第七十七話 潮の香り
片耳損壊、そういう日がやってくるとは思っていたが…困ったものだぁ
朝の修練が終わった倉敷の中庭、並ぶ街路樹も赤さびた葉を揺らす中
艦魂達は各々姉妹や仲間達と寄宿舎へと戻ろうとしていた
他所基地では実施はされていないとされる朝の修練は佐世保オンリーの名物でもある
芦も高くあげ、けたたましい音もなんのその風を切るとはこの事
人が見られるものならば、かなり心を励ますものになる事だろう激走は彼女達の一つの任務である
冬が近づけばそれだけ身体を熱くする良い修行ともいえる中、抜群の力で真っ直ぐ走って行く『こんごう』の背を追ったDD達
いつにもまして力強い走りは他の護衛艦達にも言葉はなくとも伝わる物なのか、『まきなみ』などは負けじの力走で終始後ろをついて走ったものの終わった時には目を回して倒れ、他のDD達からの救護をされていた
もともと緩い性格の彼女の気持ちさえも押し上げるほどの影響力は『くらま』には好ましい変化に見え指示の請えも弾むという物だった
激走後の時間、終わってしまえば後は比較的自由を楽しめる魂達は各々の仲間や姉妹達と時間をすごしていた
その中の2人は今、恋の思案のまっただ中にいた
「がんばるのよ〜〜〜『いかづち』〜〜」
煉瓦倉庫の一角立神の港が見える側の木陰で、雑誌片手にフラフラと浮遊しているピンクの物体『はるさめ』は豊かな実りの胸に茶色の髪までをトランスするように背中を丸めている妹に近づく
料理雑誌を握って真剣な眼差しでいる『いかづち』
本格的な冬に入ろうというこの時期に日陰を選んで談合する者は少ない中、激走を終えて早々と風呂を終えた二人は示し合わせてココに来ていた
「今回は最大のチャンスよ〜〜」
両手を樹木の飛来た枝のようにして指をピアノを弾くように動かす『はるさめ』、着替えた青服姿にTシャツ姿、胸のボタンは窮屈そうに歪む
『いかづち』は忙しなく目を動かし料理雑誌の冬特集を読む
「ボルシチ…シチュー…まさかただの鍋物ってわけにいかへんし、やっぱりカレーかな?いいや、ココはいっちょお酒にぴったり、季節の魚料理のほうがええかな?」
「カレーが良いよ」
頭を悩まし、跳ねっ返りの毛を手櫛でさらに混ぜ返す妹に『はるさめ』の半月お目々が笑みのまま発言する
「だってぇ、魚を仕入れたら『うずまき』(『うずしお』と『まきなみ』の事)にたかられるし〜〜後でうるさいし〜〜カレーの方が家庭的〜〜」
蹲って雑誌と睨めっこをしていた『いかづち』は立ち上がり手に力が入る、雑誌をヒネリ潰すと
「せやな、カレーで行くわ!!わて、頑張る!!」
癖毛頭に電撃を走らせるほど目をぱちりと開いた妹の姿に、グッドと揺れる『はるさめ』
「じゃあさっそく粉川さんさそってぇ〜〜」
笑顔の混乱誘発者と恋に一直線の『いかづち』、粉川をめぐる恋愛大作戦はココに開始された
「毒気は抜けたようだな」
国旗をひるがえした風の見える窓で、昨日とは一変した粉川の顔に宗像は、良しと頷いて見せた
広めに取られた階段を上がった角、白磁の色に少しのヒビをいれてはいるが、手入れの行き届いている
大きな声で話さなくても響く声の持ち主である宗像には少しばかり居心地が悪いのか、率先して部屋に向かう
粉川はその後ろをついて歩く
「昨日は無理を言って申し訳ありませんでした」
「いやあ、かまわんよ」
岩のようにざらついた面を持つ宗像は顎をさすりながら
「それにしても滝川の婆様に会ったとはね」
「驚きました、結構有名な方だったんですね」
朝食の時、粉川は滝川との出会いを宗像に言われ驚いていた
昨日は東公園からかなりのスピードで帰ると
着ていた青色のトレーニングウェアが濃紺に変色する程の汗、温度を下げた空気の中で口から白い息を怪獣映画の熱吐息がごとく零し風呂に飛び込んだ
そこで一緒した隊員が、佐世保では有名になりすぎた名物男と話をしようと近づき少しの会話をしたところで「滝川の婆様」と呼ばれる彼女の話が出て
ココ佐世保基地では彼女が割と有名な老婆であった事を知ったのだ
彼女は特に東公園の管理組合と繋がりを持っているというわけではないが、もう何十年と草むしりや案内を続けており今でいうボランティアでの活動をし続けていた
佐世保基地からは毎年清掃活動や慰霊祭の式に合わせた音楽隊を派遣してもいる事もあるし、何よりかつて国を護ろうという志で命を落とされた先人を思う気持ちは大きい、個人的に参詣する者も少なくないことで滝川の婆様は隊員達の馴染みの顔になっていた
