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第五十七話 滅私の愛

そこは今まで『こんごう』が見た海ではなかった


耳に響き続ける

束になった電車の音のような羽音は、けたたましいを通り越し

狂気の音を衆群にてして群れる白ワシの化身達であふれかえった波

青い弾頭として動く翼ある悪意達の意中に浮かぶのは

大日本帝国海軍の象徴たる黒鉄の城

悪魔の羽達が標的に向かう火花と腹を裂く黒い凶器に溢れた空


目の前を斬るように、水面に星を瞬かせて走る無数の飛行機に『こんごう』は目を回していた

自分が演習に出てきた海と似ているところは曇った小雨交じりという状況だけで

何もかもが違う海の真ん中に、ただ立っていた


「訓練?なの?」


揺れる水面をみながら、驚きに開ききったまなこのままつぶやく

突然自分の前に表れた出来事から、体が無理にでも逃げようとするかのように

いつものように強気で、何が会っても知らぬ顔など出来ないほどに自分以外のものの大きな存在である艦艇におののきながら


もう一度周りを見るが、ココが紛れもなく現代という時間の中に無いことは飛び交う兵器が見える

モノクロームだった写真から飛び出してきた清水の青を纏った星達

熱気と、狂気


肌に伝わる振動は

演習でもない

夢でもない


手を伸ばせば生暖かい南海から押し上げてくる潮の風を感じる

頬に当たる雨がわかる

温く湿った空気の中で熱を与えている兵器の音と…人とは違う悲鳴が聞こえる


「訓練じゃない」


震える手のひらを確かめながら

自分の心に復唱していかなければならない程に『こんごう』は自分が荒海を御してもいないのに息を挙げていた。目の前にある物の姿を嘘と思いという気持ちが心臓を圧迫し喉を締め上げる動悸に拍車をかける中で一つの結論をやっとだす


「あんなもの、私は知らない」


見た事のない兵器を

群青のワシ達が頭上をかすめる

浜辺に押し寄せる波のように空という海を引き裂いて獲物に黒光りする弾頭を落とす姿

そんな戦闘機は見たことがないし

演習に訓練、自艦からの発砲にミサイルの発射などは何度かの経験があったが…

そういうもはない、整然とした訓練なんか何処にもない


ココにあるのは、憎しみの牙を剥きだしにした戦闘機が槍を指す為の乱打の攻撃を縦横無尽に行う海で

それを迎え撃つ為に艦艇は際限なく空に黒い花火を咲かせる弾幕の嵐を纏う海



雨あられと降り注ぐものは

本当の雨だけではなく

耳に痛みを残す迫撃の嵐で一瞬の瞬きのような火花と共に艦上にて働く者達をなぎ倒して行く

鼻をつく人が焼ける異臭は生暖かい海風によって惜しむことなくまき散らされている



今(現在)の世の中にはあり得ない骨董写真の戦闘は、群青の空を高く拳におさめて悠々として激しく目の前に広がっていた


あり得ない今(現状)に頭が揺れる

足が震える、声が出ない

それでも軍属の『こんごう』は何か一つでも自分を確認できるものを探し腕時計に目を走らせたが


確かめられる現状

見つめた腕時計、デジタルとアナログタイプの針を持つクロノグラフの示すものは

デジタルログの小窓は1532を示していて、自分が訓練演習に入り倒れた時間が刻まれているがアナログの針は狂ったように逆回しを続けている


「巻き戻してる、時間を戻してる?」


マリアは水の流れと記憶について語っていた

神秘の雫に納められた、記憶の時間

時計を見るためにめくった袖のまま『こんごう』は自分に起こっている事態を胸を押さえ、呼吸を改めながら考えた


水の持つ記憶を遡る、この東シナが持つ記憶に

その過程として腕時計の針は逆巻を続けている?


「まさか…」


それが艦魂達の行く末のために?

大日本帝国海軍が持っていた覚悟を知る旅の先に?

