相馬死す
エタった作品数知れず。
続きは期待しないでください。
『愛する者を殺せ』
相馬相馬の脳内にそんな言葉が響き始めてから、もう三日が経つ。
その言葉には逆らい難い強制力があった。
そして相馬はその言葉に従う事になんの疑問を感じてもいなかった。
いや、疑問を感じるように作られてはいなかった。
では、なぜ三日という日数がかかってしまったのかという事だが、それは単純に殺すターゲットとなる人物に会うタイミングが無かったからに他ならない。
三連休の間に会うこともできたのかもしれないが、強制力があるというだけで、そこまでの即効性は無かったようだ。
さて、そのターゲット──つまり相馬の愛する者──阿頼耶識全知に今日の放課後、体育館の裏に来るように伝えた相馬は、体育館裏で一人、得物となる包丁を背中に隠しながら遊ばせていた。
体育館裏は森になっていて周りからは誰にも見えないため全知を殺すのを誰かに見られる心配はない。
しかし、相馬は別にみられてしまっても良いようにすら思えてきた。
ケータイを確認すると、そろそろ全知に伝えておいた時間になろうとしていた。
幼馴染の近衛兵から何か連絡が来ていたが、急を要するものじゃないだろうと無視をしてケータイをポケットに突っ込む。
「相馬くん、こんなところに呼び出してどうかしたの?」
凛とした声と共に、黄金色の光が網膜を焼いた。
「うっ」
明るい場所で光を見るのと暗い場所で光を見るのが違うように
視界が戻ってくるにつれて、所々発光している異質な黄金色の髪をなびかせた阿頼耶識全知の姿が明らかになってくる。
髪と同様に輝いている蒼色の瞳が相馬の事をしっかりと捉えていた。
「来てくれてありがとう全知さん」
相馬が無難に挨拶を返したその瞬間、世海が凍った。
いや、これはもちろん比喩的な表現なのだが、全知と真正面から対峙する相馬には世海のすべてが動きを止めたかのように思われた。
今、この時、この空間は、全知が支配している。
全知の他に誰も世海を再び動かすことなどできない。
心臓も、それに付随して血も、体の全てが動くことを辞めたかのような感覚。
死とはあるいはこういった感覚かもしれない。
しかし、そんな感覚も一瞬だけで、彼女の氷のような瞳が溶けていくにしたがって世海はもう一度動くことを許された。
心臓は元の拍動を取り戻し、全身に血液が行き渡る感覚がした。
「そふぃあと呼んで欲しいわ。その呼ばれ方、可愛くないから」
「はぁ……そふぃあさん」
「別にさんも要らないわ」
全知に言われるがままに、相馬は彼女の呼び方をアップデートしていく。
彼女の言葉にもまた強制力があった。
今から殺す相手の呼び方を変えたところで何にもなりはしないが、相馬はその言葉に従わざるを得なかった。
「貴方もよ」
全─そふぃあは虚空に向かって話しかける。
しかし、後には沈黙が残るだけだった。
そふぃあのペースで物事が進んでいく度に、頭の中であの言葉が強く響く。
相馬は余りの痛みに包丁を持っていない左手で頭を抱えうずくまってしまった。
「あら、大丈夫?相馬くん」
心配したそふぃあが近づいてくる。
今がチャンスだ。
頭痛に耐えながら、隠していた包丁をそふぃあに向けて突き出す。
「え?」
果たしてその声はどちらから漏れたのか。
相馬は突き出した右手の肘から先が無くなっているのを目にした。
「あああああああああああああああ!」
「無様な声を上げないでよ。って、あー!私の服が汚れちゃったじゃない!いったいどうしてくれるの?」
痛みでのたうち回る相馬にはそふぃあの言葉は届かない。
「まぁ、良いわ。相馬くん、動きを止めなさい」
そふぃあがそう言うと、相馬の体は石になったかのようにピクリとも動かなくなった。
「相馬くん、貴方が死んでしまう前にいくつか聞いておきたい事があるわ。と、その前に何か言いたげね。良いわ、発言を許可します」
「何でっ……俺が、そふぃあを殺、そうと……」
のたうち回っている内に舌を噛んでしまったのか、相馬の話し方はかなりぎこちなくなっていた。
「あぁ、そのことね。私はこの第二海で起こる全ての事柄について知っているの。全知全能で言うところの全知ね。だから貴方が私を殺そうとしていたこともあらかじめ知っていたというわけ。はい、あなたの質問終わり。さて、それじゃあ今度はこっちから質問」
そふぃあは相馬の前でくるりと回転してみせる。
スカートがふわりと広がり、服についた血が相馬の顔に飛び散った。
「私を殺すように命令したのは誰?」
くるくると陽気に回っているとは思えないほどに、その声はあまりにも冷たかった。
「さっきは全知なんて言ってしまったけど、私が知覚できるのはこの第二海の事柄だけなのよね。つまり、私が貴方に命令を下した存在を知覚できないという事は、この第二海以外の世海に私を殺すように命令した存在がいるということになるわけ。貴方たちには当たり前すぎてもはや麻痺している感覚なのかもしれないけれど、未知ってものすごく怖いことなのね。全知のはずが知らなかったわ。ふふ。…………ここ笑うところよ?……って、笑える状況ではなかったわね、ごめんなさい。──こほん。さて、今まで私は私に向けられる悪意の全てを知覚出来ていたから怖くなんて無かったけれど、自分が知覚できない存在から悪意を向けられていると知って、夜も眠れなくなったの」
「嘘つけ、毎日ぐっすりと眠ってるくせに」
相馬は目だけを新しい声の主に向けた。
「!?」
そこに立っていたのは、近衛兵だった。
近衛は手に血の付いた刀のようなものを握っている。
相馬の腕を切り落としたのは彼だった。世海との関わりを曖昧にした状態で、そふぃあと共に相馬の前に現れ、相馬が光に目をやられている隙に相馬の後ろに回り込み、腕を切り落とした後は再び世海との関わりを曖昧にしてそふぃあの近くに侍っていたのである。
曖昧になった状態の近衛は注意深く知覚しようとしなければ何処にいるか分からないため、腕を切られて気が動転していた相馬はその存在に気付くことが出来なかったのだ。
「よう、相馬。人からのメールにはすぐに目を通しとくもんだぜ。そしたら、こんなことにならずに済んだかもしれなかったのによ」
近衛は悲しそうに呟いた。
「どちらにせよ一緒よ。相馬くんの雇い主の事はわからなくても相馬くんの行動は手に取るようにわかるもの。今日じゃなくてまた別の日に実行していただけだわ」
「そふぃあが言うなら、まぁそうなんだろうな」
近衛は不機嫌そうに言いながら世海へ溶けていった。
「それじゃあ、気を取り直して。相馬くん。私を殺すように命令したのは誰?」
「こ、えが……」
相馬は最期の力を振り絞って声を出す。
「声?」
「愛する、ものを殺せ……って………」
「愛する者?」
相馬はもうそふぃあの声に答えることが出来なかった。
「相馬くん」
死の間際、
「それって本当に私を愛していたのかしらね」
そふぃあの言葉がひどく耳に残っていた。
お疲れ様です。