「かなりご高齢のハズだが、頭の下がる事だ。変わることなく公園に通ってくださる」
後ろ手で腰に手を組み前を歩きながら、昨日と同じ晴れた空ではあるが冷たい風は勢いをました中庭を眺める
「まったくです。良いお話を聞かせて頂け、気持ちを入れ替える事ができました」
入れ替わった気持ちを現すようにキレイに撫で躾た頭、昨日のように濁った亀裂はなく一掃された額、わかりやすい程の回復
「そりゃ良かった」
国家の防人達の持つ悩みは何時だって深い、なかなか気持ちを入れ替えるのは難しい事だが、あの大戦を知るご老人達に癒される事も多い
宗像は滝川の婆様にはいつも感謝していた。彼女はいつだってこうして隊員の心を支えてくれる
言えば国の楯という大義名分を持っているのだから、頑張らねばならぬと叫ぶこともできるが
それはあくまで補助的指標だ
本来なら自分の国を護るのは国家の責務にある事で、当然のことなのだからそんな大仰な題目を立てて隊員の尻を叩きたくのは不可思議な行為だ
だが平和ボケ過ぎる国と間延びした時間で目標意識を低下させている組織となった自衛隊には大げさでも、自分たちの背中に掛かっているものを意識させざる得ない状況がいる
基地司令という重責を持つ宗像には、隊員の心の陰りを「国家の盾として頑張れ」と叩いて鍛える事しか出来ないが、市民の側からの好意を受けるのは何よりも励みになるというもの
ただささやかに、今は平和な時であるけれどと語る老婆の言葉の方が心にしみるというものなのだ
「君を野放しにできる最後のチャンスだった事を思えば、本当に良い機会に恵まれたといえる」
宗像の硬く整えた髪、下に尖る目は粉川の休日に何かがあった事を如実にしめしていた
朝はさわやかに、そして時間が確実に流れ良いことも悪い事も廻ってくるという事を知らせた
粉川は立神バースに向かって歩いていた
昨日のように良く晴れてはいるが、風は格段に冷たくなっている
港に続く煉瓦の道、日差しの弱さを感じるあせた土気の壁、山間の緑も乾燥してささくれ立った葉が目立つ
しっかりと着込んだ作業青服、すれ違う隊員達に敬礼を交わす
休暇を貰った事で顔から剣のとれた粉川だったが目は幾分もきつくなっていた
朝、司令の宗像が自分を呼び出したのは何も自分の気疲れの回復を見ようとしたわけではなかった
昨日、基地に戻った直後に本庁からの定時連絡が入っていた
置いていったパソコンの黒い単体に赤い光が走り「直通」である事に嫌な予感はしていた
「海上保安庁が防衛庁にて正式な話し合いをとの督促あり」
鼻頭を指が押さえる、解消を得たのに再発しているであろう苛立ちを押さえ込むために
「何が正式に話し合いだ。結局予算譲歩を直接訴えにくるって事だろ」
事の始まりだった不審船事件
日本国を護る二つの組織の中では未解決のままで押し通したイージス艦の予算
それを「譲った」という事にし、直接関わる自分たちに来年度以降の有利な予算折衝をしたいというもくろみ
こういうものは基本政府が決める物だが、生産の割り振りで者を考えると金が動く
そこから歪みが招じてこういう話が発生する、何年かに一度の割合で
そも国家防衛系の業種は極めて狭い世界で限られている
日本における防衛産業は言えば一品受注の工芸品的な要素が高いのだ
武器輸出三原則に従い多国間での共配がなく、大量生産が見込めないため受ける側のうま味はうすい
しかも率先して艦艇、戦車に航空機の建造に努力を示すことがなかなか出来ないため、多くを武器をアメリカからのライセンス生産という形に頼ることになる
開発の手間は省けるが、それらを持ってしても値段が下がるわけでもない。結局身の内で全ての消費をしなくてはならないという事からも効率的でない
それでも国内の軍需産業の技術力維持のために毎年度予算が組まれる。やらなければ日進月歩の技術合戦からあっという間に置いてきぼりをくうから
情けのない事に、この国の軍需は戦前と変わらない物作りの精神、いや精神であるのならまだしもの、いかんともしがたい状態なのである
こうなってくると数を揃えての受注をする海保は強い
組織的イメージというものもあるが、中型から小型船艇の予算が通れば一度に10何隻規模での更新が行われる
民生品の多くを受注の中に持つ海保の大量更新は民需の拡大になるため、多くの企業が大歓迎である。量販の物品を使える強みを最大に活かす