懐疑と不安に曇る頭を振った『こんごう』の前、逆巻きを続けていた時計の針が止まる


「十二時三十分…」


身のすくむ電撃が背筋を走る、『こんごう』の頭の中

覚えていること学んだことがフル回転で動く

ココがあの日の坊ノ岬であり

この時間であるのならば


全て起こった記録を思い出せる…だから

「そんなこと」と時計から顔を上げられなかった

自分の頭上を日本に対する侮蔑と共に飛んでいったもの達の意味


たくさんの事を学んでいた

自分達が引き継がなかった帝国海軍の事を、自分の名前の姉である金剛の事もあれば…

当然戦艦大和の事も学んでいた


一瞬で行き着いた答えに目を閉じた

「ダメだ」と自分の前、小山のような鐘楼を波に揺らして走っている巨大なる帝国最後の砦、大和から顔を伏せた

今それを見たらと眉間に皺を寄せて拒否と首を振った


その瞬間、顔に熱を浴びせるような衝撃とともに今まで耳鳴りを響かせていた羽音以上の衝撃が頭を揺らし

響き渡る轟音と振動が海戦の始まりを告げた



「浜風!!」


耳に届く声

艦魂の声

自分たちと変わらないであろう若い女の声は喉が掠れんばかりの悲鳴を上げていた

仲間を呼ぶ声が響き渡る


さっきまで聞こえていた凶刃の羽音がやまぬ海の上に…

戦場に不似合いな少女達の声が聞こえる、轟音の中で仲間を呼ぶ


防御陣形を組んでいた艦隊の一角で大きな爆発はおこり、あっという間にその艦は沈み始めていた

雨の水面に浮かび上がった戦いの残す爆煙と普段は見られる事のない艦の赤い腹

懸命に仲間を呼ぶ声が飛び交う重奏の悲鳴として響く


「ダメだ!!引き返すんだ!!」


始まった歴史の序幕に『こんごう』の体は強張り叫んだ


あれが本当に大和ならば結末は決まっている

目の前で消えた一隻の艦の姿に動きを止めていた『こんごう』の体は走り出した

こんな土壇場で何かが出来るとは考えられなかったが…

それでも体が動いた


もしその悲劇を止められるのならと


自分が水の記憶に迷い込んでいる事などどうでもよくなっていた

ただ

目の前を逝く事になる姉達に向かって海の上を走ったが、体は急な光に包まれ転移した



「矢矧ィ!!」


大和へ一直線に向かおうとした『こんごう』の体には強制的な転移が掛かかっていた

自分の意志では動けない艦の魂を象徴するような力は、粘り着くオーロラのように体を絡めると、海の上からはじき飛ばすように

破滅を絵に描いたような崩壊を開始した甲板の上に彼女を投げ運んでいた


「ココは」


強制的に歪められた道筋から足下につく硬さ、ぐらつく体のまま飛ばされた先

目眩の光と、何度かの瞬き

熱を上げ、熱を体に宿した艦の上に『こんごう』はいた


リノリュームと板張りと鋼板を朱雀に打った甲板には既に、いくつもの銃創が湯気を立てたままに残っている

磨かれていたハズの艦体に残る蒸し返しの傷みと


それと…初めて見る人がただの部品と化した世界


そこには銃弾によって手足を失った人が転がり言葉に成らない痛みを濁音の中で訴えていた

力のない声は最早誰を頼っているのかもワカラナイ中、懸命の救助に走る衛生兵の姿は助ける相手から付けられる痛みのマーカー、血でカーキの軍服に真紅を混ぜどす黒い色に染まっている


