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第七十八話 勇気の印

粉川は走っていた

一日の内に立神と倉敷の間を二度目となるランニングを、風呂から上がり暖まった身体でこれから陽を落とし、肌を震えさせる風から守るために黒のジャケットはおり

汗を抑え、身体の鈍りのみを振り払う程度の軽い足取りで足下を確かめるように走る


時間は17時の頭

十一月の夜は足が速い、まるで太陽が寒さを嫌い波間の毛布を求めるように眠りに沈む

冬の夜が登場する事で町の灯りは早々に煌めき、十二月の空気を早々にながす赤と緑の光

乾燥した空気が薄い濃度の上で星を輝かせるのも同じぐらいの時


暖まった身体の中から、弾みを付けながらも整えた息が規則正しく白い綿をはくと、近づく倉敷の入り口に粉川は愚痴っていた


「そう何度も海に落とされたんじゃあ、僕の人格にもかかわる」


二日前、今日からしばしの演習に出た『むらさめ』に倉敷から立神までの間を光りの力で吹っ飛ばされ着水

いくら湾港の海とはいえ夕暮れ時を過ぎ、すっかり冷えた風を吹かす海に落とされたのは身体的に堪えた

ただあの日は心に残った苛立ちで寒さなどで身を震わせるなんて事はなく

むしろ無愛想に歪めた顔のまま、堂々と監部に戻った


しかし、仏頂面を引っさげながら歩く背に、いち早く粉川を発見してくれた隊員が心配して聞いた「どうしたのですか?」の質問に「海水浴…かな?」などと減らず口をたたいてしまった事で宗像司令を始め多くの隊員に

「寒中水泳をしたのか?」と詰問をされる事となり、佐世保基地での時の人になってしまった


不名誉賞の心


自分の人生を長く助けてくれた三笠を思って始めた中で発生した不安と

確率的にも低いであろう人との出会いの中で出会った自分に、実は魂達が隠している事があるのを知り混乱や言えば怒りのようなもので頭を悩ませた結果


そこからの脱却、いや突き当たってしまった壁の打破が見えなかったため、せめて普段を勤める気持ちだけでも落ち着けようと出かけた墓参りで、艦魂という生き物たちについて、まだ自分の側に努力が必要だと知った