このイメージに軍需はいつも煮え湯を飲まされていた
しかし今回はイレギュラーが招じて話がこじれた。大きな事件があったにもかかわらず防衛庁は先手を打ってイージス艦の予算を通してしまった事がだ
正確にはまだ決定ではないが来年度の盛り込みに成功した事からも八割方決まっている
ココは喜ばしいのだが、それで海保が黙っているわけがなかった
「イージス艦という大物予算を譲ったのだ」
だから他の部分での譲歩は当然であろう。と言うお門違いも甚だな意見書を提出してきたのだ
先手はかなり強引に予算の枠をへし折る勢いで入れられたものに違いない
防衛庁と他の企業、政府間でどんな駆け引きがあったのかはわからなかったが、大きかったのは現行の防衛庁長官である金実議員の押しがあった
彼女は防衛費削減を公約に挙げた議員であったがその考え方はかなり独自のシステマティクを展開させていた
「目を多く持つ事で他艦の仕事をカバーできるのならば、余分な物がより必要無くなるという事でしょう」
一艦万能というのはあり得ないし、運用から考えてもおかしい。イージス艦で全てがまかなえる訳ではないが、当座他艦を含め安全を買う大きなアドバンテージは可能という意味もあり予算の承認を後押ししてくれた事が決め手となった
コレに驚いたのは国土交通省内局
まさかの事態に後手を踏んだと騒然となる
事故調査委員会の設置後、まだ事件の判明の正否が行われる前に予算が通るという事に、さらに反発したのは海運局と関連企業
しかし大きな金が動いてしまった今、大事にしてしまえば本音では誰も望まない「国防不要論」に至ってしまう可能性や、マスコミの横槍を嫌い上からの言論統制が行われ
こうして「穏便な話し合い」のための親書が届けられるという形となる
半分は威しにまみれた親書の中身には防衛庁も憤然とし、当然粉川の頭にも怒りの火が立ち上っていた
だから海から吹き付ける寒さの刃である風に対しても上着をきる必要もない程に心が燃えていた
そう言わんばかりの大股行進でバースに着き、尖っていた目は点になった
「あれ?」
メインのバースである場所には『こんごう』『いかづち』『まきなみ』反対に『くらま』『はるさめ』
さらに離れて『いそゆき』『あさゆき』『あまくさ』
立神からは周りの岸壁や泊地も見渡せる
粉川は正面の橋から左に走り倉島の側に目を向ける
潜水艦の二隻と『せんだい』『おおよど』
少し離れたところに掃海艇の影が3隻
「…あれ?『しまかぜ』さんは?」
いつもならメインに必ずいる艦影がない
今日はあらためて『むらさめ』の濁したあの言葉の意味を教えて貰おうと考えていた
耳の後ろを掻き、今一度周りを見回す
「てか…『むらさめ』ちゃんもいない…まさか」
今更な事だ、考えるまでもない、出港しているという事
年末が近づこうが、クリスマスが本番に入ろうが変わらない事がある
それは国防の勤め、これが日本国の年末に入る行事に寄って左右される事はない
実は事件の影響があって『こんごう』達と一緒に合同演習には出なかった『しまかぜ』だが、来年のミサイル迎撃実験を伴う環太平洋合同演習に出席予定の艦でもある
『むらさめ』が一緒に出ているのは、合同演習に出る同型艦である事からだ
実際は『あめ』姉妹で環太平洋合同演習に出席が決まっているのは『はるさめ』『きりさめ』『いかづち』の3隻
そのため外洋にて残りの『きりさめ』を加えて演習に入る
参加に対して足らなかった演習時間を加えるためにも、他艦との連携に遅れを取らないようにするためにも必要な日程であり…
「参ったな…重要参考人が(1人は違うけど)2人ともいないなんて」
頭を掻きつつ港をぶらつくき、けたたましい音と共に動くSSKのクレーンを見上げる
その向こう側ではエセックスが出払っており
アメリカ海軍も忙しく動いている
「そういえば、あの空母もやっと出港だな」
晴れていても海からの猛気が乾くという事はない
水面に近づけば白く胡散する者達のせいばかりではないがココから真正面とはいえ10キロ弱離れた35番錨地は見えない
湾を囲むさび色の山が輪郭を浮かばせるばかりで、あれほどの巨大艦艇もごま粒ほどにも見えないという形だ
額に手を当てまぶしさの欠片を避け、目を凝らしながら
「ごくろうさんでした」と一言と軽めの敬礼
本来なら原子力空母は長くココに留まらないが今回の停泊は割と長期なものだった
