦だを奉じる大本営のねい言の中、氷川丸と第2氷川丸は各々の航路を使ってシンガポールから日本へのけが人搬送を行っていた


同じ道を同じように走るわけには行かない、船団は最小規模を組み細く長く海を行き来していた

この年最初に沈んだのは陸軍の舟艇母艦神州丸だった

新年を祝うなど蚊帳の外だった大日本帝国、そんな行事をしても神風は吹かぬと全ての色がはぎ取られた灰色、大戦最後の年が幕を開けた


1月3日、アメリカ軍の物量作戦と、通商破壊、潜水艦による猛攻の中を走った彼女は一度は味方の流れ弾で死に損ない、それでも陸軍を代表する船として修復復帰を果たした矢先の出来事だった


攻守を逆転したアメリカ軍を押さえるためフィリピン防衛の部隊をルソンに下ろし、門戸に向けて出港した所を狙われた

空を飛ぶ荒ワシ達の猛攻に命中弾5発、至近弾10数発をくらいボロボロの半身を晒して放棄され、彷徨う海の上で望郷の念だけで日本に向けて手を伸ばした姿に、米潜水艦の電撃を受けトドメを刺された


原型を残さぬ程の爆散により吐きされた彼女に同じ輸送船団として横を入っていた者は涙も出なかった


もう「言葉を残して死ねる時間もなくなった」「ただ撃ち殺される、必要以上の痛みを叩きつけられて」と

魂達の心は報われぬ搬送への絶望と、奪われる物資切り詰められた自分たちの写身に疲弊しながら、闇雲に海を走り続けていた

各々の道を使って、狙われぬようにと祈りながら、ただひたすらに内地を目指したが、最早猛攻のアメリカを止める術はなかった


陸軍寵愛の神州丸が沈められた3日後には、日栄丸が同じく門戸に向かう航路の途中で米潜水艦に攻撃を受ける

左舷後部機関室に直撃を受けた彼女は、それでも頑張った。物資と人を日本に届けようと気を張り続けたが届かなかった

5時間にわたる苦闘の末に沈没する


「この戦争、勝てるのかな?」


彼女はミッドウェイ作戦の補給艦を受け持った頃からそう言い続けていた

帝国を代表した機動艦隊の四空母を失い、待避中だった巡洋艦同士が激突

後に一隻は米軍の攻撃に沈み、艦首切断という血反吐の中に残された最上への重油補給をした頃から、彼女は死を感じていたのかも知れなかった


新年を開けたばかりの1月だけで輸送船団は旅団の壊滅を別として主だった船艇だけで20隻近くを失っていた


2月、氷川丸もまた日本に向かうため最後の寄港地としてシンガポールを入港していた

「怖いわ…」

もはやなりふり構って居られない日本は病院船である氷川丸にも臨時輸送を秘密裏に行うようにとの指示を出していた

それ以前から少なからずの食料輸送はあったが、本格的な指示が下ったのには当の氷川丸本人は元より、開戦当初からこの船に乗り合わせた医療技師及び船員達の顔も薄暗く曇らす程のものだった


そこまで日本は、本土は疲弊しているのか…と


氷川丸にとって「病院船」である事が自分のプライドを守る最後の砦だった。以前のように笑顔でお客様を迎える事が出来なくなった彼女にとって「せめて武器は積まない船であること」は心の救いとなっていたからだ