思慕の情を絡めたケチな嫉妬心で三笠を疑い、彼女達にまで嫌な顔をさらしてしまうところだったのを、洗い流すかのように改める事ができた

「人」と「魂」だ。生息環境の差からくる違いもあるハズという当たり前の答えに

まだ、自分には知らせられない事があるのは当然と受け入れ、より魂の女達の事に没頭しようと決めた


男が一念をかけて始めた事に軽く何度も折れそうになったが、ココで止めたらそれこそ三笠の踵落としをくらい

「たわけもの」とどやされ会わせる顔を失うことになるのと苦笑いし

自分に負けてしまった思いを引きずり、取り返せなくなった妻の死や今も離れて暮らしている息子へも申し訳がつかない気持ちになるだろうと胸を叩いた


「徹底的にやる。どんな事にしたって僕の方が程度詰めた考えをもってなきゃ三笠に言いたい事も言えないし、彼女達の心も開けない」


拳を振るう

よそ事に惑わされ負けてはいけないと、しかし同時思い知った事もあった

注意深く進まなくては行けないというもっとも当たり前の事に


いくら知りたい事があってもうかつに近づくと有らぬ誤解を生み

魂達に見える自分にさえ容赦のない鉄拳をくだす者がいるという事を知った

それだけ人はまだ魂達との架け橋をもっていないという事だが…

半分は間違ってるだろ。という気持ちで唇を噛みつつも


「まぁ…そこまで慣れ親しんでくれてるって…事だよね」


ハの字に眉が下がるしょっぱい思い出になった事件

潜水艦艦魂『なるしお』の悲鳴に飛んできた姉『うずしお』は、妹を襲う悪漢として粉川を成敗した

まったくの誤解だったが問答無用のプランチャーは華麗に炸裂し、粉川と『うずしお』は海にダイブした

潜水艦の魂である『うずしお』は濡れることなどお構いなしなのか、その後粉川の足を掴むと海に引きずり込もうとまでしたところを『はるさめ』に救われたという大珍事

近くて遠い人と艦魂、そういう誤解だけは人のそれと変わらなかったりの笑い話だが


まさか二回目になる寒中ダイブを強制的に食らわされた今日

監部ですれ違う者達の、止めようのない頬の脈動に顔を真っ赤にして風呂にダイブした粉川だった


「まあ、いつかは良い思い出…」


市場の角を曲がって、クールダウンをする。小幅に足を動かし呼吸を整える

街灯の黄色い瞬きの下で複雑な顔をしながら門をくぐるとゆっくりと歩いた

深呼吸を繰り返して心拍数を抑えて行く、鼻腔を突く氷の気配、本当に凍るわけではないが寒さが温かい内側を襲う時の震えで肩を動かす


「それにしても…あの光」


光、艦魂達が移動の手段の一つとしてつかう空間を割る泡沫の滝

何もない宙から水があふれ出るように光の粒が走り、大きく輪になるものをくぐる事で移動をするものだが


「三笠にもよく落とされたけど、あの光って結構いい加減な力なんだな」


泡沫を帯びる光の粒、輝きの輪は何種類かの色を持つ見た目美しいものだが、魂ご本人が使う以外では人間の移動に適しているとは言い難いもののようだと思えた


小学生の頃から三笠の元に通ったが、最初の頃から数えて何度となく海に落とされた

記念艦に毎日会いに来る粉川の事を考えて姿が見えたら直ぐに光りの移動をしてくれた三笠だったが…思い出すにあまり成功した事がなかった


ある時は煙突のジャッキステーに飛ばされてしまった事があり、夕暮れ時だった事が幸い財団の職員に見つかる事なく、更なる移動で事なきを得たが

小学生だった粉川の二番目にダークな思い出となったのは言うまでもなかった


高い煙突、遮蔽物のない海の上、風に吹かれ泣き出しそうだった自分に下から必死に声を出すなと激する三笠、トラウマになりかねない事件だった

あんな酷い思いをした後でよく自分が護衛艦に乗る事ができるようになったものだと、歩きながら一人笑いをする


「百年選手の大年増、三笠がやっても失敗するんだから『むらさめ』ちゃんじゃ無理ないか?」


明治の世から現在までを生きてきた三笠でさえ、まともに人間を移動させられないというのは身をもって知っていた粉川だから言える台詞

本人の目の前で言ったら、真下からのアッパーを喰らうだろうと、頭に絵が浮かんだ粉川は、身体に刻み込まれた痛みに顎をさすると

「しかたのない事か」と煉瓦倉庫の側に目を移す


そこには両手を胸の前で抱えた『いかづち』が、作業青服の姿で白い息を零して立っていた





「はやかったかな?」


外が紫色の夜を迎えたとはいえ時間は17時、艦魂達が住む煉瓦倉庫の近く揺れる木立の元に走った粉川は、丸メガネにいつもの癖毛頭の『いかづち』に、なんとか笑って見せた


「そないな事ないで、ほないこ!」


いつものトーンを逸脱したうわずり具合の『いかづち』の様子と、ほんのり赤らめた顔を見せないように前を歩く彼女の後ろで粉川はホッとしていた


食事の招待を彼女からされたのは例の『うずしお』が放ったプランチャーの直後だった

危うく海の藻屑となりかかっていた粉川に手を伸ばしたのは『はるさめ』で、なんとか場を納めたところに『いかづち』がやってきた

今夜カレーを食べに来ませんか?と


アップアップの波の中から『はるさめ』の力で寄宿舎近くまで飛ばされた粉川は、もし酒の入る食事会だったら断ろうと思っていた


酒が入るイコール夜が遅くなる

遅くなるイコール例の光の移動を使われる


粉川の頭の中にはアレの成功確率の低さに対する恐れがあった

だからカレーを頂ける普通の食事会である事を確認して良しと答えていた

カレーで酔う事はないし、夕方の早い時間にこれば、ただの食事会。いくら話し込んだとしても深夜を回るような事はしないし、後は「腹ごなしに走って帰る」と言い切れると考えたからだ


幸い粉川の早い時間でならという提案に『いかづち』は二つ返事でOKを出していたので心配はしていなかったが、ココに来るまでに気持ちを変えられていたらという不安はあったので最初の一言に「問題なし」の返事があったのに胸を撫で下ろした