理由は演習に現れた中国の潜水艦の事もあったが、なにより近年の東シナ海は騒がしいという事にアメリカがきつく着目している事の現れともいえた
巨大な艦艇群がココを出港するのは2日後と決まった
「それにしても空母の魂のおねーさん…ちびっ子だったねぇ」
いないものは仕方ないが、基地を出ることは厳密にダメとなった粉川が時間を過ごすことができる場所も限られている
そうなると倉敷の側に目が向く
目の前、鋼の鐘楼をそびえ立てる『こんごう』を見て
「…『こんごう』に聞く訳にはいかないだろうなぁ」
曇った脳裏には幾重にも掛かった問題があった
人の方では前序の防衛庁と海保の問題。魂達との付き合いの中で解消されたいものの方が多い
てっとり早く『こんごう』に聞くというのも有りだが、マナーを守りたかった
『むらさめ』程、白黒のハッキリとした性格をもってしても口ごもる事を
「誰だって知っている」というのに「禁忌」でもあると言われる人との邂逅をやたら聞いて回るのは彼女達の社会秩序を乱す事になりかねないし、大人の対応じゃない
何度かバースへの道と倉敷の側を見て行き来する
粉川は焦りが自分に上ってきている事を感じていた
喉の下に球体を膿むような、大きな声で問いただしたい事が多すぎて
粉川自身は「イージス艦機密漏洩」の問題で『こんごう』に張り付きの官なのだが、運悪くあの事件「不審船」の件にも一枚噛んでしまっている
やたらにマスコミが変な事を嗅ぎまわり、的はずれな報道にいかにもな顔をさらしたキャスターなんぞ並べられた日には、安全保障の問題にもなりかねない。故にいつ本庁の呼び出しが掛かるかわからない現状
頭を悩ます事
しかしながら脳は悩んでも、佐世保での仕事は無い粉川
結局立神から小走りをして倉敷の側に足を踏み入れていた
立神から向かうのなら、港内の交通船を使ったほうが近い距離なのだけど、フェリーターミナルを挟んでいる事もありよほどのことでなければ「走れ」が鉄則の自衛隊
一応移動用の自転車もあるにはあるが
昨日走り込み慣らした身体、勢いに任せた帰り道の負担が節に少しの鈍さを出している
鉛のつまった感覚と、節の奥に潜む鈍痛に嫌気が上る
「やっぱり衰えてるな」
足らない鍛錬はすぐに見破られる、自転車ではなく自分の足で走る事が大切と
苦い顔で指を鳴らし
足首を回すと、全身を柔らかくしていくついでにゆっくりと走り始って行った
佐世保基地のメインバースは基本顔役である司令艦『くらま』や『こんごう』に、ともに行動をし第一線で働く事になるDDが占める場所だ
そのせいもあって見晴らしもいい、佐世保港のSSKのドックなどと並びを同じくしている米海軍の艦艇なども揃っているとかなり壮観な場所でもある
一方正面を陣取る立神から向かって左側、港を海から見る方で言えば右手のフェリー埠頭に隣接するのが倉敷岸壁である
港湾への出入り口付近には佐世保市中央卸売市場があり、佐世保駅の2番出口からアプローズラインなどでも結ばれている人の賑やかな所でもある
前日粉川が走った国道35号に入る直通の道があり、それを間逆に折れると岸壁側に行く事が出来る
佐世保駅前から続く道の大きなマンションを越えると後はひたすらに住宅地の町
市場を越えると白壁と灰色屋根の湾港合同庁舎が見え、その先が海上自衛隊佐世保警備隊の敷地となる
ここはL字に曲げたような囲みの港となっているため海自の小型艦隊や曳舟達などの多くが着けられている
外港に向かったメインの岸壁には『せんだい』『おおよど』達、立神からは見えなかったが、二隻より奥側に『さわぎり』がいる
後ろに列をつくり並びで背中を見せている潜水艦は『うずしお』と『なるしお』は端の突堤近くにいる
反対側に曲がった港内には掃海業務群の船が3列に並んで括られている
『すがしま』型の『うくしま』がちらりと見え、隣に海自の曳舟達が並ぶ
小走りで海風を浴び、体調を整え心地よく息を弾ませた粉川が艦艇の見えるところに着いたのは14時ぐらいだった
入れ替わりで陸に上がる隊員達の姿を眺めながら進む粉川の目に最初に入った最初の魂は、L字の突堤の一番端で体育座りをしていた
遠目に見ると青い作業服がきゅっと積まれた青い布の固まりに見え、小さすぎる影から『こんごう』や『いかづち』と名を知った者ではなく、最初は『さわぎり』かと考えた
緩急を持って潮の味わいを吹き付ける水面は、自然のダイアを輝かせる
駐車場の車を避け粉川は膝を抱える艦魂に声をかけてみる事にした