煤煙の中

見えない自分の前で繰り広げられる地獄絵に

『こんごう』は足の感覚の糸が切れそうになったまま目を回した

光が自分を導いた場所は、灼熱を帯びた地獄の釜だと瞬時に信じてしまう程に


自分が産まれて以来こんな景色を見たことがなかった

頭の半分を、花瓶を割ったように無くしている人の姿

引き千切った粘土のように離れた距離に転がる人の部品

すり下ろされた皮膚と肉、目を開いたまま焦げた人

喉に押し上げる酸性の苦みを懸命に、自分の首を絞めるように押さえる

目に涙が浮かべど声は出ない


『こんごう』は何度も自分の腹を叩い、感情もそれに付いていかない体も制御しようと暴れる

「こういう事のために、こういう、こういう」

目の前の絶望に、腹を叩いて言い聞かし首を振る


「私の勤め、私も、私も」と


戦争という非常の事態、その為の自分

自分は「戦争」を戦う艦だ、日本の盾となる艦だと、体を叩いて心に言い聞かす

常に生死と向きあうポジションにいて、例え目の前で殺戮の嵐が吹いても冷徹でいなくてはならない艦だと心がけてきた


だけど本物の「戦争」を知らない艦であり魂であるという事実は消せなかった


どれほどに自分を、体を痛めつける拳を振るっても何も感じられない

ただ心に釘を刺すような痛みが四方から襲う

艦を揺らす水柱の振動が体を震えさせているわけじゃない、耐えられない恐怖に体は正直に震えている

目の前にある死というものを、初めて心の底で意識した事に体に走る神経と力がついていかない


どんなに強気に振る舞っても

現実の前では無意味と骨身にしみる恐怖に隠しているハズの心が悲鳴をあげ続けていた


降り注ぐ爆弾に人は粉々に潰され破片しか残さないなんて演習では見たことがない


頭の中にある自分り経験を掘り出しても

練習弾の命中率なんて…

十字砲火に飛び交う戦闘機の古めかしい弾丸が見える事が怖い

曖昧な照準と人の手による攻撃の全てが精密機械での戦いよりも怖い


自分の肩に手を回し懸命に抱く

考える間にも何度もの掃射が行われ甲板で戦う兵達をなぎ倒し、千切り、砕く


機銃の大きさだって知っている

自分についているファランクスの弾の大きさは20ミリ

ブローニングの弾は…12.7で…

『こんごう』は知識でなんとか自分を保たせようと、ある限りの策を講じていた


波打つ攻撃に怯えながら理性的になろうと考え余分な知識をいっぱいに働かしていたが、だけど無理だった

弾の大小など、撃たれれば人は死ぬ

ボロぞうきんのように、紙切れのように生きていた体を砕かれて死ぬ

今まで体内に収まっていた腸も心も、クラッカーの弾き出す紙吹雪のように全てをまき散らして


ただの細切れた肉片になる


「ああ…」

意識を保つ事が精一杯の中


「ごめんなさい…」


怯えた『こんごう』に魂の声が聞こえた

囁くような悔恨の声は

頭に直接入る声


血の臭いと硝煙の残す熱で揺れる甲板の上、自分がいつもそうしてる位置

艦首のアタリに転がっている少女から発せられていた


兵士達が体から出した臓物と血でぬかるみになった足もとをふらつかせながら『こんごう』はそれが艦魂である事に気がついて走った


「しっかりしろ!!」


華を咲かせたように彼女の周りに飛び散った赤い水

真ん中には既に白目をむいたまま仰向けに倒れた長い黒髪の少女、顔に生気はなく青く変わっていた


「しっかりしろ…」


気の利いた言葉が出ない

しっかりしてどおしたらいい?

彼女の肩を抱き起こした『こんごう』に伝わる熱い血と、失われる体温

帝国海軍の濃紺の軍服を纏い片手に軍艦旗を持ったままの彼女には足がなかった


最初の攻撃で吹き飛ばされたのかスカートの下にあるハズの足は互い違いの長さで千切れ飛んでいた

片方は膝下で、直ぐ近くに蝋人形の破片のように色あせた形で転がっていたが。もう片方は腿から下で既に部品はどこにも無くなり細かに引き下ろされたピンクの肉片が出来損なった塗料缶の中身のように、ダマ(かたまり)を作って残っているだけだった