安堵で少し緩んだ額を手で押さえる粉川は、近づく寄宿舎の壁が江田島の校舎のカラーに変わっていくのを見る


輪郭をぼやけさせた小さな煉瓦倉庫は、前に『ちょうかい』が導き入れたくれた時と同じように彼女達がいる事で姿を変える

今でも多くの海自士官を輩出している学舎は、かつても帝国海軍の士官達を送ったイギリス建築の美しい姿を見せる

赤い煉瓦と半円の丸屋根、雨樋をつたう部分には緑青を浮かべた梁の装飾

粉川も一度は通った馴染みのある校舎の面影を色濃くのこす寄宿舎を懐かしいと思いつつ足を止めた


「ところで、『くらま』さんに許可はとってあるの?」


本来彼女達の寄宿舎は、艦魂達の基準で基地の付属施設の扱いになっている。それに彼女達の宿舎というぐらいに女ばかりの隊舎で

何もなくても気兼ねする部分がある所だ。いつもならばチームリーダー的存在である『しまかぜ』が許可等々の根回しをしていてくれるが今日は不在である、自分の入場に問題はないかと心配したのだ


言うまでもないが佐世保基地の重鎮DDH護衛艦『くらま』の魂たる人物は、この基地を「佐世保鎮守府」と呼び、粉川をして初めて女に見下ろされるという経験を味合わせた体躯の持ち主であり、ココに詰める魂達の司令艦である


ただ身体の大きさだけを語れば女子プロレスラーのようなイメージを思わせそうだが、そんな事はなくどちらかと言えば宝塚の男役のような印象が強い

すらりと伸びた長い脚に、帝国海軍時代の軍装を見事にフィットさせる肩幅

顔つきもゴツイというのはなく、切れ長の眉に揃った尖り目とキレイに纏められた短い髪

御伽話の王子様を思い浮かべそうだが、言動はきつく、声も低い


佐世保にて初めて顔を合わせた時、「人は責任をとらぬ」と睨み突き放すという登場だったが、任務重責を負う者として厳しく海自の魂達を鍛えている姿に悪いものを感じる事はなかった

むしろ、今は、日本国民に国防の大切さを大手を振って理解を得られない中で『むらさめ』が思うように「生きている意味」を見失いそうな魂達を、司令としてしっかり導いている責任者であると認めていた


だから『くらま』の許可が取れているかは大事と粉川は判断していた

そんな緊張を纏った顔に弾むステップの『いかづち』は、何事もないように手をかけた扉から振り返ると

「大丈夫やで、今日はもう寝てんねん」と悪戯な笑みを浮かべて見せた

「寝てる?こんな時間に?」


以外な感じに目を丸くする前、かけた手を扉から放して『いかづち』は粉川の側に寄ると小声で


「昼間長崎に行っとったんよ、せやから寝てるの」


そういうと素早く手を引いて笑うと、顔を隠すように背中を見せて

「後で話すから!とりあえず早よう部屋に入って!」と軽い足音をで、粉川を引っ張ると他の魂から隠すように部屋までの道を一直線に走った





部屋の中は、香ばしさで溢れていた

高い天井の全てを満たすほどのスパイスと、時間をかけて煮込まれた香ばしさは色があっても不思議でない程の濃度を漂わせていた

ココに通されるのは二週間ぶりぐらいだが、いつもは鼻をくすぐる「女の香り」に少し戸惑っていた粉川も、食欲増進を促す魅惑の香りに遠慮無く嗅覚を働かせ、見苦しくも小鼻を蝶のように動かしていた