今まで見知ったメンバーとの会話でどん詰まりになった考え
もちろん「問題のアレ」を構わず聞こうという考えはないが、知らない魂と話をする事で新しい何かに気が付けるのではという冒険心の方が強かった
「男は好奇心の生き物ですからね」
べとついていた頬を拭い、突堤に座り込む小さな艦魂に声をかけた
「こんにちわ」
背中にかけられた声に小さな固まりは飛び起きるように顔を起こすと、恐る恐る自分の後ろに立つ大男の側に顔を向けた
「あれ?前にあったよね?」
小動物が警戒のためにゆっくりと、しかし小刻みな震えをみせながら粉川を見つめる
まるで水を頭からかぶりカールの跳ねが無くなってしまったかのようにぺったいり目を覆い隠し鼻の頭あたりまで伸びた黒髪
後ろは肩で切りそろえているが、ともすれば身体の前後を間違えてしまうような姿の彼女は、うわずった声で
「シト…シィト…」
「人、でしょ?」
噛んでいるのが、滑りを失っているのか乾いた声は同時に粉川の顔を指差す
「…『なるしお』ちゃん?そうでしょう。横須賀で会った!」
粉川は思いだした
横須賀のフェスティバルに行ったとき、『しらね』の隣でポットを持ったまま自分から離れていった小さな生き物
合同演習の時、一応参加艦艇の名前は全部チェックしていたのだが、なにせあの嵐の演習『こんごう』憤死の戦いの中では思い出す事もできなかったし、彼女を始め一緒に演習に入った潜水艦『うずしお』も一度もグループルームに来なかったため覚えは薄かった
だけど、この特徴な髪型は忘れようもないものだった。鼻柱にまでかかる髪、前髪のスキマから光る目
「怖がらないでよ、仲良くしようよ」
突堤の端から落ちてしまいそうな程に身をすくませている物体は固まったまま見ている
「ココに座っていい?少し話しない?」
本来はこういう小さな子を苦手とする粉川だったが、前を向こうの一環は強く心を動かしていた
彼女は身の丈は確かに140センチ台とマクロな形だが人とは違う、海自の艦艇の中でも事隠密行動をする彼女達の持つ知識や常識はそこらを歩く世代見立てだけが同世代と一緒には出来ないものだ
だから子供をあやすような話し方は勤めてせずに対等の者として話す事を心がけたが
ただやっぱの彼女は人が少しばかり怖いのか?イヤなのか距離がある
警戒心の強く固まった身体は波打ちの方に斜めに倒れているのまで見えたが、意を決したように
両の手をまるめで拳をつくると、目の前で腰を降ろしてしまった人に聞いた
「何…話すの?」
かすれを失ったウエットな響きは若さのある柔らかな声と、潮風に吹かれ前髪から覗くまん丸な目
キレイな二重で、黒目の中に波の反射が写した十字のラインが見える
知らなかった事、新発見、粉川は新しく彼女達の何かを知ることができるチャンスに気持ちを柔らかく肩を上下させ、リラックスしようと見せると
「なんでも、色々話しようよ」
そう言うと曳舟達に渡す事で習慣的になっていたアメを差し出した
「お近づきに」と
「モテモテ…って?」
粉川は唖然とした顔で膝を抱える小動物『なるしお』の姿を見ていた
「そうモテモテ…」
膝を抱え、波に攫われそうな小声はもっか自分が直面している一番の問題を粉川に告げていた
人の存在については横須賀でも見ていたし『しらね』司令からも「驚くことではない」と説明を受けていたが、彼女は元来人見知りの激しい部類に入るタイプのようで、横に並んで座ってくれてはいるが微妙な距離が物理的にある
突堤の波打ちの側に擦り寄るような姿で、そんな風に距離をとりながらも初めての人と話をし始めた最初の話題に、粉川は混乱をしながらもどこか吹き出しそうで『なるしお』から顔を隠すようにして
「モテモテになると、どうなるの?」つい勢いで聞いてみた
話題はそれしかない『なるしお』はピンクの唇を尖らせて
「雑誌に載るの、海の麗人倶楽部っていうのに。そしたら確定モテモテになって…」
粉川は新しい情報に頬が破裂しそうになった
正直艦魂達が読んでいる雑誌は『はるさめ』の言動やら『しまかぜ』の話から隊員の落とし物か、同盟国家間での寄贈などによって得た物ばかりと考えていのだが、この『なるしお』が知らせた雑誌の事は、どんな冗談?と思うほどに面白い新情報だった
曰く
基本は同盟国艦艇の魂の写真が載っている事
本体である自分の写身については特に何の情報もない事、なのに魂の個人情報は駄々漏れがごとくで本人が明かした事もない趣味趣向まで暴露されていたりするという