自分の仕事は傷ついた人達を内地に運ぶ事だけ、それだけを頑張りたいと願っていたのにと、それさえ守る事ができない日本に将来などないと泣き叫んだ

だがそういう思いが一人だけ現実から逃げようとしている夢見だと、妹達の死から学んでいなかった事をこの最後の航海で思い知る事になった

まだ客船だった事ばかりを夢見た愚か者であった事を、身に刻むように


黒いラベルラインを持つ重油缶を所狭しと並べた船底を氷川丸は、疲れて光りを失った目で追っていた

船底に充満する機械の匂いに目が霞むのではなく、心に持っていた信念をへし折られた気持ちで涙がにじむ


大きさが互い違いでまともな管理をされていたものとは思えない急増のタンクに、海軍の制服に大きく赤十字を縫いつけた氷川丸は、汚れの取れなくなった細い指を這わした

べとつく七色の水、荒んだ自分


同じように戦地で傷ついた人達の目に光りなどなかった

マラリアに栄養失調、骨と皮の上にボロの布を纏っただけの兵士達を見れば、この先に希望を置くことなど不可能に近かった


泣き疲れ、赤く腫らした目と、顔を洗うヒマもなければ魂の力で復旧もできなくなった惨めな姿のままタンクの頭を触りながら歩いた


タンカーとして産まれた船達でまともに残存している者はほとんどいなくなっていた

あのトラック島大空襲のから、もはやまともな形のタンカーなどどこにもいなかった

去年のあの年に、日本に燃料を届ける船達の大半が海の藻屑となっていた


「どうして、戦い続けるの?もう止めてよ…」


甲板に上がり

荷揚げの作業も傷ついた人手を借りねばならぬ程の港を船尾で見つめたまま座りこけた

自分の写身を守るものとして船の前に立つこともできなく蹲っていた氷川丸は、ただ呆然と無事に日本に帰られるのかを思っていた


一瞬、いやもう少し前から氷川丸は己を立たせる気力を失っていた

魂の気力が落ちると、事故は起こる

不条理な事故は、疲れ切った彼女の背骨に布団針を刺すように響いた


波の打ち付けるニブイ重みとは違う、石が塗装を剥ぐような金切り音と共に

船尾に触雷した

海の上を走る船を後ろから突き上げるような振動が船の全部に響くと、病室に担ぎ込まれていた船員、兵士達の悲鳴が響き渡った


同じように振動を自分の身で激痛として受け止めた氷川丸は座った場所で、思い切り顔から甲板に向かい崩れ落ちていた


「いや…死にたくない…」


打ち付けた顔面、鼻の頭を叩く衝撃に地が吹きこぼれる

生きる事に希望はなかったが、死を恐れていた。口から唾液が溢れ痛みで圧迫された身体から黄色く濁った胃液を吐き出す

腰部を抉る傷は、濃紺の制服の色を紫に染め続けて、甲板にも鮮明な赤い花を咲かせていた

「もう、イヤ?ダメなの、もうココに居させて」


氷川丸は海を走る事を恐れていた、船として海を走りお客様を運んだ日々の事を考えればおかしな事とも言えたが

今は、優しかった麗しの海はどこにもなかった。身も心も傷ついた自分で、忍び寄る魔物である潜水艦を避けて日本に帰るなど不可能と、頭を振って泣いた


「ココに居させて!!もう動きたくない!!」


ならばもう動かず、ココで、ココにつながれてただの病院として居続けた方が良いと思っていた

何も運ばず、武器も人も物資も何もかも運ばずココで死にたいと地団駄踏んだ


唇をつたう汚泥の黄色と、絶えられない痛みに噴出した血の気混じりの鼻水に涙

荒れる息で、空を見る


「お願いよ!!私を助けて…」


力無く転がる氷川丸の傍ら、その身を立たせようとたくさんの船員が振動を確認した箇所を覗き込み、声を挙げていた


「ヤバイ!!中の油槽と水槽がえぐれたみたいだぞ!!」

「浸水は不味い!内側から止めてくれ!!」


当たったのは水より下ではなく、少し上の部分だった

船尾の滑らかなアーチラインでは下を覗き込んでも完全に場所を把握出来ないせいもあり

内側に詰めて部屋を閉じる作業に手順を変える


ところが懸命の復旧作業に入った人の姿を前に、何もして欲しくないと思う氷川丸の無気力は船内に更なる混乱を起こし始めていた

疲弊した心が希望の灯火を消すように、船内の照明が一斉に瞬きを始めたのだ

船が沈むときに照明は落ちる。収容された負傷兵達の恐怖は一気に高まり


助けてくれ、ただ願い縋るような声が響き渡った


走り回る船員達が叫ぶ


「お客様!!皆様落ち着いてください!!」


軍艦氷川と呼ばれた

海軍に徴用され病院船になった時、氷川丸には二つの名が与えられた

「白鳥氷川丸」と「軍艦氷川」

帝国海軍の数多の艦にも負けぬ行き届いた躾、その厳しさが彼女と船員の誇りだった

怯えざわめく負傷者達に声を挙げたのは、氷川丸最初からの乗組員だった

身に付いた躾が負傷兵達をお客様と呼んでしまったが、それが氷川丸の意識に光りを届けた

客船であったころでも海は優しいばかりではなかった。たまには機嫌を損ねた顔を見せ

木の葉のように自分を揺らし、お客様を不安にしたものだったが、彼はその時いつも恐怖を押さえ込める笑顔でそう言っていた


「氷川丸は沈みません!!必ずお客様の旅を完遂させます!!」


嘆きの声と励ましの声が交錯する甲板に

倒れた位置から首だけ動かしプロムの向こうに並ぶ病室、そこから溢れた負傷兵達の目が氷川丸の目に映った

痩せた顔の中に出目金のように浮かぶ目から、涙がこぼれ

節くれを通り越した骨の指が、一生懸命に手を合わせて


「たのむよぉ、日本に帰らしてくれ」


嗄れの声は、波に攫われそうな小さな声で祈っていた。みんなが故郷を望んで瀕死の森から抜け出て、氷川丸に乗って国に帰ることだけを希望にしたお客様


「ダメ…ココで沈んじゃダメ、日本に帰るの…」


手を合わせる痩せた男達の姿に氷川丸は壁にもたれるように立ち上がり、顔を汚した体液を袖でキレイに拭いとると

呼吸を整え、傷口を壁に押し付けて身体をいきり立たせた


「私は氷川丸、どんな時でもお客様を無事にお運びするのが使命」


手を合わせる弱き人達のために

自分が最後の希望だった事を思いだすと、船首に向かって歩いた

美しく凛とした背筋、頭からつま先まで

乱れこぼれていた黒髪を高く括り挙げ、唇に笑みを浮かべる


「ご安心下さい。船はこれから日本に向かい出港致します!!戻ります、必ず」


2月14日、氷川丸はシンガポール湾沖で触雷、幸いに自力航行を害する事はなく

傷ついた身ながら横須賀に向かって出港した


同じ頃第2氷川丸もまた日本に向けて出港していた

その身にはどす黒い武器を満載し、望郷の願いで飛び乗った人達の希望とは別のもの

もう一つの安らぎのために休むことなく働き続けていた



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