「イイ匂いだね!!」


キッチンのハッチスペースに向きあうように置かれる黒のソファへに腰を降ろすと、すでにサラダと水が用意されている前で粉川は満面の笑み

大きく口を開いてしまったらだらしのない唾液が出てしまいそうなぐらい、身体が踊って見える


相手の満足な姿に『いかづち』は、きざった盛りつけはせず普通に大皿を半々にコートしたカレーを運ぶと


「昼間から下味を煮込みつけといたからコクもあるで!楽しんで!!」

手を打つ合図で、頭の上のコック帽が揺れる

「お代わりもあるから!!遠慮なくいって!!」


粉川は大満足だった

事件発生によって久しぶりに護衛艦付けになって海の行く日々に戻ってきたが、残念な事に乗艦の『こんごう』では一度もカレーを食べる事が出来てなかった

何かと問題が起こって、そのたびに食いっぱぐれていたのだが、それ故の思いは募っていた


カレーは特別な料理ではないが、海の男事海自に勤めた者にとって思い入れは絶対にあった

食いっぱぐれたからといって代用を陸ですませる訳にはいかぬと我慢し続けてきた粉川だったが、鼻腔を緩ませ口の中に滝を作った魅惑には抗わなかった

スプーンを柄杓と間違える勢いでかき込むと、最初に一盛りをあっという間に平らげて


「お代わり!頂きます!!」と今更手を合わせて声高く合掌をして見せた

勢いよくかき込まれるカレーに『いかづち』の心も弾み「あいよ」と代わりが直ぐにやってくる

香味の程よいルーの力は偉大だった。食い気に戸惑いを持たせない力、まるで怒濤の波を食らうようにカレーは粉川の胃に流し込まれ

テンションの高い食事会はあっという間に終わってしまった


それは『いかづち』にとって嬉しくも、計算外の事だった

寸胴に満ちていたカレールーが見る見る下降して行くのは料理好きの『いかづち』にとってこの上ない喜びだった

自分のもてなしを本気で楽しんで貰えているバロメーターにもなる訳だから、その間の会話は何がなくても弾むし

一見普通に見えるルーに対するこだわりを、食事の片手間でも聞き続けてくれる粉川との時間は最高の一時だったが、それ以外の話題の、心の準備が追いついていなかった


舐めるようにキレイに平らげられた食器をかたそうと伸ばした手の前、お腹を叩いて見せる粉川に、この先何を話していいか迷っていた


「『いかづち』ちゃんは本当に料理うまいね。独学?それとも厨房を見て勉強してるの?」


このまま沈黙が続けば「ごちそうさまでした」で帰ってしまうのではと動悸を高めていた『いかづち』に粉川の側から声がかけられたのは救いの手だった

キッチンのオバーシンクに皿を沈めると、綻んだ顔を隠すように唇を軽く噛んで


「最近のは本とかで勉強してんねん。でも一等最初は『はるな』司令に教えて貰ったんよ」

「『はるな』司令?舞鶴の」

「せや、わてはあそこの産まれやし」


軽く皿を洗いながしテーブルを挟む形で置かれているイスに座る

粉川を正面に見た形で、まだすぐに横に座る読経はないが、正面に顔を見据えるようという努力で


「最初に教えて貰ったんは、肉じゃがやったんよ」

手を膝に、顔を合わせられないから下を見ながら

初めてであった頃には緊張なんかしなかった人の前で、少し改まった話し方に苦笑自分の心に舌をチョット出す


「『はるな』さんって『しらね』さんや『くらま』さんのお姉さんだよね。似てるのかな?」


可愛らしく上目遣いをする顔に粉川は手早い質問を続けた

『いかづち』の初々しい反応は残念な事に今の粉川の興味の範疇になかったのだ

それ以上に知りたい事にダイレクトだった名前の出現から、例の禁忌以外の事で魂達を知ることは出来ないかと頭の回転を速めていた

そんな事に気がつくわけなく、自分から振れる話題がなかった中での会話を楽しむ『いかづち』は顔を上げると


「あんま似てへんで、『はるな』司令は糸目でおっとりした方やもん」


自分のメガネの下、目を人差し指で左右に引いて細くして見せると

「妹の『ひえい』司令とも全然似てないし、『しらね』はんとかは同型ゆってもちょっと違うらしいし」

「そっか、言われてみればそうだね『しらね』さんと『くらま』さん目元以外はもあんまり似てないもんね」


粉川はそう言うとおもむろに手帳を取り出した

不足の事態に備えたウォーターパックのブラックケースに入れていた真新しい手帳を開くと

「もしかしたら近いうちにお会いできるかもしれないから特徴をかいとこうかな、失礼のないようにね」


言い訳はあまり得意でない粉川は,説明的な言い方で、記録をつける作業を始めた

『いかづち』は興味のある話題を長続きさせようと、聞かれる事に返事する形で話しを続けた


「会えるかもしれへんよ、『はるな』司令は来年のリムパックで司令旗艦として出るから」

「そうなんだ」


思わぬ吉報に粉川の顔は明るくなった

すでにカレーの焦熱で温かくなった顔は赤みを十分に帯びていたが、中身は冷静に書き留めを続け、護衛艦達の行動予定のチェックをした

粉川はこのままいけば、イージス艦機密漏洩の監査官として『こんごう』に張り付きのままMD実験を含む環太平洋合同演習について行ける可能性が薄くともあるかもしれない