「僕、それ見たいなぁ」猛然とそそられる興味にチラリと横の彼女に目をやる粉川
『なるしお』は持ってないと首をふり
「見たって、今は潜水艦は乗ってないもん」つまらなそうに尖った唇をさらに硬く絞った
「そうなんだ…残念だね」
本当に残念な気持ちの粉川は、この雑誌についてなら他の顔見知り艦魂にも聞けるなとチェックをいれた
「それにしても…モテモテになると…どうなるの?」
「さあ?お姉ちゃんがその道を走ろうって、私だってどうなるかなんてわからないから困ってるの」
「お姉ちゃんって…あの河内弁っぽいしゃべり方する人だよね」
『なるしお』の姉『うずしお』は以前、粉川が本庁に戻る時の送別会で見たことがあった
潜水艦の魂はみんなそうなのか?と思う長い前髪の下、流暢にヤクザ弁をしゃべった唇は感情の発露を見事に現した歪み具合で「なんか変わった魂いる」というイメージがばっちり残っていたが、話を聞くに
いかにも変わっていると思いに顎をひねった
離れた隣では姉である『うずしお』にモテ道という講義をソナーに反響しまくるほど聞かされへばった妹
まだ明るい昼という事も気にして横目に彼女を追いながら、この変わっている点について粉川は聞くことにした
「でもさ、あの、モテ道…って、君たちって女しかいないのになんでそんな事になってるの?」
笑い話だった話題の中にぽっかり浮かんだ疑問
自分の知らない世界にある雑誌にも興味はあったが、それ以上に真面目に考えると実に不可思議な部分があった
モテたいというのは基本男の行動の中にあるように思えたのだ
もちろんモテる女というのもいるが、粉川は自分の男観念の方面からアプローチする事にして質問した
モテたいを公言する艦魂は女の形を持っているという点から浮かんだ疑問
昨日会った滝沢の婆様は確信を持って言っていた事の一つ
「舟魂さま(ふなだまりさま)は女しかいない」と言うこと
困惑の顔をさらすと、海に逃げてしまいそうな『なるしお』に粉川は出来るだけ素っ気ない感じで尋ねる
普通だったらこんな若輩の女の子に聞かないような事を、彼女達の年齢や容姿は当てにならないと初めて自分の側で割り切って
「ひょっとして…君たちは女同士で…恋愛とか結婚とかできるの?」
「なにそれ?」
体育座りのまま不可思議と目を向ける『なるしお』
粉川は割り切った自分の境界線に戻るような事はしなかった
長い前髪伸したの輝く目に
「だってモテるって、相手の心を惹きたいって事でしょう。好きになって欲しいっていうか、一緒に居たいつていうか、最終的には結婚とかにつながらない…のかな?」
「結婚って何?」
思わぬ返事だった
恋愛の行く先の最終形としてそびえる砦、結婚を知らない?
一瞬知識にも解釈にも無いのか?と目を丸くした粉川だったが瞬時に、繕うのは見えたかも知れないが次の質問のために気持ちを落ち着けた
「結婚って、その、好きな相手がいるって事で、その人と一緒に生活したいって事の集大成かな?」
落ち着いては見たもののかなり笊な返事
本当にこの一見少女の『なるしお』相手に、こんな突っ込んだ会話をしていいのか?と今度は粉川が焦った顔を合わせられないでいると
「なんで一緒に生活するの?そんな事に意味あるの?」
興味を煽られた十字の黒目は顔を近づけていた
足を崩し、自分からそっぽ向いて海を見つめる大人、粉川に
「私達、基本的に一緒にいられる時間なんて多くないし、なんで一緒にいる事がモテの集大成なの?」
言われなくてもその通り
護衛艦は所属艦群が決まっている。決まっている範囲では基地を一緒にしたりする事で特定の時間は得られるが、だからと言って常に一緒にいられる訳ではない
そこまで反省して粉川は頭を叩いた
それだって人の結婚生活だって同じだろと、自分に言い聞かすように
旦那が働き、妻も働きの共働きだったら常に一緒にいる事は少ない…眉間に手を当てる
そもそもこの話では彼女達のいうモテるの意味がわからなくなっていた
「ねえ、人の生活って何?そうすると何か起こるの?」
ただ呆けているという顔ではない『なるしお』の真剣な眼差し
質問を質問で返すのはおかしいと思いながらも粉川は両膝に手を付くと腰を据えきちんと向きあって聞いた
「あのさ、モテたいって事は、相手を自分のものにしたいって気持ちの現れだよね。自分の近くに居て欲しくて、自分の伴侶になって欲しいって気持ちの最初部分だと僕は思うんだよね。そしたら多少仕事ですれ違いがあったとしても最後は自分の所に居てって事にならない?そういう時間を積み重ねて共同の生活者になって、…子供得たりするんじゃないの?」