「ごめんなさい…」


唇のスキマ、真っ赤に走った吐血の後と、吹きこぼれた胃液の間で彼女はずっと何かに謝り続けていた

気の利いた言葉が浮かばない…抱き寄せる自分の手が震えて

きちんと彼女を支えられない『こんごう』は同じ励ましを繰り返した


「しっかり…しっかりして…」


自分で体の制御も出来なくなった少女は片目を、血を絡ませた目を少し覗かせると

自分の肩を支える者を見つめて、赤い泡の中から言葉を紡ぎ出した


「日本を守れなくてごめんなさい」


謝罪の声の後、彼女は引きつってしまった片方の顔とは別の顔に柔らかい笑み、悲しい笑みを浮かべた

肩を抱く者が誰かもわからないハズ、だからこそ最後に会いたかった人を見るように潤んだ瞳は


「少佐…ごめんなさい、私もうダメみたい」


懸命の手が見えないままで軍艦旗をたぐり寄せると、赤く染め変えられていた目から涙がこぼれ落ちた


「もっと…もっとお役に立ちたかったのに…こんなところでお別れです」


何度も血を吐きこぼす

彼女は自分の肩を抱く相手を愛する「誰か」と間違えている

それは末期の願いがそうさせているもの

やまない小雨の下で『こんごう』に抱えられた彼女は既に開けられなくなった片目を痙攣させ片方の目で自分を抱く相手の顔に微笑んだ


「矢矧は、ココでお別れです。どうか…少佐は生きてくださいね」


足を失うという事が示すもの

それは操舵が聞かない程の被害を船体が受けているという事

その上で

抱き上げた『こんごう』の手には生暖かいものがかぶさっていた

軍服の腹部を切り裂いた穴から黒く焼けたものが這うように溢れている


有るべき自分内臓器を既に納められないの状態の腹は垂れ流しのように腸をこぼし始めていた


機関部を失ったという姿は

助からない怪我の中で矢矧は血とススに汚れた顔で微笑んだ


「生きてください、生きて」


自分の向こう側に…きっと自分を想ってくれた「人」に向かって微笑む顔

最後の笑みに『こんごう』はどうして良いかわからなかった

何度も首を振った

自分が彼女の愛する人でない事が悲しくて

ただ同じように涙をこぼした


軽巡洋艦矢矧、史実通り1246に機関部を全損する命中弾をくらい命は、魂は瀕死のまま死への海を彷徨い始めていた


「姉さん、矢矧姉さん」


色白だったであろう顔からさらに血の気を失った青い頬

「どうしたらいいの」


艦首での二人のやり取りの向こう矢矧の艦長は総員退去の命令を出しそれに従って行動が開始されていた

機関と舵を失った艦にある運命は死だけだ

傷ついた仲間を引きずるように甲板に集まる兵士達


『こんごう』には何もかもが悲しみだった

文献を読んだ

帝国海軍の艦はうごけなくなれば処分として味方に撃たれ沈められた者が多くいた

頭ではそれが潔い「トドメ」だと理解していても

現実には…この場所にいて考えられるのは戦場で見捨てられ


捨てられるという思うばかりだった



「姉さん…こんなに働いたのにどおして」


死を厭わぬ戦いに人に伴って出た矢矧は最後の戦いで人に見捨てられてゆくという現状を理解が出来ない『こんごう』は何度も甲板に向かって助けを呼んだが

見えない自分達に救いの手はなかった


こんなに傷ついているのに、助けてくれないのかと拳を甲板に叩きつけ顔を上げた


目線の先、自分たちを置いて戦いの嵐の中をゆく戦艦大和

嵐は未だ過ぎさってなどいない中で矢矧は戦線離脱、廃棄という形になっていた

そんな苦しみの中にいる『こんごう』に矢矧は続けた


「早く戻って下さい…」


自分が破棄される事から相手を気遣って

涙にくれる『こんごう』に繰り返し矢矧は頬に触れていた手を離すと、瀕死の体に最後の力を通わせ『こんごう』の肩を押した


「早く…大和司令の所に戻ってください」


救助に近づく磯風に今まで共に戦った兵達が自分から離れる為に海に飛び込みを開始したり、要救助者のためにロープや渡り梯子用意するという景色の前

目の前で失われてゆく魂は自分から去ってくれと『こんごう』に言う


「残った人を助けてくださいね」


矢矧から突き放されたが、離れる事など出来るハズもなかった


「できません…こんなところに姉さんを置いてなど、私には」


あきらかに『こんごう』は混乱していた

現実も夢も水の記憶という話しも頭から飛んでしまっていた

だけど

「人」が見捨てて行く姉を置いては行けなかった

死の海にて帝国海軍の旗を振り続けた姉、瀕死の艦魂を置いて離れる事など出来ないという気持ちだけになっていた


「ダメです…私はもう助かりませんから、行って下さい」


力を失い、体温を失ってゆく唇が寒さ凍えた震えのように最後を繰り返すも

