第8話:私が聞きたいのは謝罪じゃないよ
桃華は額の傷が嫌いだ。
誰だって美しい顔のままがいい。
傷が出来る前までは皆とも普通に会話したり、楽しむ事ができた。
怪我をして、傷を負い、彼女の人生は大きく変わった。
消せない傷跡。
――私は一生、この傷に向き合いながら生きていくしかない。
だけど、傷なんて関係ないように涼介だけは傍にいてくれる。
放課後の中庭で、涼介は桃華にキスをした。
唇を触れ合わせて、伝わるのは温かな想い。
彼女を愛しいと思ってくれている。
――彼の気持ちが嬉しかった。
自分と同じ気持ちでいてくれたことも。
桃華の傷跡を受け入れてくれたことも。
全て彼女は嬉しかったんだ。
なのに。
彼は真面目な表情で言葉を続ける。
「桃華……事故の真相、知りたいだろ」
事故の真相。
その言葉に桃華はドキッとした。
怪我をして入院した時からどんな事故が起きたのかを教えれくれなかった。
彼がその真相を知っている。
――知っていてもおかしくはない。
だって、涼介は……。
――あれ? どうして……?
記憶の中で何かがひっかかる。
どうして彼は知っていてもおかしくないなんて思ったのか。
――彼がそこにいたから……?
困惑する桃華は体を震わせながら、
「涼介君、どういうことなの? 私のこの傷の事、何か知っているの?」
とてつもない不安。
動揺と混乱をしているせいか、彼につかみかかるような恰好になる。
――消えていた記憶が蘇えようとしているの?
落ち着こうとしても、もやっとした何かがそれを阻止していた。
「全てを知ったら、桃華は俺のことなんて好きじゃなくなるよ」
「そんな事ない。私は涼介君が好き……大好きだもん」
ずっと好きだった。
桃華のことを受け入れてくれたのは涼介だけだった。
皆のように傷の事も何も言わなかった。
桃華の好きな彼は、優しくて、いつも微笑んでくれる。
どんなことがあっても、嫌いになんてなれない。
涼介は桃華を見つめ続けながら、その言葉を発した。
「……俺が傷つけた。桃華、キミを傷つけたのは……俺なんだ」
信じられなかった。
その言葉を信じたくはなかった。
衝撃が桃華の中を駆け抜けていく。
「この消えない傷をつけたのが涼介君? 何を言ってるの?」
「……桃華が忘れている事、全部教えるよ」
彼は桃華に語りだす。
あの日、桃華たちに何が起きたのかを。
三年前の夏、桃華は親戚の家から帰る途中に電車に乗っていた。
そこで同じ電車に乗っていた涼介と偶然、出会った。
『あれ、涼介君? 偶然だね。どうしたの?』
『隣街に映画を見に行ってきたんだ。桃華は?』
『私はお使い。親戚の家にちょっとした用事があって』
『そうなんだ。……もうすぐ夏だよな』
『そだねー。夏休みになったらさぁ』
その後は他愛のない雑談したりして楽しく時間を過ごしていた。
全ての始まりは電車を巻き込んだ落石事故。
数日前の台風による被害から、土砂崩れが発生した。
大量の土砂は不幸にも走行中の電車を飲み込み、脱線事故を起こす。
いきなり、電車が横に傾いて桃華達はびっくりした。
そこから先は桃華の記憶は途切れている。
「あの事故で何人もの人が亡くなった。慰霊碑もあるだろ」
「嘘……。私もあの事故に巻き込まれてたの?」
「そうだ」
脱線した電車は運悪く、一部車両が線路と共に崖下に転落。
その日、偶然に乗り合わせていただけの人々を死に追いやった。
あの事故で桃華はこの傷を負う怪我をした。
涼介は傍にいながら桃華を救う事ができなかった。
それを悔やみ続けている。
「誰よりも傍にいたのに守れずに怪我をさせてしまった」
「涼介君のせいじゃない」
「いや、あれは俺のせいだよ。俺の罪だと思ってる」
「……どうして? 涼介君は何も悪くないじゃない」
誰かが悪かったわけでもない。
桃華が大きな怪我をしたことも、彼のせいなんかじゃない。
それよりもむしろ、桃華がショックだったのは、彼が桃華に対して傷の負い目で仲良くしてくれていた事だった。
「……ねぇ、この傷があったから親しくしてくれた。そういうことなの?」
「ああ。そうだ」
「今、私にキスをしたのも? 私を想ってくれたのも、全部、同情だったの?」
「……否定はしない」
涼介は辛そうに、桃華から視線をそらした。
事故の真相を聞かされても、いまいち思い出せない。
それどころか、彼が桃華の傍にいたのが罪悪感からだったなんて聞かされて。
彼女は心のどこかで救いがあることを望んでいた。
この傷跡のことも含めて、乗り越えられるかもしれないという希望を抱いてた。
それでも、現実は甘くなかった。
「涼介君には認めて欲しくなかったよ」
桃華は好かれていたわけじゃなく、同情されていただけだった。
最後の希望も、幸せも崩れようとしている。
「私の事、好きって言ってくれたのは、同情の気持ちから?」
「……」
「答えてよっ」
桃華の冷たい言葉に彼は黙り込んでしまった。
真っすぐな瞳。
睨みつけるように強い意志を込めて、
「私の目を見て。私を見て! 目をそらせないで」
「……桃華」
「もうワケが分からない。私の傷は電車事故のせいでしょ。なのに、涼介君がそこまで背負い込む理由は何? 何かあるの?」
何か言いたそうにしていたが、言葉にはしなかった。
「ごめん」
「私が聞きたいのは謝罪じゃないよ!」
「ごめん」
彼は何も答えてはくれない。
それが彼女の苛立ちを誘発する。
これで桃華達の関係が終わってしまうかもしれない。
こんなことで、あっさりと。
「涼介君……」
気持ち悪いほどに血の気の引く感じに襲われる。
夕焼けが終わり、夜の帳がおりようとしていた。
「何も言ってくれないの? 嫌いになるよ」
「――ッ」
「大嫌い」
思わず、彼に対しての否定の言葉が飛びだす。
桃華の言葉に彼はただ立ち尽くしたまま、寂しい表情をしていた。
彼女は「さよなら」と言葉にしてその場所を歩き去った。
これ以上、その場にはいられなかった。
「……」
初夏の夜は涼しい、そして、とても静かだった。
そんな時、ふと自分の頬を伝うものに気がついた。
「あっ……」
冷たい涙の雫……桃華は気がついたら泣いていた。
瞳から零れていく涙。
「……くっ……うぁあっ……」
好きな相手をすぐに嫌いになるのはできなかった。
止めようとする行為もむなしく、嗚咽を漏らして道の真ん中で泣き続けていた。
「涼介君。どうして、なんで?」
彼はなぜ、自分に対して負い目があるのか。
それが涼介が桃華の傍にい続けた理由になるのか。
何も分からないままに彼を拒絶してしまった。
その事実が悲しかった。