「子供?いらない」
吹く風に舞い上がった髪、両方の目を丸く大きく開いた顔は口をへの字に曲げて
「モテると子供が来たりするなら、私いらない!!」
急に身体をコマのように回してそっぽ向いた
思わず両手で、待った!をかけそうな程の衝撃が粉川にはあったが、海の側の姿勢を戻した『なるしお』は愚痴をこぼすように続ける
「だいたい私子供嫌い、前に『あけぼの』の甲板にジュースこぼしてたし、私の事「くじら」とか言うし…イヤだ。モテ道を進んだら子供がくるなんて、そんなのいや!!」
「子供嫌いなの?」
女の子にそう言われると以外と傷つくのか、粉川の眉はハの字に下がったが、同時に一つの事に気がついた
「てか、子供…君たちはどうやって産まれるの?」
産まれの様子は『ちょうかい』から聞いていた、「女神の結晶」というものから殻を割る形で生誕するという話
だけどあまりに漠然とした発生の話で、今まで話をした相手や『こんごう』の姿からはピンと来ないものであった
混乱のサイコロが頭を廻るのを止めるためか、粉川は軽く額を叩いた
「てか…なんで成体で産まれるの?子供を欲しないのになんで女の形なの?」
少し場から偏った考えだが、今はそういうふうにしか思いつけない
「何?」
額を押さえる形で自分の中に湧き上がった疑問と向きあっていた粉川に『なるしお』の十字の目が近づいていた
黒目を四分割する十字のラインは、目の中に透明な刻印をしたような形で薄く光りに浮かぶ
人ではない者達
脳裏をよぎる言葉「女の形でいる訳、愛で人を抱くため」…
時間を止めた粉川の目線が目の前の人ならざる女に迷いの焦点を読まれそうになった時
「痛い!!」
「はい?」
積み重なった疑問に、没頭の海に溺れそうになった粉川の意識を『なるしお』の悲鳴が断ち切った
雷に打たれたみたいに立ち上がり、身体を覆うようにすると
「いたい!!いたいよ!!」
片足立ちの涙目が粉川を越して両手を挙げると
「やめてー!!チクチクするのぉ!!」と岸壁の奥に向かって駆けだした
自分を飛び越し悲鳴をあげて走る『なるしお』の姿に、粉川の視線が灯台のように回るとそこにはバケツ片手に声を挙げている魂達の姿があった
艦魂と認識できるのは揃って青服を着た少女達であるからだが、その行動は
「敵潜水艦発見!!1番!2番!3番!魚雷発射!!」
まるでフラミンゴの投擲、片足をあげて大きく手を上にかかげた先から「何か」を放っている
『なるしお』の写身である『なるしお』に、黒く輝く艦体に魚雷というよりも上から降る何かで爆撃をしているという形だ
「やめてー!!私にぶつけないでー!!」
粉川は目をこらして見た
当たる何かは軽いプラスティックのような音を響かせているが、どうやら貝殻のようだ
しかしそれ以上に興味を惹いたのは、そんな破片に右往左往の『なるしお』の姿
欠片程度で大ダメージ?と思うほどだが、当人は必死の形相というかあの長い髪で隠されてる口のあわてふためきよう
爆撃に痺れるように震える下唇とパクパクと泡食うような声、ちびっ子な彼女に対して遠巻きな投擲を続ける面子に、飛び上がったり両手をバタバタと動かしたりして抗議する
「止めてよー!私敏感肌なんだからー!!チクチクするよぉ!!」
突然騒然とした場所に、対処の方法もなく一人残され突堤に立っていた粉川は、また一つ艦の魂の実態を知った気になった
深い謎ではなく、目に見えるおかしな出来事で
「潜水艦の魂は敏感肌…」
目の前背中に当たる物体に、背骨を左右に懸命に動かす『なるしお』
「潜水艦って…ソナーとか…吸音タイルのせいで?」
真面目に考えた粉川は吹き出しそうだった、笑って良いことではなかったが
三笠に聞く話では恐ろしい事ばかりだった艦魂の被弾、自分のドンガラである艦本体を撃たれる事で血肉を爆ぜさせ、場合によって顔の半分を失うという怪我を負いなおも生きねばならぬと言う話は聞くも恐ろしく見たくないものだったが、実際に魂が定着の場である艦に打撃を被った時の姿をこんな形で見る事ができ、1つの事を理解した
大演習の『こんごう』は頭の中に対する攻撃だったので、身体の被弾というものを実感する事はできなかったのでこれは貴重なシーンとも言えたし