助からない事はわかっていても


それでも離れられない

こんな恐怖が渦巻く海にたとえ助からないにしても全ての人が見捨ててゆく姉を置いていく事など出来ない


話している間にも命の雫はこぼれ落ち

魂は最後の時に向かって走っている


「ここに残ります…姉さんと共にいます。人が貴女を捨てて行くのならば、なおさらです」


そういうと離された距離を覆うように、消えていく意識の矢矧を正面からしっかりと抱きしめて泣いた




「愛してます」



顔を見合うほどの近くに寄せた『こんごう』の耳に、矢矧は血と涙と汚泥のススにまみれた顔のまま

なのに輝くほどに優しい笑顔を見せ


「ああ、私ずっとずっと少佐の事好きでした。初めてお会いした時から…ずっとずっと好きでした」


霞む視線が見つめ、告げたものは愛した人えの最後の告白

軍艦旗を握った手のまま両手が『こんごう』の顔に触れる

ボロの体が温かく相手を包み込むように優しく笑って


「こんな事なら口紅を買っておくべきだった…こんなに汚れた顔で告白なんて」


相手を思う心が瀕死の自分を隠す冗談に花を咲かせる

皮肉な事に彼女の唇をあふれかえった血が

紅を差したように艶やかに光って見える


「少佐の…ちょっとおっとりした所、大好きでした」


手のひらを染めた血

指はゆっくりと確かめるように『こんごう』の顔に触れる

けいれんする指先がゆっくりと頬から耳へ

顔の輪郭に沿って


「年の割に童顔なところも、私達魂の誰にでも優しい優柔不断なところも…」


とても戦う船の魂とは思えない可憐な命は、自分たちの思い出を彩ってくれた男に感謝の言葉を連ねていた


「メガネの顔も…もう見えないけど、少佐…貴方の全てが私達魂に愛する事を教えてくれた。私の大事な思い出…」


声を返せない『こんごう』の頬にたくさんの涙が流されている事に矢矧は気がついた


「優しい人、だから私達も人を愛して共に戦う事に意地を張れた」


細い指が涙を掬う


「泣かないで…悲しくなるから、いつもみたいに笑って…笑ってサヨナラしてください」

「出来ません!!姉さんが一人で死ぬなんて…最後まで一緒に、ココにいます!」


しがみつくように自分の肩を抱く相手に、笑ってと言った矢矧は見えなくなった目を大きく一度開いた


最後の時はゆっくりとした時間が流れていた

潮の香りと自分の打ち返す波の音

静かに目を閉じるともう一度開き落ち着いた顔は自分の告白に満足したように手を『こんごう』の胸にかざした


「さあ、行って下さい」


燐光の輝き、艦魂の持つ転移の光は大きく輝き『こんごう』の体を包むと中空に体を、矢矧から引きはがすように上げた

つかんでいた体から、電撃を飛ばすようなショックで全ての拘束は外され、手足をばたつかせて姉の元に戻ろうとする『こんごう』は叫んだ


「ダメです!!!」


光が自分の体を覆い、この場所から消し去ろうとする力を否定する『こんごう』に矢矧は短刀を投げた

帝国海軍士官がもつ装飾あざやかな短刀


「私の「心」を預けましたからね...お願い生きて「三笠」さまに届けてください」


「ダメです!!!」


必死にもがく『こんごう』だったが自分の持つ艦魂の力はまるで通用しない

飛ばされたと思った瞬間には既に離れた海の上に立たされていた

消える光の輪の小さな穴がお互いの視界を繋げたまま

海にこぼれて落ちる光の粒を見ながら横たわった矢矧は苦しみの痛みを麻痺させた優しさの中にいた


救助に桟橋を繋げた磯風が自分に近づく

その背中に狙いを定めたように飛来する白ワシの化身の音が響く


「止めて!!!」


懸命に手を伸ばす

遙かな姉の命は史実に準じて目の前で失われようとしている

狂ったように『こんごう』は叫んだが、入れ替わるように届く声


末期の言葉


「貴方が生きてくれる事が、私の全て」



空気を奮わす振動が水面に亀裂を走らせる

叩きつける豪打のように順を追って波を高くする破裂の振動と

頭の芯を揺るがす爆発の中、先行の光と赤と黒に飛散する鉄の艦

それが光の輪をつないだ小さな道が魅せた最後の景色だった


「矢矧姉さん!!!」


消える燐光の破片の向こう離れた海の上で『こんごう』は救助に会った磯風の横で沈む矢矧を見た


「あああ…」


抱きしめていた血のぬくもり

自分に触れた手が海の底に引きずられてゆく

悲しい出会いに自分の手に残った感触を懸命に探す『こんごう』だったが、耳には別の破壊の音が届いていた


「大和姉さん…」


すでに自分を防護した艦艇の半分を失ってなお、前に進もうともがく大和の姿に威厳はなくなっていた