もちろん大事な実験だから、部外者である粉川が便乗できる可能説は極めて薄いが


司令旗艦『はるな』が演習に出るというのならば舞鶴から横須賀に寄港する可能性は高い『こんごう』も佐世保を出たら一度は横須賀に入る

そこから集合で出港するのならば、少なくとも横須賀で会える可能性はあると目が光る


疑惑、三笠と会話をした事があると言われる『はるな』と出会えるのは千載一遇のチャンスだった


「『いかづち』ちゃんの料理の師、『はるな』司令か、会えるなら楽しみが増えたよ」


深い部分に入り込まない形で、情報を仕入れたい粉川は『はるな』の話題一辺倒になる事をさらりと避ける

深入りして変な誤解を招かないために


「ところで、なんで今日は『くらま』さん寝ちゃってるの?まだ18時なんだけど?」

腕時計を眺めつつ、粉川の矢継ぎ早な質問に『いかづち』は、あくまで会話と楽しそうに揺れると

「今日はあれよ、長崎に飛んでたから疲れて早う寝たんよ」

「長崎?でも艦は立神にいたよ?」

「せやから、身一つで飛んでいったんよ」


『いかづち』はそういうと、簡単な説明をした

佐世保から長崎は定規で繋げる直線距離でも110キロほど、海を使って港をゆく距離で計算するとさらに増えて150キロぐらいになる

これだけ離れるとさすがに艦魂の移動の光では届かないという事

粉川は走り書きのように手帳に書き込みながら艦魂達の移動の光が使える範囲というものを初めて知った

基本は自艦の周りと少しだけなのだが、僚艦が集まる事で飛距離は伸びるという事と、艦隊行動の範囲プラスα、陸地の移動は好みがあるが基本は基地の中しかいないという事


「じゃあどうやって長崎に行ったの?」

興味津々の目が顔を近づけるのに『いかづち』の心は躍るのか、自分から前に乗りだすと人差し指を口に当て


「曳舟達に手伝ってもらうんよ!」と癖毛の髪を揺らして笑った


昼間ココに来たときにも曳舟の魂である青服を見なかった粉川

今思い出せば確かに違和感だった、長崎で会った菊や洋は仕事がなくても船の上でゲームをしたりと騒がしく過ごしている働き者なのに、倉敷の内港に係留されていた船には一人として姿がなかった


「曳舟達に光りを集めさせると遠くに飛べるねん、『くらま』司令はそれに乗って長崎に行ったんよ」


人差し指を小さく横振りさせて


「曳舟の子んらは基本力仕事が好きなんよ、だから「運ぶ」仕事の延長に移動の光を集めるのも入ってるんよ」


愉快に話す『いかづち』の言葉を粉川はメモする

他愛のない疑問からまたも初めて知る魂達の生活体系

『くらま』が長崎に飛ぶためには事前の準備が必要だった事や、受け入れる側の長崎でも曳舟達が準備をしていた事など聞くに

あの菊や洋が陽気な顔で「ヤーイ」のコールと共に大きな手に光りを集める姿が目に浮かぶというもの

笑顔の粉川の前、『いかづち』の話は続く


とにかくそういう移動手段を使って『くらま』は長崎入りをしたが、数分でもどり明日のパーティーのために眠りに入ったという事


明日は例の空母がアメリカに帰還する最後の日

明後日は調整の日に当たるためパーティーなんか出来ない事から明日になり、『くらま』は見送り側の大将として最後の接待のための体力回復に努めているという次第

遠距離の移動は手伝いも必要とするが、飛ぶ側の魂にもかなりの負担が掛かるという事からの処置だったそうだ


「せやけど、アメリカ海軍とかはもっと便利な方法をもっとったりもするらしいやけどな。まだうちらは色々な事が制限されてるから昔ながらの方法で移動してんねん」


口を尖らせ目を泳がす、少し伏せたように見せながら髪を触る


「その移動の方法って『くらま』さん達が作ったの?」

すでにインタビュアーと化している粉川だったが、そんな事でも話が続くのが楽しい『いかづち』は目を合わせて首をふる


「ちゃうで、昔からある方法やで。いつから言われたらわからんけど」


昔からある方法に粉川はチェックをいれる。後で隊舎に戻って黒革の手帳に記録が残っていないかを確かめるために

自分のための知識作りをしながら大人である粉川はスマートに質問も続ける


「それで、なんで長崎に行ったの?修理にはいる下見?」

愛嬌良く笑ってみせる


「ちゃうよ、去年産まれた『はまな』の妹が来月佐世保に来るんよ。それで誕生の挨拶を兼ねて行ってきたんよ」

「『はまな』?妹?」

どこかで聞いた名前と思いながらも思い出せずに首わひねると

「ほら、送別会におったやろ、メガネかけて『はる』姉のとなりに引っ付いとったの」

特徴を言われると浮かぶ顔と、『はるさめ』の豊満な胸にしがみついていた小動物

「ああ、あの小さい子」

手を叩き、記憶を確かめた


「去年新しい補給艦がわての故郷の舞鶴で生まれたんや、それが呉に行く前に佐世保に寄るんよ。ホントやったら『はまな』がおってココでご対面になる予定やったんやけど、緊急出動で出てしまったからすれ違いになるやろ、せやから『くらま』司令が代わって歓迎の挨拶をしにいったんや」