艦自体の持つ特性が魂の身体の一部に具現化する事、そういう現象はあり得るというのも初めて見た
それは
『こんごう』の目に輝く八角のラインであり、抜群の身体能力を乗り移らせた足だったり、ものすごいパンチだったり
『なるしお』の目の中に写る潜水スコープの片鱗である十字の刻印に、海の流れをシビアに探るという任務の元にある敏感肌
「そういう事なんだ…」
粉川は納得しながらも騒ぎを止めようと間に走っていった
「ちょっと!!止めなよ!!痛いって言ってるでしょ!」
周りに人気が薄い事を確認しながら『なるしお』を囲むようにつながれている本体に投擲している3人組との間に入る
ひょろりと縦長の『あまくさ』ちょっぴりぽっちゃりの『いそゆき』2人の間に小さな『あさゆき』は粉川の接近に身構える。各々どこぞの戦隊者みたいな変な構えで
「きたな!!シィト!!」
「いや、人」
意識的に間違えてるとしか思えない3人組は、片足立ちに両手を波のように上にあげて威嚇をしてみせる
見ている方が引くような、なんでそんなに滑稽な姿をさらすと粉川は手を振って
「こい!!」どこかずれた対応
「いやいや、何?」
「まとめて撃沈だぁ!!」蛇のように口を開いて叫ぶ『いそゆき』に「だぁ!!」とワンテンポ遅れの輪唱をする『あさゆき』
もっとも苦手とする「子供子供」を目の前に粉川の顔も苦笑いで歪ませなから『なるしお』の直ぐ後ろに立つと
「痛いって、嫌がってるでしょ、止めようよね」
海自の隊員としては経験しないであろう保父さんのように両手を前に歩を進めたが、それが失敗だった
「だれや!!!ワシの妹いびっりよるカスは!!奥歯ガタガタにいわすぞ!!」
港から吹き付けていた波風を押し返す大音響の怒声
そっくり返るほど顎を挙げ隠されていた目を光らせる者『うずしお』
「お姉ちゃ〜〜ん」
涙目で身体を手で護るようにすくめている『なるしお』の後ろに立っていた事が粉川にとっての災いだった
「シィトォォォ!!ワレなにワシの妹に手出しよんね?」
「僕?いや!人でしょ?てっ!僕は何もしてないよ!!」
『なるしお』の後から歩いて来て彼女を護ろうと手を振った粉川の姿は、残念な事に『うずしお』には小さな妹を襲う悪漢にしか見えていなかった
そんな不条理なに言いがかりは困ると粉川は慌てて本来の悪である3人組を指が探すが光の破片は有れども姿は消え
事態がまっこと悪い方向に向かっている事に背筋に冷たい緊張が走る
「違うんだ!!間違ってる!さっきまでそこに!」
両手で否定と衝撃を止めようとする粉川の前
蹲って泣く『なるしお』の背中、自分を助ける援護の声はどこにもない
あるのは怒りの姉の姿だけ
「ああん!!」
燃える炎の十字の目が、がっちりと粉川を捕捉てし海から吹く風に逆巻く『うずしお』の髪の毛で露わにされた仁王の顔面が粉川を睨むと
瞬間、力の入った足下に砂煙があがり機関車がごとく気合いをはきだしながら、突進してきた
「憤怒!!くらって逝けや!!プランチャー!!」
「待って!!!」
世界は回っていた。身体事の大激突に天地が逆さに一回転すると粉川の身体はダイブしていた
倉敷の青い海に
それを『いかづち』は目撃していた
粉川を食事に誘おうと探し歩いていた末の衝撃映像に『はるさめ』共々時間が凍ってしまった
「聞いて良いかな?」
作業青服をバケツの水をかぶったかのように黒く濃紺した姿の粉川に声をかけたのは間宮だった
監部から立神のバースへ『こんごう』に向かって和田と共に歩いていた足を止め
粉川の姿を上から下までゆっくりと動かした目線の末の質問に、後ろに付いていた和田と安藤は口元を大きな手で二人とも抑えていた
まともに顔を合わせて敬礼なんか出来ないほどに二人とも頬が脈打っている
「まさかと思うけど、また寒中水泳したの?」
足音に水の濁音をからませ、通った道筋がわかるほどの姿を前に間宮もまた、目元に笑いじわを浮かべて聞く
「いいえ、走って来ました。倉敷から」
「だよね、こないだの今日じゃ宗像司令も困っちゃうしね」
引きつった顔と、全身から匂う潮の香り
隠せるわけない状態を前を、粉川は真面目に敬礼をすると走っていった
「負けないぞ!!今日からは徹底的に行く!!負けない!!」
心を叩いて言い聞かすように熱く拳を振って走る
自分の背中を笑う間宮達の声を耳にしながらも粉川は全力で監部にある自分の宿舎に戻っていった
「とりあえず着替え!!で、カレーだ!!」
絶叫の粉川、長い夜は始まったばかりだった