必死の思いがそれを動かしているとしか言えない程に、鉄の楼閣は煙をあげ大きく傾いたままで微力な前進を続けている

全ての終わりが

めまぐるしく手早く近づく


緩やかな時を刻んでいた矢矧との時間が嘘のように


「ダメだ!!行かないで!!行かないで!!大和姉さん!!」


遠い距離の向こう艦首に映る少女の姿に『こんごう』は泣き叫んだ


身の程にあまる大日本帝国の旗を大きくかざし

顔を真っ赤に染めた彼女の後ろには肩を支える男の姿が見えた

時間は1418


その時が近づいている


『こんごう』は走った

海の上を

悲劇は止まらない…だけど


「行かないで!!行かないで!!」


何度も手を伸ばす

どおして「人」の死に準じて逝かなくてはいけないのと


そんな思いををあざ笑うように大和は艦体を大きく海に向かって傾けて行く

歴史はどこも変わる事なく終わりを再現し続ける

モノクロではなく鮮明な色として


「姉さん…」


既に甲板を波で洗う程に傾いた艦の上で大和の艦魂、大和は自分の背中を支えた男の前で大きな声を挙げた

自分の上を禿鷹のように、我が我がとついばむ者達をにらみながら


「私達は死なない!!私達は必ずこの海に戻ってくる!!」


軍服の各所が敗れ

体の部位の全てに血を纏ったまま、それでも負けない意志をやどした目で


「愛する国に戻ってくる!!!」


『こんごう』から見ても自分より幼い姿と声の主はそこまで言うと、最早立つことままならぬ状態になりながらも

自分の背中を支えた男の胸の中に顔を埋めると手早く自分の手に持っていた短刀を押し付けて


勢いよく突き放した


「大和!!!」


傾いた船体から滑り落ちる彼、メガネを掛けた少佐にほほえみと共に


「生きて」


甲板を落下の一途にいる彼に向かって光の力をかざした

「やめろ!!!僕は!僕は君と一緒に!!」

落とされた彼の指は必死に甲板に己が手を引っかけようと伸ばすが、激しく傾きさらに垂直になろうとする艦の上ではなすすべがなかった


だから大きな声で手を開いて、自分を離さないという決意を高く叫ぶ


「最後まで君と一緒に!!君と…」


途切れる言葉

名残を自分の手で握りつぶすように一瞬で彼を別の艦に大和は飛ばすと倒れた

気丈に達続けていた足は幾筋も切り裂かれ

腰部から下はすでに力を伝達する事は困難な状態になっていた

それでも愛した人の為に達続けていた体はやっと解放された、同時に崩れ


同時に泣いた


「生きて…お願い、私の心を届けてね」


今まで張りつめさせていた顔から、緩く最後を優しく終えるために力を放つと涙と嗚咽をこぼした


「ごめんなさい…守れなくて、ごめんなさい…ごめんなさい」


倒れた目から落ちて行く涙の果てにあるのは最後の地獄だった

何人もの兵員が海に向かって転げ落ちていく

彼女には最早それらを助ける術はない、ただ朽ちてゆく鉄の城は各所から肉の焼ける匂いと機械、油と火薬の満ちた酸欠の空間になり


美しかった自分の上で多くの人の血を浴びて禍々しい影を落とし

多大な血を持つ「人」を救えなかった事に泣いて詫びた


「ごめんなさい…沖縄どころか、皆さんまでも守れなかった、護りたかったのに…ごめんなさい」


最初から無謀だった作戦

それでも魂は守るという事に全てを賭け、心を使わせていた

艦を保たせ、意地の戦いに士気を鼓舞するために旗を振り続けた


それでも

だからこそ最後の願いは愛する人にだけ……途切れそうな声は続ける


「一緒に死ぬなんて言わないで…貴方が好きで、貴方の愛する国が好きで、私は産まれたんだから」



滅私の愛を捧げる



防空指揮所上15メートルの測距儀が力無く頭をもたげるように海に向かって顔を降ろして行く

終焉の近づく最後の時


「私は…またこの国の海に戻ってくるよ...絶対に、だから私の心を捜してね....し..さん。貴方の思いで私はまたもどってくるから」


軋むキールの音と煙突内部にこもった熱気が閉塞された彼女の内部空間を破壊する連鎖が始まる

血しぶきと破裂の中で少女の体は四散してゆく

指が千切れもっていた軍艦旗が光の泡になって消え、腹が割ける

ヒトガタをもはや保てないほどの損傷の体は


なのに

なおも天を目指し顔を上げる、緞帳の空の下、雲を滲ませるように輝きを閉ざした太陽を

視線だけが追う


「私の魂、私の心…日本を護って、再びこの海に……」



雷鳴は響き怒髪は海と空を突き抜けた

立ち上がる振動の嵐の中

最強の名を持った姉、大和は爆炎と共にその身を骨も残す事なく砕いて消えた




『こんごう』は

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