誕生のお迎え

『ちょうかい』から自分を迎えに来た『こんごう』の話を聞いていた粉川は、近づきすぎていた顔を戻し姿勢を正すと、少しだけ高い天井に顔を向けた


彼女たちは女神の結晶と呼ばれるものから産まれる。誕生の原理はわからないが、今ココで聞く事でもないと口を閉じるが

その生まれの時の状況は、今になって艦魂の中身を深く探求し始めた粉川には考えさせられるものがあった


誕生の時、近場に居合わせた艦がこぞって祝福にくるという行為

名前を呼んで「貴女の姉よ」と挨拶をする

最初は微笑ましいお迎えの話だと思っていたが、この行為が船の魂全般に行われている事ではないのを知らされたとき

話しをしてくれた『ちょうかい』の表情はどこか白く感情が抜け落ちたようにも見えていた

過酷な任務を人と共に背負う護衛艦艦魂

産まれたっての軍艦である彼女達の想いの集約を見た気持ちになった


有事の時こればどの船よりも過酷な生を味わう魂は、誕生を不幸と思わぬためにも、同じ仕事に徒事する姉妹達の祝福を必要としているという事


食事会の冒頭から一気に聞いた話。粉川はこの話しをココで閉める事を決めた


誕生の話があるという事は、死ぬ者の話につながる可能性を感じたからだ

補給艦の増加で護衛艦の誰かが急に死を賜る事はないと知りつつも、自分の前で今は笑顔で次の言葉を待っている『いかづち』から話題をそらした


あの日、新しい護衛艦が出来る事を聞かせた時に泣いた彼女を思うに、この話は続けたくなかった


少し凝った肩をほぐすように首をかしげると自分の前で言葉を待っている『いかづち』の顔を覗き込んで話題を切り替えた


「あのさ、知ってると思うんだけど…海の麗人倶楽部ってご存じ?」

「ありゃ!!粉川はんなんでその本の事しってはるの!!」


大げさに戯けた『いかづち』は頬にてをあててから

「『うずしお』に聞いたん?」

「いや、妹の『なるしお』ちゃんに」

「『なるしお』、載りたいってゆうとった?」


お互い、なんとなく潜水艦の『しお』姉妹が言っていた事がわかり吹き出した


「『なるしお』ちゃんはその雑誌に載ってモテ道を行くってのが理解できないからどうして良いかって。本気で悩んでたよ」


頭を抱える真似をして見せる粉川に

「そんで相談に乗ったら『うずしお』に海に突き落とされたんや!!」

大爆笑の『いかづち』

本当はあの瞬間を寄宿舎近くの木立から見ていた。言えばあのお馬鹿トリオが『なるしお』本体に投擲を始めた時からその場を見ていたのだ

ただ、食事の招待を『なるしお』に聞かれれば、普段魚料理の材料調達をしてくれている『うずしお』の耳に入る恐れがあったため、事が過ぎるのを待っていてあの衝撃的瞬間を目撃していた


お腹を抱えて笑う『いかづち』に粉川は両手を開くと「酷いよ」と一応愚痴り、自分の無罪をおもしろおかしく話した

もはや笑い話のネタとするのがこの思い出の正統な使い方だと割り切って


「僕の方がびっくりだったよ!なんで急に仲間に攻撃するの?って。それで止めようとしたらあの始末だし」

『なるしお』本体におふざけの攻撃をした姉妹と一人の話に『いかづち』は佐世保を騒がす色恋のヒットメーカーである艦魂達の話をした

笑いすぎてメガネの下の目の涙を拭いながら


「あいつらは『ゆき』姉妹ゆうて、なんかいつもアホな事やっとる連中なんよ」

「ええ、『ゆき』型護衛艦っていったら結構年長に入るでしょ?すごく子供だったよ」

「せや、ほやけど何時の頃からヒマさえありゃあないな事ばっかやってんで」


そう言うと両頬に手を当てて口を縦長にしてみせると


「ムンクの叫びごっこ、これやりながら三人で揺れてたりするんよ」


喉の渇きに水を口に含んでいた粉川は、あやうく『いかづち』に吹き出しそうになり口を押さえた

喉につまる笑いでむせて咳き込む

あの横着な姉妹がそんな横揺れをして自分を見ていたら、整列帽振れの時にも吹き出してしまいそうだと

笑いで小刻みに揺れる粉川の肩を見ながら『いかづち』は『ゆき』姉妹のする寸劇を真似て見せ

天井の高い一室は大笑いの反響に支配される

「止めて、『いかづち』ちゃん。もう限界だよ」と大きく手を振る

目に浮かぶ馬鹿さ加減に腹筋は楽しく鍛えられていた


ひとしきり笑った粉川は、何度も咳払いをしつつ腕時計に目をやった

時間はまだ18時半、早いと言えば早いのだが、腹のそこからの大笑いにどこか話題は出し尽くしてしまった感で急に落ち着いてしまった

ゆったりと深く座ったソファの中で、話題を自分が振ることの出来ない『いかづち』の目線に気がつくと小さく息を吐いて


「ところで今日は誰もいないんだけど、『こんごう』や『はるさめ』さんはどうしてるの?」


急な話題の転換に『いかづち』の顔は瞬時に困ったとハの字に眉を下げた


「『こんごう』は、なんや用事があるゆうて出てる。『はる』姉はそのうちくる…かも」


本当はもっと早くにこの質問が来ると考えていた『いかづち』

粉川を誘い部屋に招く

多分艦魂達の乱痴気騒ぎな食事会だろうと考えているところに二人きりなのだから

今更だっが、二人の間を意識して緊張の糸はすり切れる一杯に引っ張られると瞬間湯沸かし器のように耳までを真っ赤に染めた


「そうなんだ、なんか二人きりだと笑い声が響き過ぎちゃって、ねぇ」


これ以上の質問はしたくなかった粉川は切りが良いと判断していた

好物だったカレーを頂いたことも良かったし2つ3つ面白い情報も手に入れ、彼女達の不思議も少し知ることが出来たことに、性急さを出さずここで引くのが明日につながるというものと


「『いかづち』ちゃん、今日はありがとう。とっても美味しいカレーにおもしろい話し、たくさん笑わせて貰ったよ。楽しかった」


立ち上がった粉川に会わせるように『いかづち』も立つ

時間的には早いと言いたかったが、話題のない自分では何で引き留めて良いかワカラナイ

少し下がった眉で、頑張って見た


「まだ、早くで」

精一杯の反抗を

「ご馳走になったから早く眠るよ。また招待して」

懸命の手は縋る所がなく、自分の青服、ズボンのポケットを掴むと優しく会釈する粉川を見て

「うん!任せといて!次は何が食べたい?希望聞いとかなな」


頬を奮わせた返事

唇をつぐむと自分に納得したように頷いて、また二人で会えるための勇気を振り絞った


「今度はホンマにクリスマスとかにしよか!!」


季節のイベントに誘うという勇気を振り絞った


「いいね!!僕鳥買ってこようか?」

「ホンマ!じゃわてが盛りつけたるわ!!」


帰りの背中を見せている粉川の前に急いで立つと、思いっきり笑って見せた






「どうして自分の話しないの〜〜〜」


倉敷の寄宿舎を後にした粉川の影を呆けた顔を見つめ続けていた『いかづち』の背中に手を絡ませたのは『はるさめ』だった

背中に密着させる肉厚、豊かな胸の山と甘ったるい声に


「たくさん話したで」


絡むタコの手を払って姉に向き直ると、頬をふくらませて姉の胸を押し返した


「『はる』姉はんも来てくれな、間が持たへんやろ…どこいっとたんよ!」

「ずっと居たよ〜〜自分の部屋に〜〜」


茶色の髪をかき上げ首を傾げた笑い目は、自分の不在で間を持たせる事に四苦八苦した事を怒る『いかづち』の額に俊足のデコピンを食らわした

普段は軟体動物か綿菓子のようにとろけている姉からの思わぬ攻撃をくらい『いかづち』のメガネはずり落ち、目は丸く見開かれる


赤い焦点を残したデコピンの跡を『はるさめ』の指がロックオンするように指すと力を入れてさらに押す


「何言ってるのよぉ〜〜二人きりの時に頑張らなくて〜〜どおするのぉ?」


フワフワといつもはしている『はるさめ』は珍しく縦に飛ぶように揺れて

顎に皺を寄せるほどに口を尖らせる姿に『いかづち』は尻餅を突きそうになりながら後ろに下がるが、逃がさぬ足はズイと顔を近づけて、鼻息を浴びせると


「恋愛はマンツーマンが鉄則でしょ〜〜『はる』ちゃんが隣に座ったまま愛を語るつもりだったのぉ〜〜〜」


お酒を飲んでなくても呂律がトロトロの『はるさめ』だったが、言っている事には熱いものがしっかり流れていた

珍しく横には揺れず、しっかりと足を地につけて

作業青服を着ている事で甲板に並ばされ休めのポーズで固まる隊員のようにも見えるが、頬は『いかづち』以上にフグのごとく膨らませ


「話だって粉川さんに聞かれたこと答えてるばかりでぇ〜〜『いかづち』の気持ちとか何もいわないなんて〜〜ダメ!!」


振り上げた手から頭ごなしを図にした形

自分より背の低い『いかづち』の顔を真下に置く『はるさめ』は、そこまで言うとプイと顔を上げて背中を向けてしまった


今日のデートのお膳立てをしてくれた協力者である姉は

「恋をしよう!!」と声も高く前向き過ぎぐらいに頑張ってくれているが肝心要のところで二人きりでは話題も少なく、たった2時間足らずで閉会してしまった素っ気ない逢い引きに腹を立てていたが、恋に夢中の本人には初めて付くしの事でどうにもならないもの


ご立腹の背中を見せる『はるさめ』の姿に困り果てた『いかづち』だったが、月の下に映し出された顔は緩やかな笑みを浮かべていた


「ええんや、ちょっとづつ近くなっていったらええんよ」


最初の一歩

『いかづち』の意見は至極全うなものだった

今まで「人」と出会うこともなかった「魂」として、自分の話を喜んで耳を傾けてくれる笑顔が近くにあった少しの時間でも宝だった

月明かりと木立を揺らす冷たい風の下にあっても、赤くそまった頬の暖かさは勇気の印


「今度はクリスマスを…二人では無理やろうけど、粉川はんだけにあげるプレゼントを作ったりしてみようと思うんよ」


跳ねっ返りの癖毛頭、丸いメガネの小さな肩

背中を向けていた『はるさめ』は凍えた風の中に白い息を吹くと


「ちょっとづつねぇ…でもぉ〜〜たしかにぃ〜〜そういうやり方もキライじゃあないけどぉ〜〜」


妹の耳に届くか届かないかぐらいの声で、不安を煽ると

冷めた顔は冷徹な視線で、空に闇にソフトフォーカスのまま浮かぶ青い月を見る


「友達から恋人へ…私達の愛はものすごい化学反応を起こして進むから、ゆっくり行こうなんてねぇ〜〜〜、そんな余裕あるのかなぁ〜〜」


人と魂、異なる種によるま恋愛力がどういうものかという恐れが『いかづち』にはあった

ストッパーの声である銀の目と、その先に行って何が残るのかという迷い

それでも自分的には恋愛の第一歩を踏み出したと考えていた


「わては、わてのやり方で近づきたいんや」

妹を置き去りにした場所から軽いステップを踏む『はるさめ』に、声を張り上げた


「わてのやり方で頑張るって決めたんよ!!」


妹の振り絞った宣言の前

振り返る笑み

歯を見せない静かな唇が光る


「愛してるって言葉よりも、一瞬でつながっちゃう力を持っているヤツが世の中には居るんだよ。それを見落としたらずっと寂しい思いをしちゃうかも〜〜〜」

笑わない嬉し目が写す記憶、重い影に『いかづち』の背筋は急に震えた

「でも…」


『いかづち』の目は空と海を丸く繋げた暗闇の狭間に輝く立神のバースを追う

今頃、あそこに向かって小走りをしている人の名を呼んで

「粉川はん…」





波が静かに、ささやかな夜の子守歌のように同じ音を重ねてゆく時間

月に照らし出された茶色の髪は輪郭を白く輝かせ、青い瞳に月を泳がせる

立神に係留された防衛の牙城の上で彼女は柔らかい光に包まれていた


イージス艦『こんごう』の魂『こんごう』は、ただ静かに時を待っていた

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